そばにいて~神戸市・小2男児ため池死亡事故~

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その日

なんでこんなことになったんやろう。
必死で暗闇を駆け抜ける間、少年はずっと考えていた。
団地に戻って、階段を駆け上がる。

「賢がおらんようになった!」

玄関を開けて大声で叫んで、家の人と一緒にまたあの池へ戻る。
賢、溺れてしもたんやろか?

少年は池に戻っても、身動きできずにいた。 続きを読む そばにいて~神戸市・小2男児ため池死亡事故~

田舎の復讐劇、その顛末~愛媛・給食農薬混入事件~

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昭和62年5月25日

「なにこのみそ汁……」

給食当番の生徒がみそ汁の容器のふたを開けた時に見たのは、いつもよりもやけに緑がかった色をした不気味なみそ汁だった。
担任の女性教諭もそれを確認、しかし特に異臭などはしなかったことと、具材にわかめが入っていたことから、
「わかめの成分が溶けたんやない?」
ということで、そのみそ汁は生徒全員に配られた。

クラスは全部で42人。みそ汁は配られたものの、女子生徒らの多くは気持ち悪がってそれを残した。

翌日、午前の授業中、そのクラスの男子生徒が腹痛を訴えたのを皮切りに、同じクラスの生徒が次々と体調不良を訴え始めた……

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🔓鬼畜の宴~群馬・赤城村男性リンチ殺害事件~

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平成一四年四月二三日

「また行き会ったな。早く車に乗れや。」
早朝の群馬県渋川市の路上で、男性(当時三九歳)は男らに声をかけられた。
男性が躊躇していると車から男らがおりてきて、男性を押さえ込み、そのまま車に無理やり乗せられた。
車はそのまま市街地を離れていき、北群馬郡榛東村へと移動した。そこの路上で男性は男らにこう凄まれる。
「お前、俺に金を借りて渡すって約束したろ。嘘ついてねぇで今日こそ金作ってこい」
男性は過去に、男らのうちの一人に言われるがまま、消費者金融で借金をしてその金を渡していたことがあった。
ただ事ではないと悟った男性はその場をやり過ごし、前橋市内の消費者金融までついていった。
そこで、「二〇万で許してやる」と言われて消費者金融の窓口へ行くよう命じられる。
男性はそこで警察に通報し、難を逃れた。

しかし、男たちはこれより前に、ひとりの男性を激しいリンチの末に殺害し、山中に遺棄していた。

もう一つの事件


群馬県赤城村 樽(現在は渋川市赤城町)。
この地域で、平成一三年の春、ひとりの男性の姿が消えていた。
男性は島村昭二さん(当時四一歳)。父親と兄妹との四人暮らしだった。
島村さんはとび職や建設現場の作業員などをしていたが、安定した収入はなく、その時その時で職を転々としていた。
行方が分からなくなった後、当時乗っていた軽自動車が群馬県北群馬郡子持村(当時。現在は渋川市)で発見されていたが、足取りはつかめていなかった。

島村さんの行方が分からなくなってから一年半がたった平成一四年の暮れ、赤城村深山の山中で成人の遺体が発見される。
遺体は焼かれており、損傷が激しかったものの司法解剖の結果、島村昭二さんであることが確認された。
その後の警察の調べで、島村さんと同じ赤城村津久田在住の角田篤人(当時四八歳)、北群馬郡子持村中郷の解体作業員信沢藤利(当時四〇歳)、そして渋川市坂下在住のとび職七海幸一(当時三四歳)の三名が、島村さんの遺体を遺棄した疑いで逮捕された。
逮捕当時、角田は別の窃盗の罪で金沢刑務所に服役中の身であった。

島村さんとこの男たちはどうつながっていたのか。
そして、なぜ島村さんの遺体を遺棄したのか。調べが進むにつれ、そして裁判が始まると、その凄惨極まりない所業が明らかになっていった。

【有料部分 目次】
男たちの素性
捕獲
カタツムリ
あいつ生かしといても仕方ねぇべ
なぶり殺し
何かが欠落した人々
ハエみたいなやつ

🔓忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件~

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2006年5月7日

まだ夜も明けきらぬ午前3時55分。
山形県西置賜郡飯豊町の役場近くの民家から、女性の声で119番通報が入った。
「助けて!お父さんが殺される!」
尋常ではないその声に、すぐさま消防と警察が駆け付けた。
現場には、その家の主人であるカメラ店経営・信吉さん(当時60歳)と、その妻で看護師の秀子さん(当時55歳)、そして、夫婦の長男である覚さん(当時27歳)が血まみれで倒れていた。
秀子さんはかろうじて意識があったものの、信吉さんと覚さんは死亡していた。
襲われる理由が見当たらないとする中、約6時間後、近くの山中にある神社で血まみれで座り込む男が発見された。
男は、伊藤嘉信(当時24歳)。殺害された被害者家族とは親戚関係にあり、自宅も同じ組内に存在するほどの古くからの知り合いであった。

凄まじい憤怒の現場

早い犯人逮捕ではあったが、そもそもなぜ、嘉信がこの古くからの知り合い一家を襲ったのか、当初は謎であった。
殺害された覚さんと嘉信は、年が4つほど違うが幼馴染である。しかし、その覚さんへの凶行は、他の被害者よりも執拗で残忍を極めていた。

5月8日から行われた取り調べの中で、嘉信は「信吉さんと秀子さんについては、危害を加えるつもりはなかった」と話し、最初から覚さんを狙った犯行であることが判明。
供述によれば、信吉さん方へ進入した際、玄関わきの引き戸を開けたところ豆電球がついており、当初そこに覚さんが寝ていると思っていたところ、覚さんよりも小柄なふたりの人間の姿が見えたため、引き戸を締めようとしたという。

その際、引き戸ががたつき、秀子さんが気配に気づいて「誰?」と声をかけてきた。
寝ぼけ眼の秀子さんが薄灯りのなかで家族ではない人影を認識した途端、ギャーッ!という叫び声をあげた。
そして、それに反応した信吉さんも「何事だ」などといって起き上がり、嘉信(この時点で嘉信だと認識はしていないと思われる)の方向へ向かってきた。
嘉信は用意していた刃物(ニンジャ・ソード)で信吉さんの腹部辺りを刺し、さらにもみ合ううちに無我夢中で信吉さんを刺しまくった。
その直後、廊下の奥から男性の「うわあっ!」という声が聞こえ、その声の主こそが覚さんだと確信した嘉信は、その瞬間まではパニック同然の気持ちが途端におさまり、パニックではない明らかな殺意とこれまで感じたことがないほどの高揚感が体を支配した。
信吉さんを払いのけると、そのままためらわずに覚さんへ向かい、胸や腹を一突き、さらに上半身のどこかを数回刺した。

その後、傷を負ってもなお、嘉信に抵抗をやめない覚さんに対し、はっきりと覚えきれないほどの傷をさらに負わせ、息子を救おうとする母親・秀子さんに対してもけがを負わせた。
激しい取っ組み合いの末、玄関付近まで逃げていた覚さんの頭を拳や膝で殴ったり踏みつけたりし、倒れた覚さんの頭を足で4~5回踏みつけた。

3人の生死は確認できてはいなかったが、ふと、覚さんの祖母のことを思い出した。
幼いころから知っているおばあちゃん。もしかしたら現場を見られたかもしれない。
しかし、嘉信自身も覚さんの反撃で負傷しており、おばあちゃんを捜すのはやめた。

車に戻り、なにも考えられない状態で車を発進させた際、タイヤをしたたかに何かにぶつけたらしかったが、その時は気にも留めなかった。
少し走って、どうやらパンクしているらしいことに気づき、嘉信はなぜかタイヤ交換をしようと思いつく。
人目につかない方が良いと考え、何度か行ったことのある山道へ車を走らせたが、その途中で車は自走不能になってしまう。
そこでようやく、今更パンク修理などしたところでどうなる、と思い、また、覚さんに斬りつけられた右手も痛むため、車を放置して徒歩で山の奥へと向かう。
車の足元に、凶器のニンジャ・ソードが落ちていたのを目に留め、証拠隠滅のために持ち出して途中で棄てた。

逃げる途中、嘉信は幼いころから今日までの出来事を考えた。右手からの出血は予想以上にひどく、幾度か気を失いそうになりながらも、ある思い出がよみがえるたびに、今日自分がしでかしたことは自分を取り戻すためだと、積年の恨みを晴らしたのだと言い聞かせた。

覚さんと嘉信の間には、想像をはるかに超えた因縁が渦巻いていたのだ。
嘉信は小学4年生のころ、被害者である覚さんから「いじめ」を受けていたという。

しかしそれは、いじめというよりも「性的暴行」であった。

【有料部分 目次】
衝撃の告白と被害者家族

殺意の形成
PTSD
裁判所の見解
言いたくても言えないこと