🔓理由なき最期と、「再会の日々」〜宮城・女性殺害事件〜

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平成18年1月31日。
宮城県名取市の県立がんセンターにおいて、一人の父親がこの世を去った。
まだ50歳。愛する妻や娘たちの今後を本当ならば見守ってあげられる年齢だった。

そして彼には、平成13年からこれまで、犯罪被害者遺族の権利拡大を求めての活動という、大変な仕事があった。

曵地正美さん。彼の当時二十歳の愛娘は、同じ歳くらいの若者複数名に激しい暴力を加えられ、苦しみ抜いた挙句死亡し、その亡骸は冬の雪深い山に棄てられ、燃やされた。

犯人たちを殺してやりたいほど憎んだ父と母は、それでもその加害者たちとの「再会」を望んだ。
それは、固く閉ざされ絶対に開けられるはずがないと誰もが思っていた、犯罪被害者や遺族にとって大切な大切な、ある権利を得るための闘いの日々でもあった。

いなくなった娘

事件は平成12年の年の瀬に起きた。
宮城県柴田郡柴田町。人口約3万7千人、船岡城址、一目千本桜などが有名で、その季節には様々なイベントが催されることでも知られる。
阿武隈川の北、JR東北本線と岩沼バイパスに挟まれるように位置するところに、四日市場という地区がある。
畑が広がる長閑な地域。ここで暮らし成人式を間近に控えた若い女性の行方がわからなくなっていたのだ。

行方がわからなくなったのは、柴田町四日市場在住のアルバイト、曵地里美さん(当時20歳)。

平成12年12月19日の朝、曵地さん宅では里美さんの両親、祖父母、二人の妹たちが揃って朝食を食べていた。当時里美さんはアルバイトで帰りが遅くなることも多く、翌日予定がない場合は昼頃まで寝ていることもあったといい、朝食の席に里美さんがいないことは珍しくなかった。
この朝も、昨夜里美さんが帰宅したことを確認していた家族は、いつものことだと気に留めていなかった。
ただ、朝方玄関の鍵が空いていたことに母親の豊子さんが気づいていて、違和感を覚えてはいた。
また、祖父が朝方目を覚まして4時頃にラジオを聴いていた時、玄関先で里美さんの声が聞こえていたという。

18時、豊子さんが里美さんの携帯に電話を入れたところ、何やら里美さんの様子がいつもと違っていた。

「西公園(仙台市青葉区)の先輩のところにいる。」

話は里美さんが一方的に話す感じだったようだが、里美さんはその日の早朝、先輩に呼び出され合流し、別れた直後にいわゆる「レディース」に絡まれたと話した。
殴られ、金を取られるなどしたものの、別れた先輩が戻ってきたことで助けてもらい、今はその先輩の家でケガの手当てをしてもらっているのだという。

突然のことで、また娘が怪我をさせられたり金を取られたなどという事態で母親の豊子さんも動転したのか、話をうまく聞き出せないまま電話は切れた。
20時、再び里美さんから豊子さんに連絡があった。が、内容としては夕方に話したものとたいして変わらず、バイト先には休むことを伝えているとか、一人で電車で帰れるとか、そういったことを里美さんは伝えてきた。
とにかく、詳しい話は帰宅してからでもよかろう、そういう判断もあって、駅に着いたら迎えに行くから電話するように伝え、電話は終わった。

しかしこれが最後となってしまった。
以降、どれだけ家族が電話をかけても、それに里美さんが応じることはなかった。

里美さんは、この電話のわずか5日後、死亡する。

【有料部分 目次】
家族の苦悩
プリクラの先輩
不穏な動き
額の黒いシミ
若者たち
約束破ったっぺ
地獄の日々
もう、死にたいです
遺体にサングラス、遺棄現場の替え歌
民事を見据えた、刑事裁判
当事者であり続けるために
届いた手紙
本人訴訟
殺意の有無
加害者の親としての自覚
それぞれとの、対峙
帰ってくるわけでもないし……
戦いを終えて、そしてこれからも

🔓吐き気がする~宮崎・男性殺害死体遺棄事件と場外乱闘~

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タレコミ

「どうやら殺されて埋められているらしい」

平成15年9月に宮崎県警にもたらされたタレコミは、無視できないものだった。
殺されているとされたのは、県内でも大手の建設会社を営む一族の血縁男性で、事実、5年ほど前からその姿を見た人がいなかった。
いや、正しくは「家族以外」その男性の行方を知っている人がいなかったのだ。

家族によれば、すでに離婚した妻は子を連れて宮崎を出ており、それを追って男性もまた宮崎を出た、という話だった。
しかし男性が貸金を行っていたことや、暴力団との付き合いが取りざたされていたことなどから、県警では事件に巻き込まれた可能性を視野に捜査を開始、家族からも事情を聴いていた。

警察は男性が妻との離婚届を提出した日付が、すでに行方が分からなくなっていた時期であることに注目、筆跡鑑定の結果男性の署名が男性のものではないと判明。
平成17年2月、男性との離婚届を偽造した有印私文書偽造、同行使の容疑で男性の妻、男性の実母、そして知人の暴力団関係の男を逮捕、その後、宮崎市細江の山中の養鶏場跡地に男性を埋めたとする供述をもとに捜索したところ、ビニールシートにくるまれた遺体が出た。
DNA鑑定の結果、遺体は行方不明の当該男性であると確認された。

崩壊家族

殺害されていたのは宮崎市の境大介さん(当時31歳)。逮捕されたのはその妻の池本友里(仮名/当時35歳)、暴力団関係者の鳥井信之(仮名/当時39歳)、そして大介さんの母親・境喜枝(仮名/当時58歳)の3人。このほかに男一人の逮捕状も出ていた。
友里と鳥井は殺害も含めて全面的に認めていたというが、喜枝は離婚届偽装については認めたものの、それ以外は否定していた。

しかし大介さんが殺害された後に境家名義の口座から数千万円、大介さん名義の口座から数百万円を引き出していたこと、大介さん名義だった5階建て自宅マンションを喜枝名義に変えていたことなどから追及、その後息子殺害を認めた。

宮崎市内では知らない人がいないというほどの、家だった。過去には宮崎県知事が3000万円の賄賂を受け取ったと告発(のちに無罪確定)した人物の存在があり、先にも述べたように経営する建設会社は相当力のある会社だった。
その直系に当たる大介さんだったが、180センチ120キロの体格で、若いころから暴力がつきまとっていた。
同級生らに話によれば、確かに素行が悪かった部分もあったが、身近な人には優しい人だったという話もある。群れなければ何もできないというタイプではなく、また面倒見も良かったという。

友里とは平成7年に結婚、その年には父親が日向市内で交通事故で亡くなっている。
ただこの時点で母親の喜枝は離婚していて境家と無関係になっていたといい、当然ながら元夫の遺産は受け取れなかった。
その翌年、絶大な権力を持っていた祖父も死去。孫である大介さんには多額の財産が遺されたが、喜枝は無関係だった。
そういった関係があるからなのか、離婚しても喜枝は大介さんと同居し、境姓を名乗っていた。自身でも会社を経営していたようだが、ペットフードや輸入雑貨の販売を掲げたその会社に、その経営実態は全くなかったという。

身近な人に暴力は振るわない、と同級生らの印象としてはあったようだが、実際は大きく違っていた。
大介さんが10代のころから、喜枝はすさまじい暴力にさらされていたのだ。何度も自宅には救急車が来ていたし、そうでなくても喜枝は年中顔を腫らしていたという。
妻である友里にも暴力は及んだ。
「一日のうち、自由にできるのは30分くらい」
後の公判で友里はこう供述。さらには殴られて気を失うこともあり、両目が網膜剥離になっていたことも明かされた。

そんな大介さんは、祖父、父親が遺した財産も完全に独り占め状態だったという。そしてその金を元手に、鳥井ら暴力団関係者に金を貸していた。最後に逮捕された男も、債務者の一人だった。

巨額の財産を持つ息子と一円も自由にできない母親と妻。大介さんには覚せい剤の使用もあったといい、特に妻の友里が受けた暴力は「異常とも言える激しい暴力」と裁判所も認定した。
そんな二人と、鳥井ともう一人の男は次第に親密になっていった。
それぞれがそれぞれに大介さんに対して不満という言葉では到底表しきれないほどの感情を抱き、いつしかそれは大介さんさえいなくなれば、という考えに変わっていく。

もう、死んでもらうしかなかった。

【有料部分 目次】
被害者の落ち度
マスコミの大失態
あぶない刑事
キモいメール
恥知らず

🔓イッシーの日記〜越谷・高校教諭監禁殺害事件〜

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「このメモが事件を解決する唯一の手がかりとなりました。息子がこれを書いていてくれて、本当に良かった……」

被害者の父親は、週刊誌の記者に対して絞り出すように話した。
息子が行方をくらましてすでに4ヶ月が経過していたが、警察の捜査の結果、静岡県の山中に埋められていたことが判明した。
発見された時、男性は両足が手錠に繋がれ、その体のほとんどは白骨化し、頭蓋骨には髪の毛すら残っていなかった。

事件自体は、金銭トラブルの解決のために被害届を出した男性を逆恨みした加害者グループが、犯行の発覚を恐れて男性を殺害して遺棄したというものだったが、実はこの事件は男性が失踪した直後から、いや正確にはその前から、ネットの世界で注目を集めていた。

被害男性はネット上に失踪直前まで「日記」をつづっていたのだ。それには事件をうかがわせる記述もあったことから、多くの人々が男性の安否を気遣っていたのだ。
公開捜査となってネット上の某掲示板には彼を心配するスレッドが立っており、そんな中での遺体発見だった。

出会い系サイトが乱立していたあの時代の特徴的とも言える事件だったが、それに加えて彼の遺した「日記」から見えるあまりの危機意識の薄さと事態の深刻さとかけ離れたその文面が色々な意味で注目されいまだに語られる事件である。

詳細は判決文も公開されており、多くの人がすでに知っているものではあるが、彼の日記と時系列とをリンクさせる形で振り返ってみたい。

【有料部分目次】
ある男性の失踪
嫌な予感
毟り取られる男
もう一人の女
夢見る男
事件前
悪い奴ら
それぞれの裏切り
静岡の山の中へ
「俺、殺されるかもしれない」
痛々しくも、憎めない人

 

🔓親であり兄であり、恋人だったあなたへ~畠山武人・外伝~

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まえがき

「連絡が来ると思ってました。いいですよ、書いてもらって。事実が捻じ曲げられなければ、いいです。」

秋の終わり、私が公開しているとある記事にコメントがついた。
その記事とは、平成16年に栃木県宇都宮市で起きた拳銃立てこもり事件だ。
その詳細は該当記事を読んでもらうとして個人的にはこの事件備忘録を始めるきっかけともいえる思い入れのある事件だった。

コメントしてくれたのは女性で、彼女はこの立てこもり事件で死亡した畠山武人氏と、それ以前に人生の一時期をともに生きた人物である。

宇都宮の立てこもり事件を書いた後、畠山氏と刑務所で一緒だったという人や暴力団関係で知り合いだったという数人から話を聞くことは出来ていたが、いずれも男性であり、さほど深い関係の人はいなかったことから、私はすぐさま彼女に連絡を取った。
そこで彼女が語ってくれた内容は、凄まじい迫力に加え、本人でなくては絶対に出せない生々しさに満ち溢れていて、私は圧倒されてしまった。

重大な罪を重ねたあげく、若き愛人と手をつなぎ頭を拳銃で撃ちぬいて心中した男。その荒ぶる魂に隠された「人間・畠山武人」を、私はなぜかどうしても残しておきたくなった。

平成3年の夏の終わりに宇都宮市内で起きた、覚せい剤と立てこもりと、彼と女子中学生の物語である。

【有料部分 目次】
事件概要
あの夏の少女
出会い
軋み
後輩の女
厳しい現実
逮捕、そして別れ
けじめ
永遠の別れ

🔓双葉ハイムで死んだ女②~宇都宮・男女4人殺傷放火事件~

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平成一二年八月五日

茨城県大洗町の海岸から東に約四〇キロ離れた太平洋上で、その日釣りをしていた船が漂流遺体を発見した。
那珂湊海上保安部が収容したところ、その遺体は二〇代から三〇代半ばと思われる成人男性で、背中一面に入れ墨があった。刺青の状態から、おそらく日本人だと思われた。
ベージュの半そで姿にスウェット姿、足元は素足。遺体の状態から死後一週間ほど経過していると見られた。

平成一二年八月二一日


深夜二時半。その男性は、火災報知機のベルと、大きな叫び声で目を覚ました。

「助けてくれ!!」
宇都宮市一条にある双葉ハイム最上階の十二階の一室から聞こえるその声に驚いた男性は一一〇番通報。すぐさま宇都宮署員が駆け付けると、一二〇一号室から煙が出ており、室内には衣服の乱れた男性二名、女性二名が倒れていた。

部屋の主は小堀英二さん(仮名/当時三七歳)で、小堀さんも部屋の中で倒れており、それ以外に栃木県高根沢町の中村慎吾さん(仮名/時三七歳)、宇都宮市鶴田町の無職、稲見晃子さん(仮名/当時三一歳)そして、宇都宮市宝木本町の飲食店従業員、小林潤美(ますみ)さん(当時二四歳)がいた。
小堀さん、中村さん、稲見さんは胸や背中を刃物で刺されたような傷を負い、稲見さんは左腕に火傷も負っていた。
三人の命に別状はなかったが、小林さんは収容先の病院で死亡した。ただ、小林さんには致命傷となるような外傷が見当たらなかった。

室内はソファなどの家具が焼けており、三人の証言で暴力団員風の男らが複数で三人の両手足をひもで縛り、刃物で傷を負わせたうえに灯油をまいて火を放ったことが分かった。
男らが出て行った後、もがいているうちにたまたま縛られていたひもがほどけた中村さんが自力で消火したという。

外傷のないにもかかわらず死亡した小林さんの死因は、後に大量の覚せい剤を打たれたことによる急性薬物中毒死と判明。
その場に居合わせた三人の証言からも、犯人と思われる男らのうちの主犯格が、小林さんに無理やり覚せい剤を注射したことがわかった。
一命をとりとめた三人も、それぞれ覚せい剤反応が出たが、日常的に使用していた痕跡は四人になく、それらも犯人の男らが強制的に注射したということも判明した。
現場となったマンションは、大通りに面した大きなマンションで、周辺には店舗、学校もある。そういったどこにでもあるような日常の中で、若い女性二人を含む四人が脅迫され、覚せい剤を打たれた挙句室内に火を放たれ、結果、一番若い小林さんが死亡するという事件が起こり、この時点では犯人らも逃走中であったため、宇都宮市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

被害者と犯人の関係

当初、被害者の小堀さんと中村さんらは、「四人組の男にやられた」「暴力団員風だった」などと、犯人を知らないといった供述をしていた。
しかし、捜査員らが話を聞くうちに稲川会系大前田一家後藤組の後藤良次(当時四二歳)が主導して事件を起こしたことを把握。その日のうちに放火、殺人未遂容疑で後藤を指名手配した。

ただこの時点では「何らかのトラブル」があったことは推測できるものの、なぜ稲見さんと小林さんまで巻き込まれたのかもわからず、そのトラブル自体もつかめていなかった。
中村さんは以前、後藤の運転手をしていたことがあったという。自動車販売を行っていた小堀さんとはその後親しく付き合っていた。小堀さんもまた、過去にマンションの家賃に関するトラブルを暴力団との間で抱えていたという。
当日は、午後九時ころに市内のパチンコ店で後藤と合流し、小堀さんが暮らす双葉ハイムへ中村さんとともに車で向かっていた。
しかしその際、部屋の鍵を小堀さんが持っておらず、交際相手の小林さんに鍵を持ってこさせることになった。そして、その小林さんを車でマンションへ送ってきたのが稲見さんだった。

この双葉ハイムは、一般の人々が多く入居している普通のマンションだが、当時の住民の話によれば、「事件の数か月前から暴力団員風の人の姿を見かけるようになった。それ以降、夜男性が怒鳴りあうような声を聞くこともあった」ということだった。
小堀さんが入居していた最上階の部屋は、同一部屋内に一階と二階があるメゾネットタイプで、他の部屋に比べるとつくりも家賃も立派である。マルチ商法なども手掛けていたという小堀さんにはある程度の収入があったと見られた。

事件から一週間たっても、依然として後藤の行方は知れず、共犯の男らの行方も分かっていなかった。
小堀さんらの供述もあいまいな部分が多く、捜査はなかなか進まなかった。
本人らの供述や知人らへの聞き取りで、小堀さんと後藤の間で金銭トラブル、人間関係のトラブルがあったことまではわかっており、その話し合いが決裂したあげくの犯行との見方は固まってはいたものの、大量の覚せい剤を打ち、縛り上げた状態で火を放つという犯行に至らせた決定的な動機はわかっていなかった。
三人は犯行時に大量の覚せい剤を打たれた影響で記憶もあいまいだったが、小林さんは交際相手の小堀さんから後藤の話を聞いてはいたもののそれ以上の接点はなく、稲見さんに至ってはまったく接点がなかった。
そのため、小林さんと稲見さんの二人は、たまたま巻き込まれたとの見方が強まっていた。

逮捕から起訴

事件発生から一〇日。この日宇都宮署の捜査本部は、埼玉県松伏町のホテルにいた後藤を発見。同時に、共犯として指名手配されていた後藤組幹部の小野寺宣之(当時三一歳)、無職の浦田大(当時三四歳)、そして出頭してきた土木作業員の沢村勝利(当時三七歳)を逮捕した。
容疑は後藤と小野寺が現住建造物等放火未遂、殺人未遂、逮捕監禁、浦田と沢村は逮捕監禁だった。
その際、沢村以外の三人は自動式短銃一丁も所持していたため、銃刀法違反(共同所持)でも逮捕された。

後藤と小野寺は容疑を否認したが、浦田と沢村は容疑を認めていた。

九月七日。送検された後藤は、当初こそすべてを否認していたものの、この頃から少しずつ同期に関する部分を話し始めていた。
また、死亡した小林さんを含めて四人に覚せい剤を注射したのも後藤本人であると認め、殺人容疑でも追及されることになった。
そして新たに暴力団幹部の吉澤浩(当時三七歳)と、暴力団員の男(当時二一歳)もこの日指名手配された。

九月二一日。最初に逮捕された四人はこの日宇都宮地裁に起訴された。また、警察ではこの四人を強盗致死の容疑でも再逮捕する方針を決めていた。
四人を監禁した後、稲見さんのセルシオと現金二万円弱、小堀さん宅にあったペアの腕時計などを奪っていたことが判明していたのだ。

後藤をはじめ、計六人が逮捕されたこの事件は、暴力団員が一般人四人を死傷させた事件として扱われたが、裁判が始まり、トラブルの全容などが明らかになると、複雑な人間模様が露呈することとなった。

【有料部分 目次】
事の発端
阿鼻叫喚
大洗町の漂流遺体
ヤクザのメンツと別の顔
人間性のかけら
人生が”あおり運転”
被害者と言えたか
凶悪

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