ずるいヤツら~新生児殺しを誘発する人々①~




まえがき

妊娠は、本来誰からも祝福されるものだ。新しい命が宿り、十月十日を一緒に過ごし、ともに親子へと成長するその過程は、母親となる女性にとっても素晴らしいことである「はず」。

しかしその妊娠が、自分の人生をより困難に、時にはぶち壊す存在にしか思えなかったとしたら。
その存在が、自分や今いる家族のなかでまったくの「不要」なのだとしたら。

虐待とは少し違う、最初から要らなかった、生まれてもらっては困る命をその手で葬る母親がいる。当然彼女らは責められ、社会的、法的に責任を取らされ、世間からは鬼母、異常者、馬鹿者と罵られる羽目になる。
ただそれまでの過程を見てみれば、母親が一貫して「いらない」と思っていたというわけでもないケースが多々見受けられる。むしろ、そう思えなかったが故の、というものもある。それはひとえに、新生児殺しが母親「以外」の要因があってこそ、起こるものであるからだ。

自身の命を懸けて出産したわが子を手にかけざるを得なかった母親たちの陰で、神妙な表情をしながら目を泳がせている人々の存在に焦点を当ててみたい。

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ずるいヤツら~新生児殺しを誘発する人々②~




家庭内、校内暴力から10代の母へ

社会的な問題、病理として問題視された1970年代の新生児殺し、遺棄は、1980年代に入るといったん世間の注目から離れる。
というのも、校内、家庭内における荒れる10代の事件が続発し、そちらに注目が移ったのだ。
ただ、10代の妊娠や未婚での出産などがある一定の層で「認知」され始め、それまでは恥だった10代の妊娠出産がいわば「もてはやされる」「憧れとなる」ケースが出てきた。
時代はヤンキー全盛、若い世代においてヤンキーと呼ばれる昭和の不良はカーストの上位に君臨する。裕福な家庭で育っても不良はいたし、ちゃんと学校(高校)に行く不良というのが多かった。1980年代の少女漫画「ホットロード」は、ある意味10代の少女の教科書であり、あこがれだった。
そこには不良少年少女同士の恋愛ではなく、必ずまじめな優等生と不良少年の組み合わせが出てきた。およそ不良とは呼べないような少女たちも、どこかそういった世界にあこがれを抱いていたのだ。

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ずるいヤツら~新生児殺しを誘発する人々⑤~




新生児殺しの理由

いくつかの例を取り上げたが、中絶ではなく生んでから殺害する、遺棄するというのはどういった心理なのか。
作田氏は、出産直後というのは女性も母性愛というものが希薄な時期であるため、と述べている。
特に、アノミー型の場合はそもそも初産である場合が多く、それまでの出産や子育てで経験として得る子供への愛情などは持ち合わせていなくても不思議ではない。
一方で間引き型によるものの中には、不幸にして死亡してしまったものを遺棄したケース、結果として殺害遺棄に至ったものの、写真を撮ったり、母乳を与えるなどかすかな愛情が垣間見えるものが多い。
また、「今しかない」と考えてしまうというのもあるだろう。これ以上そばに置いてしまうと決心が鈍る、そういう思いもあるのではないか。

ではなぜ、中絶しない、出来なかったのか。
これについては、単に中絶費用を捻出できなかった、中絶の意思はあったが時期を逸していた、といったもののほかに、保育士のケースに見られるような、男性側の甚だしい逃げ、無責任、または那須塩原市の遺棄事件のような夫の見て見ぬふり、疑心暗鬼、そういった態度に女性が悩み、希望にすがるうちに日数が経過してしまう、そういったものもある。

さらに、八幡浜市のケースでは、最初こそ費用と思いがけない早産からの問題であったものが、それ以降は中絶をしようと思ってすらいない節がある。
もっというと、二度と同じことをしないように、ではなく、そうなったらまた同じことをすればいい、といった開き直りというか、本人なりの解決策が見て取れる。

ただ、それらの事件に共通するのは、周囲の人間(主に家族、交際相手)の明らかな見て見ぬふりである。




よく、妊娠に気付かなかった、という家族の証言があるが、絶対嘘だ。いや、正確に言うと、妊娠を疑い、またはうすうす感づいていながら、それを本人に「あえて」確認していないのだ。
事実、那須塩原のケースでは、夫は妻の妊娠にも出産にも気付いていた。にもかかわらず、「問題があれば言ってくるだろう」と、すべてを女性側に丸投げしていたのだ。
八幡浜のケースはどうだろう。ほとんどが売春の相手であることから、そもそも妊娠の事実を生物学上の父親が知るすべはなかったわけだが、それ以前に妊娠させる可能性が高い行為をわかっていてやっているのは事実であり、ここにも女性を人間としてみていないのがありありと見て取れる。
実際、映美は公判で、「男性たちはお金を出しているのだからと、ひどいことを言ってきたり私をモノのように扱った」と話した。
もちろん、これは映美にも大きな問題がある。日銭を稼ぐためとはいえ、数千円の上乗せのために妊娠というリスクをとるのはあまりに無謀だ。
たった数千円、などというつもりはない。その数千円のために体を張る女性は他にもいるし、私は彼女たちを浅はかだ、愚かだと馬鹿にはしない。明日払う数千円が捻出できなかった経験があるからだ。幸い、私には頼れる実家があったからよかったが、そうでなかったらその日のうちに風俗の面接を受けていたかもしれない。

せめてピルを飲む、などの予防策はとるべきだったろうが、そもそもその金も映美には惜しかったのだ。もっというと、きちんと病院に行けば処方してもらえるものだという知識も、なかったのかもしれない。
そんな映美のおなかが膨らんだりしぼんだりしているのを、他人が気付くのに同居の父と弟が気付かない、そんなことがあるわけがない。

この父親と弟も、家の中の見たくないものには目をつむり、耳をふさいで生活してきたのだ。何も聞かなければ、知ることもない。気付いていても、それを口外さえしなければ、本人に確認さえしなければ、自分は何も知らなかったのと同じ、彼らは勝手にそう思い込むことで、保身を図ったのだ。
妻や娘に、なにからなにまでを背負わせて。




情報と選択肢の提供

今、緊急避妊薬(アフターピル)を薬局で自由に買えるように、との動きが起きている。
現在では、医師の処方箋のもとでないと服用が原則できない状態(アプリでの診察をうたうものもあるが、原則対面診察(オンライン、医院での診察など)が必要)で、オンライン診療可能な場合でも身分証の登録が必要なことがある。

個人輸入や通販サイトで購入する手もあるが、そもそも本物かどうかの判断は難しく、手元に届くまでには時間もかかる。緊急避妊薬は72時間以内の服用となるため、通販やオンライン診療での配達は場合によっては意味をなさない可能性も高い。

だからこそ、誰もが迅速に緊急避妊薬を薬剤師がいる薬局で購入できるようにしてほしいという声が高まっているのだ。
副作用等は現在ほとんどないとされ、医師の処方箋が必ずしも必要なものでもない。
この利用が今よりもスムーズになれば、中絶手術を受ける際の精神的、肉体的負担は軽減され、費用の面でも格段に経済的だ。
もちろん、これによる弊害もあるにはあるだろう、アホな奴はこれ幸いと避妊をしなくなるかもしれないし、性病の問題もあるかもしれない。
しかし、避妊をしてほしいのに聞き入れない相手はあなたのことを愛してなどいないということをわかるべきだし、この際そういうことも教えればいいのだ。
それよりなにより、緊急避妊薬が普及し、誰もが今よりうんと手軽に使えるようになれば、女性の意思で後からコントロールすることが可能になる。それの何が悪いのか。




岡山の保育士のケースでも、もし、緊急避妊薬が手に入る状況で、かつ、それにたどり着くための手段などを周知できていれば、彼女はこんな悲しい事件を起こさずに済んだかもしれない。
妊娠検査薬を試すにも、それは次の整理が来るか来ないかをはらはらしながら待たなければならず、しかも陽性だったらば中絶手術を受けるか産むかしかないのだ。それがどれほど精神的、肉体的にきついか、わからない人は何も難しくない、簡単なことだうだうだ言わずに黙っていればいいのだ。

他にもある。里親制度、特別養子縁組制度など、法務局でしか見かけないポスターを町中いろんなところでもっと貼ればいいのだ。
学校でもしっかりと教育として取り入れ、子供のころからそういう仕組みがあるということを教えるのだ。
避妊をしなければ1回だけでも妊娠する可能性があるということ、望まないならばSEXには慎重にならなければならないということ、もしも心配な場合は相談できる場所があるということ、緊急避妊薬というものがあるということ、そして、誰も怒ったり白い目で見たりしないよ、むしろ、話してくれてありがとう、えらかったねということも。

その時機を逸しても、中絶は悪ではないということ、育てる気で産んだけれども難しくなったらその子を待っている人に託してもいいんだということ、一人で抱え込む必要はないんだということ、たとえ手放してしまっても、あなたは手放すことでその子の命をつないだんだということ、そういったことをもっともっと情報として出していってほしい。

特別なことではなく、それもありなんだと教え、受け入れることを私たち全員がしていかなければならない。
簡単にはいかないかもしれないが、情報を出し、周知していくことは難しくないはずだ。
どんなデメリットがあろうとも、命懸けで産んだわが子をその手で殺す、そんな結末よりも全然マシなはずだ。




特に、若い女性による新生児殺しは、たとえ社会的に援助の仕組みが整っていたとしても、彼女ら自身にそれを知り、利用する力が欠けているケースが多く、支援を充実させることが解決ではない。
先の女子少年による新生児殺しの場合、18例中16例は、病院にすら行っていない。
パチンコ店のトイレに行くと、DV被害相談支援センターのステッカーが貼られていることがある。これは、誰にも相談できない女性が一人きりでそれに向き合える瞬間を提供している。
そのように、母子支援に取り組む行政や団体にはぜひ、情報や受け皿の周知に励んでもらいたい。ファストフード店、ショッピングセンターのトイレ、ゲームセンターやカラオケ店、図書館やスポーツ施設のトイレなど、いくらでも場所はある。
昔のような、一部の非行少女にだけ起こり得ることではないのだ。むしろ、そうでない少女のほうが、経験している友達がいないことからも途方に暮れることは多いし、親になど口が裂けても言えないだろう。

新生児殺しは、「殺すのではなく生かさない選択」といえる、と、宮城学院女子大学の鈴木由利子非常勤講師は述べている。これは、時代を超えて共通する意識、とも述べている。
もちろん、どんな事情があっても殺人や死体遺棄は許されるものではないが、妊娠を一身に背負わされ、産む産まないの選択すら自由にならず、女であるというだけですべての判断と責任を押し付けられた挙句に、命を削って産んだ我が子を生かさないと決めざるを得なかった彼女たちの涙の陰には、彼女らの苦しみを知っていたくせに黙って知らん顔をし続けた者たちの存在があるということを忘れてはいけない。
それが悪意であろうとなかろうと、彼らはとてつもなく無責任で、ズルかった。

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参考文献
嬰児殺が起きた「家族」に関する実質的研究
発行者 社会福祉法人横浜博萌会 子どもの虹情報研修センター 平成31年3月20日発行

平成22年度 児童の虐待死に関する文献研究
発行者 同上

 


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腐る家~泉南市・一家5人餓死事件①~




平成13年8月16日午後6時

「玄関を開けてください」
泉南市樽井6丁目の民家の玄関先で、警察官らが家の中へ声をかけていた。
この日、この家に暮らす住民の親族から、
「何日も姿を見ていない、家の中から物音もしなくて心配だ」
という相談が泉南署に出ていた。
この住宅には、60代の男性とその妹、そしてその妹の子供5人の計7人が暮らしていたというが、7月頃から家族の姿は近所の人らの目から消えていたという。

警察官らの問いかけに、屋内から「(玄関は)開けません」と、弱弱しい声が聞こえてきた。
「子供がおらんやないか!どこ行った!」
そう叫ぶ警察官らに対し、さらに家の奥から、「子供はここにおりません」という答えが返ってきた。

しかし警察官らは、強引に玄関をこじ開け中に入らざるを得なかった。
玄関先には、明らかな死臭が漂っていたのだ。




5人の遺体

警察官らが屋内へ踏み込むと、凄まじい腐敗臭が鼻を衝いた。
家の中は雨戸が閉められ、光は差し込まない。それでも探りながら奥へ進むと、6畳と4畳の間があり、そこには布団が敷き詰められていた。
すべて頭や足は見えなかったが、明らかな人型がそこにはあり、その状況たるや警察官らを恐怖のどん底に叩き落すには十分すぎるものだった。

そして並んだ布団の横に、同じように並べて敷かれた布団の上に座り込んでいる年配の男女がいた。
二人は、この家に暮らす若狭良一さん(仮名/当時66歳)と、その妹のあつ子さん(仮名/当時64歳)とみられた。
警察官が声をかけたが、ふたりは衰弱しているのか立ち上がることができなかったという。

そして、二人の布団の並びにあった布団をめくると、そこには5体の腐乱死体が寝かされていた。

腐乱死体の身元は、行方不明の子供たちであると推測され、その後若狭さんらの口から、その遺体が妹・あつ子さんの5人の子供であると語られた。
「2か月ほど前から、子供たちが次々と死んだ」
そう二人は語ったが、近所の人らの話では、一家は7月の初めまでは以前と変わらぬ風に目撃されていたという。




あつ子さんの子供たちは、長女・すい子さん(当時41歳)、次女・薫さん(当時38歳)、三女・栄子さん(当時29歳)、四女・弘美さん(当時28歳)、そして、末っ子長男の実さん(当時27歳)。
遺体は腐敗が進んではいたが、外傷は見当たらず、いずれも普段着できちんと仰向けに並んで寝かされており、頭からすっぽりと布団が掛けられていた。
死後、1~2か月とみられたが、若狭さんが、「食べ物がなくなり次々と死んでいった」と話していることから、5人の死因は餓死とみられた。
その後の司法解剖では全員が予測通り餓死、6月30日に長女すい子さんが、その翌日に四女弘美さん、7月5日に三女栄子さん、7月10日に長男実さん、次女薫さんは8月1日に死亡したと推定された。

5人全員、消化管内に物がなく、薫さんは肺炎を起こしていた。

通報した若狭さんの弟のほかに、実は若狭家の隣にはあつ子さん以外の妹も住んでいた。
しかし、いずれも近くに住みながら、20~30年兄弟の付き合いはなかったと言い、あつ子さんの子供らの存在もよくは知らなかった。

発見時、若狭さん兄妹は、息もできぬほどの死臭の中で放心状態で座り込んでいたが、話によれば、子供たちが死んでからずっとこうして寄り添っていたのだという。
一方で、若狭さんは警察官に対し、
「この場所は汚れてしまったから清めなくてはならない」
「神さんに清めてもらった」
などと言っており、その精神状態が心配された。
これが年端も行かない子供であるならば、何をどう考えても保護責任者遺棄致死などの虐待を想定するのだろうが、この場合、亡くなっていたのは子供とはいえすでに全員が成人しており、食べ物がなくなったからと言って、年寄より先に若い人間が全員死ぬというのも、どこか腑に落ちなかった。

しかし若狭さん兄妹も極度の栄養失調状態に陥っているのも事実であり、また、家の中には冷蔵庫の中にもどこにも食べるものはなかった。
家族は2か月ほど前から食べ物がなくなり、若狭さんとあつ子さんは子供たちに水を飲ませて飢えをしのがせていたという。
一家は何年も前から仕事をしている人間はだれもおらず、かといって生活保護を申請した形跡もなかった。

また、土地や建物を担保に金融機関から借り入れをしている形跡もなかった。
家族はどうやってこれまで暮らしていたのだろうか。

調べるまでもなく、近隣や若狭さんの別の兄弟らから、一家のこれまでの歩みが語られた。




塩の家

この家にもともと暮らしていたのは、若狭良一さんと母親だった。あつ子さんは結婚してよそに世帯を構えていたが、昭和48年ころに子供5人を連れてこの実家に戻ってきた。
ちょうど、長男の実さんが生まれた直後の離婚だった。
良一さんも当時は結婚していたが、あつ子さんが出戻ったのと同時期に離婚、以後は母親とあつ子さんとその子供たちとで暮らしていた。

良一さんは自動車教習所の教官を退職したのち、自宅で縫製工場を営むなどしており、あつ子さんもそれを手伝ったり、内職に励んでいたという。
生活には余裕があり、良一さんは高級国産車も所有していた。

当時は健在だったふたりの母親は、非常に信心深い人であったようで、毎日お仏壇を拝んでいたというが、特に他人が見て眉を顰めるといったものでもなく、その世代にありがちな熱心さを持ち合わせていただけだった。
しかし、いつのころからか母親のもとに「信者」が訪れるようになっていく。
その母親が死亡したのち、若狭家には次々と変化がみられるようになった。




あるころから、若狭家の広い庭には大きな穴いくつもが掘られた。そこには竹竿が立てられたり、穴の周囲には紅白幕が張られていた。
穴には水が張られ、その水をすくっては、洗濯などの生活用水に使用していたという。
また、家の周囲は高さ3mのトタンで覆われ、外部からは中がのぞき込めないようになっており、家の周囲や庭には「穢れを清めるため」に、大量の塩もまかれた。そのことで若狭家を「塩の家」と呼ぶ人もいたという。
家の中からは毎朝8時から9時ころの間、呪文を唱えるような声、大音量のラジオが聞こえた。

庭の穴は計4つ、直径3~4m、深さは1mで、若狭さん一家はその穴のことを
「ガソリンが出る」「神さんが息をするため」
と周囲の人に話していた。
回覧板を回した人によれば、玄関からすぐの畳の間に、祭壇らしきものが設えてあったという。
常に、「他人の助けを受けてはいけない」と話しており、外部との接触も、「よその因縁や穢れをもらってきてしまうから」という理由でほとんどなかった。
5年ほど前からは、窓にもトタンを貼るようになり、町内会も脱会し、近隣との付き合いは途絶えた。




近隣の人らは、「何かを超越して生活してる感じ。何か宗教でも主宰しているのだろうか」と訝しんだが、たまに線香やニンニクなどの変なにおいがする程度で、近隣に大きな害があるわけでもなかったためにこれまで騒ぎにはならなかった。
またあつ子さんが、大量のお菓子を近隣に配ることもあった。あつ子さんは、「お供え物の残りですねん」と話していたというが、このようにたまにあつ子さんや長女のすい子さんが買い物をしている様子は見られていた。

しかし、あつ子さんの子供たちは中学もろくに行けておらず、全員が中学を卒業した後は仕事もせずに家にこもっていた。
一家は毎朝、自転車でどこかへ出かけるのが日課だったといい、近所の人が尋ねた際は、「山へお参りに行く」と話していた。
それが、7月の頭を最後に目撃されなくなっていたのだ。

このような状況や若狭さんの言葉などから、警察ではなにかの宗教やそれに関する儀式がこの家の中で行われ、その修行の一環で断食などが行われ、死亡に至ったのでは、という推測がされた。
しかし、その宗教がなんなのか、また、若狭さんが死んでいる子供たちの蘇りを信じているといったことでもなさそうな態度に、この一家に何が起こっていたのか全く読めていなかった。



腐る家~泉南市・一家5人餓死事件②~




母の教え

若狭さん兄妹の母親が宗教に熱心だったのは事実で、信者らしき人が家に出入りしていたこともあった。
しかし、当時は良一さんもあつ子さんも、特にのめりこんだり母親と一緒になって信者獲得に奔走するとか、近所の人に入信を勧めるとか、そういったことはなかったという。

それが、母親の死後、突然あつ子さんが「教祖」を名乗った。 続きを読む 腐る家~泉南市・一家5人餓死事件②~