🔓死刑台の笑い~京都連続女性殺害事件~

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平成13年。2001年と言ったほうが把握しやすいだろうか。

街には安室ちゃんに代わって浜崎あゆみの歌が流れ、女の子たちはケータイ片手にローライズジーンズ、ヒョウ柄、キムタクと常盤貴子のドラマでみんな泣いて、年末には愛子内親王が誕生、反町隆史と松嶋菜々子も結婚した。

一方世界では貿易センタービルに飛行機が突っ込み、新宿では雑居ビル火災で44人が死亡、大阪では小学校に刃物を持った男が乱入し、多くを負傷させ8人の児童を殺害した。

凄惨な事件が世界中で起きる中で、それでも日本の若者たちは今に比べて元気だったように思う。

その要因の一つは、携帯電話と携帯メールの普及だろう。人々の生活は大きく変化し、かつては自営業者か暴力団しか持っていなかった携帯電話を、10代の若者が普通に持つ時代になっていた。
出来なかったことがどんどんできるようになっていく時代。遊び方も変わっていった。

それらの中に、メールのやりとりから始まる出会い、というものもあった。昔なら考えられないことだが、若い子たちは顔も知らない、どこの誰ともわからないメールの向こう側の人物に興味津々だった。

メル友、その相手をそう呼んで、メル友の数を競い合う人たちもいた。ただのメル友に終わらず、実際に会って交際へと発展するケースもあったし、その時限りの遊びもあった。
中には、出会い系サイトを利用してお互いの欲求を満たす、そういったケースも。
さらにその中のいくつかでは、取り返しのつかない事態を招くケースも。

京都で起きた、あの時代の典型的な事件の顛末。

【有料部分目次】

宇治川の遺体
伊佐津川の遺体
笑みを浮かべる男
男のそれまで
「あれやったのおれなんだ」
あの頃の私たち
死刑台の笑い

🔓愛のことば~帰って来なかった旅人たち~

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世界の国、その数196。

一度きりの人生において、その国のうちいくつを訪れることができるだろうか。
島国である日本は、隣の国に行くだけでも歩いてはいけない。その分、陸続きの国の人よりはそのハードルは高い。

しかし日本のパスポートは世界最強とも言われ、そのパスポートを持つ権利のある日本国民が世界を旅しないなんてありえない。そういう観点から、若い世代でも経済的に余裕がなくても、むしろ今しかできない旅を楽しめるとして世界に飛び出す人は少なくない。
これ自体は大変良いことであるし、世界のあらゆる現実を見つめる、肌で感じることでその後の人生が大きく変わることもあり得る。

今回は文字通り、人生が大きく変わった旅する日本人のお話。
彼らの経験は、旅を終えて帰った人の誰も、話すことができないレベルの経験だった。

彼らは、生きて日本に帰って来れなかった。

台湾へ行った女子大生

親日としても名高い素晴らしき、台湾。
日本からも近く、比較的安く行けることから、初心者にも人気である。卒業旅行や初めての海外に台湾を選ぶ人も多い。

その台湾へ一人旅に出た女子大生がいた。

失踪した女子大生

平成2年、お茶の水女子大学4回生の井口真理子(当時22歳)さんが、帰国予定日を2週間過ぎても何の連絡もなく、その行方が分からなくなっていることが判明。
井口さんは4月2日に成田を出発し、台北、台南、高雄などを観光した後、18日午後の飛行機(ユナイテッド航空828便)で帰国予定だったが、夜になっても戻ってこなかった。
心配した両親が問い合わせたところ、飛行機の予約はあったにもかかわらず、搭乗した記録もキャンセルした記録もなかった。

26日、両親が台湾の警察に連絡。現地の新聞などもそれを報道し、27日には井口さんの母親も台湾入りした。

しかし井口さんの消息は全くつかめず、家族が真理子さんを探す会を結成したり、有力な情報に対しては懸賞金も設けられたが、平成3年3月、事態は最悪の結末を迎えた。

焼け焦げた人骨

「これが娘なんですか。足りない骨はないんですか?」

テレビに映し出された人間の骨。すべてがそろっているかどうかはわからないほど、バラバラになっていた。ただ、頭蓋骨はそこにはなかった。
そして、その骨を見て泣き崩れる母親。日本のワイドショーはその悲しみの対面を全国放送した(この映像は真理子さんとは別の遺体の確認であるとする指摘もある)。

台湾の警察は、容疑者として33歳のタクシー運転手の男を逮捕したと発表。その後、遺体を遺棄したという現場から人骨が発見された。

実は男は前年の12月にも参考人として話を聞かれていたのだが、精神的な疾患で治療中だったことや、物証が得られなかったことから一旦釈放されていた。
しかし捜査に行き詰まった警察が再度、男から話を聞いてみたところ、その話は以前よりも具体的だったことから裏付け捜査を行っていた。

男の供述では、真理子さんを殺害したのち、バラバラにして台南へ運び、2箇所のゴミ捨て場で遺体を焼却して捨てた、ということだったが、実際にその場所から焼け焦げた箱が見つかり、さらには人骨も発見された。
加えて、男が現場で泣きじゃくっていることからも、現段階では真理子さんであるか断定できないとしても、男が女性を殺害してここに捨てたことはほぼ間違いないと見られた。

出会いから殺害まで

男の名は、劉 学強(当時33歳)。タクシー運転手の仕事をしていた。
なぜ、劉は真理子さんと出会い、そして殺害したのか。

真理子さんとの出会いは偶然だった。
平成2年4月7日午前、劉は高雄市内をバイクで走っていた。駅前に差し掛かった時、「ハーイ!」と、明るく声をかけてきた女性がいたという。それが、真理子さんだった。
ちょうど高雄駅に列車が到着した時で、真理子さんは台南市から高雄市内へ入ってきたところで、劉に対し、「安いホテルはないか」と筆談で尋ねてきたという。

劉は日本から来た若い真理子さんに、当初は単なる親切心から自宅へ案内したようだった。その前には市内の観光案内もしていた。
劉の自宅は簡素な作りの小さな平家で、家の中は電化製品も家具らしきものもほとんどなく、雑然とした質素なものだったが、劉は真理子さんにベッドを譲り、自分は床に寝た。真理子さんも旅の疲れからかすぐに寝入ったという。

ところが深夜になって、劉は真理子さんに性的な行為に及ぼうとする。目を覚ました真理子さんは当然のように拒否した。
そこでの会話などは不明だが、拒否された劉はなんと自宅にあったボーガンのようなもので真理子さんの頭部に4発打ち込んだ。
真理子さんはそれによって死亡したとみられた。

その後、劉は遺体をナタで解体すると、袋に入れて台南市まで運び、ガソリン40リットルをかけて焼き、そのまま真理子さんの遺体は複数の場所に打ち捨てられた。

人懐っこい人

今ならばいたるところに防犯カメラがあり、駅前で男のバイクに乗った真理子さんの足取りや、犯人の目星はついたと思われる。
しかし当時はそのようなこともなく、警察は真理子さんの足取りを追うのも一苦労だった。

日本人である真理子さんの失踪は、現地でも大々的に報道された。そして早い段階で、真理子さんと一時期行動を共にしたという男性が名乗り出ていた。
家庭教師をしているその男性(当時28歳)によれば、4日の夜7時ころ、ザックを背負った真理子さんが台南市役所前で市営の労工休暇センターという素泊まりの簡易宿泊所への道順を尋ねてきたという。
900円という格安で泊まれる宿ではあったが、男性は真理子さんが若い女性であり、また日本人の観光客ということもあって自宅に来るよう勧めた。
この男性は実家で両親らと暮らしており、自身もアメリカへ留学した時には心細い思いをしたことなどを思い出し、家庭でのもてなしを思いついたのだ。
男性の自宅では両親らと共に夕食を囲み、両親らも了解のもとでそのまま真理子さんは男性の家に7日まで滞在している。
その間、男性は家庭教師の仕事で忙しかったため、観光に付き添うなどはせず、観光名所までバイクでの送迎だけをしていた。

7日、高雄へ行くという真理子さんを台南駅へ送った。そのことは駅員も覚えていて、男性もこの先の案内を同じ列車に乗る台湾人に頼もうとしていたという。
が、適当な人が見つからず、真理子さん自身も「大丈夫」と言っていたことから、男性はそこで別れたと話した。

これについては当然警察がアリバイを確認しており、男性の話はすべて真実であり、善意の人でしかなかった。
男性は真理子さんのニュースを知り、いてもたってもいられず警察に情報提供していた。
「真理子さんは礼儀正しく、素直な人だった。元気で日本に帰ったものとばかり思っていた。」
そう男性は話したが、「ただ、人懐っこい人で警戒心をあまり持っていないように感じた」とも話していた。

台湾は当時、街中でも銃撃戦が起きたり、タクシー強盗も頻繁にあった時代だった。経済的に急成長した背景があり、貧富の差も広がっていたために富裕層でなくとも玄関を二重ドアにしたり、テレビでは防弾ガラスのCMがよく登場したという。
1980年代後半からは、1日に4件の割合で殺人事件が発生。誘拐事件は4~5日に1度の割合で起きており、今とはだいぶ情勢が違っていた時代だった。

そんな中でも、この男性のように親切な地元の人の方が多かったのは言うまでもないわけだが、次にであった劉は、残念ながら善良な地元民では、なかった。

うなされる男

劉が捜査線上に浮かんだのは、近所の人の情報だった。
劉が血のようなものがついた寝具を捨てていた、という話があったのだ。が、先にも述べたとおり、精神的に不安定だったこともあって逮捕には至っていなかった。
また、劉は以前から野良猫や野良犬を捕まえては虐待を加えるといったことがあったといい、その血の付いた寝具も一概に真理子さんの事件を裏付けるとは言えなかった。

それがなぜ、再度捜査線上に浮かんだのか。

きっかけは、姉からの通報だった。

「弟が毎晩うなされている、人を殺したと言っている」

姉によれば、劉は犬猫を虐待する一方で、自宅には仏像などを並べていたという。そして、真理子さんの事件が起きた後、ひどくうなされてはノイローゼ状態になっていったというのだ。
その理由を、劉はこう語った。

「首のない女の幽霊が枕元に立つ」

罪の意識だったのかなんなのか、とにかく劉は困り果てていた。
そして、再度事情を聞かれた際には、真梨子さんの殺害を自供したのだ。現場検証では、遺骨が出るとその場に泣き伏したという。

遺体の身元確認には、台湾の法医学者が鑑定にあたった。頭部が発見されておらず、日本から取り寄せた歯の治療カルテは使えなかったが、鑑定の結果、遺骨は真理子さんと断定された。
ただ遺族は納得できず、台湾警察もその説明には苦心したという。
真理子さんの遺体発見の前、実は真理子さんではないかとされる女性の遺体が出ていた。母親はその遺体も確認したというが、その遺体は後に別人だったと判明。そういったこともあって、遺族は真理子さんと断定されても納得できなかった。遺品の一部に母親が知らない持ち物があったことも関係していた。

しかし、結果としてその遺骨は真理子さんのものだった。

劉はいったん死刑判決となったが、心神耗弱が認められ無期懲役と公民権剥奪に減刑された。

真理子さんの遺骨は火葬され、5月、ようやく日本に戻ることができた。

タイに行った新婚夫婦

「私たちを襲ったのはこの人たちです。」

平成元年4月11日、一人の女性がタイ・バンコク北部のノンタブリ地方裁判所の法廷に立った。
女性は1か月ほど前、このタイで最愛の夫を殺害されるという地獄を味わった。そして今、夫を殺した男たちの裁判に証人として出廷していた。
男たちの罪は「傷害致死」。現に男たちも、「殺すつもりはなかった」と終始訴えていた。

新婚旅行の夫婦

事件が起きたのは平成元年3月21日、現地時間で午前一時ころだった。
20日の深夜に成田からノースウエスト機でタイ・バンコクに到着した一組の新婚カップルがいた。神奈川県逗子市の高校臨時教諭・渡辺俊輔さん(当時32歳)と、デザイナーの茂木田鶴子さん(当時33歳)だ。
ふたりは空港から市内に向かうため、タクシーを使用した。ところがその直後、タクシーの運転手と共犯の男に襲われ、リュックやカメラなどを奪われたのだ。
その際に俊輔さんも田鶴子さんも男らに殴られており、田鶴子さんは軽傷だったものの、俊輔さんは意識不明に陥っていた。

ふたりは19日に日本で挙式、ネパールへの新婚旅行でタイに立ち寄っていた。

俊輔さんは大学を卒業後に1年半かけて東南アジアを中心に34か国を回るなど旅好きで、その経験から子供たちにその素晴らしさを知り、国際的な人物になってほしいという思いで教師を目指したという。
そんな旅慣れた俊輔さんがなぜ襲われたのか。

横行する白タク

タイに到着したふたりに、親し気に声をかけてきた男がいた。英語を話したという男は、タイ空軍の下級軍人で、アルバイトとしてホテルや空港で客引きをしているのだという。
「こんな時間だからリムジンハイヤーはもうない。ホテルを決めてないなら安くて良いホテルも紹介できる」
そう言って、俊輔さんと田鶴子さんをタクシーへと案内した。

当時タイ国内では個人旅行客をターゲットにした「白タク」が横行していたという。正規料金の1/6で市内まで行ってくれる白タクは、費用を少しでも抑えたい個人旅行者にはある意味好評だった。
俊輔さんらもその安さにつられたのか、あるいは旅慣れていた俊輔さんが過去にも利用していて問題がなかったからなのか、とにかくふたりは男が進めるタクシーに乗った。

少し走ったところでタクシーがエンスト。運転していた男が、俊輔さん夫婦に後ろから押してほしいと頼んできた。しかし、旅慣れしている俊輔さんはピンときた。
『車外に出たところを、走り去るのではないか。』
要は、乗客だけを車外に出し、荷物ごと走り去るつもりではないのかと考えたという。そこで、運転手を外に出し、自分がハンドルを握った。
その後、再び運転手の男がハンドルを握り、タクシーはなぜか一旦空港へと戻った。詳細は不明だが、おそらく再び車に不具合が出たら困るということで、空港にいる友人の男を乗せると再びタクシーは市内へと走行し始めた。

ふと、俊輔さんは窓から見える景色がおかしいことに気づく。

車は、市内からどんどん離れて行っていたのだ。

「どうしてなんだ……」

俊輔さんは運転手にそのことを問うた。すると運転手は、近道だから、というようなことを言ったという。
おそらく、この時点で田鶴子さんはまだしも、俊輔さんには事態がまずい方向へ流れていることは分かっていたと思われる。
車はバンコクの北、ノンタブリ県に差し掛かった。大通りを走っていたタクシーは突然、路地へとハンドルを切った。

そこでふたりは車外に引きずり出され、地面に抑えつけられるような格好になったという。
そして、男たちから殴る蹴るの暴行を加えられた。田鶴子さんは気絶し、気づいたときには病院だった。俊輔さんも病院に運ばれていたが、意識不明の重体となっていた。

そして、24日には死亡が確認された。俊輔さんは搬送された時点で頭蓋骨骨折の脳死状態だったといい、その後一度も意識を取り戻すことなく、帰らぬ人となってしまった。

田鶴子さんは気絶する直前、俊輔さんの悲痛な叫びを聞いていた。殴られ、必死で抵抗する俊輔さんは、「どうしてなんだ」とうめいたという。
東南アジアを愛し、自分のキャリアを後回しにしてでもその国々を巡って人々と交流してきた俊輔さんにとって、まさにどうしてなんだという言葉でしか、この状況は言い表せなかったのだろう。
微笑みの国で、本来親切で優しい人々が多いこの国に愛する妻と降り立って、まだ数時間だった。

死刑判決

男らはすぐに逮捕された。ただ、日本人が犠牲になったとはいえ、政治的な問題での事件ではなく単なる一般的な事件に過ぎないため、外務省などが特に動くということもなかった。

また、日本での報道でも「白タクなどに乗るからだ」といった批判めいたものもあったが、旅慣れた俊輔さんは白タクの怖さを知っていたといい、家族らはそんな不用心なことを俊輔さんがするはずがないと思っていた。
それもそのはず、実際には、男たちは正規のタクシーの標識を偽造していたのだ。パッとみただけでは、それが白タクだとはわからないようになっていた。

一方で犯人の男ふたりにはタイでも人権派として名高い弁護士がついた。当初、金持ちの日本人から所持品や金を奪おうと思ったと供述していたふたりは、初公判でも『殺すつもりはなかった』と遺族に対して土下座して詫びていた。
男らは、金品を奪って逃げるつもりが、俊輔さんが柔道の技をかけて抵抗してきたことから怖くなったという。そこで、たまたまあった木材で俊輔さんの頭部を滅多打ちにしてしまったというのだ。
が、第二回公判以降は、警察による自白の強要があったとして、否認に転じた。
たしかにタイではこの事件が少なからずタイの観光事業にダメージを与えるとして、事件発覚当初より犯人逮捕に全力を挙げると息巻いていた。
犯人逮捕を焦るあまり、自白の強要をしたというのが弁護側の主張だった。

起訴された罪名も、殺人ではなく傷害致死。ただ、タイでは傷害致死の最高刑は「死刑」だった。

6月29日、ノンタブリ地方裁判所は二人の男に対し、「死刑」を言い渡した。そして、妻の田鶴子さんには2万9000バーツ、日本円にして約15万円の補償金の支払いを命じた。
その後、タイの最高裁までもつれ込んだものの、平成6年2月、最高裁は上告を棄却し、二人の死刑判決が確定した。

田鶴子さんと俊輔さんは、実は入籍をしていなかった。帰国したら入籍するつもりだったといい、記入済みの婚姻届けを俊輔さんの両親に託しての新婚旅行だった。

田鶴子さんは後に俊輔さんの日記をもとにした本を出版。俊輔さんの思いを少しでも知ってもらえたら、との願いを込めてのことだった。
その後も未入籍だったにもかかわらず、田鶴子さんは俊輔さんの両親と暮らしたという。

グアテマラの日本人観光客

一体、何が起きたのか。

グアテマラの北西部に位置する静かな山間の町の、商店や小さなホテルが立ち並ぶ広場の一角。
白昼の惨劇だった。さっきまで多数の地元民と観光客で賑わっていたこの場所には今、破壊し尽くされた観光バス、飛び散ったガラス片、血痕、地面に残る黒く焼け焦げた生々しい痕……
周辺の小売店やホテルのロビーでは、匿われて難を逃れた人々が心配そうに外を眺めている。

広場には、激しく損傷した男性の遺体がそのままになっている。

何が起きたのか、正確に理解している人はおそらくいなかった。
広場には、スペイン語で「何もするな」という放送だけが流れ続けていた。

【有料部分目次】
突然の地獄絵図
写真
悪魔の集団による子供の拉致
混乱と過去の恐怖
アフガニスタンへ行った男女教師
頭部を撃ち抜かれた遺体
ふたり
生ぬるい風に吹かれて
その愚かさこそが

 

止められない、止まらない~4つのリンチ殺人前編~

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ある事件の加害者は、「殺すほどのことではないと思っていた」と話した。
別の事件の加害者も、部下にあたる別の加害者が被害者に怪我をさせた以上、始末するしかないと話しているのを聞いて、当初は「なにバカなことを言っているんだ、医者に連れてけねぇのか」と、まともな判断をしていた。

しかし結果として、被害者は殺害され、その遺体は無残な状態で発見された。

どれも、きっかけは些細な事だった。ある事件では「勝手にジュースを飲んだ」、またある事件では「店の規則に反した」、別の事件では「ムカついた」などの、およそ事件になりそうにもないような、日常のありふれた出来事がきっかけだった。

なぜ彼らは、止まれなかったのか。

4つのリンチ殺人の顛末前編。 続きを読む 止められない、止まらない~4つのリンチ殺人前編~

🔓お前が殺した~鹿児島・知人女性強盗殺人事件~

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平成23年12月12日、最高裁第一小法廷は、女に対して上告棄却の決定を言い渡した。
女は一審で起訴事実を認め、事件を主導した男と共に死刑判決を言い渡されていたが、控訴審では一転、男に苛烈な精神的肉体的暴力を受け続けた影響下にあり、心神喪失状態かつ、男に手足のように利用されており共同正犯とは言えず、主犯の男に間接正犯が成立すると主張していた。

控訴審ではその激しい支配の実態がさらに明かされ女は無期懲役に減刑となったが、男が間接正犯であるとの主張は認められず、共同正犯の認定は揺るがなかった。
犯罪史上、稀に見る凶悪事件としてその悪名を残した北九州監禁殺人事件の判決である。

ここで言われた、間接正犯とは。

これは、犯罪の故意がない、または善悪の判断がつかない他人(事情を知らないもの、幼児、心神喪失者など)を道具のように利用して犯罪をやらせる意思が認められる場合に成立する、とされているが、殺人などの重大事件で実際に成立したケースは多くない。
また、教唆との違いはそのケースによって違うためにわかりにくい。

昭和60年、鹿児島県の山中で見つかった遺体。それは数か月前から行方が分からなくなっていた一人暮らしの老女だった。
遺体には争った形跡もなく、農薬の瓶が転がっていたことからも自殺に思われたが……

額に汗することを嫌い、私利私欲のために独り暮らしの女性を騙し、あげく、その命を絶たせた許されざる男の事件。
自殺教唆か、それとも、殺人か。

鹿児島地裁にて

「本件は起訴状記載の公訴事実を強盗殺人の間接正犯の主張を前提として論告し、また裁判所も同様の理解のもとで裁判を進行させている。
しかし、公訴事実を素直に読めば、これは強盗殺人の直接正犯の主張と理解することが自然である。そうであるならば、被告人はそれを否定し、証拠も被告人の自白以外にないのだから被告人は無罪である。
さらに、直接正犯たる強盗殺人の訴因を間接正犯として認定するには訴因変更されるべきところ、それもされていないのだからいずれの面から見ても被告人は無罪とされるべきである。」

鹿児島地方裁判所に、弁護人の最終弁論が響いていた。
被告の男は、強盗殺人、恐喝未遂、暴行の罪で起訴され、検察官より無期懲役の求刑がなされていた。

対する弁護側は、この事件を「自殺教唆」であると主張。
被告の男も、自殺しようとした被害者に対しそばにいて止めなかったこと、それまでの経過の中で「いっそ死んでくれたら」と思ったことから被害者に自殺を提案したことなどは認めていたが、直接的に被害者を殺害したということに関しては否認していた。
加えて、担当の検事から極刑を求刑する旨を伝えられたことで動転し、検事の心証を良くしたいがあまりに虚偽の供述をした、とも主張していた。

男はいったい何をしたのか。

親切な大工さん

昭和59年、鹿児島。
国分市(現:霧島市)の山間に暮らす瀬戸口キミさん(当時66歳)の家に、顔見知りの大工が訪ねてきた。
その大工は、以前から近隣の集落を回ってアルミサッシの取り付けなどの大工仕事の注文を取っていた。
5月のその日、訪ねてきた大工は世間話をした後で、キミさんに最近はなかなか大工仕事も思うように注文が取れず、少々生活が厳しくなっている、というようなことを話していた。
そしてその際、「おばさん、ちょっとばかり金を融通してもらうことは出来んか?」と言われたりもしたが、その時にはキミさんは笑って話をはぐらかしていた。

大工も執拗なことはなく、そのまま引き上げていった。

キミさんは夫を亡くし、この山間の集落でひとり暮らしていた。
生まれは福岡県の宗像だったが、夫と共にこの国分で暮らしてからは、兄弟らが暮らす福岡へ帰ることももう、長くしていなかった。
近所の人たちも良くしてくれる。同年代の人もいるし、最近ではゲートボールが楽しみで、試合に出ることも決まっていた。
ひとり暮らしていくだけの貯えもあった。贅沢しなければ、日々の暮らしに困ることはない。

ただ、日が暮れてひとり家で食事をすると、なんとなくこみ上げる侘しさは誤魔化せなかった。
そんな日々の中で、今日、大工が訪ねてきて他愛もないおしゃべりをしたことは、キミさんにとって新鮮だった。
キミさんは、後日用事を見つけてあの大工に電話をかけた。
そして、
「また遊びにいらっしゃい。」
と伝えた。

大工が再びキミさんの家を訪ねたのは、山の木々が色づき始めた秋のころだった。

ちょっとした大工仕事を頼むと、大工はそれ以外の頼み事にも気軽に応じてくれた。
買い物や用事を済ませるために町まで車で送迎してくれたり、何の用事がなくてもやってきてはキミさんの話し相手になってくれた。

年が明けた昭和60年2月、大工は以前にもまして、キミさんの家に遊びに来るようになっていた。そしてその際、手相が見れると言ってキミさんの手相を見てくれたという。
「おばさん、血圧が高くて悩んでいるんではないかい?」
突然、大工は神妙な顔で告げた。続けて、内臓に気になるところがあるのではないか、とも。
キミさんは驚いた。たしかに、大きな病気はしていなかったが、血圧が高いこと、そして胃腸神経痛にも悩んでいた。
さらに大工は続けた。
「おばさんの旦那さんが倒れたのは、このあたりだろう?」
そう言って大工が指さしたのは、まさに夫が倒れていた場所だった。

「おばさん、ほかに悩んどることがあるんでないかい?」

心配そうに顔を覗き込む大工のことを、キミさんはすっかり信用していた。
そして、知り合いに440万円貸しているのに返してもらえないことを大工に打ち明けた。
すると大工はしばし考え込んだ後で、「よし、私が取り立ててみよう」と言うではないか。キミさんは半ば諦めていたこともあって、大工の言葉は心強いことこの上なかった。

3月に入って、約束通り大工はキミさんが金を貸した相手方へキミさんを伴って訪問、その場で借金の一部の20万円を返済させ、かつ、残金も今後月額10万円ずつを必ず返済する約束まで取り付けてくれた。
キミさんは心から感謝し、大工に対して全幅の信頼を寄せるようになっていた。

ただ、大工がいつものように手相占いをしてくれた際の言葉が気になっていた。

「おばさんは年内にちょっと体調が悪くなる時期が来る。倒れるかもしれない。」

キミさんは当時66歳。いつ、そういうことが起きたとしても不思議ではない年齢でもあった。しかも、夫も突然家で倒れてこの世を去っているのだ。
その時、どうやってお金の支払いをすればよいのか……
親戚はいたが、そこまで頼めるかどうかはわからないし、ましてやお金のことまで近所の人には申し訳なくて頼めない。

気にするキミさんに、大工はこういった。

「なあに、裁判所で代理人を選任しておけば、いつでも銀行から金を下ろせるから安心しなさい。」

キミさんはそれを聞いて胸をなでおろした。本当にこんな親切な人に出会えて私は運がよかった。こんなばあさんのために、ここまで親身になってくれる人はそうはいない。
そういえば、最近3人目の赤ちゃんが生まれたと言っていた。なのに大工仕事を頼む人が最近は減ったとかで、出産費用にも事欠いていると嘆いていた。自分も大変なのに、こんなに他人の私のために骨を折ってくれる……
今度は私がこの人を助けてあげないと。

キミさんはその日のうちに、大工に頼まれて100万円を貸した。

その3か月後、キミさんは行方をくらました。

【有料部分 目次】

絶望
教唆か、殺人か
それまで
投資
行き詰った男のひらめき
出資法違反
逃避行
あとのことは頼みます。
綻び
矛盾
訴因の解釈
お前が殺した

狂言~いくつかの事件と愚かなる人々~

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狂言--

Wikipediaを見ても和泉元彌さん的な何かしか説明がないが、簡単に言うと自分で計画し実行しておきながら、自分は偶然巻き込まれた、他人がやったかのように見せかける行為のことを指す。
似たようなものに自作自演があるが、これは本来、自分で作ったものを自分が演じることを意味していて決して悪い意味ではないのだが、「ジエン」というともう、他人を装って自分を褒める、擁護する、自分の利益になるような言動をする、そんなようなニュアンスで通っている。

日常においても、異常なまでの噓つきというのはいるし、次第にその嘘はバレ、人が離れていくケースはよくある話だ。
しかしこの狂言は、単なる「嘘つき」な人が起こすものとは違う。
嘘をでっちあげなければならない理由が、彼らにはあった。

バカじゃないかで済むレベルから、シャレにならないレベルまで。 続きを読む 狂言~いくつかの事件と愚かなる人々~