拾い上げた耳たぶ~北茨城市・女性監禁リンチ事件①~

平成12年4月10日





茨城県水戸市。
女性は息も絶え絶えの状態で実家の玄関になだれ込んだ。
家にいた母親が、一目ではそれが自分の娘だと気づけないほど、女性はボロボロの状態だった。
右目の周囲は紫色に腫れ上がり、腕も足も、見える範囲は傷だらけという凄まじい状態……。
女性は、60キロ離れた北茨城市内から自転車と徒歩で、この日ようやく実家にたどり着いた。
家族が女性の顔をよく見ると、両耳の耳たぶが、なかった。

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拾い上げた耳たぶ~北茨城市・女性監禁リンチ事件②~

裁判





平成12年6月4日、水戸地検はA子とB子を「刑事処分相当」の意見書を付け、傷害と監禁の容疑で水戸家裁に送致した。

水戸地検の石橋基耀次席検事(当時)は、「被害者の状況と、8日間に及ぶ監禁を行った事件の重大性」から、刑事処分が相当と判断した。
児島さんのケガは全身に及び、全治6か月という重傷だった。体の傷のみならず、心にも大きな傷を負った児島さんは、事件後仕事も始められず、夜の犬の散歩以外は外に出られないような状態が続いていた。

水戸家裁は平成12年7月1日までに、A子とB子を中等少年院送致とする保護処分を決定した。

一方、監禁場所となったプレハブを提供した鳥居は、傷害ほう助と逮捕監禁で逮捕されていたものの、検察は逮捕監禁容疑で起訴。ただ、起訴状では鳥居も児島さんに暴行を加えたとしていた。
鳥居自身は、現場は見たし、一度逃げた児島さんを車で連れ戻したことは認めていたが、暴行を加えたことは否定していた。
同年9月19日、鳥居は懲役1年6月、執行猶予3年間の保護観察処分の判決を言い渡された。




地方都市のこの時代のDQN

この事件で何が気になるといえば、この登場人物の関係性である。
鹿嶋市で起きた女性リンチ殺害も、その仲間内の面妖な関係にはある意味背筋が凍ったものだが、この事件でもその関係性はどこか違和感を覚える。
被害者の児島さんは、当時26歳。一方の加害者少女らは17歳であり、この年齢差で友人関係が成り立つのかというものである。
これはこの世代独特の感覚で、たとえば30代以上になれば年齢差はさほど気にならないが、10代から20代の人間関係において、この年の差はもはや親子ほど離れているといってもおかしくないほどで、友人関係が成り立つとはとても思えないのだ。
これについて、児島さんは
「年下の人間と遊ぶのもいい気晴らしになる」
と思ってのこと、と話すが、どこか引っ掛かりを感じる。

一方の少女らからしたらどうだったか。
これは児島さんも話していることだが、A子は児島さんを友人というよりも車を持っていることで「パシリ」と考えていたようだ。
実際、父親に児島さんを紹介した際に、「こいつ私のパシリなんだ」と話している。10も離れた相手をこいつ呼ばわりしている時点で、児島さんとA子の関係性は明らかだ。
A子らにとって、児島さんはただの便利でいうことを聞く道具でしかなかった。児島さんもおそらくそれは気付いていたと思う。それでもA子に呼び出されれば出向いてしまう、このあたりに児島さんの個人的な問題も見える気がする。




千葉で戸籍上の妻を殴り殺した事件では、主犯は年下の子分を引き連れていたが、この北茨城の事件の場合は逆だ。
未成年特有の頭の悪さをまるで盾にして、おそらく同年代の友達が少なかったであろう児島さんをいいように利用した。
友達とは言えない関係ではあるが、それでも遊ぶときに呼んでもらえるだけでもマシ、なのかもしれない。
最初から利用されるだけだった児島さんは、最終的に少女らの鬱憤を晴らす道具に使われた。

A子は捜査の過程で、過去にA子がレイプされそうになった際、児島さんが助けてくれなかったことを恨んでいた、という話をしていた。
しかし児島さんによれば、男性と複数でホテルに入って遊んだ(?)ことはあるが、その時のことを言っているのならばレイプなどなかったし、助けも求められてないしホテルを出るときはA子と二人で出た、しかもそれは2年前のこと、と話す。
ただこの時、児島さんのこれ以外の話をもとに考えると、同じ部屋の中でA子は性行為に及んでいた可能性が高く、その光景を思うとちょっと眩暈。

A子があの日ぶちギレていたのは、過去に行った援助交際のことをばらすと知人に言われたせいかも、と児島さんは話していた。が、もう一つ、B子が児島さんの車にA子を乗せて運転中、自損事故を起こし修理代に20万円ほどかかったという。その修理代を、児島さんがA子とB子が折半すればいい、という話をしていた。
それがムカついたのかも、と児島さんは話す。
このあたりにも地方都市のDQNの生態が見える気もする。
携帯電話料金に何万円もつっこみ、カラオケに汚い金髪、援交、この時代のいわゆるギャルの王道を行く一方で、金もなく、ぼろ汚いプレハブ小屋に溜まるしかない侘しい地方都市のギャルたち。

もちろん、どんな理由があっても児島さんがこのような仕打ちをされるいわれはないし、なによりあの時逃げ出せたからよかったものの、もしも逃げなかったら、それこそ殺人に発展していた可能性は高い。
どのリンチ殺人事件も、最初から殺す気などなかった。やり過ぎた。引き際、止め時を逸した末の、隠ぺいのための殺人だ。




事件発覚後、B子の母親は直接電話で謝罪してきたという。
「健人君(鳥居)とB子に対してはあまり怒りはない。ふたりとも、A子に強要されてやったと思うから」
全員さほど思い罪にも問われず、児島さんが受けたリンチの残虐さのみがクローズアップされた。
児島さんは逃走する際、ゴミ箱を漁ってA子が捨てた右の耳たぶを拾っていた。
しかし、時間が経ち過ぎていたこともあって、耳たぶを元に戻すことはできなかった。
左耳の耳たぶは、見つからないままだった。

***************

参考文献
新潮45 2006年7月号 
茨城・17歳少女二人のバイト仲間「監禁暴行」の凄惨
深井一誠 著

週刊ポスト 2000年6月23日号
「独占告白」耳たぶ切り被害女性が初めて明かした「恐怖の全裸リンチ6日間」--「あの17歳少女は人間じゃなかった…」

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病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件①~




平成12年10月16日

愛知県豊田市。
とあるガソリンスタンドで、女性は昼休憩をとっていた。
昼と夜の寒暖差が激しくなってきてはいたが、ここ数日は晴れて、秋の気持ちよい日々が続いていた。

ふと、手にしていた携帯電話が震えた。
着信の相手は、以前から親しくしていたママ友だった。
「やっちゃった、もう硬くて冷たくなってる。死後硬直してる。」
にわかに理解できないママ友の言葉だったが、女性はとにかく「救急車を呼んで」と伝え、勤務先を飛び出すとママ友の自宅へと向かった。
道中、再度ママ友に連絡を取った女性は、「お願いだから、抱きしめてあげてて。」と頼んだという。

ママ友の自宅につくと、ママ友は放心状態で子供部屋に座り込んでおり、女性に対し、「もうやばい、これで刑務所だわ」と呟いた。

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病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件②~




もうひとり

3月12日に開かれた亮子の初公判において、弁護側は起訴内容を一部否認。亮子が単独で行ったとする検察に対し、亮子の知人である女性の名前を示して、その女性に言われるがままに行ったものだと主張した。
それはむしろ、その知人女性こそが、この事件の「主犯」であるかのような主張だった。 続きを読む 病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件②~

病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件③~




訴因変更

検察は裁判所からの求めに一応は応じる形で、平成14年10月21日の論告求刑において、起訴状に「知人女性との共謀による」との訴因を予備的に追加した。
しかし、この時点でも検察は、
「疑わしきは被告人の利益との原則から訴因を追加したが、あくまで梅村被告の単独犯行と考えている」
との姿勢を崩していなかった。
事件から相当の月日がたっており、この時点で亮子以外の人間が拓哉君の死にかかわっているという物的証拠は一切なかった。
また、公判における亮子と美幸の供述を照らし合わせても、美幸が拓哉君を縛るよう言った可能性はあるにしても、それを拒否せず同調したことに酌量の余地はない、とした。

弁護側は、不採用となったものの事前に行われた亮子の精神鑑定で心的外傷による解離性障害という診断がなされたこと、美幸によるマインドコントロールで心神耗弱状態だったと主張し、猶予付き判決を求めた。
検察も弁護側も美幸の関与をある意味認めながら、その程度、動機などの捉え方の違いが浮き彫りになった。

検察は、拓哉君の行動障害を悩んだ亮子が暴走した、という話は理解できるが、なぜそれに美幸が加担し、拓哉君を率先して追い込むのか、何の利益にもならないことを美幸がする動機が見いだせなかった。
弁護側は、そもそも拓哉君が「本当に行動障害だったのか」という疑念を抱いていた。しかし医師の診断があるはずではないのか。

実はここに、大きな問題が隠されていた。




作られた「行動障害」

亮子は取り調べにおいても裁判においても、そして家族や医師らにも、拓哉君の数々の問題行動を話している。
これまでにも述べたが、妹や飼い犬を虐める、友達(美幸の子)を邪険に扱う、親や義母の金を盗む、さらにはそれを叱られると報復のような形で家族の布団を水浸しにしたり、自室の壁に赤ペンで罵詈雑言を書きなぐる、そういったことが実際に起こっていた。
医師らもそういった行動があるという前提で診断し、結果、行動障害という診断がなされていた。

しかし。

診察をした豊田市こども発達センターの医師は、拓哉君と二人きりで面談した際の拓哉君の言葉を証言した。
「お母さんが、僕の知らないことを『僕がやった』というんだ」
拓哉君はこう訴えていた。
実は、亮子が言う拓哉君の問題行動は、亮子自身その場を見ていないものがほとんどだった。
家族の財布から金がなくなるというのも、最初は数え間違い、気のせいかもしれないという程度だった。しかし、それを美幸に相談した際、拓哉君がとったのでは?と言われたから、拓哉君の仕業だと思い込んだ。
拓哉君を問い詰めるたび、拓哉君は否定したが、ある時、拓哉君の自室から持っているはずのない金が出てきたことで、亮子は確信した。




また、部屋が水浸しになっていた日も同じだ。その日は美幸が家にいて、拓哉君の様子を見にひとりで2階へ上がった。そして、降りてきた際に「部屋が水浸しになっているよ」と美幸が言ったのだ。慌てて2階へあがると、家族が使用する布団に水がぶちまけられていた。
「拓哉君がやったのね…」
亮子は美幸の言葉を疑うことすらしなかった。というより、美幸から「亮子ちゃんは拓哉君と会話しちゃダメ」と言われていたため、拓哉君に対し確認すらしなかった。
美幸の子供とのトラブルについては、裁判で証人として出廷した空手教室の講師が、「そんなトラブルは起こっていない」と証言した。

さらに、部屋の壁の落書き。拓哉君は医師に対し、そんなことしていないと訴えていた。これも、美幸が家に来ていた日に、美幸が発見して教えてくれたものだった。
なにもかも、美幸が来た日に起こっていて、それを発見したのも全部美幸だった。
美幸は梅村家を自宅同然に出入りしていて、勝手に部屋を行き来することも当たり前だった。
拓哉君の自室から金が出てきたのも、包丁が置いてあったのも、すべて美幸が梅村家に頻繁に出入りするようになった後に起こったことだった。

拓哉君は本当に行動障害だったのか。確かに妹らを虐めることはあったのだろう、しかしそれ以外のことは、美幸が「拓哉君がやった」と断言、もしくはそうではないかと示唆したことばかりだった。
行動障害と報道された際、学校関係者が違和感を覚えたのも、無理はない。そもそも、拓哉君は「やっていなかった」可能性が高かった。
弁護人は、拓哉君の行動障害については美幸のでっちあげであり、「誤診」と言い切った。診察した医師までもが、「判決が確定するまでは…」と言葉を濁す始末だった。




共同正犯

平成15年1月20日、名古屋地裁岡崎支部は、求刑懲役5年に対し、懲役2年6月の判決を出した。
執行猶予はつかなかったが、未決拘留日数中、なんと660日をその刑に参入した。
さらに、判決で堀毅彦裁判長は、美幸が裁判で証言した自身の正当性もことごとく否定、拓哉君を縛ることを考え、亮子に指示したのは美幸であるとし、美幸を共犯、「まさに実行共同正犯」と認定、また、拓哉君の問題行動とされた水をまき散らす、壁への落書きについては、拓哉君のしたこととは認められないとした。

美幸の供述は、具体的かつ自信に満ち溢れたものだったが、肝心の事件が起こる10月13日から16日にかけての供述が変遷していた。亮子や雄二さん、他の関係者らの供述やその他客観的な証拠と合致しない部分が多く、それを指摘されるところころとそれに合わせるように供述が変わっていたのだ。
事件直後の聴取において、13日から16日にかけて梅村家には行っていないと話していたにもかかわらず、実際には雄二さんや子供たちが梅村家に何度も美幸が来ていたことを証言していた。
さらに、ガソリンスタンドの同僚が、16日に亮子との電話の内容を漏れ聞いていたが、そこには美幸が証言した亮子や拓哉君を思いやるような会話内容とは違い、「死後硬直が始まってるならもう無理ね」といったことを美幸が話していたこともわかっていた。
拓哉君が縛られたその日も、美幸は確かに仕事には行っていたが、午後2時過ぎには退勤していた。
梅村家には行ってない、と行っていたのが、いややっぱり行ってました、でも数分で拓哉君を見ていない、となり、それが最終的には2階の子供部屋でカーテン越しにベランダの拓哉君を見たがそれだけだ、に変わっていった。

亮子が逮捕されると、すぐさま亮子の子供らを手元に置き、亮子に心配いらないとメールしていたが、それはまさに「人質」をとったに等しかった。
事実、そのメールを見ていた亮子は、弁護人らに美幸の関与を聞かれても、美幸の嘘を知らされても、美幸に何かあれば子供たちが困ると思い込み、言えなかったのだ。ここでも美幸の思惑はドンピシャではまっていた。
処分保留で釈放された夫の雄二さんが、報道関係者の質問に対し
「話したいことはあるが今は勘弁してくれ」
と言ったその言葉の意味は、まさにこのことを表していたのだ。

亮子は判決文を聞きながら、美幸の共犯が認められる段になるとこらえきれずに嗚咽を漏らしたという。
美幸に依存し、信じ切っていたために、亮子は普通の子供と何ら変わらない拓哉君を問題児であると思い込み、さらには将来的に重大な事件を起こしかねない恐ろしい子供だと決めつけ、暴走してしまった。美幸はそんな亮子に対し、拓哉君のあることないことを吹き込み続け、挙句、ありもしない拓哉君の問題行動をでっちあげたのだ。

亮子の訴えは認められたが、それでも疑問は残った。
なぜ美幸はそこまでして拓哉君に悪意を抱いていたのか。




病める人々

弁護側は未決拘留日数が大幅に算入されたことや、それでもなお自分を責める亮子の立場を考え、控訴は見送った。

対する検察は、苦渋の決断を迫られた。
刑事裁判で被告人以外の第三者が共同正犯と認められたことは、民事のそれとは比べ物にならない。当然再捜査は行われたが、時間の経過には勝てなかった。
検察内部でも、「共同正犯とまで言われたのだから、とりあえず起訴すれば有罪になるんじゃないか」といった乱暴な意見まで飛び出していたという。
しかし結局、美幸の立件は見送られた。さらに、亮子に対しても控訴の理由が見当たらないとして控訴断念。亮子と美幸を共同正犯とした一審の判決は確定したが、ここで、拓哉君の事件は幕を下ろすこととなってしまった。

美幸はなぜ、拓哉君に悪意を向けたのか。
裁判所は、美幸には拓哉君に対する「何らかの悪意があった」と推認したが、美幸が関与を否定している以上、正確に把握することは不可能とした。

亮子との関係においても、架空の男性を用いて金銭を受け取ったという点のみが、美幸が「被告に近づいた思惑」と指摘されたのみで、それ以外の点は言及されなかった。
他人の子供を、でっちあげまでして虐待するという、他に類を見ない事件だったが、真相は解明されることはなかった。




美幸はなぜ、拓哉君に悪意を向けたのか。

ふたりは亮子が逮捕されたのちも、手紙のやり取りを行っていた。
「親愛なる妹へ。」
亮子は美幸に対し、こう書いていた。一方の美幸も、「ふたりでひとり」「死ぬまで一緒だよね」「私には亮子ちゃんが必要」といった言葉を返している。
キャラクターの便せんに綴られたそれらは、どこか普通の友人同士のそれとは異質なようなものにも思える。
特に、美幸の亮子に対するそれは、執着のようにも見えた。美幸は何がしたかったのだろうか。亮子と拓哉君母子を、ありもしないことをでっちあげてまで引き裂き、挙句、亮子を犯罪者にまでした。
亮子は事件後、カウンセリングを受け、解離性同一性障害と診断された。まさに、拓哉君に診断されたものと同じだったが、こちらは本物だった。
病んでいたのは、拓哉君ではなく、亮子と美幸だった。もっと言えば、亮子を取り巻く夫や義母らも、なんらかの病に陥っていたからこそ、この異常な事態を気付くことも、見抜くことも、相談することもできなかった。

「関係ありませんから。」
亮子に対する判決が出たその日、共同正犯と認定された美幸は、夫を通じてこうコメントした。
美幸は不起訴となり、以降罪に問われる可能性はなくなった。しかし、亮子の判決が確定している以上、美幸が拓哉君を死に追いやったことは認定され、確定している。
これを、美幸の家族らはどう思うのだろうか。地方都市の中のさらに小さな町で、美幸はどう周囲に取り繕ったのか。夫や子供たちは、母を、妻を信じ切れたのだろうか。今も家族として暮らしているのだろうか。

拓哉君は、診察をした医師に対し、心の内を訴えていた。

「僕は、おかあさんとにこにこして暮らしていきたいんだ……」

10歳の拓哉君の心の叫びは2年以上経過して、ようやく聞き届けられた。
たった10年の、短い人生と引き換えにして。

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