夫と子供を殺した女が欲しかったもの~佐賀・長崎父子連続保険金殺人③~

次男

外尾は、かねてから実母が書けていた生命保険の掛け金を徴収するために外尾の実家を訪れていた保険外交員の女性から金を引き出すことを思いつく。
外尾自身も、自分の生命保険をその外交員を通じて加入した経緯もあり、お互いに懇意にしている仲であった。
外尾は、その外交員の成績アップに貢献すれば、いずれこの外交員の女性から金銭を借りられるのではないか、または、消費者金融から借金する際の保証人になってもらえると考え、まず礼子を紹介した。
外尾も自分の生命保険をかけ、さらに礼子の子供たちの保険を最大限度までかけた。
そして、思惑通り平成7年の4月から5月にかけ、その外交員から150万円を借りること、そして消費者金融の保証人にさせることも成功した。

それでも1レースに数十万円を突っ込んで摩りまくる外尾には、数百万などでは足りるはずもなく、ふたりはさらに金策に迫られることとなる。
礼子はなりふり構わず知人らから金を借り、時には売春まがいのことをしてでも金を作った。

外尾は山口家に入り浸るようになってからは、ことあるごとに暴力も振るっていた。
礼子を殴る蹴るでは飽き足らず、幼い子どもたちにも手を挙げることがあった。そのうち、もともと体格も良く、外尾に反抗するためにあえて体力をつけた長男には手を出せなくなったため、おとなしい次男・吉則くんが標的となった。
父・克彦さんが死亡したときはまだ小学生だった吉則君は、直後から家に出入りするようになった外尾に殴る蹴るの暴力を振るわれ、顔面を骨折して病院へ運ばれたこともあった。
今ならば病院も虐待を疑って通報していただろうが、当時はそこまでの体制ではなかったであろうし、なにより、吉則君も礼子も、「兄弟げんか」と言っていた。
外尾の暴力は理不尽な理由で行われていた。吉則君の兄によれば、寝相が悪い、風呂の入り方が気に入らないなど、およそしつけや吉則君に非があるようなことではないことにまで難癖をつけ、暴力を振るう理由にしていた。
吉則君は夜遅く、家の外で本を読んだり、どんな雨の日でも犬の散歩に出かけるなど、家にいない時間をあえて作っているかのように見えたと近所の人は言う。

外尾が暴力を振るったのは、そのほとんどがギャンブルで負けた腹いせであった。

しかも、吉則君は外尾だけに迫害されていたわけではなかった。礼子からも、兄と差別的な扱いを受けていたと裁判で認定されている。
吉則君が小学校卒業の時に書いた文集への返事として、

「卒業して中学生になるけど、今迄みたいな気持ではいけません。責任をもっと持つようにしてもらいたいです。何をするにも最後までやりとげる気持ちを持って、やりとげてください」

このような文章を寄せていた。
卒業を記念する親の言葉としてはいささか厳しい気がする。しかも、後述するがこの時の作文は、母親への感謝で溢れたものである。
それに対する返答が、これかよ・・・というのが率直な印象である。

克彦さんを殺害して保険金を受け取ったにもかかわらず、生活は困窮を極め、外尾の口から礼子の子供たちの保険の話が出始めた。
先述の通り、この頃すでに子供達には高額の保険金が次から次へと掛けられていた。
当初は、「殺すなら自分の子を殺せ」と外尾を突っぱねた礼子だったが、外尾の暴力と金策に疲れ果て、さらにはこのままでは家族全員が外尾の餌食になってしまうと考えるようになっていた。

そしてとうとう、礼子は「鬼」になる。しかしその「鬼」になった理由は予想のはるか上を行くものだった。

「私は泥沼を見ました」

面会室で、ノンフィクションライター・橘由歩 氏に礼子はかぶりを振りながらそう吐き出した。
その眼にはみるみる涙があふれだす。
幾度となく面会を続けてきた橘氏は、女の本当の心の叫びを聞き出そうとしていた。

裁判では外尾とともに一審の長崎地裁で死刑判決を受けていた礼子だが、控訴審の福岡高裁では一転、女は減刑となって無期懲役が言い渡された。
そこには、裁判で明らかにされた礼子の「哀れ」な部分と、「追い詰められた末路」であるというストーリーに加え、子供らによる嘆願があった。

礼子は終始、涙を見せ、自ら殺した息子に対して詫び、生きていることが辛い、自分が怖いと身悶えた。その姿に、傍聴した地元新聞社などの記者らも、当初は同情や追い詰められた心理への理解を示していた。
面会を申し込んだ橘氏もそうだ。なぜ、愛する我が子を手にかけたのか。その瞬間、礼子の心になにが棲みついたのか。
ここからは礼子との面会を行ってきた橘由歩氏が書き下ろしたドキュメントから礼子の発言、心情を引用していく。

礼子は外尾に吉則君殺害計画を打ち明けられ、それに協力するよう「強要」されたという。
裁判でも、当初は冗談じゃないと突っぱねたことは認められており、克彦さん殺害時のように礼子が言い出したことではない。
しかし、さほど長い期間をかけずに、礼子の心は吉則君殺害やむなしという方向へ舵をきることになる。

やぶれかぶれの強盗

判決文では、次第に吉則君に犠牲になってもらえば保険金も入り、今度こそ外尾と決別できる、さらに言えば、長男と長女だけは救うことが出来ると礼子は思うようになっていた、と礼子の心の動きを示している。
さらに言えば、外尾はことのほかこの吉則君を嫌っており、長女は幼いために保険金の額も高くなく、長男はもはや外尾をもってしても太刀打ちできる相手ではなくなっていること、長男と違っておとなしすぎる吉則君は将来性も乏しい、そういう、いわば消去法で吉則君に死んでもらうことを決めたのだ。

外尾の言いなりになるしかなかったのはほかにも理由があった。そう、克彦さん殺害でふたりは固く結びついていたのだ。
もしも外尾に逆らえば、克彦さん殺害が明るみになってしまう。そうなれば、自分の破滅どころか、子供達まで失ってしまう。
引き返せないところまで来ているのだと、礼子はようやくきづいた。

平成10年の夏、外尾は、睡眠薬を飲んで眠り込んだ吉則君を車に乗せ、イカ釣りに使うガスを車内に充満させて殺害しようと試みた。
しかしこのときは、さすがに躊躇していた礼子が長男にその事実を知らせ、長男が弟である吉則君を助け出したことで事なきを得た。
諦めきれない外尾は、同じ手口で再び吉則君を殺害しようとしたが、成し遂げられないまま、そして金がどんどん回らなくなる中、礼子とともに追い詰められていく。

その後、やぶれかぶれの2人は地元の資産家の自宅へ強盗に入る計画を立てた。
その家は、礼子がかつてお世話になっていた病院で、平成6年には家政婦として雇ってもらってもいた家だったため、礼子には勝手知ったる家であった。
その家には大正12年生まれの老婦人が一人で暮らしており、少なくとも自宅内に現金や宝飾品があると踏んでいた。
平成10年9月29日、二人はその家に押し込み、数時間居座ったあげく、現金13万7000円、そして120万円相当のネックレスなどを強奪した。
しかし、肝心の預金通帳の暗証番号を聞き出せなかったため、大金を入手することは出来ず、正直焼け石に水であった。

礼子の中でも、もはや吉則君の保険金を手に入れる以外に道はないと、そういう考えが強まっていた。裁判でも、この時点で二人の吉則君殺害の共謀が成立する、とある。
山口家には、不穏という言葉では表現しきれない、邪悪な雰囲気が立ち込めていた。

満月の夜

その夜、礼子は吉則君に「イカゴ釣りに行こう」と誘った。普段から母親と出掛けたりすることなどなかなかなかった吉則君は、イカ釣りが好きだったこともあり、それを承諾した。
風邪をひいたらいけないからとでも言ったのか、あらかじめすり潰しておいた睡眠薬に中身を入れ替えた風邪薬のカプセルを吉則君に飲ませ、妹とともに車で長崎県小長井の築切港岸壁へ向かった。
当初はいつになくはしゃいでいた吉則君も、次第に薬が効いてきたのか眠り込んでしまう。
周囲の人気がなくなったことを確認し、礼子はガムテープで吉則君の手足を縛り、頭には頭巾までかぶせた。

密かに近くまで来ていた外尾が、その吉則君の体を抱えて海に投げ込んだ。
二人の脳裏には間違いなく、克彦さん殺害時の状況がありありと浮かんだだろう。あの時は克彦さんが目覚め、叫んだ。今回はそれを踏まえ、吉則君の手足を縛って頭巾までかぶせた。

しかし、吉則君は覚醒し、克彦さんと同じように暴れて叫んだ。
「この野郎!!」
外尾は克彦さんの時と同じように海に入り、もがく吉則君を沈めた。
そして、動かなくなった吉則君の頭を押さえ、確実に死んだことを確認したのは、礼子だった。

その後、冒頭の通りコンビニに駆け込んで悲劇の母親を演じた礼子は、吉則君の保険金を請求するも、警察の捜査が入っていて保険会社が支払いを留保したため手にすることはなかった。
当てが外れた礼子と外尾は、打つ手なしと思ったのかここへきてようやく「仕事」をし始める。
外尾はタクシーの運転手として就職したものの、周囲には金に困っていることを隠さなかった。食事はカップラーメン、時にはそれさえ抜いていたという。
礼子は実家があった塩田町(現・嬉野市)の知人らに数千円から数万円を借りたり、亡くなった父親が残した朝鮮ニンジンを買って欲しいと実家の近隣の人々に話していた。
さらには、得体のしれないお茶を知り合いの高齢者らに飲ませ、「お金がないから買うてくんしゃい」と懇願し、桐のケースに入れたそれを売り歩いていたという。
何人かの人は礼子を不憫に思ってか、8千円ほどでその桐のケースに入ったお茶を購入している。

そして、同じころだろうか、礼子は実母のクレジットカードを勝手に持ち出し、ビデオカメラを複数台購入、さらに20万円ほどキャッシングもしていた。おそらく、ビデオカメラは換金目的であったのだろう。
保険金がいつまでたっても支払われない状況で、吉則君の妹は気が気ではなかった。
山口家の兄と妹は、おそらく吉則君がなぜ死んだのか、わかっていた。
そして、妹は周囲の人に、「次は私の番かもしれん」と話していた。兄が卒業して県外へ出ていたこともあり、その当時山口家には長女しかいなかったのだ。
長女にしてみれば、夜も眠れぬ日々であったろう。

夏になり、外尾と礼子は逮捕された。息子を殺害した鬼母と揶揄され、佐賀の真須美(!)とまで言われた礼子だったが、裁判でその本性を現し始める。

人を殺すなんて出来ない

橘氏との面会で、礼子はその時のことをこう話している。

「その時まで守ろうとしてたんです。ずっとずっと阻止してきたんだから。薬は、外尾が見てるけん、飲ませたけど・・・」

「二人が争う時は、波が揺れていた。外尾がこのまま沈めばいいと思っても、階段の踊り場から1メートル以上離れたところで争っているから、私には届かないのよ。腰が抜けて動けなかった。石段に、お尻がずぶ濡れになって座っていたのよ。私にはどうすることもできなかったのよ。恐怖におののいていたんですよ。」

要するに、吉則君を殺害する段取りは確かにしたが、それは外尾が監視していたからせざるを得なかった、殺害実行時には、ただただ恐怖におののいて体が動かなかったと。そういうことのようだ。
何度も阻止してきた、それは事実だろう。にもかかわらず、最後は自ら息子殺害の段取りをつけるというのはどういうことか。
それに対しては、こう嘆く。

「仕事に子育て、地域の係など一般生活を築きながら、外尾のような対応(暴言、暴力、寝かせないなど)にコントロールされずに、人間、生きることが出来るの?ずっと苦しみが続いて、思考力が全くと言っていいほどないのですから。
子どもを守ることが、ただの一度のことなら出来るでしょうそれが何度も続いてみてください、どうなります?吉則があの時殺されるかもというより、失敗に終わってほしいという気持ちです。それまで何度も阻止してきたから、それだけなんです」

「こんなことなら外尾を殺しておけばよかったと思うけど、私はどんなことがあっても、自分の手で人を殺めることが怖いんですよ。だから出来ないんです。」

目の前で涙ながらにこう言われたとして、納得できる人なんているんだろうか。ちょっと何言ってるのかわからない、そんなレベルの言い訳である。
しかし、この言い訳をノンフィクションライター・橘由歩氏はどうやら信じたようだ。
橘氏に言わせると、吉則君殺害は礼子が「殺人」を犯せなかったゆえに起きたんだそうだ。正気かよ。

面会での発言に限らず、礼子は裁判でも「追い詰められた女」を演じてみせた。いや、演じている感覚はなく、心からこれが真実なんだと思っていたのだろう。
挙句、礼子が持ちかけた克彦さんの殺害も、暗に外尾が主導したかのように話した。
吉則君の名が出るたびに涙を流した礼子だったが、傍聴した人によればそれは次第に不快感を生み出したという。
特に、礼子の周辺に取材をしていた記者らにすれば、礼子が言い募るその哀れな女の姿とは正反対の「山口礼子」の存在があったからだ。

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