夫と子供を殺した女が欲しかったもの~佐賀・長崎父子連続保険金殺人④~

母親と、愛

礼子の幼少時代については先にも触れたとおり、取り立てて目立ちもしない、ごく普通のおとなしい少女であった。
家族皆が女遊びの激しい父親に背を向ける中、礼子だけは父を慕った。鍼灸師の母親は苦労しつつ、それでも子供達のためにとその父とは離婚せず、礼子らが独立した後に離婚した。

ただ、この話には全く逆の話も存在している。
礼子の母親は猜疑心が強かったという。夫の浮気が嘘だとは言い切れないものの、それを近隣に触れて回ったというのだ。
仕事で留守がちだった父親のいない間に、母親は子供らにも同じように言い含めて育てた。まるで呪詛を吐くかのように。
婿養子だった礼子の父親の居場所など、そもそもなかった。母の狙い通り、子供達は父親に寄り付かなくなっていく、礼子ただ一人を除いて。

なぜ礼子は母親のいうことを信じなかったのか。
それは、礼子自身も母親から他の兄弟と違う扱いを受けていたからというのもあったとみえる。
「私だけ、家族じゃなく同居人のようでした。母は他の兄姉の面倒はよく見ましたが、両親とも私に関心を払うことはなかった。」
礼子自身も、控訴審において幼少時のことをこう振り返っている。
両親共働きであったこともあるだろうが、学校行事に両親が来ることはなかった。
また、母親は礼子に対して意識的か無意識なのか、差別的な扱いをしていた。運動会の時、兄や姉の時は巻き寿司が弁当箱に入ったという。しかし、礼子の運動会のときには、巻き寿司どころか弁当すらなかった。礼子は自分で弁当を作って、誰も応援に来ない運動会へ出かけた。

もちろんこの話は、礼子の記憶違いや母親に差別したつもりはなかった可能性もある。母親も弁当を作れなかったことを悔いていたかもしれない。しかし、当の礼子にしてみれば、どんな理由がそこにあったとしても、忘れられるものではないだろう、傷ついた幼い心を思うとこの点は同情する。
私も幼いころ、お吸い物のなかに入ったウズラの卵の数が弟と違うことに気づいたとき、自分の価値みたいなものを分かった気がしたものだ。親にしてみれば意味はなかったわけだけども、非常に打ちのめされた。

母親の礼子に対する扱いはまだある。幼い礼子のちょっとした表情や顔の特徴をあげつらい、「怨念があるからこげんして生まれよった」と言っては、神社仏閣をめぐったり怪しげな新興宗教に入れ込んだりもした。
そんな母親を礼子はどう見ていたのだろうか。決して父親に溺愛されてはいなかったが、礼子は男である父親についた。女の敵は女、幼い礼子がそこまで思ったとは言わないが、おそらくこの頃から男性に対する極度の依存、相手が男であるだけでたとえどんな扱いを受けても迎合し、相手のために尽くすというような性格が出来つつあったように思う。

そんな幼少時代を送ったからか、母親となった礼子は、子供達のことはしっかりやろうと思っていたようだ。
学校行事にはきちんと顔を出し、授業参観にも幼い妹の手を引いてきていた。子供たちの服装はきちんとして、一方で礼子自身は着飾ることもせず、地味な印象しか持たれていない。
子供たちはみな、勉強もできたし部活動にも精を出している。決して楽ではなかった生活の中で、吉則君がサッカークラブに入ったその日に、必要な用具類をすべて用意もした。それは、子供ながらに家の経済状態を察していたであろう吉則君が感謝の言葉を残すほどのことだった。

しかし、家庭の混迷と経済的な困窮が続く中で、次第にその良き母は本来の姿を現していく。

愛された経験のなかった礼子は、少女時代から極度の他人への依存が見受けられた。小中学校の通知表にも、その旨記されている。
母親からその意識のあるなしにかかわらず差別的な扱いを受け、それは礼子の眼に、「愛されない女」のひとつの特徴に思えたのかもしれない。
親から愛を受けて育っていれば、愛の本質、愛とはどういうものかを感覚としてわかる。だから、自分のためにならないまやかしの愛や、自分の人生の足を引っ張る異性からの愛情という名の支配などに引っかかることはない。それは愛ではないと知っているからだ。
しかし、礼子はそれを全く知らずに育った。だから、看護学校を辞める羽目になっても、一生の資格を棒に振ることになっても、甘い言葉を囁き続けた克彦さんのそれを「愛」だと錯覚した。
克彦さんの愛が嘘だと分かってからも、自分の理想とする「男」を求め続けた。
礼子が「心底嫌だった」と吐き捨て、自分の人生が不本意になったきっかけであると嫌悪する、スナックオーナーのAさんにも、その言葉とは裏腹な思いを抱いていた。

レイプした男との蜜月

Aさんは、はっきり言ってゲスである。怒られるかもしれないが、それを覚悟でいう、ゲスだ。
いくら妻を寝取られた仕返しとはいえ、不倫相手のその妻と無理やり関係を持つなどというのはみっともないし、しかも礼子のヌード写真をカタに、関係を強要し続けたというのだからゲスというよりほかに言葉が見当たらない。

しかし、これにも実はまったく様相が違う話が存在する。
礼子寄りの主張を自身の手記で発表したノンフィクションライター・橘由歩氏も、一応Aさんに取材した中で出てきた礼子の主張とは違う話を掲載してはいるものの、それらはいかにこのAさんがゲスいかを強調する材料として描いている。
このAさんは、ほかにも複数の取材に答えているが、一貫して「礼子との関係は最初こそ強引であったし、礼子も抵抗したけれど、その後はお互い連絡を取り合っていたし、合意の上での関係だった」と主張する。
そして、それを裏付けるエピソードのほかに、二人の会話を録音したカセットテープも存在している。

週刊新潮2003年/4/7号において、ジャーナリスト上篠昌史氏の取材が掲載された。
そこで、「心底嫌悪」していたというA氏との赤裸々なやり取りが公開されている。Aさんも、礼子がAさんとの2年間は地獄だったと話していると聞いて仰天したという。
確かに、礼子はAさんに関係を強要されて写真まで撮られたことから警察に駆け込んだ。しかし、礼子の説明が悪かったのか、話の内容から事件性なしと思われたのか、ともかく礼子の訴えは聞き入れられなかった。
A氏はいう。
「最初に会ったのは、礼子の方から電話をしてきたのがきっかけ。理由は、克彦さんの浮気の状況を知りたいということだった」
たとえ自分の夫の浮気について知りたいという思いがあっても、自分を脅迫した男に連絡などできるか?しかもその男の妻が、浮気相手なのだ。
私はこの礼子からの電話に、何か意図的なものを感じるのだ。本気で知りたいだけだったならば、なぜ誰か同席させなかったのか。しかも、Aさんとともに話し合いの場所として選んだのはラブホテルである。ねーよ。
はたして礼子は本当にレイプされたのだろうか、とすら思う。Aさんも強引だったことは認めているから、おそらくそうだったとは思うが、いろんな女を見てきた経験でいうと、「なんとでも言える」とも思う。
自分でもいい思いをしておきながら、自らの意思で行動しておきながら、始末に負えなくなると途端に掌を翻す女は一定数、いる。女性がレイプだと言えばそれを疑うこと自体があたかも非人間であるかのように言われてしまうことまで織り込み済みだ。
事実礼子は、以降ホテル以外でもAさんと逢瀬を重ねる。セックスだけに呼び出されるのではなく、夜遅くまで仕事をして朝寝ているAさんのアパートへ自ら行き、わざわざ手の込んだ朝食を作り、「起きたら食べてね」などというメモ書きを残していくなど、とても「心底嫌悪」していた男へのものとは思えない対応を続けている。しかも毎日である。
脅されていたからだ、怯えていたから相手の機嫌を損ねないようにしていたのだという意見もわかる。でも、それは違う。

礼子とAさんの間には一度子供が出来たという。件のカセットテープには、そのことを協議する二人のやり取りが残されていた。
「どこの病院がよかと?」
まるで甘え切った、礼子の声。
それ以外にも、金銭をめぐるやり取りでふたりの口喧嘩も残されていた。とても怯えているとは思えない甲高い礼子の声は、「だから払うというとるでしょう!」ととげとげしい。
背後では吉則君らしき幼子の声も入っていた。「ちょっと待っててねぇー」と優しく声をかけたその後、口喧嘩は収まり、ぼそぼそと何事かを囁く声が聞こえたかと思うと、礼子の喘ぎ声に変わっていく。
機嫌を損ねないようにしていた、自分を信用させ、安心させようとしていた、そうだったとしたら、それはその後の礼子の行動のためだろう。
礼子は、克彦さん殺害の依頼をAさんに持ちかけたのだ。
そして、それをAさんが突っぱねるや否や、Aさんに睡眠薬を混ぜたビールを飲ませるのである。

そう、Aさんはもう用済みだった。自分の願いを聞いてくれない男など要らない。
その頃、礼子には外尾という新しい依存先があったからだ。

「別れる前日まで私は礼子を抱いていた。二人で過ごす時間は夫婦のようで楽しかった。礼子が外尾に乗り換えたのは、外尾が当時は小金を持っていたからだと思う。それで私が邪魔になった。何も考えていないようでやるときはやる、そういう女だと後から思ったものです」

「幸せって、なんでしょう?」

礼子と外尾は同じ法廷で裁かれた。時に、礼子が外尾に対して恨み言をつらつらと言い募る場面もあった。
外尾は、時折頭を抱えてむせび泣くなど、己の犯した罪の深さを今更ながらに深く悔いているようにも見えた。
礼子はというと、泣きっぱなしと言っても過言ではなく、公判のたびに繰り返される感情的な様子に、傍聴していた人々も食傷気味であった。
それはひとえに、「お前が殺しといてそれはねーだろ」という、まるで被害者の母親であることのみを前面に出すかのような、そんな礼子の態度のせいだった。

礼子の話は一事が万事、「本当は嫌だったけど逆らえなかった」というものだった。
克彦さん殺害を自らAさんや外尾に依頼しておきながら、
「外尾が主人の食事に薬を入れろと言うようになった。外から様子を監視し、主人が寝た後私を起こしては、台所のゴミ箱をひっくり返して薬を飲ませたかどうかを確認された。主人は朝、ふらふらで出勤するようになり、あの状態で運転できるのかと恐怖心でいっぱいでした。」
こう話す。そして、法廷で必ず泣き崩れるのだ。克彦さんの殺害も、一審では礼子主導とされたが、この礼子劇場が功を奏したとみえ、控訴審では外尾も同等だとされた。
ちょっと待って、そもそも外尾は礼子に言われなければ克彦さんどころか誰も殺すことはなかったんじゃ?
礼子は克彦さんに薬を飲ませたが、それも外尾に逆らえばAさんが戻ってくるという恐怖心があったために言いなりにならざるを得なかったとのたまった。

吉則君殺害についても同様のいいわけをかまし、意識のなくなった吉則君の頭を押さえてとどめを刺したことを問われると、
「そんな恐ろしいこと…。外尾に言われるまま、海に流されないよう吉則を持っていただけ」
と声を震わせた。
外尾はその際、礼子のその行動に驚き、「よう手を出したな」と言っている。それに対して、「中途半端はダメよ」と礼子が言ったとされた。当然礼子は否定するわけだが、それにしては具体的過ぎる会話である。

さらに圧巻は、最終陳述の場面だった。
礼子は傍聴席を見渡し、「私の人生って何だったんだろう。幸せって何なんでしょう」と問いかけたのだ。
礼子と面会を重ねたノンフィクションライターの橘由歩氏は、克彦さんと吉則君の殺害は、追い詰められたが故に起った事件だと、Aさんに会わなければ、外尾に会わなければ、礼子は良き母のままであったと言った。
しかし、ジャーナリスト上篠昌史氏は、この二つの事件は追い詰められたが故に起ったものではなく、「礼子自身の幸せ探しの果ての犯行」と突き放す。私もそれに同意だ。

むしろ、克彦さんもAさんも外尾も、礼子の幸せ探しの道具であったにすぎないとすら思う。無論、吉則君もである。
礼子は蜘蛛の糸にからめとられたのではなく、自ら蜘蛛の糸を張ったほうである。

幸せ探しはまだ続く

あの夜、イカゴ釣りに誘われた吉則君の胸中を思う。
いつになく饒舌で、はしゃいでいたという吉則君は、裁判でも「自分が殺害されるのではないか」と気づいていたとされた。
にもかかわらず、母からの誘いに乗った。そして、近々行われる文化祭の話、準備で忙しいんだ、自分の企画が採用されたなど、母親に話して聞かせた。

なぜ、いつにもましてしゃべり、はしゃいだのか。
それは楽しそうな自分の姿を母親に見せ続ければ、自分に優しくしてくれるのではないか、殺そうなどと思わないのではないか、助けてくれるのではないか、そう思っていたことに間違いない。
人は触れられたくない話題があるとき、あえてほかの話を延々し続けたり、その話を持ち出せないような雰囲気を作ることがある。
吉則君も、そうだった。

さかのぼれば、小学校の卒業文集にもそれは表れていた。

「お母さんありがとう。入部したその日のうちに、サッカーの道具を用意してもらってありがとうございました。三年前、お父さんが亡くなってから、お母さん一人で育ててもらいました。
お母さん、いつも見守ってもらい、そして今日まで育ててくださったお母さん、ありがとうございました。
そして中学生、高校生にぼくがなってからも、いままでと同じように育ててください」

これは最後の一文を除けば、特攻隊員の遺書に匹敵するレベルの文章だ。およそ卒業文集に、小学生が書く文章ではない。
最期の一文にしても、もはや「懇願」である。実の母親に対し、これからも育ててほしいと懇願する子供。
この、必死のSOSに対する礼子の返答は先に述べたとおりである。
Aさんが言うように、礼子は「やるときはやる、やりとげる」女だった。

だからなのかなんなのか、礼子の幸せ探しの旅はまだ続いていた。
実は礼子には、廃墟同然となった山口家の自宅や土地の管理、売買などを引き受けてくれたいわば恩人のような男性がいた。
その男性とは、年に4~5回程度の割合で手紙のやり取りもしていたという。
それが、2004年になって突如、「これでサヨナラします」という手紙を受け取った。
意味が解らずにいた男性だったが、その年の12月に、礼子が再婚したことを知る。再婚である、再婚。
相手は福岡県出身で当時50代後半だった。姓は水田という。
彼は何らかの罪で拘置所におり、その際に吉則くんの卒業文集を目にして号泣した。
子供がここまで慕う母親が、なぜその子供を殺したのか、最初はそういう理由で礼子に手紙を書いた。
そのやり取りの内容は定かではないが、件の知人男性によれば、「自分の悩みを理解してくれて、全幅の信頼を寄せられる人が出来た」と礼子は言っていたという。
礼子は、水田氏との再婚を決めた。
幼いころ、家族の中でただ一人父の側に立つことでその愛を得ようとし、成人してからは、相手の意に沿うことで愛を得ようとした。
しかしそれらはすべて、礼子の幸せ探しの一端でしかなかった。どんな状況になろうとも、決して自分を省みることなく、他人を犠牲にすることで前に進んできた。

そして、母を思って嘆願した子供たちよりも、女としての幸せ探しを選んだ。

吉則君は礼子の夢に頻繁に出てきて、そして決まって
「お母さん、心配しなくていいよ」
と言ってくれるという。
どんなに願っても、夢にさえ出て来てくれないと泣いた栃木の兄弟の父親の方がいくらも真実味があると思うのは穿った見方だろうか。

礼子は死刑判決から一転、無期懲役に減刑され、外尾は死刑が確定した。外尾がクズのアホなのは異論なしとしても、あんまりだと思うのは言い過ぎか。
礼子はおそらく命尽きるその日まで、幸せ探しに奔走するだろう。

いや、地獄の焔の中でも、問い続けるのだろう。

「私の幸せってなんなんでしょう?」

「夫と子供を殺した女が欲しかったもの~佐賀・長崎父子連続保険金殺人④~」への8件のフィードバック

  1. 更新を楽しみにしております このサイトのファンです
    感想を書こうとしつつも自分にはそれですらも今まで書ききれたことがないので、お忙しいであろう中での精力的な記事の更新に敬服しております
    今日は更新されてるかな〜〜とこちらに来るのが日課となっています

    事件を通して礼子その人を通して、一つの人間像に迫った読み応えのある記事でした

    諫早のあたりにいったことがあります
    子供時代を過ごした地方のとある町とどこか似た雰囲気に懐かしさを感じたのを覚えています
    個人的な話になりますが、記事を読みながら、静かな田舎町と抜き差しならない事情を抱えた大人たち、そしてそれに纏わる不穏な日々をヒリヒリとした痛みとともに受け入れざるを得ないその子供たち、というのが周りにもそして多少なりとも自分にもあったなと当時の感情とともに思い出されました

    吉則くんを思うと、胸が痛みます
    逃げようにも逃げる場所も逃げる術も持たなかったことでしょう
    殺されゆく夜の道中、車の中で感じたであろう不穏さを想像すると、息が苦しくなります
    どうしようもない男の金のために、それに抵抗できないあるいは迎合する母親のせいで、薬をもられ眠らされ手足を縛られ袋を被せられそして夜の海に突き落とされ、覚醒しもがいた挙げ句とどめに沈められて殺されるなんて、考えれば考えるほど無念でなりません

    幼少期からたどって突き詰めていくと部外者の自分には礼子にまで外道と言い切ることなどはできませんが、再婚というところまで読み進めて、やはり理解しがたい隔たりを感じました
    この期に及んでどこか無邪気に
    自分の悩みを理解してくれて、全幅の信頼を寄せられる人
    という言葉が出てくるのには
    幸せ探しとは言い得て妙ですね

    自分としてはチベットスナギツネになるしかありません

    1. チベットスナギツネさま
      コメントありがとうございます。今回の記事は資料も多く、また、事件自体も複数が絡み合っていたため時間がかかってしまいました。
      それでも楽しみにして下さり、感謝致します。

      私は礼子のような、一見哀れに思うような女性ほど、実は他人を絡めとる性質が顕著な気がしてなりません。
      この事件は、外尾の方が罪が重いわけですが、実際は礼子という女に引き寄せられたと言っても良いと思ってます。
      もちろん、外尾のおっさんはアホです。死刑です。けれど、礼子の罪が軽くなるのは全く理解できない。

      これまでにも、幼い子供たちの悲しい日記や、ヘルプを求める言葉が報道されてますが、私にとってはこの吉則くんの作文ほど胸を掻きむしり涙を禁じ得ないものはありません。
      親に殺されるかもしれない、守ってもらえないかもしれないと思いながら過ごした数年間はどれほどの苦痛だったか。
      どんな思いでこの作文を書いたのかと想像すると言葉がありません。

      嘆願した長男と長女は、今は礼子と連絡を取ってないと聞きます。
      それで良いと思います。

  2. この事件、印象的で覚えています。
    まず被害者の吉則くんが可哀想すぎること。
    母親の交際相手に暴力受けた挙句に母親とその男に殺される。
    あと、母親が自分の目の前で性行為って死ぬほど嫌だと思います。頭おかしい。

    犯人の礼子の顔がぶっさいくでヤバいこと。
    こんな外見で愛人作って殺人かよって思った記憶があります。
    みのもんたが男と間違えた進藤美香と系統一緒じゃないですか?
    デブで変なショートカット。

    残された長男長女が幸せに暮らしていますようにと祈ります。

    1. ちい さま
      コメントありがとうございます。
      進藤美香とは確かに他人を絡めとる点で似ていると思います。進藤美香ほどあからさまではない点で余計タチが悪いと思いますけどね。
      この山口礼子という人は、このサイトで扱ってきた女性の犯罪者のありとあらゆる部分をまとめたような人だなぁと思うんですね。
      当時は和歌山の保険金殺人もあり、佐賀の眞須美と呼ばれたとか言われてますが、流石の林真須美も我が子は殺してませんからね
      もちろん、他人ならいいという話ではないですけれど。

      今回時間がかかってしまいましたが、また楽しみにしてもらえると嬉しいです

  3. 更新ありがとうございます。
    毎回地獄の様な事件ばかりですが、まとめていて精神的に落ち込むことはないですか?
    愚問、心配無用でしょうか。

    1. あっきーさま

      コメント、そしてご心配をありがとうございます!
      正直、知りたくなかったという思いをすることはあります。こんなことを言うと叱られそうですが、息子がいることもあり、男の子、少年が犠牲になる事件は余計に辛いですね。
      また、「もし自分がその立場になったら」と考えた時に怖くてたまらなかったのが名古屋ドラム缶焼殺でしょうか。
      被害者の立場ももちろん考えたくないですが、もしもあの共犯(従犯)の立場、特に、牧田兄の立場になったらと思うと気がどうにかなりそうです。
      殺されるのは絶対嫌ですが、命乞いをする人を殺害するなど、しかもあのような残虐極まりない方法でなど、果たして出来るのか、と。
      でも、出来なければ自分は命を落としますし、自分の命と引き換えに彼女らが助かったわけでもありません。
      それをわかっていても、拒否出来たのかと自問してみても、答えは出ません。
      その、「出ない」というのがまた怖いわけです。私は絶対に人を殺したりしないと断言出来ない訳ですから。
      だから私も、偉そうに罪を犯した人を断罪などできないと思ったり、時に罪を犯した人に憤りながらもなんとかならんかったんかという思いをこのサイトにぶつけたりしています。
      今、WOWOWで「坂の途中の家」という角田光代原作のドラマをやっていますが、あれはまさに、裁判員裁判で事件の真相に触れ、被告の心の闇、環境に同じ母親という自分を重ね合わせてしまうというものですが、そういう人は少なくないと思います。
      ですが、私の場合は上手く切り離すことが今のところ出来ているようなので大丈夫です。
      また今後もバリバリ掘り起こしてまとめたいと思います。
      ありがとうございました。

  4. 数日前にこちらのサイトを知り読み漁っています。

    >親から愛を受けて育っていれば、愛の本質、愛とはどういうものかを感覚としてわかる。だから、自分のためにならないまやかしの愛や、自分の人生の足を引っ張る異性からの愛情という名の支配などに引っかかることはない

    事件の描写もですがこういう分析にハッとします。あとは私も子持ちなので、子どもへの視線も共感して拝読してます。
    資料集めも大変かと思いますが、記事楽しみにしてます!

    1. もも さま
      数ある事件サイトの中に埋もれたこのサイトにようこそ。
      コメントありがとうございます。

      私が扱う事件は、加害者、被害者のいずれかに、時に共感、あるいは同族嫌悪的な感情を持った事件が多いのです。
      この山口礼子の事件でも、ももさんが引用した部分はまさに私自身のことです(笑)
      事件当時の山口礼子には共感の欠片もありませんが、幼い頃の彼女には自分を重ねてしまう瞬間もありました。
      子供まで殺害してしまった彼女と、それを批判する私とは根底では似た思いをしてきた可能性もある。
      でも、私は夫も子供も殺そうなどと思わない。その違いはなんだろう、とか、考え出すとキリがありません。
      今後も、読んでくださると嬉しいです!
      次の事件は、先日死刑執行となった死刑囚の事件を取り扱う予定ですのでお楽しみに。

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