耐えに耐えた女がブチ切れた”深夜のからあげ”~岐阜・関市同居男性刺殺事件~

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平成25年6月15日

岐阜県関市緑ヶ丘の住宅で、その家に住む山村理さん(当時59歳)が胸や腹など複数個所を刺された状態で倒れているのが発見された。
この家は山村さんの所有ではなく、当時64歳の女性が住む住居であった。
山村さんが殺害されたのは6月15日の午前零時から翌朝にかけてと思われたが、その時間帯に家の主である女性は就寝中で気が付かなかったと話した。
朝になって、朝食の支度をするために階下へ降りたところ、台所で倒れている山村さんを発見したというものだった。

山村さんは発見当時、左胸に長さ約18センチの文化包丁が突き刺さったままで、それ以外にも腹部にも刺し傷が認められた。

警察は、外部からの侵入の形跡が全くないこと、盗まれたものやそもそも部屋も荒らされていなかったことから同居している女性に任意で話を聞いた。
そして、この女性が山村さんを殺害したと断定し、逮捕となった。

「本人が自分で刺した」

逮捕されたのはその家に暮らす長峯秀子(64歳)。
しかし秀子は、山村さんが秀子の手首をつかみ、自らの左胸を秀子に刺させた、と主張。もう一つの腹部の傷についても、刺した覚えはないとした。
二階で寝ていた秀子を山村さんが呼び、秀子が下りて行った際にはすでに山村さんが自らの腹部を複数回包丁で刺しており、その後、左胸を刺すように命じられたのだという。
また、なぜそのような事が起きたのか、についても、山村さんによる明確な殺害の承諾があったというのだ。
山村さんは秀子に対し、「死に別れの結果出したる!」と叫び、包丁を無理やり自分に刺させた後も、「突っ込んで、上げてこい」「根元まで突っ込んでくれ」などと指示したという。

さらに、山村さんとの2年間にわたる同居生活において、常軌を逸する二人の関係性も明らかにされた。

暴君

二人は平成23年の京都で出会った。
年齢的なこともあり、二人が恋愛関係にあったのかは定かではないが、ほどなくして山村さんは秀子方に同居する形になる。
しかし、山村さんは職にも就かず、理美容師専門のハサミ製造の自営業者であった秀子の稼ぎをあてにしていた。
そして、ありがちな話だがその秀子の金をギャンブルに費やした。それ以外に酒も好きだったようで、行きつけのスナックでツケで酒を飲み、その支払いを秀子に回していた。

また、秀子に対しても仕事よりも自分(山村さん)を優先する生活をすることを強要し、しばしば秀子の仕事の邪魔をしていた。
たとえば、翌日仕事が立て込んでいるのになにかにつけて用事を言いつけたり、夜遅くまで寝ることを許さないなど、秀子の仕事に支障が出るようなことも平気で行った。

時にそれは暴力や暴言にもなり、秀子は身の危険も感じるようになったという。
警察や妹、知人らにもそれを相談していたが、山村さんが素直に出て行ってくるとも思えず、かといって秀子が山村さんから逃れるには家を出るしかなく、仕事の拠点でもある家を放り出してイチからやり直しを図るには秀子は年を取っていた。

山村さんの生活態度は相変わらずで、自宅に近い場所にあったスナックには良く通っていた。
平成25年6月14日、その日も夜の九時ころに秀子を伴ってその店に現れたが、秀子は30分もしないうちに帰宅する。翌日の仕事は朝早かったためだ。
山村さんはその後も翌日の1時ころまで飲み続け、料金3万5千円のうち7000円のみを支払い、残りはツケにした。

秀子はスナックを出た後、コンビニで山村さんのための夜食の唐揚げを購入していた。
そして、次分は明日のために早めに就寝したのだった。

日付が変わった6月15日の午前1時15分頃、秀子は帰宅した山村さんに起こされた。なんと、先ほどまで飲んでいた店のツケを、今すぐ払って来いと言うのだ。
確かにクセの悪い酔っ払いはわけのわからんことを言うものではある。しかし、山村さんの場合はそうではなく、秀子に対するいわば嫌がらせ目的であった。
翌朝の仕事については山村さんも知っていたはずだ。にもかかわらず、秀子に暴言を浴びせ続けた。

寝かせてほしいと懇願する秀子に対し、山村さんは秀子が買ってきたあの唐揚げにも難癖をつけ始めた。

「塩味じゃなくて醤油味に今すぐ買い換えてこい!」

疲れといらだちと、理不尽なことを言われるがままだった自分への不甲斐なさ、この瞬間、秀子の堪忍袋の緒は弾け飛んだ。

前頭側頭型認知症

秀子は事件当時、前頭側頭型認知症(FTD)に罹患していた。
この病は難病指定されてもおり、行動障害があり日常の生活に支障が出ており、アルツハイマーやうつ病、発達障害とは診断されず、画像などで前頭葉、側頭葉に委縮などが認められ、かつ65歳以下の発症が条件とされている。

発症から早い人で2年、遅くともだいたい10年で末期に至り、最終的には寝たきりの状態になるという。
また、
①脱抑制行動(礼儀やマナーから逸脱した行為、反社会的な行動)
②無関心または無気力
③共感や感情移入の欠如(社会的な興味や他者との交流意欲の低下、喪失)
④固執・同常性(単純な動作を繰り返す、強迫的または儀式的な行動)
⑤口唇傾向と嗜好の変化(過度の飲酒や喫煙、食の好みの極端な変化、異食)
⑥記憶や視空間認知能力は保たれているにもかかわらず、それを遂行できない
といった症状に複数当てはまることでこの症状が疑われる。

たとえば①の場合、「それ今そこでやるか?」というような、その場にそぐわない行動や発言を悪びれずにやってしまう、他人の家に勝手に入る、痴漢や窃盗を働く、交通違反を繰り返す、といったことが例として挙げられる。
万引きや無賃乗車、無銭飲食などを悪びれずに繰り返すというケースもある。
また、日々の生活を自分のパターンで行わなければならないといった強迫的な観念に縛られたり、同じ動作を何度も繰り返したり、真冬なのに半そでで外出しようとしたり、一見普通(?)の認知症のようにも思われるが、⑥にあるとおり、記憶障害はあまりない。しかし、誰もが知っている固有名詞が出てこなかったり、初めて見た、聞いた言葉のように戸惑ったりもする。
そのほかに、突然味が濃いものや甘いものが好きになったり、まんじゅうを食べ続ける、ご飯に醤油をかける、食べ物ではないものを食べようとするという行動もみられる。

秀子の場合は、服装などへの無関心、万引きやごみをコンビニの店内にポイ捨てするなどの経験があり、また、心理鑑定に臨んだ際に、簡単な言葉(お吸い物の意味が解らない)が出てこなかったり、突然歌いだすなどといった症状があった。
しかし、仕事も行えており、買い物や日常生活の大部分では支障がなかったともされた。
ただ、症状が重くなり始める中期の段階にはあったようで、その影響があったかどうかにも注目された。

裁判では、善悪の判断能力があったかどうか、この前頭側頭型認知症の症状の一つである反社会的な行動をしてしまうというものが、山村さん殺害に影響していたのかが審理された。
事件後、秀子は救急車も警察も呼ばず、その後の言動でもあきらかに事実を隠すような態度が認められたことなどから、それらは自分が悪いことをしていると認識しているからこその行動であるとし、善悪の判断は出来ていたとした。
わかりにくいが、もしも前頭側頭型認知症の影響で起こったことならば、自身に悪いことをした認識がないため、ありのままを話すのが自然である、したがって、秀子が言うことが事実ならば「彼に刺してと言われたから刺した」と、そのままを言うはずだ、ということである。うん、わかりにくい。
また、前頭側頭型認知症の特徴として攻撃的になる、感情の起伏が激しくなるというものがあるが、そもそも秀子はそれより以前からその傾向があった。
さらに、無気力や他人への無関心、共感性の低下などについても、この2年間、誰の目にも理不尽な山村さんからの要求に耐え忍んできたことなどから、自身の行動をコントロールできていた、とした。
うーん、無気力だからこそ耐えられたのでは?と思わなくもないけれど、どうやらそういうことのようだ。

結論として、秀子が罹患していた前頭側頭型認知症の影響は、ゼロではないものの、それが量刑に大きく影響するとは言えないとし、完全責任能力を認めた。

虐める人の心理

ここからは完全に私の考えというより、妄想である。
世の中には、他人を虐めることをやめられない人がいる。相手が憎い、嫌いだから虐めるのではなく、相手を利用するために、果ては愛しているからこそ虐め抜くという理解しがたい人もいる。
山村さんは秀子を愛していたのだろうか。裁判資料でも二人のなれそめや生活においての関係は、この虐げられた事実以外はほとんどないため推測でしかないが、その日々の山村さんの生活態度から察するに、愛していたというよりは利用していたとみるのが自然だろう。
一方の秀子はどうだったのか。60歳を過ぎて出会った年下の山村さんに、どこか淡い期待をしていたのかもしれない。少なくとも、同居を始めたころは、そういう気持ちもあったのではないかと思う。
しかし、2年間の中で山村さんの態度は秀子の予想をはるかに超えたものだったのだろう。警察にも駆け込み、周囲の人に相談もしていた。
しかし、秀子は山村さんから離れられなかった。裁判では、秀子が「生き甲斐」にしていたハサミ製造の仕事の拠点が自宅であったため、そこを離れるわけにはいかなかったとしているが、これは他のストーカー殺人やDV殺人などでもよく見かける「いいわけ」である。
暴力を振るわれ、暴言を吐かれ、たとえば身の危険を感じるまでに追い詰められているはずなのに、被害者はなぜか身を隠そうとしない。
もちろん、DVで支配されている人間にはそんな気力がないのだ、というのは理解できる。
しかし、そういう人はそもそも誰にも相談しないし、むしろ他人が心配して声をかけても「そんなことないわよ、大丈夫よ」と青痣のある顔で笑うのだ。

殴られても蹴られても、お金をせびられても罵られても、なぜか我慢できてしまう。

しかし、「そんなことで」と思うような、些細な出来事こそが心を砕くことがある。

秀子はその日、出来るだけ早めに就寝したかった。翌朝の仕事のことは、一緒に飲みに出かけたにも関わらず、先に秀子を帰したことからも山村さんは理解していたのだろう。
しかし、許していなかった。
山村さんは、それまでにも仕事や個人的なことよりも、山村さん自身を優先させるような生活を秀子に強いてきた。
しかしそれは、おそらく外部の人には見せていなかった。
表面上は、仲の良い関係を装いながら、周囲にはそつなく、いい人で通してきたのではないか。だからこそ、警察も妹も、なかなか危機感を抱けなかったのではないか。

山村さんは立ち寄った飲み屋で、秀子が先に帰ることを認めたのは、その後秀子を攻撃する理由にしたかっただけだ。
恐ろしいことに、この何でもないような出来事を逐一、攻撃する材料、理由づけにしようと考えている人はいる。

秀子はそれまでの習慣なのか、気配りなのか、山村さんの夜食にとコンビニでからあげを買った。
さまざまな種類があるが、秀子はそれまでに山村さんが食べていた味を購入したはずだ。100歩譲って山村さんの好みを知らなかったとしても、コーンポタージュ味とかイチゴ味のからあげではなく、シンプルな、おそらく誰でも食べられるだろう塩味をチョイスしている。
しかしそれも、山村さんからすればいじめの材料になるのだ。
亡くなった方に申し訳ないが、山村さんにとって秀子はいじめのターゲットだった。
秀子は自身の病気のせいもあったかもしれないが、それでも2年間耐えに耐えてきた。
これまでにもっと理不尽なことを言われ続けてきた。それでも耐えてきた。
しかし、深夜に言われるがまま、からあげを買いなおしに行く自分を想像したとき、それまでとは違う感覚が沸き上がったことを私には察しがついてしまう。

求刑10年、判決懲役5年

秀子の主張は、普通で考えると裁判所の心証最悪であった。
というのも、山村さんの体に残された傷のうち、腹部の傷は自分が刺したのではない、さらに、心臓を抉った傷についても、自らが刺したのではなく、山村さんが命令し、秀子の手を取って刺させたというものだったからだ。
そんなことは司法解剖の結果からもとても真実とはみなされず、自分のしでかしたことに向き合っていない、とみなされてもおかしくなかった。

しかし、判決は求刑の半分の懲役5年。
理由としては、やはり山村さんのその秀子への2年間の仕打ちが大きく働いたようだ。
また、山村さんの遺族も秀子に対して処罰感情を持ってないという。詳しくはわからなかったが、「処罰感情がない」というのは相当なことだと言えよう。

もちろん、秀子の病も限定的ではあるものの、関係していると認められ、大幅な減刑となった。

秀子が患った前頭側頭型認知症の予後はよくない。
次第に体が動かせなくなり、寝たきりとなって命が失われていくという。その期間も、人にもよるがおよそ発症から10年とされている。
すでに発症していた秀子にとって、残された時間は多くはない。そんなことで裁判所がどうこうするとは思えないが、秀子の犯した犯罪はそもそも山村さんがいなくなった時点で再犯の恐れはないといえ、先の遺族らの処罰感情のこともあってこの判決になったのだろう。

病気を抱え、それでも生き甲斐といえる仕事を持っていた、高齢の域に差し掛かった女性の人生の最期に待ち受けていたのがこれか、と考えるとやるせない。

あの日、山村さんに出会わなかったら、今も病と闘いながら、日々仕事に精を出しているだろうか。
考えずにはいられない。

 

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参考文献
判決文

「耐えに耐えた女がブチ切れた”深夜のからあげ”~岐阜・関市同居男性刺殺事件~」への4件のフィードバック

  1. 秀子は何で「本人が自分で刺した」と言ったかな?

    病気のせいでしょうか?なんかそこが引っ掛かります。

    殺したかったけど、罪は認めたくなかったのでしょうか?或いは殺したくなかったから、罪を認めなかったのでしょうか?

    「逆鱗に触れる」という言葉が自分の中では強くあります。人と深く付き合っていく時には、どこかで逆鱗に触れなければならないとの心情があります。

    相手が怒る範囲を知り、次からはそこまでは触れない。触れる事がその時は正しかろうが、相手が嫌がるのであれば触れない。触れるにしても慎重に触れる。

    逆鱗は人によって形や大きさも全然違います。本当にこちらが「えー!そこ?」と思う事もよくあります。

    ちなみに私は逆鱗に触れてしまった場合は、平身低頭で謝ります。なだめてすかして出来る限りの事をします。バカなダンスもします。

    あと山村さん、秀子と知り合うまでどうしていたんだろう?「クズ男」だったのかな?前科がなさそうなので「ヒモ男」かも。

    あ、コメントやTwitterで逆鱗に触れてしまったら言ってくださいね。バカなダンスをしてでも謝りますので。

    1. ひめじの さま
      コメントありがとうございます。
      被害者を悪し様に言うのは気が引けますが、山村さんは自分より弱い立場の人だけをこれまでも傍において利用してきたんじゃないかな、と感じます。
      弱い立場というのは経済的なことではなく、年齢や生い立ちなど、努力しても変えようがない部分についてです。
      秀子は独身で年齢的にも高齢者の域に差し掛かる微妙な年代、自営業者ですから社会との接点や収入はあるものの、おそらく親しい友人は多くなかったと思われます。
      そういった、淋しい女というのを見つけ出すのが山村さんの仕事だったのかなと。
      遺族が秀子に処罰感情を持たないというのが全てな気がします。

  2. >これは他のストーカー殺人やDV殺人などでもよく見かける「いいわけ」である。

    お”ぉぉ・・・反論できぬ。さすがに人殺しはしてませんが(笑)。
    暴力夫に毎月、定期行事のようにぶん殴られてたのに
    その時の私は「姉も離婚してるし、私までそういう風になったら・・・」と
    一番に考えてたんですけど、
    でもそれは親に対する恐怖心がさらに背景にあったり、っていうややこしいものでしたが
    やっぱり今思うとある意味いいわけであって。
    ただ世間が言うほど簡単に離婚までこぎつけられるわけじゃないからね、
    相手が相手だとそれこそイジメのような屁理屈コネまくって困惑することも多々あったし
    私がとにかくその後楽しく暮らすことは嫌だったようなので(笑)、
    もうめんどくさくて私から「(お前の)借金は私が払うから、頼むから別れてくれ」と。
    まーーー大変でした。
    一度そういうのとかかわってしまうと、相手の反応の予想ができちゃうから
    難しかったりもしますね。
    私は離婚して済んだけど、秀子の場合その結果選んだ方法が殺害だったとしたら
    ちょっと複雑な気持ちにもなります。

    秀子が仕事が好きだったのは間違いないんだろうけど
    自宅でやってたんですかね?
    それだったら男がいない間にきれいさっぱり片付けて
    家を出て新たな地でやるわけにはいかなかったのかなと思ったり。
    そう言う考えがもう出てこないかったのかな、と思うと残念な気持ちになるな。

    1. ちびこびっち さま

      おっと、そんな大変な過去をお持ちでしたか、よくぞご無事で生還されました(笑)
      この、いいわけしてしまうってのは批判するつもりは無いんです、ここまでがセットというか、そうなってしまうんだよね、という意味です。
      ただ、よくよく、考えてみると、それでも相手が好きだったり、これまでの地獄の中でも時たま相手が見せる優しさに縛られてしまったり、もちろん、子供のことや親のこと、いろいろと思いめぐらせてしまいますよね
      でも冷静に考えて殴られ人格を否定される姿を親や子供が見たいわけありませんし、それでも耐えろともしも言う人がいたらそいつも一緒の悪魔です。
      秀子の場合、記事にも書きましたけど年齢もあったろうけど、やはり仕事が云々ていうのはいいわけだったと思います。
      言及してませんけど、それでも好きで一緒にいた部分もあったのかなとか。
      病気があったので、そういった建設的な考えも難しかったのかもしれない。
      ともあれ、今新たな人生歩まれてるちびこびっちさんに乾杯w

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