妻を切り刻んだ男が持ち出した写真38枚~長野・青木峠母子バラバラ殺人死体遺棄事件~

平成元年5月13日

その日、測量のために長野県本城村の青木峠に分け入った森林組合の職員らが、国道沿いの斜面に黒いビニール袋が投げ棄てられているのを見つけた。
不法投棄かと近づいてみると、破れた袋の隙間から頭髪のようなものが見えた。まさか、と思いつつ目を周囲に向けると、そこにはオムツ姿の男児があおむけで横たわっていた。
そして、その周囲には人間の胴体、手足などがバラバラの状態で散乱していたのだ。

切断された部位は全部で11。中にはパジャマらしき衣類の上から切断された部位もあった。そして、遺体の一部をくるんでいた新聞が、千葉県内で配布された「聖教新聞」だったことも発表され、遺体の足には修行で出来るタコがあったことから、被害者は創価学会の信者の可能性が高いとされた。
バラバラの状態の遺体の損傷は激しく、身元確認のため大々的な報道で情報が集められると、事件発覚から二日後、「船橋にいる娘と孫ではないか」という福島県在住の男性から情報がもたらされた。

被害者は船橋市在住の阿部アヤ子さん(当時40歳)と、長男の秀之ちゃん(当時2歳)であることが判明した。

行方不明の夫

身元が判明したため、すぐさま母子の暮らした船橋のアパートへ捜査員らは向かった。司法解剖の結果、アヤ子さんは鈍器で頭部を殴られたことによる外傷性くも膜下出血で、秀之ちゃんは首を絞められたことによる窒息で死亡したことが判明していた。
アパートは敷布団などが敷かれたままで、敷布団のシーツをめくるとそこにはバレーボール大の血痕が残されていた。
また、浴室や勝手口などからもルミノール反応が出、さらに台所のシンクの中には血がこびりついた包丁、肉片がついた状態の組み立て式電動のこぎりまであった。
少なくとも、アヤ子さんはこの部屋で殺害され、バラバラにされたと判明した。

その頃、捜査本部では母子の夫の行方を追っていた。夫は阿部隆(当時32歳)といい、青木峠で遺体が見つかったその日、近所の住人に5万円を借りたまま行方が分からなくなっていた。またその際、「妻と子どもは実家の母の具合が悪いので郡山へ帰している」という嘘の話をしていた。
そのようま状況から、隆が妻と息子を殺害したことが濃厚となり、5月19日、隆を全国指名手配したが、その行方は判明していなかった。
ただ、5月6日から9日まで、隆が本名でレンタカーの手配をしていたこと、その車はすでに返却されてはいたものの、トランク内から異臭がしたことなどが分かっていた。そして、遠出をするから、という理由で、一回り大きなレンタカーを予約していたこともわかった。

アヤ子さんはというと、4月29日の夕方、クリーニングに出した衣類を取りにクリーニング店を訪れた際、「連休は長野に行く」と話していたという。
そして、5月1日の夜にはアヤ子さんの友人と玄関口で立ち話をしていたことが判明。それ以降の目撃情報を得られなかったことから、隆がレンタカーを借りた5月6日までの間に殺害されたとみられる。
自宅の郵便受けには5月14日の朝刊は差し込まれたままだったが、それより前の日付の新聞は家の中にあったことから、遺体を青木峠に遺棄した後、隆は一度自宅へ戻っていたことも間違いなかった。
5月15日には、福島の実家へ電話し、「都合で戻れなくなった、静岡の富士宮へ行く」ということを母親に告げていたが、富士宮市へ向かったという証拠もなく、隆の行方は全くわからないままだった。

遺体発見から10日が過ぎた5月22日午前3時半。
熊本市のJR熊本駅南口にある熊本南駅前派出所を所在投げに覗き込む男の姿があった。
その時間勤務していた高木一治巡査部長は、その男に声をかけた。近寄ってみると、男はずぶ濡れだった。名前を聞くと男は「阿部隆」と名乗った。高木巡査部長は引っかかるものを感じ、そのまま話を聞いていると、男は「長野で妻子を殺して捨てた」と告白したという。
高木巡査部長はそのまま熊本南署へ任意同行を求め、男が阿部隆であることと、妻子の殺害と遺棄を認めたために午前7時25分、殺人と死体遺棄で逮捕となった。

ふたりのそれまで

妻と幼い我が子を殺害するという、最悪の家族の結末を迎えたこの夫婦ではあるが、実は駆け落ち同然で一緒になっていた。
ふたりは福島県郡山市の出身で、実家もさほど離れていない距離にあった。ただ、年の差が8歳あったことで、大人になるまではお互いの存在も知らない間柄だった。
アヤ子さんは福島県立安積女子高校(現在の福島県立安積黎明高等学校)の出身の才媛で、近所でもしっかり者で通っていた。
一方で隆は、郡山市富久山町の鐵工所を経営する家に生まれ、裕福ではあったもののいわゆる「落ちこぼれ」であった。それは隆自身、自分の中学の卒業アルバムに、「学習面でも生活でもあまりいい思い出はない」と書き残すほどだった。
忙しい両親からは子供にしては多めの小遣いを与えられていたというが、それでもたまに祖母の金を勝手に持ち出しては困らせていたという。
両親とて、放任していたわけではなく、高校は寮のある仙台育英高校へ進学させ、少しでも根性が直ればと思っていたようだが、上級生からのいじめにあいわずか3か月で退学した。一度18歳の時に空き巣で保護観察処分をうけ、帰郷。
その後はいったん実家の家業を手伝うなどしていたが、鉄工所をやめて下宿屋を始めたころには家を出て東京で様々な仕事を転々としたという。

アヤ子さんは高校を卒業した後就職し、20歳で結婚している。子供も三人いたがその後離婚。子供たちは夫のもとに残った。
その後は保険外交員やスナックでバイトなどをして生計を立てていたようだが、そのスナックに隆が訪れたのが出会いのきっかけとなった。
隆はスナックに通い詰め、アヤ子さんもそんな隆に惹かれていった。ただ、ふたりのことを互いの両親はよく思っていなかった。
アヤ子さんが育った家庭は、熱心な創価学会の信者一家だった。父親の影響で、アヤ子さん自身も高校生の頃から学会の活動を行っている。
それが原因かどうかはわからないものの、隆の父親もアヤ子さんの父親も、は結婚を許さなかったという。

ふたりはあきらめず、昭和56年に駆け落ち同然で結婚した。

幸せな生活からの暗転

結婚してからしばらくすると、ふたりは千葉県柏市のパチンコ店に住み込みの職を得て引っ越す。
ただ、隆はその性格からか職場でよくもめごとやトラブルを起こしていた。
最初のパチンコ店でも、二度目の船橋のパチンコ店でも同じようなもめ事を起こして辞めざるを得なくなっている。
福島を出て4~5年の間に、夫婦は二度も職場を追われた。

人と接するとトラブルになると考えたのか、隆はその後トラック運転手として働いた。
アヤ子さんも常に働いていたといい、夫婦二人の生活は月に50万円近い収入があり余裕が見られた。昭和62年に秀之ちゃんを授かった頃は夫婦仲もよく、月に3~4万ほどを近所の酒屋で支払っても経済的にも順調だった。
時代はバブル景気の初頭、大手企業でなくともそれなりの実入りがあった時代で、知り合って8年目で誕生した長男、とにかく隆とアヤ子さん夫婦は幸せの真っただ中にいた。

しかし、直後の昭和62年の暮れ。
隆は交通事故に巻き込まれ、深刻な後遺症を負う羽目になった。しかも相手が赤信号無視という、隆にとっては自分に非のない事故といえる。
入院は1年近くに及んだことからも、一つ間違えば命を落としていたかもしれない事故であったことは想像できる。
働けない間は保険金が支払われていたというが、その額は月にしておよそ23万円だった。アヤ子さんは秀之ちゃん出産から1年も経っていない時期で、思うように働くことも難しかったろう。それでも保険外交員の仕事をして家計を支えていた。
それまでの余裕ある暮らしぶりは一転、家計を担うアヤ子さんには赤ん坊の世話に加え夫の入院生活までのしかかった。
後遺症のある体では、隆は今後も思うように働けない可能性もあった。

しかしこれだけならば、夫婦力を合わせて乗り切ることもできたかもしれなかった。それが出来なかった原因は、やはり隆にあったのだ。
隆は本来生活費に充当すべき保険金を、自身の遊興費に充てた。後遺症は左半身を思うように動かせないという、確かに重症なもので、それまでのようなトラック運転手としての仕事は出来なくなっていた。
その焦りや苛立ちが、元来の隆の性根に拍車をかけたのだ。

今の時代ならば、月に23万円の保険金が下り、かつ妻がパート程度でも仕事をしてくれれば、十分に暮らしていける。しかし、時代はバブル景気。そんな額ではその時代の「中流家庭」も維持できなかったのかもしれない。
近所の人によれば、隆らが暮らしたアパートの玄関先には多数のラジコンなどのおもちゃがあったという。生まれたばかりの赤ん坊にも、そういった高価なおもちゃを買い与える、それが普通の時代だった。

思うように動かないか体と、それまでのような余裕のなくなった生活。
しかも自分に非があったわけでもない事故が要因では、隆の心が荒んでいくのもわからなくはない。
しかし、そんな理不尽なことは世の中山のようにあるわけで、そのたびに荒んでいかれたら世の中危ない人ばかりになってしまう。
隆の元来の堪え性のない性格がこの人生の堪え時にうまく機能するはずもなかった。

亀裂

保険金に頼り切っていた生活は、日に日に厳しくなった。隆の実家からも仕送りはあったようだが、それらも隆がギャンブルに費やすためなんの家計の足しにもならなかった。
今年に入ってからは1月と5月に40万、加害者からの15万円が一度支払われただけだった。
それでもアヤ子さんは隆を叱りつつも、懸命に家庭を立て直そうとしていたようだ。

麻雀に明け暮れ家を空ける夫に対し、派手なケンカはしても必ずアヤ子さんは許した。金を使い込まれても、それでもアヤ子さんは年下の隆を見捨てず、ケンカをしてでも夫婦の会話を持っていた。
その証拠に、アヤ子さんは殺害される直前に、ゴールデンウィークの家族の予定を近所の人らに話しているし、夫のために衣類をクリーニングに出し、事件直前までアヤ子さんは隆との夫婦生活の決定的な亀裂が出来ているとは思っていなかったはずだ。

しかし4月30日、その日隆は3日ぶりに家に帰ってきた。
いつもならアヤ子さんに激しく怒られるはずが、その日アヤ子さんは隆に何も言わなかったという。
いつもと違う妻の沈黙に、隆は恐れをなした。しかしそれは、自身を悔い改めるのではなく、「捨てられてしまう」という自己中心的な考えでしかなかった。

そこから隆の脳内は常人の想像をはるかに超えるものとなる。
隆の自供から、殺害に及んだのは5月1日の深夜と見られた。アヤ子さんのいつもと違う厳しい態度に接してからわずかな時間で、妻子の抹殺にまで暴走してしまった。
自身の性格や堕落した生活を棚に上げ、隆は「見捨てられる、毎日責められ生きる望みを失った」などという自分のことしか考えていない発言をしている。
自分がこうなったのは自分のせいではないのに、妻は理解しない、そればかりか、自分を捨てる気だ、どうやったらこういう考えになるのかさっぱりわからない。

隆が出した答えは、捨てられるくらいなら、清算しよう、というものだった。

5月1日午後十一時。
寝ていたアヤ子さんの頭を金づちで2回殴った後、さらに首を絞めて殺害。秀之ちゃんの口と鼻にガムテープを張って窒息死させた。
その後、風呂場でアヤ子さんを解体した。

清算という名の嘘


隆は自宅でアヤ子さんと秀之ちゃんを殺害した後、冒頭の通りレンタカーを借りて遺体を長野県青木峠の斜面に遺棄した。
そして、事件から22日後、熊本の派出所に出頭、というか怪しまれて職質を受け、逮捕される。
隆は「駆け落ち同然で夫婦になったのだから、きれいに清算しようと思った」などと話しているが、ならばなぜすぐに自分も命を絶とうとしなかったのか。
わざわざレンタカーを手配して、アヤ子さんを切り刻み、トランクに押し込んで縁もゆかりもない青木峠に捨てる必要があったのか。
このサイトでもいくつか狂気の父、夫による一家殲滅事件を取り上げてはいるが、中津川の原平のようにその場で自害しようとしているか、豊田市の事件のように殺害後は遺体を丁寧に扱おうとする面が見られるなど、なにかしらその「いいわけ」にも格好がついている。

しかし隆の場合はどうか。自身は死ぬ気配も見せず、殺害した翌日の昼には電動のこぎりまで購入して昼間っぱらから風呂場で解体作業に精を出し、妻と子を下手したら見つけてもらえないような場所に供養のくの字も見えないようなやり方で遺棄し、最後は疲れ果てて出頭。
出頭というと聞こえはいいが、単に逃げるのに疲れただけである。逮捕時、所持金は77円で、もはや逃げることすらできなかった。

隆を知る実家の近隣住民は言う。
「隆はツッパリという感じだけど本当は気の弱い子。自分を大きく、よく見せようとばかりしていた」
隆はある意味ロマンチストである。全く現実を見ようとせず、自分自身とも向き合わず、自分の理想の自分を妄想し、なにもかも自分に都合の良い解釈で生きてきたのだ。
殺害現場に残されたカレンダーには、なぜか犯行日時をメモにして書き残してあった。捜査関係者も意味不明としているようだが、隆によれば二人の後を追うつもりだったと言いながら、「一生忘れないよう」書き記したらしい。死ぬんじゃねーのかよっ!
さらに、死に場所を求めて阿蘇山火口(飛び込むつもりだったらしい)を目指すも人大杉で断念したというが、アパートで妻子を殺害した後一旦は飛び降り自殺をしようとしたけど出来なかった男がどうやったら火山火口へ飛び込めるのかはなはだ疑問である。
そしてそのあと、「どうせ死ぬなら思い切り遊んでから」と考えて残った金をゲーセンで消費。出頭した際には、所持していた38枚の妻子の写真を見せたという。自分で殺しといて感傷に浸ってんじゃねーよなんだよそれ。
なんにでも理由があるのだ、自分にとってはこうだった、という。

交通事故が人生を破滅させたと嘆く隆には、自身の性格の問題やギャンブルなどの問題は全く頭にないのだ。
駆け落ちして夫婦になったのだから、というのはアヤ子さんとて同じ事だった、だから、どうしようもないゴミになり下がった隆のこともずっと受け入れ、ケンカしてきたのだ。
あの日、口をきいてくれなかったというアヤ子さんだが、よくぞここまで耐えたと思う。それでも、口を利かなかったのは見捨てようとしていたとは限らない。
悲しかった、隆を愛しているからこそ、アヤ子さんは悲しかったのだとどうして思えなかったのだろうか。
隆はそんなアヤ子さんの心には一切思いを寄せず、ただひたすら「自分の感情」のみを優先させ続けた。

平成3年3月6日、長野地方裁判所松本支部の羽渕清裁判長は、交通事故の後遺症治療に用いていた薬の副作用で心神耗弱状態だったとする弁護側の主張を退け、懲役18年を言い渡した。軽いなおい。

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