母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件②~

6歳児の命乞い

9月26日、午前零時。
この日、慶樹くんは夕食を食べることが出来ていた。しかし、それが鷹尾は気に入らなかった。
「腹が膨れとるじゃないか!」
そういって約30分にわたって殴る蹴るの暴行を加えた。慶樹くんは何度も何度も、「ごめんなさい」と口にしていた。
大の字に倒れこんだ慶樹くんに、なおも「はよ立て!」と命令し、慶樹くんが何とか手で体を支えながら立ち上がると、鷹尾は大型のスポーツバッグ(底の幅33センチ、高さ33センチ、横幅73センチ)と、黒色のゴミ袋を持ってきた。
そしてゴミ袋をスポーツバッグの中に広げて入れた上で、「汚いけぇ、よういらわん(触れない)」と言って、慶樹くんに自らその中に入るよう命じた。
よろよろしながらも、言われるがままに慶樹くんがゴミ袋の中で正座すると、鷹尾はファスナーを閉じ、自分らが寝る布団の脇に置いた。
その後、横になっていると、バッグの中から何の音もしないことから、ファスナーを開けて「死んだふりか!」といったところ、慶樹くんが指を出してきたことに気付いた。

「こいつ、穴開けて息しよる、袋二重にしちゃろう」

そういって、鷹尾は新たにゴミ袋を持ってくると、慶樹くんが入れられたごみ袋を持ち上げてその中に入れた。
そして口を2回グー結びにして密閉状態にし、スポーツバッグに再び戻しファスナーを閉めた。
部屋の電気を消し、慶樹くんにさらなる恐怖を与えるため部屋に誰もいないように装って鷹尾は横になったが、先ほどは静かにしていた慶樹くんが、今度はバッグの中から「開けて」「ごめんなさい」と繰り返し訴えてきた。
それは、5分間に30回以上に及んだと言い、さらに慶樹くんはバッグの中でもがいている風だったが、突如、「ガァッ」といういびきに似た大きな音が10秒の間に2~3回ほど聞こえた後、物音はしなくなった。

鷹尾は慶樹くんが死んだのだろうかと思い、慌ててスポーツバッグを開けたが、慶樹くんはすでに呼吸が停止していた。

筆舌に尽くしがたい虐待、リンチの日々は終わった。と同時に、6歳の小さな命はここで奪われた。しかし、慶樹くんんには死してなお、苦難の道が待ち受けていた。
抜け殻となった慶樹くんのからだは、ここから1年もの間、打ち捨てられた寂しい山の中で朽ちていくのだ。

「母親」、光子

慶樹くんに加えられた壮絶なリンチは、光子たちが暮らすマンション内で行われた。
最初の病院沙汰になったときは光子は不在だったが、以降は光子が居合わせていることがあった。
最初は病院に連れても行き、鷹尾に対して暴力行為をやめるよう迫ったりもしていた、にもかかわらず、鷹尾の暴力は収まるどころかヒートアップするばかりで、光子もそのリンチを傍観している節があった。
先述の、首輪をされて繋がれた慶樹くんの姿を鷹尾が撮ったビデオを、光子は後に一緒に「鑑賞」していた。

さらに、大量の火のついた花火を頭上から降らされたときは、光子も一緒にそれをやっていたし、水責め行為にも加担していた。

もちろん、光子が発案し、光子が進んで加担したのかというとそうではない。
最近はやりの、DV男からの洗脳状態に陥っていた、という考えも出来るし、当然弁護側は裁判でそれを主張した。
花火を使った暴行の際も、最初にそれを見たときは驚いて止めたという。しかし、その後は慶樹くんへのリンチが始まると、祥子ちゃんを別の部屋へ連れて行くなどして見せないようにし、鷹尾主導であったとはいえリンチに参加していた。

火傷の手当てもしていたというが、もはやオロナイン軟膏では太刀打ちできないほどの火傷を負っていたわけで、それでも虐待発覚を恐れて病院へ連れて行かなかった。
さらに、定期的に訪問していたという慶樹くんの実父や光子の実父のことも警戒し、電話や面会を拒むようになっていた。
当然幼稚園へ行かせなくなった理由も、このリンチが原因である。

9月26日の夜も、光子はずっと部屋にいた。
鷹尾が慶樹くんに殴る蹴るの暴行を加えている間も、光子は制止することはなかった。ゴミ袋に幼い我が息子が自ら入って正座し、そのまま体を丸めるようにした際も、母はすぐそばにいた。
そして、鷹尾とともに、部屋を暗くして物音をたてないようにし、慶樹くんに「置き去りにされている」と思いこませ、さらなる苦痛と恐怖を与えたのだ。

「助けて、ごめんなさい、あけて…あけて」

何度も何度も何度も何度も、助けを求めた我が子の声を黙殺した。
これが最期の言葉だったというのに。

声をあげなくなったことに「驚いた」鷹尾と光子は、スポーツバッグを開けると人工呼吸や心臓マッサージを交代で繰り返し、それは2時間に及んだ。
しかし慶樹くんは息を吹き返さず、ようやくこの地獄から逃れることが出来た。
慶樹くんが死んだことを認識した鷹尾と光子は、それでもなお確認するために顔にティッシュをかぶせたり、上半身を起こして手を放し、そのまま倒れこむかなど試していた。
その後鷹尾は、光子に対し
「お前には悪いけど、慶樹が死んでもまだ腹が立つ」
などと言い放ち、遺体となった慶樹くんの顔や足を叩き、「死にやがってくそやろう」などと暴言を吐いた。

そこで光子が言ったのが、「私、自首するわ」だった。この発言の意図について私なりに思うことはあるが、言葉にするのが難しいのでここでは控える。
(簡単に言うと、変わり身はえーな、と言うようなことである。このあたりに、光子の計算高さが見えると私は思っている)
しかし鷹尾は当然それを制した。
「何いよるんなら(何言っちゃってんの)、そがなぁことしたら(そんなことしたら)わしのシャブもバレておおごとになる。わしは一生出てこれんようになる。そうなったらわしはお前を一生許さん」
そう言った後で、鷹尾は新しいゴミ袋をもってくると、手足を縛った慶樹くんの遺体をバッグに詰めると、「わしが分からんように山に捨ててくる」と言い、光子はそれを了承したのだ。

しかし捨てに行くのは今すぐじゃなかったらしく、夜が明けるとまずはいつも通りパチンコへ行き、閉店まで遊び倒した後深夜に帰宅して慶樹くんを山の中へ抛り捨てたのだ。

この日、光子はおそらくずっと家にいたと思われる。
冷たくなった慶樹くんをバッグから出すこともなく、鷹尾に命じられた通り、鷹尾が帰宅するとバッグを持って鷹尾に手渡した。

祥子ちゃん

光子はそれでも一度は鷹尾から逃げている。
慶樹くんが死亡した2日後、鷹尾に黙って祥子ちゃんを連れてマンションを出たのだ。
新しい住まいがあったわけではなく、ふたりはウイークリーマンションへと逃れた。当然その間、鷹尾から鬼電が入っていたわけだが、光子はそれを無視した。
この間、光子は何を考えていたのだろう。
しかし自首することもなく、わずか1~2日で光子は鷹尾を受け入れてしまう。
鷹尾もマンションを出、光子らと合流した後はウイークリーマンションや旅館を転々としたという。

鷹尾は祥子ちゃんにはそれまで暴力を振るうことはなかった。
しかし、10月10日、祥子ちゃんがぐずってものを口にくわえた際、鷹尾は初めて祥子ちゃんを殴った。
勝手な想像だが、鷹尾なりに祥子ちゃんには手を出すまいと思っていた、のかもしれない。しかしそれは、一度手を出したら歯止めがきかなくなる類のものであるため、この日の暴行をきっかけに祥子ちゃんは兄と同じ運命を辿る羽目になる。

翌11日には、パチンコ店に行った際、車に残した祥子ちゃんが勝手に車外に出たことに激高、顔面や頭を殴るなどの暴行を加え、その後出向いたスポーツ用品店に行くまでの道中でも、鷹尾は運転しながら祥子ちゃんを殴っていた。

その頃3人はマンションに戻れなかったため、ホテルなどを転々としていたわけだが、その日は前日から広島市中区内の旅館に滞在していた。
夜、宿泊先へ戻った際、祥子ちゃんが「(鷹尾は)叩くけぇ、嫌い」と言ってしまう。祥子ちゃんは暴力を振るわれてまだ日が浅かったことから、恐怖で委縮するというより、ひたすら嫌い!という感情が強かったのだろう。
そんな事を言えばどうなるかなど、4歳の子どもにわかるはずもなかった。

祥子ちゃんの言葉にブチ切れた鷹尾は、左手で祥子ちゃんの髪の毛を鷲掴みにすると、右手で顔面を何度も何度も殴りつけた。
頭にげんこつではない、顔面に拳を打ち込むというのがどういうことか。しかも4歳の女の子に、である。
ここでも光子は動かなかった。ようやく光子が「もうやめて」と言ったのは、腹部を殴打され、それまで泣いていた祥子ちゃんが、呻き声を上げ始めた時だった。
それでも鷹尾は腹部を殴り続け、再度光子が「もうやめて、祥子が死んでしまう!」といったところでようやく殴るのをやめた。

ふたりは祥子ちゃんを病院に運ぶことはもちろんせず、そのまま寝た、真剣に寝ていた。

そして、翌朝祥子ちゃんが死亡していることに気付いたのだった。
祥子ちゃんも、慶樹くん同様このあと山に捨てられた。慶樹くん遺棄の時は、鷹尾の単独行動であったが、祥子ちゃん遺棄の際は光子が同行した。
向かった先は呉市にある休山である。
光子と鷹尾は、道中どのような会話をしたのだろう。慶樹くんを殺害して2週間で祥子ちゃんをも殺害、短期間のうちに我が子を二人とも失った母の気持ちはどのようなものであったろう。
しかし光子は、道中、ビニール袋を取り換えることになった際も、周囲の見張りをし、鷹尾の手元を懐中電灯で照らすなどの手伝いをした。
そして、登山道から車で分け入った場所から、祥子ちゃんを投げ棄てたのだ。

祥子ちゃんは、慶樹くん同様1年もの間野ざらしとなり、その死因ははっきりしない。しかしながら、激しい腹部への暴力があったことから、おそらく死因は内臓出血によるものだと推測されている。慶樹くんは、死の直前に発した「ガァッ」といういびきのような音が、衰弱して死に至る直前、舌が喉の奥に落ち込んだ際にそのようないびき音が認められること、そして、喉に落ち込んだ舌によって窒息したと考えられている。

光子はその後、ようやく鷹尾との同居を解消した。

DVと、未必の殺意

検察は、鷹尾を殺人、傷害致死、死体遺棄などの罪で起訴、光子に対しても殺人と傷害致死ほう助の罪で起訴した。
これは、二人が慶樹くんに対して「未必の殺意」を持っていたという主張である。

一方弁護側は、鷹尾が「暴行は自分一人がやった」と証言していることから共謀の事実もなく、また、慶樹くんが死亡するなどとも思っていなかったとし、光子自身も鷹尾から暴力を受けていたことで、DV(ドメスティックバイオレンス)の影響で抵抗や逃亡などが困難な状況下にあり、光子には責任能力がないと主張。
弁護側が要請した鑑定人による結果も、犯行当時、光子は鷹尾の言動に抗うことが困難な状態であったとされた。

しかし、DV被害者の心理状態として、
①自分が行動しても何も変わらないという諦めの気持ち
②行動することで事態を悪化させるという恐れの気持ち
③思考が停止し、刺激に対して身動きが取れなくなる(フリーズ)状態
などがあるにもかかわらず、光子の場合はいささかその範疇に収まらない行動が見られた。

たとえば、鷹尾から暴力行為はあったものの、そのことをきっかけに光子の方から手切れ金まで用意して別れを告げ、よりが戻って以降暴力を受けたことはなかった。
また、慶樹くんがたんこぶを作った際も、病院へ連れて行き、鷹尾もまたそれを了承していた。ほかにも、慶樹君殺害の翌日には、鷹尾に黙って祥子ちゃんを連れ、家を出て短期間ではあったが、連絡を無視するといった行動もあった。

ここまで書いていて、目黒の船戸結愛ちゃんの事件を思い浮かべた。全くではないが、事件が起こるまでの行動はほとんど同じである。
現時点(2019年9月11日)ではまだ解明されていないことも多い目黒の事件だが、結愛ちゃんの母親である優里被告も、一応離婚を口にしたり、病院へ一度は連れて行ったり、食事制限を課せられながらもこっそり食事を与えるなど、行動の面では共通事項がある。
しかし心理面ではどうだろう。優里被告が本心を語っているかどうかは別として、夫である雄大被告に支配され、洗脳され、心理的に離れられない状況下に置かれてしまっていたとはいっても、そこに「一緒にいたい」という言葉は出ていない。
光子の場合は、捜査段階で「鷹尾との生活を続けたいという気持ちから、離れもせず、子どもへの暴力も止めなかった」と供述していた。
裁判所も、量刑の理由として光子が鷹尾から離れられなかったのではなく、自分が一緒にいたいと思っていた、子どもの保護より自己の利益を優先させたと認定している。
一方で、精神障害とは言えないまでも、鷹尾の意向に抗うことが相当困難であったとも認め、光子について広島地裁は、傷害致死のほう助、死体遺棄についての共同正犯を認定し、求刑懲役15年に対し、懲役8年を言い渡した。
鷹尾についても、弱者を標的にした下劣極まる犯行であり、酌量の余地はないとしながらも、殺意があったとは言えないとし、傷害致死、死体遺棄で懲役15年を言い渡した。

「母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件②~」への2件のフィードバック

  1. 吐き気がする程残虐でその刑の軽さに驚きを隠せません。

    虐待死の事件が連日続く今でも今日もまたどこかで子供が虐待されているのでしょう。
    母は子を守るという常識とも思える感情を持ち合わせていない母もいる事を痛感します。

    1. 3児の母 さま
      コメントありがとうございます。
      この記事は書くのも辛かったです。しかし、慶樹くん、祥子ちゃんが受けた暴行、拷問がいかに酷かったかを知ることも大切だと考えてあえて掲載しました。
      おそらくもっと酷かったと思います。
      親子間のことはなかなか殺意の認定がしにくいことが多いですが、この事件は双方に殺意の認定がなされました。
      それにしても軽い刑ですが、出所してからの日々こそが、この母にとっての本当の刑の始まりだと思います。

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