母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件③~

量刑不当

判決が言い渡されたその日、傍聴席には何とも言えない空気が覆いかぶさっていた。
広島地裁の田辺直樹裁判長が、慶樹くんと祥子ちゃんの味わったこの世の地獄、そして離れ離れの山中で白骨化したことへの思いを述べる一方で、殺意を認定せず傷害致死として求刑をはるかに下回る判決を出したことへの違和感も漂っていた。

主犯であり、直接的な虐待を行っていた鷹尾より、光子の方が注目を集めたのはやはり実母であったからだろう。
傍聴した人々からは、親が子を見殺しにすることへの怒りと、法廷で明らかにされた光子の心理状態を受け、「逆らえなかったのもわかる」という声もあった。
殺人罪が適用されなかったことで刑は大幅に減刑となってしまったことも、一般の感情では理解しづらい面があった。

鷹尾はこの判決の後、広島の民間団体からの要請で手記を寄せた。
子どもたちへの虐待を行っていた当時の心理状態や、自分の生育歴、親との関係などについてまとめられたもので、1万文字近いものだった。

鷹尾は幼いころ、父親に暴力を振るわれていた。だからこそ、「自分が大人になったら絶対に子供を叩いたりしない」と思っていたはずなのに、気づいてみれば叩くどころか殺してしまうほどの暴力性を自分の中に改めて見出し、「今は胸をかきむしる思い」と綴った。
虐待した理由の中で、自身と妻、妻の両親との関係がこじれていたことや、仕事がうまくいかなかったことなどについて、誰にも相談しなかったことも「個人的な事情で知人との接触を避けていたので、相談できず過ちを犯した」とし、「自分を見失い始めたら、世間体など気にせず誰かに相談してほしい」と話した。

たしかに、再発防止には加害者の心理を知ることも大切である。しかし、「お前が言うな」的な感情がどうしても働いてしまうのも仕方ないことだ。
鷹尾の場合、「誤って死なせてしまった」レベルの虐待ではなかった。ケンカがエスカレートして死なせたわけでもない。絶対的に強者の立場で、一切の抵抗が出来ない弱者、しかも子供を、精神的、肉体的に徹底的に虐め抜いたのだ。
「まさか死ぬとは思わなかった」という主張は広島地裁で認められたが、それは「バカ」だからに他ならない。バカは罪だ。しかし、バカだったがゆえに、無期懲役は懲役15年に半減した。

当然、検察は量刑不当で控訴、どうも弁護側も心神耗弱が認められなかったとして控訴していた。
焦点はまさに、殺意の認定が可能かどうかだった。
甲南大法科大学院の渡辺修教授(当時)は、
「虐待行為の全体を見て殺意の有無を判断するべきで、今回のように最期の瞬間だけに焦点をあてて判断するのでは、犯罪の悪質さを正当に評価できない。
虐待やストーカーなどの現代型の犯罪は、行為と意思が長期間続くのが特徴。この事件は2か月にわたり拷問を続けた悪質な殺人で、全体を評価すれば十分に殺意を認定できる。」
と話した。

地裁では、慶樹くんが死亡したかもしれないと思ってからの行動などで、殺意が否定された。
ふたりは2時間に及ぶ蘇生を試みていた。それが、殺意があったならばそのような事はしない、と判断されたのだ。

平成17年3月17日、鷹尾の控訴審判決。
広島高等裁判所は原判決を破棄、地裁に差し戻した。
平成17年4月19日、光子の控訴審判決。
広島高等裁判所は原判決を破棄、懲役12年を言い渡した。

殺意の認定と愛欲生活

鷹尾は地裁に差し戻されたが、光子は破棄自判であった。
一審の広島地裁では、
①虐待行為の延長でのスポーツバッグ密封行為は、殺すことではなく死の恐怖を感じさせるための行為だった
②鷹尾と光子は終始そばにおり、異変があればすぐに助け出せる状態だった
③医学的素人のふたりに、慶樹くんがいびきに似た音を発したことが死の兆候である認識がなかったとしても不思議ではない
④いびき音が途絶えたことですぐさま救命措置を行っている点は、殺意があったとは言い切れない
この4点で、殺意は否定された。

しかし広島高裁では、
①について、誰がどう見ても極端に衰弱し、それ以前にゴミ袋に入れて口を縛り、さらにスポーツバッグに入れてファスナーを閉めるという行為自体が危険な行為であるとし、②についてはすぐに助け出すためにそばに置いたのではなく、慶樹くんが恐怖におののく様子をつぶさに観察するため、楽しむためにそばに置いたと断じた。
③についても、①同様、常識的な一般人であれば①の行為がだれしも危険を伴う行為であることは容易なことであり、未必の殺意の否定に殊更重宝すべきではない、そして④について、長時間にわたる救命行為は事実としながら、119番通報していないこと、病院へ運ぶこともしていないことで、真摯な行動とは言えないとした。

広島高裁は、ふたりの慶樹くんへの未必の殺意を認定し、さらに光子が支配されていたのは「自身が望んだ愛欲」であると断じた。
そう判断されたのは、検察官に対する光子の供述だった。

光子は、はっきりと鷹尾のことを愛していたと話していたようだ。一緒にいたかったから、虐待を容認し、さらには慶樹くんへの虐待を容認した時点で、慶樹くんを「諦めた」。
鷹尾の暴力が激しさを増していく中で、慶樹くんが死ぬかもしれない、とも感じていた光子は、平成11年9月中旬、浴槽に沈められた慶樹くんが意識を失ったとき、死ぬかもしれないではなく、死ぬに違いないと思うようになっていた。
そして、日に日に見るに堪えない姿になっていく慶樹くんのことを、どうせ死ぬならば、早く死んだ方が慶樹くんも楽になれるとも考えていたという。
慶樹くんが死んだあの夜、スポーツバッグの中で暴れる慶樹くんに対し、「このままにしておけば窒息して死ぬとわかっていた。それでも、助け出さなかったのは鷹尾に止められたからではなく、光子の中に「早く死んだ方が良い」という意識があったからだ。

もちろん、それもDV被害者の心理だといわれたらもう返す言葉はないが、光子はさらに、鷹尾と離れられなかった理由の一つに、鷹尾とのSEXも挙げていた。

鷹尾が逮捕されたのは、光子への恐喝だったが、そこに覚せい剤取締法違反も加わっていた。
光子自身は覚せい剤を使用していた証拠もなくその罪に問われてはいないものの、覚せい剤をキメまくったSEXは経験者によれば忘れ難いものだという。風俗嬢であったとはいえ、光子にとって鷹尾とのその相性は離れ得ぬ十分な理由だった。
地裁では一切触れられていなかったが、広島高裁では判決文にも何度も「濃厚で様々な性行為」「愛欲生活」という言葉が何回も出てくる。私は以前にも別の事件で書いたが、女がダメ男から離れられない理由は、金かSEXかクスリだというのはあながち嘘ではないと思っている。

広島高裁は、量刑の理由として、
「被告人は、共犯者(鷹尾)の機嫌を損ねると別れなければならないと考え、共犯者との愛欲生活を継続したいがため、母親としての責任を果たさず、自己の利益を優先して本件各犯行に関与したのであり、その経緯や動機に酌むべき事情はない」
とした。

鷹尾、光子ともに上告したがその後棄却。
光子は懲役12年、鷹尾は求刑通りの無期懲役が確定した。

見失ってはならないこと

この事件は今から20年近く前の事件であり、DVという概念がほとんど理解されていなかったように思う。
それでも裁判の中でその点についても議論され、その上で判決が出た。
最近でも虐待死亡事件が起こると、母親がDVの被害者であるケースが見受けられる。
当然のことながら、DVは人格否定、劣等感を植え付けることで相手を支配下に置き、意のままに操る、あるいは異議を唱えさせない、そして時に犯罪行為にまでおよぶ大変巧妙かつ悪質な行為である。
しかし、それを前面に出しすぎることにはいささか違和感を覚える。
それはあくまでDV加害者に対する糾弾に持ち出すべきで、その犠牲になってしまったものに対して出していいものとはどうしても思えないのだ。
あなた(被害者)も辛かったろうけど、この人も辛かったのよ、などと言っていいことではないと思うのだ。
それが許されるのは、おそらく犠牲者が実の子供だからだろう。
虐待を受けて育った人に言えるんだろうか、「親もつらかったんだよ」と。そして、「殺されずに済んだのは運がよかったのよ」と。

祥子ちゃんは兄が暴行を受けているときは別室に連れていかれていた。しかし、4歳であってもおそらく何が起きているのかわかっていたし、変わりゆく兄の姿に子供ながらに恐怖を感じていただろう。
そして、その矛先が自分に向いたと気付いたときは、もう遅かった。
車内で鷹尾に殴られた際、祥子ちゃんは母の腕に抱かれた状態だった。しかし、その母の腕が祥子ちゃんを庇うことはなかった。

その後立ち寄ったスポーツ用品店において、通行人が顔を腫らして泣いている祥子ちゃんを見とがめ、一体なにごとかと光子に訊ねている。
その際にも、光子は「なんでもないですから。」と言って救いの手を振り払った。
その日の夜、祥子ちゃんは内臓から出血するほど殴られ、恐怖と痛みと悲しみの中で死んでいったのだ。

慶樹くんは、たしかに光子が救えない以上、光子が言うように「早く死んだ方が楽になれ」たのかもしれない。
しかし慶樹くんは最期の夜、ゴミ袋に入れられスポーツバッグに入れられ、真っ暗闇の恐怖の中、助けてほしいと懇願したのだ。
衰弱し、立つことも歩くこともおぼつかなかった6歳の慶樹くんは、身動きも取れない状態で最初はか細い声で助けを求めていた。
しかし、最期の3回は、絶叫ともいえるほどの大声で「助けて!」と力の限り声を振り絞った。
慶樹くんは死ぬより辛い拷問を受け続けながら、それでも生きたい、助けて、と叫んだのだ。
それは、どんなに辛くても生きていればいつか助けてもらえると信じていたからではないのか。

それを、母は黙殺した。

それを見失ってはならない。そこにどんな事情があったとしても。

「母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件③~」への8件のフィードバック

  1. こんなひどい事件があったんですね。
    知らなかった。
    光子はどうしようもないバカ女で勝手にすればいいけど、子供達が可哀想すぎる。
    慶樹くんの虐待のされかたなんて、人間の尊厳を踏みにじるというか。
    汚れた下着を頭にかぶせて笑うとか、何がおかしいんだ。
    あと、性的な虐待をしてるし、ショタコンかよ、気持ち悪い。
    首輪を付けてぶら下げるとか水に沈めるとか。
    こんな奴死刑にならないのが信じられないですね。
    税金で食わせて雨風しのげて。
    ホームレスにでもなればいいのに。
    そして、ホームレス狩りに遭って死ねばいい。

    1. ちい さま
      いつもありがとうございます。
      最悪な虐待事件なのですが、古い事件のせいかあまり話題になりません。
      虐待の場合、「死ぬとは思わなかった」的なことで傷害致死になるケースがほとんどの中、これは殺人罪が適用されたレアケースです。
      尼崎の虐待も酷いですが、あれも傷害致死止まりでした。
      2人とも、素敵な名前をつけてもらっていて、本当は愛され、大切にされてきたと思うんですね。
      それが、保護すべき立場の人間の弱さ、バカさ、そして出会った人間が更に上を行くバカだったことが、本当にこの兄妹には不幸だったと思います。
      刑務所の中でいじめられたらいいのにとか、私も思ってしまいます。
      おそらく光子はもう出てきてると思うんですが、どうやって生きていんでしょうね・・・

  2. はじめまして。いつも興味深く拝見させていただいてます。

    この事件、虐待事件をまとめたサイトで知ったのですが、詳しい内容はこちらで知りました。綾瀬の女子高生殺害事件並みにひどい暴行だったんですね。非力な幼い子に大の大人が…本当にクズ野郎ですね。もっと知られても良い事件だと思います。

    私にも幼い子が2人いるので、同じ母としてこの母親にも強い憤りを覚えます。

    目黒の結愛ちゃんの事件もハフポストの記事や、精神科医のtwitterを見て、心理的DVの詳細を知り、この事件と違ってあの母親には同情すべき部分はありました。
    追い込まれた精神状態は当事者にしかわからないものなんでしょうが、でもやっぱり子どものためにあの状況から一歩踏み出して欲しかった。
    石井光太さんのツイに判決時にふてくされてたとありましたが、実際のところ彼女はどう思ってるんでしょうね…

    って目黒の事件がメインになってしまいすみません。周りは悲しい事件は見たくも聞きたくもないという人が多く、虐待事件について語れる人がいないため、つい色々書いてしまいました汗

    どの記事も色々考えさせられることが多く、また更新楽しみにお待ちしてます。

    1. チョコ さま
      はじめまして、コメントありがとうございます!
      書くのもしんどい事件が多い虐待案件ですが、この広島の事件はさほど知られてないんですよね。
      かなり酷い事件なのですが・・・

      目黒の事件は、確かに白川先生のおっしゃる通り、DVの影響は強かったと私も思いますし、結愛ちゃんは母のことを大好きだったと思います。
      しかし、だからこそ許されない。優里被告はよく、「私が馬鹿だから」ということを言っていますが、これは話を終わらせたい人、隠したいこと、聞かれたくないことがある人が常用する手段です。
      こういってしまえば終わりですから。
      また、結愛のために、ということも強調していましたが、私もDVの経験者として思うのは、「全部じゃないでしょ」ということ。
      雄大被告の機嫌がよくて助かるのは、優里被告もです。彼女は弁護士の入れ知恵もあるとは思いますが、本心を話してないと感じています。

      石井さんの取材が楽しみです。

      またよろしくお願いします。

  3. 更新ご苦労様です。

    事件の結末を知りたいと思う反面、なかなか続きを読めるだけの覚悟が持てず、鬱々としたまま時間が経ってしまいました。

    一審の判決が鷹尾→15年 瀬川→8年ですか。

    『殺意の認定』って、一体何なんでしょうね?
    誰がどうみても悪意をもって殺したとしか思えない状況でも、本人に死なせる意思があったと認められなければ殺人罪にならないとか。
    杓子定規な法律の世界に、思わず、ア・ホ・ク・サと呟いていました。

    …最終的にそれぞれ無期懲役と懲役12年が確定。

    男に関してはこれ以上の判決が望めないとして、女の方はこれでも相当軽いな、と感じました。
    DV被害を考慮しての判決ですが、それでも軽いなと思います。
    暴力に怯えて自分の身を守るのに精一杯だった、心理的・肉体的支配下に置かれていて逆らえなかった。
    言い分は様々あると思いますが、どこかの部分で 線引き は出来ていたはずです。
    自分の身を案じる一方、子供達を生かし育てるという選択肢を切り捨てる線引きが。

    “母親”という立場を捨てて、”女”であることを選ぶ欲の深さが。

    別に子供を持ったからといって女であることを捨てろとは全く思いません。
    ただ、子供を捨ててまで女に目覚めることに殊更気持ち悪さを感じます。

    傍らに居るはずの”母親”に命乞いしながら、押し込められたスポーツバッグの中で惨めに生き絶えた息子。
    この世で一番大切な”母親”の腕の中で殴り殺され、無様に森の中に打ち捨てられた娘。
    弁護士に護られ、人権団体に護られ、法廷で自らのDV被害を訴える元”母親”。

    被害者の定義が分からなくなりました。

    1. 関東人 さま
      いつもありがとうございます。
      このコメント、一言一句同意です。直近の目黒の事件でも、母親にはこれ以上ない程の擁護論をがなり立てる人が少なくありません。
      弁護側証人の精神科医(白川美也子先生)の話は的を射ているとは言え、最後に「なりふり構わず脳に酸素を送り続けるために」蘇生を試みていたという点を強調していました。この広島の事件も同じ。
      ただ、現場を見ている救急隊員によれば、「取り乱しもせず淡々と」だったようで、この辺りにも過剰な印象操作か伺えます。
      全体を見ず、時折見せる親らしさ、人間性の欠片のみを強調するのは、ひいては彼女(こういった主張は女性が多いため)らが忌み嫌うDV男の特性である「ハネムーン期」と同じ構造。
      100のうち1つ見せる優しさの呪いにかかっていたと言うならば、母親を擁護する人も母親が見せるそれにハマっているし、虐待される子供もまた、母が見せる1つの優しさに縋っていたのです。
      それを踏みにじった。許せます?普通の感覚として。

      記事中にも書きましたが、DVにあっていたと言うことを虐待案件でのみことさら強調するのはやめてほしいです。
      私も心理的DVの被害を受けてきましたが、だからこそ分かることもある。
      洗脳されていく要素に、「相手(DV加害者)のことが好き」
      という感情があるということを。

      親に殺された子供を私は忘れたくないです。

  4. すみません。何か内容がひどくてあまり読めませんでした。

    内容がひどいというのは虐待の話です。

    正直に言います。実子でもむちゃくちゃ腹が立つ事があります。力任せにヤバい事もした事もあります。

    でも子供が泣いている姿を見たら、やっぱり抱き締めます。

    前にも少し話しましたが、子供が出来ずに里子まで考えた事があります。

    血が繋がってないとダメなのかな?いやはやそんな事はないと信じています。

    少し違う観点で物事を考えたいと思います。子供の虐待って要は「弱いものイジメ」なのかなと。

    群れをなす生き物はピラミッド型社会で、強いものが弱いものを支配する構造になっていると思っております。

    で、強いものに向かっていくものと弱いものを探し出すものがいると。

    多分、最初はみんな強いものに向かっていくけど、負けて痛い思いをして向かわなくなる。

    そうなると弱いものを探し出す。そうやって虐待やイジメが生まれる。

    このように考えております。

    鷹尾、相当弱かったのでしょうね。何せ薬にまで手を出していますもん。

    親に虐待されたとの事ですが、案外要領のいい奴だったかも知れません。スネ夫みたいな感じの奴です。この場合、親がジャイアンです。

    ひょっとして、最初に病室に連れていく時に「うるさいで!しばくで!」と啖呵を切っておけば、案外いけたかも?

    弱い人間。大自然なら淘汰されるのでしょうが、人間社会ではなかなかそうはいかないです。

    今日は仕事でうまくいかず、やけになっていましたが、鷹尾よりはマシだなと思いました。

    この記事を読んで少し元気になりました。変な感じですみません。

    1. ひめじの さま
      いつも的確、かつ共感できるコメントをありがとうございます。

      鷹尾は弱かったと思います。彼は呉でも結構名の知れた暴走族に属していたようで、かなり悪かった広島のヤンキーの中でも一応名前は通っていたという話がありますが、そうは言っても中の下、くらいではなかったかと思います。

      強いものに歯向かって返り討ちにあう中で次第に弱いものへシフトして言ったというのは真理だと思います。
      だからってなんの同情も出来ませんが、鷹尾が不幸だったのは、人生において師となるような人間(大人)に出会えなかったことかもしれません。
      それは鷹尾自身が遠ざけたとも言えますが、手本となり、導いてくれるような存在には出会えなかった。
      出会ったのは、耳を傾けたのは、自分の思い通りになる人間だけ。
      弱虫だからこそ、だったんでしょうね。おっしゃる通り、最初にガツンと噛ませばこういった手合いは大人しくなったり離れて行ったりしたかもしれないですよね。

      この事件は私も書いていて泣きました。慶樹くんの味わった地獄を思うと、もうとてもまともではいられません。
      それでも母親である光子は、DV被害者であるといわれます。だから何?としか言えません。

      たとえ助かったとして、慶樹くんと祥子ちゃんは光子を許せたでしょうか。
      血が繋がった親子(母子)だったら許されるんでしょうか。可哀想な母なのでしょうか。
      DV被害者である親をまるで1番の被害者であるかのような扱いをするのは私は絶対認めないです。

      お仕事、大丈夫でしたか。
      ちょっとくらいヤケになってもいいです、息抜きして、また明日やってみましょう!

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