青空~苫小牧・2児ネグレクト死体遺棄事件~

平成18年10月30日午後6時30分

すでに冬の寒さとなっていた北海道苫小牧市。10月第三週に入ってからは薄曇りの日が続き、最高気温は10度から13度となっていた。
この日も、日中は晴れていたものの気温は前日よりも3度低く、最低気温は4.1度と10月に入って最低気温を記録していた。

苫小牧市の中心部、旭町にある市営住宅。この一室で、母親はその日幼い兄弟を家に残したまま、帰らないと決めて玄関のドアを閉めた。

平成19年2月20日

その前日、苫小牧署に室蘭児童相談所から通報が入っていた。
「支援している母親の子どもに会えていない」
通報を受けて苫小牧署員が件の母親に連絡を取った。母親の名は山崎愛美(当時21歳)。旭町の市営住宅で4歳の長男と17か月の三男との三人暮らしだったが、室蘭児童相談所は、その三男の姿を確認できずにいた。
愛美は旭町の市営住宅を124日付で退去しており、当時は高砂町の実母が暮らす市営住宅に同居していたという。
生活には困窮していた様子で、一時は生活保護も受給していたが、それよりも子育てについて悩んでいた様子がうかがえた。

苫小牧市役所には、愛美が子供の面倒が見られないといった趣旨の相談に訪れた記録があり、29日には苫小牧市が室蘭児童相談所へ通告を行っていた。
それを受けて、室蘭児童相談所は愛美と2回にわたって面談した。その際に、三男がいないことを尋ねると、曖昧な返事しか返ってこなかったことに不信感を抱いた担当者が、苫小牧署へ通報したのだった。

署員が愛美に事情を聞くと、市営住宅退去後、有珠の沢町在住の当時交際していた男性宅で同居していたこと、荷物はその男性宅へ運んでいたことなどが判明、任意で男性宅を調べたところ、男性宅の裏庭にあった物置の中から乳児らしき遺体が発見された。
遺体は腐敗が進んでいたが、頭部にはビニールがかぶせられ、洋服は着たままだった。
愛美の自供から、この遺体が行方の分からない三男であるとみて死体遺棄の疑いで愛美を逮捕した。

遺体は死後35か月経過していると見られたが、愛美の話から食事を与えられなかったことによる衰弱で、餓死または病死したと推測された。
愛美は、「昨年10月から三男を自宅に残し、交際相手の家にいた。12月に戻ったら、三男が死んでいた」と供述。さらに、保護された長男も一緒に置き去りにしていたと話したが、保護された時点での長男の健康状態は問題がなかったことから、長男が実際はどこにいたのかも警察では調べを進めていた。

しかし、実際に長男は愛美の供述通りあの市営住宅にいた。弟と二人、帰らぬ母をその部屋で待ち続けていたのだ。

ウジ虫が這ってくる部屋

そもそも愛美が家を出てすぐの11月、市営住宅ではあるトラブルが起きていた。
愛美の自宅がある8階では、何とも言えない悪臭が漂っていたのだ。夏場であれば、ベランダに放置した生ごみなどの臭いかとも思えたが、時期は冬、暖房が必要な時期だった。
また、その臭いはゴミというより「動物が死んでいるような」臭いであり、住民らはペットが死んでいるのではないかと噂していた。
さらに、隣人らは愛美の自宅方向からウジ虫が這ってくる事態に悩まされていた。
苦情は市へともたらされ、12月末には撤去命令の張り紙も張られていた。

その時点で市は愛美に連絡を取っていた。隣人らがいくらチャイムを鳴らしても応答がなかったが、携帯電話は通じていた。
「部屋を使用していないようだが、住み続ける意思はあるのか」
そう聞かれた愛美は、退去の意向を示したという。
12月に引っ越した際、そこには引っ越しを手伝う交際男性(27歳)とその父親の姿があった。
愛美に二人の息子がいることはその男性も当然知っていた。しかしその日、愛美がつれていたのは長男だけだった。
「弟はどこにいるの?」
何気なく訊ねた男性に対し、愛美は途端に不機嫌になり「母親に預けている」とぶっきらぼうに答えた。

部屋を覗いた男性の父親は、その部屋の惨状を目の当たりにして息をのんだという。
「床にはティッシュが散乱して、排せつ物なのか吐しゃ物なのか、よくわからないような汚れが広がり、(突然死した)次男の遺影はゴミに埋もれていた」
しかも、愛美はその次男の位牌を転居先にもっていくことはなかった。次男の位牌は残した「ゴミ」とともに、市営住宅に置き去りにされたのだった。かろうじて遺骨と遺影は持ち出したようだったが、転居先の交際男性の実家でも、その遺骨が入った陶器の箱は、当初ドッグフードの横に無造作に置かれていた。しかし、事件発覚の二か月ほど前には、他の使わなくなった玩具とともに捨てられていたという。

一方で愛美は、男性やその父親に内緒で持ち込んだものがあった。
バスタオルにくるみ、段ボールに入れた三男の遺体だった。当初警察では、引っ越しを手伝った男性も事情を知っていたのではないかとみていたが、男性も父親も全く知らなかった。
そして、自宅の裏の物置に勝手にその遺体入りの段ボール箱を放置されていたのだった。

ハードモードの人生

愛美の人生は平坦なものではなかった。
10歳の頃両親が離婚、父親とは疎遠になった。母親の手で育てられたものの、なかなかうまくはいかなかったという。
両親が離婚した後、一時児童養護施設で暮らしたこともあったというが、それは実母の男性関係が関係していたという。非行に走った中学時代を終えてからは水商売のアルバイトなどで生計を立てていた。時期は定かではないが、性的暴力の被害にも遭ってもいた。
平成1312月、ある男性と出会い、同棲。平成14126日に長男を出産、同月16日に男性と籍を入れた。
ちょうど1年後の平成151219日、次男を出産するもその頃から父親である男性が職をコロコロと変えるようになったという。
愛美に対して暴力を振るうこともあり、次第に二人の仲は壊れていった。
平成16923日、次男が突然死する。授乳して転寝をして気付いたら次男が息をしていなかったという。解剖までされたが、事件性はなく新生児突然死症候群と診断された。
翌年の春、愛美は離婚したが実はその時第三子を妊娠していた。
7月に三男を出産した愛美は、しばらく実家で過ごしたものの、実母と折り合いが悪かったこともあり、事件現場となった旭町の市営住宅に子供二人を連れて移り住むことになった。

離婚してからは生活保護を受給し、なんとか子どもたちを育てようとしていた。愛美は、絵本を読み聞かせたり、長男の手を引いてベビーカーに三男を乗せて保育園へ通う姿もよく見かけられており、当初は若いなりに頑張っている母親、と周囲には映っていた。

自立するため、昼間のファミレスなどでパートをしていた愛美だったが、若く学歴もなく手に職もない母親がとりあえず稼ぐためにたどり着いたのは水商売だった。
平成18年の夏からは、スナックでホステスとして働き、当然帰宅は深夜になった。
幼い兄弟の面倒は実母に頼んでいたようだが、夜の世界は思った以上に愛美を魅了した。
子どもをほったらかしで遊び惚ける愛美に業を煮やした実母が説教をしたことで、以降愛美は実母に世話を頼まなくなる。
愛美はスナックを辞めることなく、子どもたちを自宅に残したまま仕事に出かけるようになり、帰宅は時に朝方になった。
朝になれば当然子どもたちは起きてくるわけで、睡魔に襲われながら子供たちの世話をすることに愛美はだんだんと嫌気がさしてくる。
生活保護を受けてはいたが、スナック勤めを理由にその受給を取りやめており、経済的にも愛美はいっぱいいっぱいになっていた。通わせていた公立保育園も、愛美が朝起きられないせいで送迎が出来ず、退園せざるを得なかった。ちなみに、数か月後に再度入園を申し込んでみたが、「定員オーバー」という理由で断られた。

長男には精神発達の面で遅れがあったという。赤ん坊の三男に加え、成長がゆっくりの長男のことも愛美は次第に煩わしいと思うようになっていった。

殺意

その頃愛美には50代の男性の存在があった。
一緒にバーベキューを楽しんだりするうちに、ふたりは親密な関係となる。事件直前の平成189月ごろから交際が始まったが、10月になると口論が続いたという。
107日、ふたりは別れることになったが、愛美は男性に未練があった。
辛さを紛らわすために愛美はそれまでよりもいっそう遊び歩くようになる。50代男性と交際しているときも、それにかまけて子供の世話を怠ったり、幼い兄弟が甘えたりすることを嫌い、わざと別室で過ごすなどおよそ母親とは思えぬ行動に出ていた。

食事も朝食は与えず、自分が仕事帰りにコンビニで買って帰った弁当を昼頃になってようやく食べさせるといった体で、オムツもろくに換えなかったし、入浴は自分が入るタイミングで適当に済ませていた。
子どもたちに絵本を読み聞かせていたころの愛美の姿はもうなかった。

1015日になって、別れたはずの50代男性からふと連絡がきた。
おそらくその時肉体関係を持った。復縁できるかと思った愛美だったが、男性にその意思はなかった。しかし、SEXだけの関係は続けてもいいというまぁ、よくある話になってしまい、それでも男性に未練があった愛美はその関係を受け入れてしまう。
ただ、愛美としてもそんな関係が長続きするわけもないし、何より自分が辛いと考え、それならばいっそスナックの客で自分に好意を寄せていた別の男性と交際した方がいいと思ったようで、30日、50代男性にそのことと「別れ」を告げた。

すると50代男性がその決断を「残念がる」様子を見せたことで愛美の心はかき乱されていく。
自分から別れを告げてしまったことを激しく後悔すると同時に、もう何もかもから逃げ出したいという衝動にも駆られていた。

そんな母を、長男は何かと気遣っていた。
50代男性との交際に行き詰り、ふさぎ込む愛美を見て、長男は「ママ、なしたの?」と声をかけた。弟も、ハイハイしながら母親の足元に甘えてきた。
しかし愛美は、かわいい盛りの我が子を見ても心癒されるどころか、こんな子供の世話などしたくない、ふたりとも死ねばいいと思った。
この時点でその思いは確かなものとして愛美は自覚していて、それを落ち着けるためなのか、一旦は幼馴染に電話を掛けた。
生活の窮状や男性とのことを相談すると、その幼馴染は市役所の福祉課に相談するようアドバイスしてくれた。
愛美も福祉課は生活保護受給の関係で知った人間がいることから、担当者に電話を入れ、子供を育てられない、預けたい旨を相談した。

電話はいろいろと回され、なんとか児童相談員と面談の約束を取り付けたものの、それは116日とまだ先で、さらに相談内容から交際相手の存在が知られ、内縁関係を疑われたことで児童扶養手当の見直しをほのめかされてしまう。
愛美はそんな市役所の対応を信用できないと思ってしまった。以降、愛美は連絡を絶った。

もう限界。みんなと同じように楽しい生活がしたい。子供に時間を取られたくない、これでは好きな人とも一緒にいられない。

そしてこの時、愛美の心には子どもたちに対する確定的な殺意がその鎌首をもたげていた。

 

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