青空~苫小牧・2児ネグレクト死体遺棄事件②~

残り物のチャーハン

愛美は男性に自分から別れを告げた形になってしまったこと、そんな事を言わなければもしかしたら復縁できたかもしれないという思いにさいなまれ、激しく動揺していた。

その上で、子どもたちのことなど考えていられない、いや、考えたくないしむしろ殺す以外に方法はないと真剣に思っていた。
しかし、さすがに自らの手で殺害してしまうことは躊躇われた。
首を絞める?包丁で刺す?愛美はいったんはそれも頭をよぎったが、目の前の幼い我が子を見て、とてもそんなことは出来ないと思った。

ふと窓の外を見れば辺りはもう暗く、時刻は18時を回っていた。
朝から何も食べさせていない兄弟は、おなかを減らした様子だった。

夕食の支度などまともにしたことはこの最近なかったが、そこで愛美はあることを思いついた。
冷蔵庫の中は食材らしいものはほとんど残っておらず、現に昨夜の夕食は冷蔵庫の残り物をかき集めて作ったチャーハンだった。
それ以外に食べるものといえば、カップ麺が数個、あとは生米が米びつに残っている程度。

愛美は思い立ったようにバッグに身の回りの必需品をぶち込むと、黙々と外出の準備を始めた。詰め込めるだけのものを詰め込むと、そのまま幼い兄弟を残した部屋を、振り向くことなく出て行った。

この時の心境を、裁判で愛美はこう証言する。

「(家を出る時は)逃げ出したい気持ちだった。何もかも全部から逃げ出したかった。このまま戻らなければ、餓死すると思った。」

母が夜家にいないことは、兄弟にとってもはや日常であった。
それでも翌朝になれば、母は帰ってきていた、その日までは。兄弟はおそらくその日も、目が覚める頃にはまたママが帰ってきていると思っていただろう。
しかし、目覚めた朝、母の姿はなかったし、どれだけ母を探しても、呼んでも、叫んでも、泣いても、その声が母に届くことはなかった。

1日、2日、日が経つにつれ北海道の冬の寒さは厳しさを増していく。
11月の初旬はそれでも15度前後の気温で推移していて、夜でも10度を超えていることもあった。しかし中旬には一気に冷え込み、最低気温が氷点下になる日が増えてくる。昼間でも10度以下だった。
この市営住宅は日中、自動で暖房が入る設備が整っていたようだったが、夜になればそれも切れた。冷たく暗い夜の闇の中で、1歳の弟は次第に動かなくなっていった。

「ママ、遅い」

一方愛美はというと、件の50代男性とのことを忘れたかったのか、27歳の交際男性の自宅で同棲のような生活を始めていた。
自宅を出て、数日、一週間と日が経っていった。愛美はふと子供たちのことを思うことはあったというが、酒を飲んで忘れたと後の裁判で話した。

ただ、一度だけ、愛美は市営住宅へ戻ったことがあった。
家を出て1~2週間後の11月、愛美は粉ミルクを持って市営住宅の自室のドアの前に立っていた。
しかし結果として、愛美はそのドアを開けることはせず、粉ミルクを玄関ドアの前において立ち去った。
三男の死亡時期は推定ではあるものの、おそらく遺棄されてから1週間後といわれているが、もしかしたらこの時ドアを開けていたら、命の危険はあったにせよ、三男は死亡せずに済んでいたかもしれない。

市営住宅は昼間暖房が自動で入ることは伝えたとおりだが、それが三男の遺体の腐敗を速めたようだった。
臭いは周囲に漏れ、苦情が愛美に入ったことで、12月4日、愛美は市営住宅へ戻った。

玄関を開け、強烈な腐敗臭が充満する室内へ入ったその時、「ママ!遅い!」という声とともに長男が飛びついてきた。
愛美は心臓が口から出るほど驚いたという。その時の心境は、「なんで立ってるの!?」という疑問だった。
長男は、遺棄された後冷蔵庫や戸棚などを漁っては、マヨネーズやケチャップといった調味料を口にして生き延びていた。

米びつにあったはずの米もなくなっていたことから、生米も口にしていたと見られた。さらには、ゴミ箱の生ごみまでも食べていた形跡もあったという。
しかし、1歳の弟はそれすら食べることは出来なかった。

「もしかして弟も生きてる?」そう思って慌てて室内を見渡すと、ゴミの山の隅に、変わり果てた三男の腐乱遺体が転がっていた。

縋りつく長男を押しやると、愛美は三男の遺体の前に膝をついた。
そして、その口の中で蠢いている大量の蛆虫を、手で掻き出した。そしてそのぽかんと真っ黒な空洞となった口にガムテープを貼り付けると、ビニール袋で包み、段ボール箱に押し込んだ。
愛美は交際相手の男性に電話をすると、「運び忘れた荷物があるから取りに来て」と伝え、何も知らない交際相手の車で有珠の沢町の男性宅へ戻り、こっそりと物置に遺体入り段ボールを放置したのだった。

その段ボールは、以後、警察が介入してくるまで誰にも気づかれることはなかった。

裁判

愛美は当初、三男の死体遺棄、長男と三男に対する保護責任者遺棄、そして三男への殺人の罪で起訴された。
検察は愛美の供述から、長男への殺人未遂も視野に入れていたというが、公的機関に保護された2月の時点では長男の健康状態が著しく悪いというわけではなかったことから、それは見送った。

愛美は交際男性とは1月に別れて、その後は高砂町の実母方で長男と生活していた。にもかかわらず、三男の遺体入り段ボールを持ち出すことはしていなかった。

検察は愛美を「自身の身勝手な考えで子供らを餓死させようと目論んで、第三者が介助しなければ食事もできない三男と、精神発達遅滞の長男を市営住宅に閉じ込めて他人が介入できない状態にした」と主張。
弁護側も、愛美が捜査段階から殺意を持っていきしている点を認めていることや、結果の重大性などから主に愛美の生育歴や事件当時の経済的困窮を挙げて、主に情状面での配慮を求めるといった主張だった。

検察はさらに論告求刑で、「(餓死させようと決めたのは)自分は嫌な思いをしたくないという考えで残酷」と指摘、弁護側は母親としての未熟さと経済的困窮があり、更生の余地はあるとして情状面に訴えた。

愛美は裁判長から今の気持ちを述べるよう促され、「ひどいことをした。どんな罪(罰)も受ける。今まで出会った人にごめんなさいとありがとうを言いたい」と涙声で呟いた。

平成19年12月17日。
札幌地裁室蘭支部の杉浦正樹裁判長は、「男性との交際がうまくいかない悲しみを何の罪もない我が子二人にぶつけ、養育を放棄して三男殺害に至った」と認定し、「幼い兄弟の身に生じた長期間にわたる飢餓と苦痛は想像を絶する」と述べた。
また、長男に対する保護責任者遺棄も、愛美の本心は殺害を目的としていたと認定した。
犯行の様態についても、検察が主張した「自ら手を下さず餓死させるという方法の選択」を計画的かつ狡猾であるとともに、卑劣、非常にして残酷といほかなく、極めて悪質と厳しい言葉で綴った。

三男死亡を知った後の愛美の行動についても、まったく事情を知らない交際男性宅の物置に放置するなど、母親としてというよりも人として当然持っているべき死者に対する畏敬の念すら持ち合わせておらず、もはや人間としての憐れみの情を失っているとし、これらの点から弁護人が主張する点を酌量したとしても長期間の刑を科すことはやむを得ないとした。

空腹の中、母を思い、信じ、本来愛されるためだけに存在している時期の1歳7か月の弟が何を思いながら絶命したのか、さらには死してなお、母のもとにも置いてもらえなかった幼い弟の心情に、裁判長は「まったくもって無惨」と表現した。

さらに、生きながらえた長男にも思いを寄せた。
空腹を耐え、幼い弟を気にかけながらもどうすることもできず、変わりゆく弟の様子をたったひとりで見つめていた長男。
それでも母が帰ってくることを信じ続けていたその思いは、「ママ、遅い」の一言に凝縮されている、と。

判決は、懲役20年の求刑に対し、懲役15年。判決は確定した。
実は愛美はこの時、第4子を出産した後だった。

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