嗤う男の化けの皮~藤沢市・OL放火殺人事件①~

平成15年6月2日

「被告人は、無罪。」

この日、横浜地裁で行われたとある放火殺人事件の判決公判の主文が読み上げられると、法廷内はどよめいた。
傍聴席の最前列で固唾をのんでこの時を待っていた初老の夫婦は、手をぐっと握りしめたまま目を閉じた。
「美穂ちゃん…」
心の中で愛しい娘への思いが溢れる。あの日、「これでやっと自由になれる!」と大の字になって寝ころび、微笑んだ娘。
夫婦の最愛の娘は翌日、自宅アパートで焼死体となって発見された。
しかし、その時娘は一人ではなかった。別れると決めていた交際相手の男性がその部屋にいたのだ。しかも、男性は娘が無理心中を図ったと言った。

「そんなことがあるはずがない。自殺など、ましてやあの男と無理心中を図るなど、断じてあり得ない!」

両親には確信があった。さらに、事件の3年後に両親が起こした民事裁判では、一審から一貫して男性が殺害したと認定され、すでに最高裁で確定していたのだ。
にもかかわらず、この日の刑事裁判で男性は無罪とされた。

事件概要

平成5年12月14日正午過ぎ。
神奈川県藤沢市亀井野に住む住人が、どこからか漂う焦げ臭いにおいに気付いて外に出た。
辺りを見回すと、近くのアパートから煙が上がっているのが目に入った。そして、そのアパートから上半身裸で、下半身に白いシャツのようなものを巻き付けた男性が半狂乱で飛び出して、「助けてくれ!!」と叫んでいたのを見つけた。
目撃者の住民による119番通報で、すぐに消防車が到着、火が消し止められたものの、消火活動が始まった頃にはすでにアパートのその部屋のドア上部から黒煙があがり、窓からは炎が噴き出していた。
助けを求めた半裸の男性は、応対した救急隊員や消防隊員らに対し、「中に女性がいる」「自殺しようということになって、彼女が首を切って火をつけた。」そう話しており、本人の手首にも深くはないものの、切り付けたような傷があった。
さらに、搬送される際にも、「彼女が死のうと言って、灯油をまき、自分で首を切って火をつけた」「自分も死のうと手首を切ったが死にきれなかった」「彼女が包丁を手に向かってきた」「自分はその包丁を取り上げた」などと話していた。
藤沢北署が調べたところ、火が出た部屋は死亡した女性が借りていた部屋で、室内からはその女性と思われる焼死体が発見された。
さらに、女性の遺体の右膝あたりに、包丁が落ちているのも発見された。男性の話と総合すると、女性が別れ話のもつれから心中を持ちかけ、男性も一旦は応じたものの死にきれずに救いを求めたというストーリーが浮かび上がっていた。
死亡したのは飯島美穂さん(当時25歳)。交際相手の男性(当時21歳)とは1年ほど前から美穂さんが借りていた亀井野のアパートで同居していたという。
警察は事件から2年後の平成7年3月に、男性を殺人容疑で書類送検したものの、火災が起きて証拠が損傷している上、もう片方の当事者が死亡していることから、事件の概要は交際男性が語ることが中心となった。
交際男性は一貫して、「美穂さんが一緒に死のうと持ちかけ、自分で部屋に灯油をまき、包丁で自分の首を刺した。そして火を放った」と主張、美穂さんによる無理心中を主張していた。
警察も、若い男女の事件であることや、美穂さんの住む部屋での出来事である点、男性にも自殺しようしたような傷があることなどから、当初より「美穂さん主導の心中」の線で捜査をしていたようだった。

結果、交際男性は平成10年6月に横浜地検が嫌疑不十分として不起訴処分となった。

事件はこれで終結かと思われたが、美穂さんの自殺を断固として認めないとする人々がいた。
美穂さんの家族である。

美穂さんのそれまで


被害者の飯島美穂さんは、もともと藤沢市に実家があり、両親と兄と弟の5人暮らしだった。
美穂さんの実家は、美穂さんが暮らしていたアパートから一駅離れた地区で、小学校や公園などにほど近い住宅街にあった。
事件後、飯島家は横浜市へ引っ越し、美穂さんが暮らしたアパートも現在は更地になっている。

美穂さんは地元の私立高校を卒業後、実家から通いながらOLとして働くごく普通の女性だった。旅行関連会社などに勤め、休日には友達と遊びに出かけたり、また母親に誕生日のプレゼントを贈るなど、家族の関係も非常にうまくいっていた。
バブル景気は終焉を迎えていたとはいえ、それでも多くの若い女性がそうであったように美穂さんも自分磨きを怠ることはなく、エステなどにも通っていたという。

そのエステサロンでも、人懐こい美穂さんはすぐに担当の女性従業員とも打ち解け、親しく付き合うようになったばかりか、華やかなエステサロンの魅力に惹かれ、そのエステサロンでアルバイトを始めるようになった。女性従業員とも、美穂さんが働くようになってからも引き続き良好な関係が続いていた。
家にも遊びに行くほど仲が良かったというその女性従業員には、弟がいた。
当時、経理関係の専門学校へ通っていたというその弟は、背が高くハンサムだったという。
姉を介して顔を合わせるうちに、美穂さんと友人の弟は次第に親密になっていった。

その弟は、名を佐々木慶(当時21歳)という。

ジャーナリスト浅井純氏のルポによれば、佐々木は美穂さんと付き合うようになったころはまだ学生の身分だったものの、その後身内が経営する建設会社へに就職していた。
ただ、身内をやたらと自慢するところがあったといい、「親族には著名なスポーツ評論家がおり、慶応出身者が多い」というのが宣伝文句だった。

実家暮らしだった美穂さんに、とある友人が一人暮らしをしていた部屋を引き払うという話が舞い込んだのは、佐々木と親密になって間もないころだった。しかもそのアパートは実家からも近い場所にあった。
実家暮らしだとなにかと気も使うし、独り暮らしへの憧れもあっただろう。両親とて、時代錯誤の人間ではなかったし、社会人としてきちんとしている娘が自立しようとしているのを止める理由もなかった。
もちろん、そこに男性の影があるかもしれない、くらいはわかっていたが、成人した娘にとやかく言うようなことはしようとも思わなかったのだろう。

美穂さんも、そんな理解のある両親に育てられ、誰からも好かれる女性に成長していた。美穂さん自身も、25歳になったら独立したいという希望を以前から持っており、エステサロンでのアルバイトを辞めた後も、1ヶ月ほどスナックでアルバイトをするなどして資金を貯めていた。
平成4年10月からは、希望していた宝石販売会社に入社。横浜の店舗で勤務するようになった。

そして平成4年12月7日、美穂さんは亀井野のアパートに引っ越した。さほど間を置かず、佐々木も美穂さんのアパートに来るようになり、ふたりは同棲生活を始める。

「そのときは結婚するとは思っていませんでしたが、お互い好きだったようですし、男女の仲はどうなるかわからないものですから…」

そう話すのは美穂さんの父である。実は、美穂さんが一人暮らしをするにあたって、「一人で暮らす」ということが一応の条件ではあったという。ただ、お互いが好きならば、ということもあり、佐々木の存在や同棲の事実が分かっても、両親らは強く反対したり連れ戻したりなどということはしなかった。
その1年後、両親はそれを死ぬほど後悔することになってしまうとは、この時夢にも思っていなかった。

 

「嗤う男の化けの皮~藤沢市・OL放火殺人事件①~」への4件のフィードバック

  1. 今回も楽しませていただきました。
    変わらず記事を心待ちにしている日々です。

    「人を縛りつけて人生を奪う」人間が絶えない世の中だなぁと日々思います。形は違えど、先日書かれた愛媛の事件の母親しかり、古くは北九州の監禁事件しかり。
    容易くマインドコントロールという便利な言葉で括られがちですが、陥入る側の落ち度も考慮されなくてはいけない風潮も受け止めざるをえないのかなと感じますね。。

    何年か前に漂泊旦那のサイトを徘徊していた際、2006年に死刑判決となった小山市で連続殺人を起こした被告の一審判決文をよんだのですが、本件同様被告人が異常なサディスト癖がある人間でした。
    死刑判決にはなりましたが、本件も含めて異常性癖は存在すると諦め?ざるを得ないと思わされました。

    時代は変わるにしろ、人間の性格や思想信条は守られるべきだと思いますが、起こす犯罪の質というのは何十年何百年と変わらないものだなぁとつくづく思う次第です。

    ガチガチな長文申し訳ございませんでした。
    本年も引き続き楽しみにしております。
    体を大事に、元気に更新をしていただくことを願っております。

    1. 深夜三十一時さま
      いつもありがとうございます、今年もよろしくお願いします。

      人を縛り付ける人、少なくないですよね。しかも、それは外からわからない。深く付き合って初めて分かるからなお厄介です。
      それと、おっしゃる通り、陥った側の不手際に言及されてしまうのも、この束縛やDVなどに共通する部分ですよね。
      人格、性癖は矯正されうるものではないと私も思います。こういったら身も蓋もないですが、特に「自己愛性人格障害」などは、医者ですら騙されてしまうし、とにかく逃げる以外にないんだとか。
      病気なら治りますが、人格、性癖は難しいと思いますね。

      今回の事件は平成の初めの事件ですが、仰るように時代が変われど事件の根底にあるものは、変わりませんね。

  2. 飯島美穂さんがこの事件に遭遇するまでの人生の中で、一時一緒の時間をすごした人間です。彼女の笑顔と明るい声は今も私の心の中に生きています。
    彼女が事件にあった翌日、彼女の親友から「美穂が殺された!」と電話が来たことは今も耳の奥に残ってます。当時いろいろ仲間内で情報交換しましたが、彼女が自殺するなんて絶対ありえないことでした。なぜこの事件が起きたか、防ぐことはできなかったか、今も私にとって慙愧の念の堪えないことです。事件後30年近くになろうとしている今、このルポを拝見し本事件のことをしっかり取材していただき感謝しています。ただ彼女がなぜあんな男に魅せられ、別れられなかった今も残念です。

    1. 動物園1993 さま

      はじめまして、お読みいただきありがとうございます。また、美穂さんのお友達のおひとりであるとのこと、その上で記事を認めてくださり、心から感謝致します。

      私より少しお姉さんの美穂さんの事件、民事裁判になってから知りました。
      事件備忘録を始めて、この事件も必ず調べたいと思っていたのですが、裁判の記録がなかなか手に入らず書けずにいました。
      ある方から裁判資料の提供を受け、また、独自にお父様の手記にも触れる機会があり、書き上げた次第です。

      時間が経過し、本当は美穂さんのお名前も出さない方がいいのかな、そんな葛藤もありましたが、Aさんと記すことは出来なかった。美穂さんはたった一人。そこはハッキリさせたかった、そんな思いで実名にしましたが、ご関係者の方の目に留まり、美穂さんはいつまでもみんなの心で生きているんだな、と改めて思いました。
      私は見ず知らずの人間ですが、その私の心にも美穂さんは生きています。

      コメント心より感謝致します。ありがとうございました。

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