隣人訴訟ともう一つの結末~三重・幼児水死事故③~




もう一つの善意

三重の隣人訴訟は、近所付き合いや子供を預かることの是非などに加え、報道の在り方や裁判を受ける権利についても今日まで長く議論されてきた。

そんな事故から12年が過ぎた平成元年7月。
広島県佐伯郡(現・廿日市市)で悲劇的な事故が起こった。
この事故も、三重の事故同様、よその子どもを預かった主婦が事故でその預かった子供を死なせてしまうというものだった。

詳細はこうである。

平成元年7月20日午後3時半ごろ、広島県佐伯郡大野町の町道にある、通称「屋田越ガード」と呼ばれる高架下の道路で、同町在住の主婦・吉田映子さん(仮名/当時32歳)運転のワゴン車のサンルーフから顔を出していた同町在住・曽根あゆ美ちゃん(当時8歳)と、同じく同町在住・大久保尚子ちゃん(当時8歳)が、ガードの高さ制限を表示する鉄枠に激突、即死した。

廿日市署の調べでは、吉田さんが次男を近くの保育所にお迎えに行くため、家に遊びに来ていたあゆ美ちゃんと尚子ちゃん、そして二人と同じ小学校に通う自分の娘(8歳)をワゴン車の後部座席に乗せ、いつも通っている屋田越ガードを通過しようとしていた。
後部座席では3人がサンルーフを開け、シートに立ち上がって顔を出し外の風景を見ていたという。
ガードが近づいたことに気付いた吉田さんの娘は頭を引っ込めたものの、友達二人はそれに気づかず、また、運転していた吉田さんも子供たちがサンルーフから顔を出していることを知らなかったため、そのままガード下に侵入してしまった。

屋田越ガードは、高さが2.07mほどで、高さ制限は1.9mだった。
ワゴン車の高さは1.99mで、いつもはギリギリで通過していたというから、サンルーフから頭を出したまま激突すれば、命の保証は出来まい。
あゆ美ちゃんと尚子ちゃんは後部座席に崩れ落ちた。

運転していた吉田さんは、後部座席の娘が泣きだしたことで事態を把握したもののことの重大さに後ろを振り返ることも、車を停車することもできず、そのまま400mほど運転し、ようやく停車した後近所の酒店に救急車の要請を頼んだという。




吉田さんは半狂乱で、通行人や事故を知った人々に抱えられて救急搬送された。
当時の新聞では、運転していた吉田さんは
「子どもたちがサンルーフを開けていたことも知らなかった」
と話している。実際にサンルーフは手動でも開けられ、子供であってもそれは可能だった。
しかしその後、警察の取り調べでは違う話をしていた。

吉田さんは子供たちがサンルーフを開けて顔を出していることを「知っていた」という。
しかし、屋田越ガードに差し掛かるとき、不意に娘が運転席に身を乗り出して話しかけてきた。そして、それに気を取られ、一瞬にして娘の友達二人が頭を出していることを「忘れた」のだという。

ガツンという衝撃と、娘の悲鳴、そこで吉田さんは娘の友達が顔を出していたことを思い出したのだった。

その後車を停めることなく400mも走行したのは、
「あまりに恐ろしくなり、とりあえずこのまま家に帰ろう」
と思ったのだという。
考えたくもないが、ひき逃げをしてしまう人の心理も、こういった想像を絶する恐怖と、自身の罪の大きさを受け止めきれず、逃げるというよりもとりあえず家に帰って考えよう、となってしまうのかな、と思った。
しかし吉田さんは思いとどまり、救急車の要請をした。

当然、吉田さんには業務上過失致死の疑いで事情聴取などが行われたし、事故とはいえ大きな過失で起こった事故であり、幼い娘を亡くした遺族の怒りは吉田さんに向けられると思われた。

しかし、遺族は吉田さんを赦した。

理由はただ一つ、吉田さんがそれまであゆ美ちゃんと尚子ちゃんを大変可愛がってくれていた、今回のことも善意から車に乗せてくれた結果起こった事故であって、恨んだりしていない、というものだった。

吉田さんは自責の念に駆られ、入院を余儀なくされるほど精神を病んだという。
吉田さんの夫も、当然ではあるがすぐさま愛車を廃車にしている。
吉田さんと亡くなった子供たちのそれぞれの家は、屋田越ガードの北に広がる大規模な新興住宅地にあり、子供たちは学年やクラスは違えど仲の良い友達だった。
お互いの家で放課後遊ぶのも常で、おそらく主婦の吉田さんがよく面倒をみてくれていたのだろう。

そして当然、心からの謝罪が本人はもとより、家族からもあったと思われる。だからこそ、本当ならば怒り狂っても仕方ないはずの遺族は、吉田さんを罪に問うて欲しいとも言わなかった。実際に吉田さんは不起訴になっている。




三重の事故も広島の事故も、家族ぐるみの付き合いのあった隣人による全くの善意の結果起こってしまった悲劇であるが、その後の展開は極端に別れた。
どちらが正しいとか、そういうことではなく、どうしてこの違いが生まれたのかという点を考えることが重要ではないか。
また、このような複雑な感情の絡み合いが含まれる事故の当事者らに対し、そのどちらかに殊更に肩入れしすぎる風潮もいま一度考え直す必要があるのではないか。

うわべしか知らない周囲が当事者以上に騒ぎ立てることは、たとえそこに「善意」や「正義感」があったとしても、良い結果をもたらすとは思えない。
特に、ネットが当たり前の現代においては、より慎重な行動が求められることは言うまでもない。
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参考文献 熊本大学学術リポジトリ 「隣人訴訟」について考える:法と常識の間  吉田勇 著 1987/9/5
               「主婦が子供を車でお迎え中にくぐった忌わしいトンネル」 新潮45/2007年2月号 豊田正義 著


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「隣人訴訟ともう一つの結末~三重・幼児水死事故③~」への6件のフィードバック

  1. 18年ほど前の我が家の事件を思い出しました。
    当時2歳だった私の娘が突き飛ばされひっくり返り、後頭部を石のタイルの床に…
    物凄い音がしました。
    突き飛ばしたのは私の友人の娘で、8歳も年上の子でした。
    流石に我慢できず、友人である母親に言いました。
    が、その母親は「子供がやった事だから仕方ない」と言うのです。
    一切の詫びもなく…
    とりあえず後頭部強打だと思われるので病院へ行き調べてもらわなければとその場を離れ病院へ。
    幸い我が娘は無事でしたが、どうにも許せない。
    10歳の子にやられた事ではなく、母親の態度と言い分に納得がいかない。
    親しき中にも…ですよね。
    あの時友人が自分の子が小さな子に怪我をさせてしまった事を悪いと思ってくれてたら「病院へ行って診てもらったけど大丈夫だったよ。」で間違いなく終わってた。
    この母親には後にきっちり制裁させて頂きました。

    この事件のお母さんたちも同じ気持ちだったのではないでしょうか…
    許せなかったんでしょうね…

    1. 来栖さま
      コメントありがとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

      なんとそんなご経験がおありだったのですね…とにかく大事に至らずよかったですが、やはり親の態度というのは重要です。
      以前、アメリカでは子供がしたことを親が謝ったりしない、なぜなら子供を一人の人間とみているから、といったコメントがあったのですが、そんなことはないと思っています。あとここは日本だし。
      子供がしたことだから仕方ない、それは被害を受けた側のみが言っていい言葉だと思います。
      そもそもこの裁判も、おっしゃる通り工藤さんがきちんと受け止め、ともに悲しみ、形だけでも自責の念に駆られているという態度を見せればこじれなかったと私も思います。
      おそらく、「形ばかりの謝罪」すらなかったのではないかと思います。実際、裁判で「謝罪がない」という主張に反論していないようなので。
      一方で広島の事故の場合は、おそらく吉田さん側からは誠意ある対応がとられたのでしょうね。
      本当にお気の毒ですが、仲のよかった子どもたちのことを思って、ご遺族も判断されたのだと思います。
      いつもとは違う感じの記事になりましたが、読んでいただいてありがとうございました。

  2. こういう話を聞くと、絶対に預かりたくないし預けたくないですね。
    うちの子が小さい時も、べったりした付き合いをしたくないので預かったり預けたりしなかったんですが、正解だったと思います。
    小さい子を外に子供だけで出すのもありえないし(時代が違いますが)。

    周りで家族ぐるみで付き合ってる人が仲違いして悪口言ってるのを見たことがあって、距離感は大事だなと思ってます。
    それにしても、工藤さんも預けるなよと思いますけど、山中さんも謝れよと思いますよね。

    1. ちい さま
      すみません、私の書き方が紛らわしくて、えっと山中さんが原告で、工藤さんが預かった方(被告)ですね。

      それはともかく、時代が違うとはいえ今では考えにくい状況が前提なので、どっちもどっち、と思いますよね。
      子供、しかも3歳児をいくら子沢山とはいえ素人に預けるのはさすがにどうなのかと思いますし、たとえ善意でも預かるなんて言うのは軽すぎます。
      その上、目を離してる訳ですからね…
      ちょっとズレますが、この時代、相当親は子供から目を離していたんだなと言うのがよくわかります。
      世の中には謝ることを極端に恐れる人がいますね。おそらく工藤さんもそうだったんだろうなぁと思います。
      謝ったりなんかしたらそれこそ非を認めることになるから、だから山中さんの訪問にも応じなかったのかな、と。

      一方の広島の事故は、ご遺族の方の思いがあまりに聖人過ぎて、こうも違うのかと思います。
      もちろんこうすべき、とは思わないです、怒り狂う方が本来ですよね。
      でも、人というのは相手の誠意が動かす、その一例だとも思いました。

      そして、人を許すことは難しいけれど、それをすることでまた歩き出せるんだなぁとも思いました。

  3. こんばんは。度々コメント失礼いたします
    広島・廿日市市のガード激突事故のことはハッキリ覚えています。が、後日談は知りませんでした。そうですかぁ~2軒の親御さんは吉田さんを赦されたのですね。あの事故以来、サンルーフのある車をあまり見かけなくなったし、私自身も他人を車に乗せるのはもう止めよう、と肝に銘じた記憶があります。
    日本がアメリカのような訴訟社会に様変わりしたのは最近のように認識していたのですが、ずっと昔に起きた幼児水死事故で、もうすでに裁判沙汰にまで発展したことにかなり驚いています。
    2つのケースを対比させてるところが興味深く、このサイトの優れた視点だと思います。
    普段からの両家の関係性や事後の誠意ある対応などでも違ってくるのでしょうが、過失ながら死に至らしめているだけに難しい問題です。

    1. チューリップ さま
      コメントありがとうございます。

      まるで都市伝説のように伝えられてきたサンルーフ事故ですが、人の繋がりや心、色んなことを教えた事故でした。
      ご近所付き合い、そこに潜む危険は今でもありますが、昔はここまでにならずとも今よりも多かったんでしょうね
      最初はサンルーフ事故を取り上げるつもりでしたが、三重の隣人訴訟との対比でより考えることが出来るのでは、と思い、ひとつの記事にまとめましたが、評価していただき嬉しいです。

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