箍のはずれたふたりが夫を殺すまで~八王子・男性教師殺害死体遺棄事件~

平成4年11月17日



神奈川県藤野町にある峠に向かう道を、男性は自転車で登っていた。

この峠道はいたるところに休憩所やベンチなどが置かれ、自転車でのぼる人のほかに、ハイキングで訪れる人もいる自然豊かな場所だ。
男性が「それ」を見つけたのは、ふと足を止めた落ち葉の中だった。ゴミかと思った「それ」は、骨のようにも見えた。
「まさか・・・」
そう思ったが、どうも気になった男性は110番通報。後にそれは、人骨であることが判明した。

警察が周辺を捜索したところ、男性が骨の一部を見つけた場所に接する斜面からほぼ全身の人骨がバラバラの状態で発見された。
しかも、胸の骨には刺し傷のような痕、そして額部分にも殴られたような傷痕があったことから、この人は殺害されてこの場所に遺棄されたとみられた。

難航する身元特定

遺体は解剖の結果、年齢20歳から40歳くらいの男性で、血液型はAB型、身長は1m60cmから1m70センチ、死後およそ2か月から半年と判明した。
警察は殺人、死体遺棄事件として捜査を開始、津久井警察署に特捜本部を設置した。
実は神奈川県内では今年に入って特捜本部が設置されたのはこれで12件目だった。金沢区、横浜水上、磯子区内ではバラバラ殺人が起こっており、いずれもまだ捜査中であった。
近くの小田原署管内でも白骨遺体が出たり、未解決の事件も複数あった。
加えて、遺体の額にあった傷が、拳銃で殴った際に出来る傷と酷似していたこと、遺体が遺棄された場所が中央高速道路そばであり、暴力団関係者が好むやり方ともいわれ、捜査本部はまず暴力団関係者で行方が分からないものなどを重点的に捜したという。

同時に、家出人捜索や近隣の歯科医などへの聞き込み、神奈川県なにに止まらず東京や山梨の11市8町3村で、回覧板などをを通じ51万枚にも上るチラシも配布したが、半年たっても身元は判明しなかった。

行方不明の教師

事態が動いたのは、平成5年7月。
それまで暴力団関係者を重点的に洗っていた捜査本部が、一般の行方不明者も併せて照合を進めていたところ、歯形が八王子市内の男性と一致したのだ。
この男性は昨年の10月に捜索願が出されており、年齢40歳、身長なども合致していたが、ひとつ不可解な点があった。
歯形が一致したにもかかわらず、血液型が違っていたのだ。
遺体の血液型はAB型と判明していたが、この男性はAB型ではなかった。

男性は八王子市在住の市立中学校教諭の工藤和伸さん(当時40歳)。
工藤さんは遺体発見の4か月ほど前に行方不明になっていた。妻も和伸さんの勤務する中学の校長に、夫婦間でいざこざがあり家出をほのめかしていたと話しており、当初は夏休みということもあり静観していたようだったが、8月が終わっても連絡すらつかない状態になったため、10月になって捜索願を出したという。

警察は殺人事件であることから、和伸さんの交友関係などを洗っていたが、和伸さんの家出人捜索願が出されるにあたってはいくつか不自然な点があった。
まず、夫が失踪してから家出人捜索願を出すまでに2か月を要していること。
さらに、その届に記載された和伸さんの血液型が「偽って」記載されていたのだ。妻が夫の血液型を知らないということはそうそうあることではなく、警察ではこれらのことからこの妻が何らかの事情を知っているのではないかとみて事情を聞いていた。

他にも、遺体確認(といっても白骨状態だが)をこの妻はひどく嫌がったという。気持ちはわからないではないが、遺体を確認もしないで「絶対に夫ではない」と言い張っていた。
現実を直視したくない気持ちかとも思われたが、先の血液型の件に加え、歯形の照合の際に「夫は歯医者にはかかっていない」というなど、どこか身元が判明することを嫌がっているように見えた。

さらに、この妻には「秘密」があった。
妻は過去に勤務していた小学校で同僚だった男性教諭と、不倫関係にあったのだ。

7月17日夜、警察は任意で妻から事情聴取し、その段階で妻は夫を殺害し捨てたことを認めたため、緊急逮捕した。
そして、その不倫相手の男性教諭も、殺人と死体遺棄の容疑で逮捕となったのだ。
妻と共に逮捕された男性教諭もまた、妻子のある身であった。

「先生キレイになったよね」


逮捕されたのは、和伸さんの妻で小学校養護教諭の紀子(当時35歳)と、同じく小学校教諭の井上哲也(当時36歳)。
ふたりは世田谷区の武蔵丘小学校で養護教諭と体育教師として出会う。紀子はこの年の3月で府中市立第五小学校へ転勤となっていたが、2年ほど前から親しい関係になっていたという。
紀子は赴任当初から非常に児童らに好かれる、人気の「保健の先生」だった。
体調不良の児童らだけでなく、女子児童の可愛らしい恋の悩みを真剣に聞いてやり、そっと応援するような教師で、保健室は紀子を慕う児童らがよく出入りしていた。
一方の井上も、「いのせん」「いのちゃん」などと児童から呼ばれ、バスケ部の顧問のほかに学年主任も務めるような非常に頼りがいと親しみのある先生として通っていた。
両人とも、児童だけでなく父兄からの評判も悪くなかった。

それがある時を境に歯車が狂い始める。

井上にも妻子がいたが、妻とはうまくいっていなかったという。
その悩みを、何かの拍子で紀子に話したところ、聞き上手だった紀子の話し易い性格に甘え、井上は頻繁に相談を持ちかけていたようだ。
やがて保健室は児童たちの憩いの場ではなくなり、井上が保健室に入り浸るようになっていく。
体調不良を訴えて、保健室で休みたいという児童に対しても、
「そんなにひどくはないから教室へ帰りなさい」
などと、それまでの紀子からは想像できないような態度が見られるようになっていった。

そんな紀子は、外見も変わっていったという。
事件後取材に応じた武蔵丘小学校の校長らは、「二人の関係には気づかなかった」と話したが、児童や父兄らは紀子と井上の関係に気付いていたのだ。
それまで教師らしい控えめな化粧、服装だった紀子は、誰が見ても派手になったという。
その頃はやっていたきつめのアイシャドウをいれ、スカートの丈も極端に短くなった。もともと165センチの長身だった紀子は、スタイルの良さも手伝って人目を引いた。

無邪気な児童たちは、そんな紀子の変貌に戸惑いながらも、
「先生すごいキレイになったよね!」「美人だよね」
といった賞賛を紀子に送っていたという。

しかし、紀子の自宅近辺では違う評判となった。

工藤夫婦のそれまで

工藤さんと紀子の暮らした家は、八王子の久保山という場所にあった。
中央自動車道八王子ICから北へ少し走った場所にある、比較的ゆったりとした住宅地の中に工藤家はあった。
中央高速と多摩川にはさまれ、大学や公園など緑も多く、車があれば交通の便もさほど悪くなさそうだ。

紀子は愛知県出身だが、名古屋の短大で養護教諭の資格を取り、東京に出たあとすぐに中学校に採用された。
そこで夫である和伸さんと出会い、21歳という若さで結婚している。
これは、紀子のかねてからの願望であった。
「ハンサムと結婚して一軒家に住むの」
これが紀子の未来予想図だった。



結婚後、すぐに子供にも恵まれ、何不自由ない生活が暗転したのは、和伸さんの実母と同居してからだという。
同居は6年に及んだというが、そのころから夫婦の間では諍いが絶えなくなった。
詳しい事情は分からないが、嫁姑問題とみて間違いないだろう。
諍いは時に和伸さんによる暴力にまで発展し、紀子は一時別居もしていたようだ。

その後、未来予想図の一つだった「一戸建て」を、建売ではあったが6000万円で購入。
夫婦はぎこちないながらもなんとか同じ船に乗っていた。

その久保山の家の近隣では、紀子が学校の先生だったことはあまり知られていなかった。
というのも、あまりに派手な格好がおよそ教師に見えなかったからだ。
中には、水商売の女性と勘違いしていた人もいた。

久保山に家を購入した頃には、すでに井上との不倫が始まっていたのだった。

「箍のはずれたふたりが夫を殺すまで~八王子・男性教師殺害死体遺棄事件~」への2件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です