通り魔になった男の悲しき弁当箱~イトーヨーカドー乳児刺殺事件①~




平成17年2月4日正午

愛知県安城市。
嫌なニュースだった。近くのショッピングセンターで幼い子供が通り魔にあったというニュースを出がけに聞いたその主婦は、憂鬱な気分で歩いていた。
ふと、児童公園の入り口に、なにか置いてあるのが目に入った。青っぽい紫色のそれは、雨合羽のようだった。
手に取った主婦は、それに血がついているのを見て先ほどのニュースを思い出した。
「犯人は逃走中、白いキャップに紫色の上着……」
主婦はすぐさま110番通報した。

事件概要


「お客様が刺されました!犯人は180センチくらいの男でまだ逃げています。一階におりてください」
イトーヨーカドー安城店は、とんでもない事態に陥っていた。
2階の洋服、寝具売り場の近くの通路で、ショッピングカートに乗っていた乳児が突然、男に刺されたのだ。
さらに、ちかくのちびっこ広場で遊んでいた女児も蹴られ、庇おうとした女性も殴る蹴るの暴行を加えられたのだ。

店内は悲鳴と怒号が飛び交い、刺された乳児を抱いた母親が泣き叫んでいた。
すぐさま救急車が到着、乳児は救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
亡くなったのは、青山翔馬くん(当時11か月)で、蹴られた女児は姉の陽菜ちゃん(仮名/当時3歳)だった。陽菜ちゃんを庇って暴行された女性(当時24歳)は、たまたまそばにいた買い物客だった。

翔馬くんは、母親と陽菜ちゃんと3人でイトーヨーカドーを訪れており、通路ですれ違った男に突然、無言で頭部を果物ナイフのようなもので刺されたのだ。
救急隊が到着した際、翔馬くんの頭部にはナイフが刺さったままで、その先端は、下顎まで到達するほど深く差し込まれていた。




逃走した男は背の高い、やせ型というほかに、白い野球帽のような帽子をかぶり、上着は青紫のカッパ(ウィンドブレーカー?)のような服装だった。
付近の警察にもすぐさま情報は流され、署員らはパトカー以外の自家用車にも分乗して犯人を追っていた。
現場から南東に1キロほど離れた場所で、捜査員らは前方から一人の男が歩いてくるのに気づく。両手をポケットに入れ、頭には逃走犯と同じ白色のキャップ姿。
しかし、男が来ていた上着はカーキ色だったため、不審に思いながらもその場はやり過ごした。
その直後、無線で冒頭の主婦によって発見された上着の情報が流れ、逃走犯が上着を脱ぎ棄てている可能性があるとの情報がもたらされたことで、署員らは先ほどの男を追った。

男性警察官が男を呼び止め、この近くで事件があったこと、犯人と思われる男が逃げていることなどを説明したうえで、職務質問を始めた。
男は素直に質問に応じていたが、両手はポケットに突っこんだまま。警察官が「手を出して」というと、男は両手を出した。

その手は、血塗れだった。

緊張が高まる中、若い警察官らは冷静に、その手はどうしたのか、と確認すると、男は「自分で切った」と話した。
が、所持品検査を行おうとした際、取り囲んでいた警察官のひとりを蹴り、男は逃走を図ろうとした。
「犯人なのか!?」
警察官らの怒号に、取り押さえられた男は「はい、私がやりました」と答えた。

男の名は、氏家克直(当時34歳)。
愛知県内で窃盗を働いた罪で有罪となり、つい先月の1月27日まで豊橋刑務支所で服役していた。出所後、数日での犯行だった。




男のそれまで

氏家は福島県伊達郡桑折町の生まれ。両親と祖父、幼い妹との暮らしだったが、4~5歳の頃、一家は福島市内の借家へと居を移す。
新たに弟も生まれたが、一家の暮らしは楽ではなかったという。

そもそも、桑折町で暮らしていた時から、一家の暮らしは厳しかった。が、それにはなるべくしてなった、という理由があった。
氏家の父親は、農業を営んでいたというが非常に酒好きで、母親はギャンブル、主に競馬にのめりこんでいた。
田畑を所有していたが、それらも借金のカタに切り売りされたという。
田畑を失い農業を営めなくなった後は、モーテルの管理人などの職を得て生活していた両親だったが、暮らしは上向かず、父親は近隣の倉庫に忍び込んで米を盗んだこともあった。

そういったことが重なってなのか、桑折町を後にした一家は、心機一転、新聞配達をしながら生活の立て直しを図った。
借家の家賃は当時で2万円。県営住宅などの家賃と比べるとまだ高いので、そこまでド底辺とは言えないにしても、家は荒れていた。
当時のことを知る人によれば、「母親が家事をしない人のようだった。家は中のほうが外よりも汚く、風呂に入る習慣がないのか、家族はいつも臭かった。」という。
母親が新聞の集金にくると、その家の子供たちはあからさまに「くさーい・・・」とこぼしていた。

そんな家庭環境で育った氏家少年だったが、成績は悪くなかった。おとなしく、口数の少ない少年だったそうだが、小学校卒業の際の文集にみる彼の字はとてもきれいで、書いてある内容も、小学生生活への別れに対する寂しさ、そして、中学生になる意気込みなどをしっかりと書いており、非常に頭の良い子、という印象だ。
将来の夢は国会議員、とも書いており、将来に夢を抱き、可能性に満ちた氏家少年の姿がそこにはあった。

しかし、彼は20年後、取り返しのつかない罪を犯してしまうなど、この時点では本人も周りも、誰も思ってはいなかった。




高校中退から前科持ちへ

中学でもそこそこの成績を保っていた氏家少年は、その後福島県内の県立高校へと進学した。
成績は真ん中ほど、特に落ちこぼれたわけでもなかったが、氏家少年は高校2年で退学してしまう。

「氏家には友達がいなかった」

高校時代の氏家少年を知る同級生は、こう語る。
部活動もせず、ひとりいつもおとなしく過ごしていたというが、ある時、そんなおとなしい氏家少年が激高する場面があった。

いつものようにひとりで弁当を食べていた氏家少年に対し、その弁当のおかずをからかった生徒がいた。
それに対し、氏家少年は顔を真っ赤にして怒っていたという。

それがきっかけかどうかはわからないが、氏家少年は学校に行かなくなり、そして退学した。

中退直後は、コンビニでアルバイトをするなどしていたようだったが、二十歳を過ぎたころ、父親と母親が相次いで病死する。
当初は子供らだけで、電気もガスも止められた借家で暮らしていたという。
未成年だった弟と妹は親せきが引き取るなどしたようだったが、成人していた氏家のことを気に掛ける親せきはいなかったようだ。あるいは、もともと自己主張しない氏家が、親せきの助けを固辞したのかもしれない。
その後、氏家家は一家離散状態となった。




借家はそのまま氏家が借りていたようだったが、そのころからは出稼ぎに行くことが増え、自宅には戻らないことが増えていたという。
そのため、近隣住民も氏家の存在を忘れてしまうほどになっていた。
それが、ある夜空き家のはずの氏家家に明かりが点っていたことで近所の住民らは驚いた。家を訪ねると、そこには怪我をしてボロボロになった氏家の姿があった。
詳しく事情を聞いてみると、当時働いていたという大阪から、無賃乗車を繰り返しながら自宅まで帰ってきたと話した。
あまりの姿に同情した町内会では、とりあえず町内会で氏家の面倒を見ようということになったという。
けがの手当てをし、風呂に入れ散髪をし、食事も与えた。擦り切れてぼろ雑巾のような衣類も取り換えてくれた町内会の人々に対し、氏家は「ありがとうございます」と素直に感謝のことばを述べた。

その後、近所のコンビニで働かせてほしいと頼んだものの断られたため、連絡がついた親せきのもとにいったんは身を寄せたというが、新潟県内で住み込みの職を見つけたということで、親せきのもとを去る。
それ以降の足取りを詳しく知る者はいなかった。

氏家はその後も各地を転々としていたようだが、一方で盗みを働くようになっていた。
平成16年ごろ、氏家は他人の家に侵入し、現金6000円とキャッシュカードを盗んだ罪で実刑となり、1年ほどを豊橋刑務支所で過ごすことになる。刑期を数か月残した時点の1月27日、保護観察付きで仮釈となり、豊橋市内の保護施設へ入所。
ここでは約一か月の間に自立するために職探しなどをサポートしてもらいながら行うことになっていた。
が、なんと氏家はそこを3日で脱走した。
JR名古屋駅前でとりあえず日雇いの仕事を探すも見つからず、岡崎市内で放置車両などを塒にしながら職を探し、2月2日、以前暮らしたことのある安城市にやってきた。

この時点で、所持金はほとんどなかった。

今更保護施設に戻ることもできない、そう考えた氏家は、次第に焦燥感に苛まれはじめる。
同時に、頭の中でなにか、誰かの声も聞こえるようになっていた。
「殺せ、殺せ。」
その声は、やがて氏家自身を突き動かすようになっていく。

そして、2月4日を迎えた。




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