通り魔になった男の悲しき弁当箱~イトーヨーカドー乳児刺殺事件③~




解明は不可能か

弁護側は裁判で、氏家は統合失調症で心神喪失にあり、動機や殺意の有無は解明不可能と主張した。
そうだろうか。
評論家で著書も多く、特に児童虐待やひきこもり、家族についての考察に非常に評価のある芹沢俊介氏が、事件直後の東京新聞朝刊において興味深い考察を述べている。

芹沢氏は、事件の動機が氏家の所持金のなさや頼る人がいないといった八方ふさがりの状況、自身の無力感、社会の壁の高さにいら立ちを募らせたという面から、「イライラやむしゃくしゃの解消としての暴力」という考えがある一方で、「自殺しろ、人を殺せ」という幻聴が氏家の頭に飛び交った点においては、「無差別大量殺人」との見方を示す。

殺害されたのは翔馬ちゃん一人だが、あまりに深く刺さってしまったナイフを抜けず、「結果として」一人しか殺害できなかった可能性もあるからだ。現に、その後近くにいた翔馬ちゃんの姉にも暴行を加え、それを庇った女性にも暴行している。
さらに、翔馬ちゃんの母親は、翔馬ちゃんを刺した後の氏家と目が合っている。その目は、虚ろなそれではなく、確固たる殺意を持った目だったと話した。殺してやる、そういう言葉も聞いていた。
もしも翔馬ちゃんに刺さったナイフが抜けていたら、母親やちびっこ広場で遊んでいた子供たちも同じように刺されていた可能性がないとは言えない。

芹沢氏は続ける。
「人を殺せ」ということは、自分を殺すことと等価になるような心理があるという。
自分を殺すということが、人を殺すということに置き換わるというか、そういった衝動が、自暴自棄であればあるほど強くなる。
「人を殺す」ことが目的である以上、相手は人であれば誰でもいい。人数が多ければ多いほど、自分の死も近づいてくる、そういった考察だった。

当時の氏家はどうだったか。
季節は真冬。イトーヨーカドーへは「暖をとるため」に入ったという。それほど、厳しい寒さがあった。
万博開催で、愛知県内のいたるところでホームレスたちの居場所も失われていた。ただでさえ少ない「居場所」を、よそ者の氏家に簡単に提供してくれる人はいなかった。
所持金もなく、氏家の心には「死」がひたひたと近づいていたはずだ。

芹沢氏によれば、暴力の被害者は時に、暴力の加害者にもなってしまうという。さらには、自殺衝動の中に殺害衝動を呼び込むという。
氏家が理不尽な暴力の被害者であるという話はないが、彼の人生を思えば、彼にとっての「暴力」が存在していたのではないか。




悲しみと憤怒

「いつもひとりでした。小学生のころから、自転車で一人ふらっと出かけて、暗くなってからふらりと帰ってくる。あの子はそんな子でした。」

福島市内の阿武隈川沿いにあったという氏家一家が暮らした借家は、すでに取り壊されて駐車場になっている。
そこで一家を知る人は、氏家少年のことをこう週刊誌に話している。

酒浸りの父と、家事をしないギャンブル狂いの母親。
ゴミ屋敷同然の家で、誰の目にも貧しい家庭で育った。そんな中でも、普通の家庭の子たちと同じか、それ以上に勉強ができた。氏家少年は、母親にとって自慢だったという。

けれど子供は残酷で、傍に寄ればそこはかとなく漂う異臭に、あからさまな態度をとるものもいたし、口に出すものもいただろう。
氏家少年は、おとなしく口数の少ない子供だった。しかし、そんな氏家少年も、静かに、そして深く傷ついていたのではないか。

高校時代のエピソードは私の胸を抉る。
誰が氏家の弁当をこしらえていたのだろうか。家事が苦手な母親か、それとも、前の晩の夕餉を氏家自身が毎朝詰めていたのかもしれない。
お弁当を食べるときも、氏家はいつも一人、周りから自分の弁当を隠すように、弁当の蓋を立てて食べていた。
それを、からかった生徒がいた。おかずが貧弱なことを、囃したてたのだ。
よくあることと言えばそれまでだ。しかし、それまで感情を見せたことなどなかった氏家は、烈火のごとく怒った。顔を真っ赤にして、しかし周りの人から見ればそれは「哀れ」だったという。

高校を中退したのも、誰もが「学費が続かなかったのでは」と話した。もちろん、氏家家の経済状況を考えれば有り得るが、成績も悪くない自慢の息子を、家の都合でそうやすやすと退学させるというのも不自然と言えば不自然であるし、私立ではなく県立高校であったこと、経済的な問題ならばいくらでも手段はあったわけで、個人的な推測でしかないが、おそらく氏家本人の心も折れていたのではないかと考える。

未成年で社会に出てからも、なにもかもが氏家を後回しにした。氏家自身の性格も関係したのかもしれない。
自身を主張することなく、助けを求めることもなく、ただひたすら流されるように、居場所を定めることもなく、出来ず、まるで流れ作業のようにその時その時目の前に流れてきたものを手に取った。
彼自身の希望は、いつから誰も聞かなくなっていったのか。

誰も彼に聞かない代わりに、彼の頭の中には、いつしか誰かの声が聞こえるようになっていた。




大きすぎる代償

この事件を機に、仮釈放中の人間の所在が分からなくなった際の対処が厳格化された。
それまでは保護司や施設頼みだった捜索を、令状を受けたうえで捜査機関と連携して行うことになったのだ。
また、職のない仮出所者が再犯する率が、有職仮出所者の5倍となっている現状から、法務省と厚労省が連携して仮出所者の職探しをサポートする事業も平成18年より始まった。

しかし、前段階として仮釈放の運用については、なかなかうまく機能していない面がまだあるようだ。
増え続ける受刑者と、不足する職員。常に満杯の刑務所に「空き」を作るためにも、仮釈放は必要ではある。
仮釈放は、刑期を残した状態で、その残りの刑期を社会復帰の準備に充てるという意味においても、なくしてしまうというのは疑問も残る。

氏家の場合、仮出所の際の面談で、些細な引っ掛かりを面接官らが感じていたにもかかわらず、それが見逃されたことは関係機関にとっても痛恨の極みだっただろう。
裁判では逆にその精神状態が取りざたされ、起訴前の鑑定、弁護側の鑑定、別の暴行事件での鑑定、地裁の鑑定のそれぞれが違う結果となるなど、その難しさが浮き彫りになった。
また、それは遺族の感情もかき乱した。




検察は結果として心神耗弱を採用しているが、法廷で証人に対してやった暴行事件の際には、精神状態は完全責任能力ありと判断された。
また、裁判所が行った鑑定では、殺人を行った時点では心神耗弱としながらも、直前(3分前)に行われた凶器の窃盗、そして事件後の氏家の行動(返り血を浴びた服を捨て、自転車で逃走、その後両手をポケットに突っ込んで素知らぬ顔で歩くなど)については完全責任能力を認めている。
検察は、「一連の流れで差異を設ける理由が見出し難い」との判断で、一連の事件において心神耗弱だった、と、裁判所の鑑定よりも氏家に対して有利な主張をする羽目になっていた。

目の前で、殺してやると呟いた氏家と対峙し、その氏家の目を見た翔馬ちゃんの母親は、この検察の主張、たとえそれが断腸の思いであったとしても、到底受け入れることはできなかっただろう。
極刑どころか、無期懲役すら、求刑されなかった。

翔馬ちゃんの父親も、精神鑑定が次々と行われたことや、その時期についても納得できないと話した。
検察側の鑑定は簡易的なもので、弁護側が行ったのは事件から半年以上経過したころ、裁判所の鑑定においては2年近くもたってからだった。そして、結果として2年近くたって行われた鑑定が採用されたのだ。

最高裁判所の判例によれば、責任能力については精神鑑定がすべてではなく、それらを踏まえたうえで裁判所が他の事柄(犯行様態)と合わせて検討して判断すべき、とされているが、実際には鑑定結果が判断に大きな影響を与えるケースが多い。
何もしゃべらない氏家と、正直アテにならない精神鑑定に振り回され、たった11か月で理不尽に命を奪われた翔馬ちゃんと、その遺族。




精神科医の町沢静雄氏、和田秀樹氏らは、
「仮釈放時に精神鑑定をしていれば…、せめて専門医に診察させていれば」
と口をそろえる。
おそらく、精神科の世界では見過ごすといったことは有り得ないほど、氏家にはその症状が出ていたのだろうと思われる。
心神耗弱だったと認定されたのであれば、なおのこと、仮出所前に診察を受けていれば、事件は、少なくとも翔馬ちゃんがあの日殺害されることはなかったのではないか。

氏家は、イトーヨーカドーで何を思ったのか。目の前に広がる、子供連れの母親や悠々自適な老齢の夫婦、生き生きと仕事に励む店員、そして目の前にあるのに絶対に手に入らない品物の数々。
なにより、目の前の光景は、氏家が本当は欲しかったそれまでの人生そのものだったのではないか。子供らしい子供時代、国会議員になりたいと夢見たあの頃の自分の幻を見たのか。

芹沢氏が言うとおり、氏家が殺したかったのは本当は自分だったのかもしれない。

事件のあった2月4日は、翔馬ちゃんの母親の誕生日だった。

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参考文献
特集 乳児刺殺「34歳通り魔」を誰が「仮釈放」させたか
 週刊新潮 / 新潮社  2005.2.17 p139~141


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「通り魔になった男の悲しき弁当箱~イトーヨーカドー乳児刺殺事件③~」への4件のフィードバック

  1. こんにちは。
    この事件,よく覚えています。
    当時就職活動中で,「ショップ99」だったと思いますが,説明会の冒頭に事件の被害者へ黙祷を捧げました。
    事件があったのはショップ99の前だったのでしょうか。

    保護司や更生施設は果たしてどれほど仮釈放者に親身になっているのだろうかと疑問に思いました。
    これは執行猶予中の保護観察に関してなのですが,明らかに精神に異常をきたしているように見えるのに,保護司は何ら具体的な策を講じていないと聞いたことがあります。
    知人が保護観察中の者からストーカーまがいの被害に遭っていて困っていると話していました。
    もっと警察や医療と連携する必要性を感じます。

    また,別の執行猶予中の知人は,保護観察は毎回茶飲み話だけで終わると話していました(その人はとても再犯をするようには私にも思えないので,それはそれでありなのかもしれませんが)。
    裁判員裁判では執行猶予に保護観察を付けるケースが多いと聞きましたが,形だけになってしまっているような気がしてなりません。
    せっかくの裁判員の思いも,保護観察が単なる茶飲み話では台無しですね。

    それにしても翔馬ちゃんが可哀想すぎますね。
    ご冥福をお祈りいたします。

    1. 折原臨也 さま
      いつもありがとうございます☺

      事件が起こったのは、2階の靴売場の前だったようです。
      お母さんが靴を見ていて、ふと気がつくと氏家がベビーカーの隣に立っていた、と新聞にありました。
      翔真ちゃんの誕生日が数日後に控えており、また、もうすぐ1歳でつかまり立ちもできていたとの事で、翔真ちゃんの靴を見ていたのかもしれませんね…

      保護観察の実情は私も今まで詳しく知らなかったのですが、おそらく今もあまり変化は無いのではないかと思っています。
      実は、保護司の方で知ってる方がいるのですが、高齢の主婦の方です。特になにか肩書きがある訳でもなくて、主婦の方。
      正直、務まるのかな??と思ったりもしました…女性の仮出所者もいますから、女性の保護司も当然必要かとおもいますが、おっしゃる通り仮出所後の茶飲み友達程度なのでは?とも感じました。

      実際、この事件後に強化された仮出所者の行方の把握で、行方不明になる人間は大幅に減った、とも言われます。が、それでも100~200人程度は行方不明になっているという結果もあり、それはそれで由々しき問題に思いますね。

      脱獄とは違う、とはいえ、規則を破っている時点で更生しているとは言い難いとか思いますし、被害者の立場からすれば恐ろしくも感じるのではないでしょうか。

      その後ですが、氏家に暴行されたお姉ちゃんは、私が調べた範囲ではすくすくと成長されて、小、中学校でも学業やその他の面において色々と活躍されたようです。
      きっと、御家族がしっかりサポートなさったのでしょうね。
      犯罪被害者家族がその後バラバラになってしまったり、悲しく寂しい生活を送らざるを得ない、そんな話も少なくないので、そういった点ではホッとしました。

  2. こんばんは。

    現場は靴売り場でしたか。
    お母さまは翔馬ちゃんの成長を想像しながら選んでいたのでしょうね。
    まさかこんなことが起こるとは夢にも思わなかったはずです。
    本当に気の毒です。
    お姉ちゃんのその後もわかっているんですね。
    翔馬ちゃんの分まで元気に生きてほしいです。

    保護司って僧侶などの宗教関係者が多いのかと思っていたら普通の主婦でもなれるんですね。
    一体どんなやりとりがあるのか…
    もっと公開されていいんじゃないかと思います。

    1. 折原様
      コメントありがとうございます。
      お母さんはしかも自分の誕生日だったわけで、どれほど傷つき、苦しまれたかと思うと想像すらできません。
      だからこそ、お姉ちゃんがその後健やかに育っているのを知って、泣いてばかりもいられなかった親としての強さに頭が下がります。
      氏家の生い立ちなど、同情を禁じ得ない部分もありますが、だからと言って幼い子供が犠牲になっていいわけはなく、余計になんとかならなかったかと悔しいですね。
      保護司は民生委員に近いのかな、と思ってます。地域性もあると思いますが、高齢になって引退する時点で、後継者を探すのかなぁ、という感じで。
      たいていは宗教関係者や法律に詳しい方が多いのでしょうけれど、田舎だとそもそもなり手がいない(僧侶すらいない)こともあるので、地域の顔役みたいな人が引き受けざるを得ないのかな。

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