病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件②~




もうひとり

3月12日に開かれた亮子の初公判において、弁護側は起訴内容を一部否認。亮子が単独で行ったとする検察に対し、亮子の知人である女性の名前を示して、その女性に言われるがままに行ったものだと主張した。
それはむしろ、その知人女性こそが、この事件の「主犯」であるかのような主張だった。

実は弁護側のみならず検察も、家族らからの聞き取りの中で、拓哉君の妹による
「ぐるぐる巻きにされたお兄ちゃんの前に、おばちゃんがいた」
という証言を得ていた。しかし妹は検察の調べに対しては当初、「何も見てない」と話していたことや、当の知人女性が完全に関与を否定していたこと、そもそも亮子の口からそんな話が出ていなかったことから、検察は妹の証言を重要視していなかった。
弁護側は検察に対し、起訴内容が事実と違うとして訴因変更を求めた。検察もそれを受けて初公判を延期、再捜査を行いはしたものの、弁護側の主張を裏付ける証拠がなかったという。

読売新聞の取材に対し、名指しされた女性は困惑の色を隠さなかった。
「なんでそんなことを……。事件があったという数日間、私は仕事をしてましたし、そもそも梅村さん宅へ行っていません。どうして急にそんなことを言い始めたのか、わからない」
女性は警察にも同じように証言しており、タイムカードや同僚の証言からも出勤していたのは間違いなかったし、なによりなんの関係もない子供をその女性が虐待する理由がわからなかった。
検察も、もしその女性が関与していたならなぜ自分がすべてを被るような証言を亮子はしていたのか。それも理由が見いだせなかった。
検察は、弁護側がいわば誘導する形で亮子の虚偽の証言を引き出したとして、
3月12日の初公判では訴因変更はされなかった。

その知人女性とはいったいどういった人物なのか。



親友

ここでは仮に、中田美幸(仮名/当時31歳)とする。美幸は1998年に亮子と同じクリーニング店で勤務していたことがきっかけで知り合っている。同じ年頃で、美幸にも亮子の子供たちと同年代の子供がいた。お互いに家族への不満や子供のことなどを話すうちにどんどん親しくなっていったという。
亮子は美幸の子供が通う空手教室に拓哉君を通わせたり、お互いの子供の送り迎えをし、美幸も亮子の自宅に頻繁に子供たちを連れて遊びに行くなど、その関係は良好かつ、親密なものだった。

当然、亮子は拓哉君の問題行動についても美幸に相談していた。美幸は1つ年下だったが、何か相談するとアドバイスがすぐにもらえ、それまで相談相手もいなかった亮子にとっては頼もしい存在だったという。
すでに夫・雄二さんとの関係が破綻していた亮子は、日常のあらゆる出来事を美幸に話し、様々なことを共有していくようになる。
美幸はいずれ母子家庭となる亮子を心配し、「母子家庭だからと言われないようにしないとね」と、亮子が神経質なまでに躾に厳しいことにも理解を示し、拓哉君との関係にも相談に乗っていた。

美幸は相談に乗りながら、亮子と拓哉君の関係性に違和感を覚え、心を痛ていたという。
拓哉君の視線が怖いと訴える亮子をなだめ、早朝や深夜の亮子からの助けを求める電話にも応じていた。どうしても拓哉君の問題行動が収まらない場合は、一時的に家族と距離を置くのもいいのではないか、そういう思いで、亮子に児童精神科への受診も勧めた。
美幸から見て、拓哉君は挨拶もでき、明るく素直な子だという印象で、正直、亮子がいうような問題行動はピンとこなかったという。
亮子の立場も考えつつ、幼い拓哉君が亮子から厳しい叱責を受ける場面にも遭遇し、そのたびに美幸は間に入って親子の仲を取り持つなど心掛けていた。




事件発覚のその日、勤務先のガソリンスタンドで亮子からの電話を受けた美幸は、冒頭の通り、「とにかく抱きしめてあげて」と亮子に語り掛け、取るものも取らず梅村家へと駆け付けた。
亮子と雄二さんが警察に連行されたのち、残された姉妹は美幸が預かった。美幸は、亮子が戻るその日まで子供たちの面倒をみると決め、拘留中の亮子にも手紙や面会を欠かさなかった。

検察の取り調べにも応じ、美幸は拓哉君に何もしてあげられなかったと悔やみ、いっそ、拓哉君を自分がしばらく預かればよかったとも話した。
それなのに、亮子は拓哉君をせっかんしたのは美幸だと、そう主張し始めていた。妹の証言を引き出したとはいえ、妹の証言は一貫しておらず、美幸にしてみれば恩を仇で返されたようなものともいえた。

検察は、逮捕されて一か月以上経過し、突然美幸の存在や、ましてや共犯であるという話をし始めた亮子の主張はにわかに信じられなかった。だが亮子と弁護人らは、その後も一貫して美幸の関与、共謀を主張し続けることになる。そこには美幸の別の一面があったのだ。




亮子と雄二さんは、もはや修復不可能な状態まで夫婦仲は冷え切っており、平成13年の3月には離婚することが両者の間で決まっていたという。
署名捺印済みの離婚用紙を、亮子は持ち歩いていた。
そんな亮子に、美幸はある時こんな話をした。
「私の知り合いの人なんだけど、あなたのことを好きだっていう人がいるのよ。」
美幸はそういうと、亮子とその娘に「二人の男性」の写真を見せた。どういう経緯でその男性が亮子を知ったのか、なぜ二人もなのか、そのあたりは明らかになっていないが、亮子はまんざらでもなかったようだ。
以降、美幸を通じて、亮子はその男性らのために毎日弁当をこしらえ、美幸に託していた。
またある時には、男性の身内に不幸があったと知り、亮子はその際にも見舞金などを渡していた。
事件直後にも、美幸から届いた手紙には男性らの思いが綴られていて、一人は「亮子を諦められない」といい、もう一人は亮子のために歌を作ったと書いていた。

逮捕後の11月5日、取り調べを行っていた警察官より、亮子はその男性が実在していないことを知らされ愕然とする。
しかし、写真まで見せられていたことや、なによりまるで姉妹のように慕いあってきた美幸が、なんのためにそんな嘘をつくのか理解できず、亮子は警察官の言葉を信じられなかった。
二日後に面会に訪れた美幸に、亮子は警察官の話を持ち出し確認をとった。しかしこの時美幸は、話をはぐらかしたという。
さらにその翌々日、面会にやってきた亮子の兄夫婦から、またもや信じられない話を聞かされた。
亮子の実家には、一度泥棒が入ったという。その犯人を、拓哉君であると美幸が言ったというのだ。
もし、美幸が本当にそういったのだとしたら、美幸は嘘をついたことになる、と亮子は思った。
というのも、亮子の実家は梅村家とかなり距離があり、拓哉君が一人で誰にも気づかれずに行くことは不可能だったからだ。
兄夫婦の話に不自然さはなく、亮子はそれまで信用していた美幸に対し、疑念を抱くようになる。

そんな亮子に対して、弁護人は12日になって件の目撃証言の話を切り出す。亮子はここへきて、弁護人らですら知り得なかった事実を話し始めたのだった。




暴走か、洗脳か

亮子はかねてより、躾には人一倍気を使うタイプであり、そのことは美幸もよく知っていた。
そんな亮子に対し、美幸はこうアドバイスをしたという。
「朝は6時ころに起こして勉強させ、罰を与える際は裸にするといい」
亮子はそれを忠実に実行するようになった。

また、亮子が供述していた拓哉君が友達に嫌がらせをし、その母親から抗議を受けたことがある、という話だが、この母親というのは美幸のことだった。
同じ空手教室に通っていた拓哉君と美幸の子供は、平成12年7月に空手教室主催のキャンプへ行った。その際、美幸の子供の面倒を拓哉君がみる、という約束だったにもかかわらず、拓哉君は十分に面倒をみなかったといって、美幸から
「拓哉君は許せない」
と言われていた。さらに、「自己中心的な子だね」などとも言われたという。

亮子は申し訳なさでいっぱいになると同時に、信頼している美幸を怒らせる要因となった拓哉君を許せなかった。

病院を受診した際も、実は美幸が付き添っていた。
その際も、美幸は「亮子の妹」と偽り、医師との面談に同席し、自ら率先して拓哉君の家庭内での非行などをとうとうと医師に説明していたという。
大学病院での受診の際も、亮子に代わって美幸が率先して入院を求めるといった場面もあった。
これらは裁判で、実際に診察を行った医師らが証言していることであり、美幸が拓哉君のことをいつも思い、躾の厳しい亮子と拓哉君の仲を取り持っていたという公判での美幸の供述は途端に怪しくなっていた。




さらに、拓哉君を家族から離したほうが良い、ベランダで生活させればいい、叱る際は裸で縛ると効果的、など、これらはすべて美幸からのアドバイスのもとに亮子が行ったことだと弁護側は主張した。
美幸を頼るあまり、美幸からのアドバイスはいわば亮子を洗脳した状態にしており、拓哉君に対する恐怖と母親としての責任感に押しつぶされそうになっていた亮子は、美幸のアドバイスを取捨選択する余地すらなかった。
さらに、そのころ起きていたいくつかの少年が起こした重大な犯罪において、犯人の少年らが行動障害であると報道されたことを、美幸は亮子に伝えている。

ただでさえ家庭内での拓哉君に恐怖心を抱くようになっていた亮子にとって、この美幸の言葉は、
「このままだと拓哉君も同じようになる」
と言われたに等しかった。
そして、拓哉君が死亡した経緯についても、拓哉君を雨どいに縛り付け、さらに粘着テープでぐるぐる巻きにしたのは美幸である、と主張したのだ。

当然、美幸は完全否定した。裁判で証人として出廷した際も、子育てのアドバイスはしたが、縛れとか、ましてやそれを率先して自分が行うなどありえない、と繰り返し、検察も、逮捕された後でも美幸の関与を話さなかった亮子が、弁護人の誘導で行った供述は責任転嫁に他ならないとし、あくまで亮子の単独犯説を主張。
拓哉君の度重なる問題行動や、それに基づく医師による拓哉君の行動障害という診断があることで、拓哉君の行動障害を極度に恐れた亮子に親身にアドバイスをしたということが、結果として亮子を暴走させたとしても、それは罪ではないしましてや共犯でもない。
この時点でも、弁護側が主張する美幸の主導説はちょっと無理があるのではないか、という見方がなされていた。

しかし、平成14年9月2日、名古屋地裁岡崎支部の堀毅彦裁判長は、検察側に対し訴因を変更するよう求めた。
これは実質、亮子の単独犯行説を否定するものだった。




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