護られたかった人~小牧市・同居女性殺害事件①~

平成18年8月17日

名古屋高裁でこの日、とある殺人事件の控訴審判決が言い渡された。
被告人は、原田芳文(仮名/当時39歳)。平成16年に小牧市内で同居していた女性を殺害、遺棄した疑いで逮捕起訴されていた。
半年前の28日に下された一審判決は、懲役12年。求刑が15年であったことからも、妥当な線に思えた。
しかし、この日名古屋高裁の前原捷一郎裁判長は、原判決を破棄、懲役10年を言い渡した。
さらに減刑となった理由は、殺人が起こるその過程に注目したうえで、一審判決はそれを十分に考慮していない、というものだった。

男が殺人を犯した理由は、なんだったのか。





事件概要

愛知県小牧市新町2丁目のとあるアパートの駐車場に停めてあったトラックの箱の中から、毛布にくるまれた遺体が発見された。
そのトラックは、思えば長いことそこに放置してあった。運転席や助手席には書類や新聞紙、ゴミなどが山積みの状態で、使用されている形跡もうかがえない。
トラックは愛知県内の食料品加工会社のもののようだったが、その会社はすでに倒産していた。一度、トラックの周辺で異臭騒ぎがあり、アパートを管理している会社が来て調べたことがあったが、その時は運転席をのぞき込んだりする程度で箱を開けてはいなかった。

夏の暑さが本格的になった平成16731日。不審に思った住民女性が、思い切ってそのトラックの観音を開けた。
もともと食品を運んでいたトラックだから、ニオイはした。
しかし箱の中には明らかにそぐわない、布団のような、毛布のようなものが見えた。そして、その布団から、人の手らしきものがはみ出ていたのだ。

通報を受けた小牧署員が確認したところ、そこには白骨化した遺体があった。その後の調べで、遺体は女性、年齢30歳から50歳くらいの成人で、身長約160センチ、髪は茶髪で肩くらいまで、と発表される。
服装は紺色のジーンズに、上半身は下着姿。足元には枕と靴があったという。




すぐさまこのトラックを使用している人物の特定がなされ、そのアパートに住む食品製造会社勤務の男性と判明。
名古屋ナンバーのそのトラックは保冷車で、平成16年の1月頃からそのスペースに停められていたという。
警察が男性に話を聞いたところ、確かにそのトラックを使っていたのはその男性だったが、給料未払いの代わりに会社が男性に譲渡したものだということがわかった。
男性は現在別の食品会社で働いており、通勤にそのトラックを使っていたものの、故障したため3月以降放置していたという。箱を開けたのは、昨年末が最後だった。

警察は当然、この実質の所有者の男性に話を聞くことになる。しかし男性は遺体に関して全く知らないと主張。警察は男性の部屋のほかに、トラックが止められていた場所に一番近い部屋も捜索していたが、そもそも遺体の状況もよくわからなかった。
司法解剖で死因は特定されておらず、遺体もほとんど白骨化しており、いまだ身元も不明だった。
遺体は箱の真ん中より後方にあったが、敷布団と掛布団、それに枕、靴まであった。
箱は外から簡単に開けることができるため、たとえば浮浪者などがこっそり入り込み、それを知らない所有者もしくは第三者が観音を閉めてしまった、そういう可能性もあった。
しかし、箱の中や観音の内側に出ようとした形跡がないことから、やはり女性は殺害されこの場所に遺棄されたと断定、84日には遺体の身元が近くに住んでいた35歳の女性であることも判明した。

女性の交友関係などから、女性が行方不明になった際に同居していた原田が浮上、警察が事情を聞いたところ、5月に女性を殺害してこのトラックの箱の中に遺棄したことを認めた。

しかし、同時に驚愕の事実が判明する。
女性には13歳の息子がおり、事件当時は原田と3人での生活だった。そして、警察がその息子にも事情を聞いたところ、なんと「遺体を運ぶのを手伝った」と話したのだ。




3人の38日間

遺体の身元は、歯型鑑定の結果、遺棄現場のトラックが置いてあった場所からすぐのアパートに暮らしていた加藤好美さん(当時35歳)と判明した。
好美さんはその年の3月頃まで、西春日井郡師勝町の実家で息子と両親らと暮らしていたというが、3月末に突然行先も告げずに息子を連れて実家を出ていた。
47日には、好美さんの母親が家出人捜索願を出していたが、好美さんはというと、小牧市内のアパートで新しい生活を始めていた。
母と息子が身を寄せた先は、原田のアパートだった。

好美さんが家を出る少し前、原田は好美さんの息子、淳君(仮名/当時13歳)と初めて会う。淳君は、初めて会った原田に対し、膝に乗って甘えてきたという。
好美さんが、「このおじさん、どう思う?」と聞くと、「いいよ」と答え、以降、原田に非常に懐いていた。

原田は当時、アパート近くの工場で昼間は派遣社員として勤務していたが、好美さんと淳君のため、夜間も宅配のアルバイトをしていた。1日の勤務時間は、14時間にもなった。
近所の人らは、仕事が休みの日に、原田と淳君が楽しそうに連れ立っているのを見ており、実の親ことばかり思っていたという。
一方で、母親の好美さんのことを見かけたという人は少なく、中には、原田と淳君の二人暮らしだと思い込んでいた人らもいた。

表面上は何事もなく過ぎていく日々の中で、3人の生活はわずか38日間で幕を下ろすことになってしまう。しかも最悪のかたちで。
そこにはどんな現実があったのか。




母親の「癖」

事件後、淳君の口から「母親の遺体遺棄を手伝った」という証言が飛び出したことで、警察は淳君を補導し児童相談所へ通告した。

淳君は事件後も普通に学校へ通っており、関係者らによれば淳君に変わった様子はなかったという。
もともとおとなしい性格だった淳君だったが、5月上旬に担任に対し、「お母さんがいなくなった。近々引っ越す」と話していた。担任らは心配し、淳君に詳しい話を聞こうとしたが、淳君がそれ以上話すのを嫌がったため、深い話を聞けていなかった。
しかし、淳君が「おじさん」と呼んで慕う原田の存在を知り、611日になってようやく家庭訪問が実現。原田と面談した際、「母親がいなくなってしまったが、自分が面倒をみたい」と話しており、その後も積極的に学校に連絡をしたり、淳君のことを気遣う様子が見られたことから、祖父母の元へも戻れない複雑な事情があるのだろうと考えていた。

さらに、学校側が深く立ち入らなかったのにはもう一つ事情があった。

淳君は3月末まで祖父母の家がある別の校区に住んでいた。そこを急遽出て、小牧市内のアパートへ移っていたため、小牧市立の中学校へは4月の半ばという中途半端な時期に転入という形で入ってきていた。
その際、好美さんは「いろいろ事情があってこの時期になってしまった」と話していたが、学校側は淳君が通っていた師勝町の小学校から気になる話を引き継いでいた。

母親の好美さんには、これまで度重なる「家出歴」があったというのだ。
現に、原田と暮らし始める直前までの2年間、好美さんは家に戻っておらずその間祖父母が淳君の世話をしていた。




好美さんの家出が始まったのは、淳君が小学2年生の頃だったという。
19歳で結婚した好美さんは、淳君含め二人の男の子を授かったものの、夫のDVが原因で5年間の別居を経て離婚する。この間、夫から逃れるために子供らを置いて実家に帰っていたが、最終的に次男の淳君だけを引き取った。
離婚が成立したのは淳君が7歳の頃だった。
しかし離婚成立してしばらくすると、好美さんは短期間の家出を繰り返すようになる。さらに、近所の男性と知り合った直後に妊娠、「堕ろす金なんかないで!」と言われたことで何と好美さんはそのまま出産し、籍を入れないままに淳君を連れ、男性の実家で同居し始めた。
しかしこの男性の実家は、男性の父親が暴力で支配する家であり、男性の母親は殴られ、前歯がなかった。
同じように、好美さんも男性から激しいせっかんを受ける。身体的な暴力はもちろんのこと、遠方で置き去りにされる、風呂に入らせてもらえない、食事を与えられないなどなど、様々なDV被害を受けていた。
耐えかねた好美さんは、詳細は不明だがおそらく男性との間に生まれた子供を置いて、淳君だけ連れて再び実家へ舞い戻った。
しかし実家へ戻ってすぐ、今度は好美さんがいなくなってしまう。
平成14年の2月、出会い系で知り合った東海地方の男性に対し、「家出中なのでしばらく泊めてほしい」と連絡し、男性が3月末で勤務先が変わった際、好美さんはそれについていってしまった。
男性には、28歳で独身、実家が裕福だと説明していて、その勤務先の寮でふたりは「夫婦」として生活している。

この時の家出は先ほども述べたように、事件直前までの2年間に及んだ。
さらにこの時、男性の勤務先の同僚として、原田と出会うことになったのだ。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です