護られたかった人~小牧市・同居女性殺害事件②~




息子の心

児童相談所に通告された淳君は、原田に強要され、恐怖に支配され手伝わざるを得なかった、そう警察は判断していた。
13歳の少年が、実の母親の遺体を、よりにもよってその母親を殺害した男とともに遺棄するなど、誰が考えてもそれ以外思いつきもしなかっただろう。

愛知県中央児童・障碍者相談センターの職員と、児童福祉司らによる淳君との面談が行われた際、淳君は時折涙ぐむ場面もあったという。
しかし、面談した職員らは、どこか淳君の態度に違和感を抱いていた。
母親が殺害されたというのに、母親に対する感情がまるで見えてこない。いや、正確に言うと、母親に拒否感のような感情を持っているように思えたという。

原田は取り調べに対し、一貫して「自分の収入が少ないことをやり玉に挙げられ、口論が絶えなかった。日に日に腹立たしい思いが募って殺害した。」と話していて、淳君についてはその場にいなかった、後で自分が手伝わせた、と供述していた。
一方で淳君が、「母親とはいい思い出がない」「母親が死んでも淋しくない」などと話していたことで、児童相談所では原田が言うような経済的な問題のほかに、この淳君と好美さんとの母子関係が事件に関係しているのではとみていた。

淳君はその後、家裁での審判を経て、少年院などへは送致されず、児童相談所での預かりとなった。
それには、好美さんの家出問題や絶えず変化する家庭環境など薄幸の境遇にあったことのほか、遺体遺棄を手伝ったのもショックと恐怖に襲われ、原田に従わざるを得なかった、という警察、付添人両方の見方によるものだった。

しかし平成16年10月29日から始まった原田の裁判において、淳君の環境が想像を絶するものだったことが明らかになっていった。




振り回される人々

好美さんは先にも述べたとおり、前夫との離婚が成立した直後から、家出を繰り返していた。
そして、出会い系サイトで知り合った男性と関東へ行き、そこで夫婦同然の生活をする中で、男性の同僚だった原田と出会っている。
好美さんは男性とともに、会社の寮の飲み会などには積極的に参加していた。そして、知り合った原田がたまたま男性と好美さんが暮らす部屋の隣に暮らしていたことで、好美さんは原田に対して親しげに振舞うようになったという。

好美さんは同棲している男性がいながら、原田に対して飲み会で隣に座ったり、その際に手を握るといった「思わせぶり」な態度をとった。
原田も、男性の存在は知っていたが、悪い気はしなかった。
ある時、原田の部屋に好美さんがやってきた。そして、原田にこう、相談を持ち掛けた。
「一緒に暮らしている男に金を巻き上げられたり、酷いことをされている」
原田は好美さんの話を信じ、男性宅へ怒鳴り込んで大ゲンカとなった。原田も好美さんの実家が裕福だと信じていたので、それを男性が利用しているのだと思い込んでいた。

結果として、男性は好美さんに謝罪し、寮を引き払うことになった。
原田は満足だった。頼られたこと、そして好美さんを助けてあげられたことで、好美さんにより必要とされている、自分がそばで支えてあげたい、そう思うようになっていた。

しかし、事実は全く違っていた。
男性は好美さんにほとほと嫌気がさしていたのだ。というのも、好美さんは寮の部屋で酒を飲んでは酩酊し、そのまま外に飛び出して迷惑をかけたり、酒が足りなくなると暴言を吐くなど、とにかく男性は辟易していた。
好美さんが原田に助けを求めた時も、実は男性のほうから好美さんに「出て行ってほしい」と願い出ていた。
その事実を隠し、好美さんは原田に対して男性を悪く言い、いわば原田に「乗り換えた」格好になっていたのだ。
原田はそんな好美さんの思惑に気付くことなく、頼られていることの喜びに酔いしれていた。




原田の過去

一方の原田は、どんな生い立ちだったのだろうか。
九州で文房具店を営んでいたという家に生まれた原田は、両親と兄と妹の5人家族だった。
悪い意味での九州男児の典型だったのか、原田家では父親が絶対君主として君臨していた。もちろん、鉄拳制裁は日常茶飯事であり、幼い原田や兄は、些細なことで父親から暴力を受けていたという。
家族は常に父親の顔色をうかがう日々の中で、誰かに相談すればさらに暴力が激しくなることを恐れ、誰にも言えないまま彼は中学生になった。

中学生になった原田は、1年生の頃からいわゆる「ツッパリ」の格好に憧れるようになる。裏地に刺繍が入った長ラン、ボンタンに身を包み、それを父親に咎められても譲らなかった。
中学2年生になると、父親も強硬手段に出るようになる。ボンタンを履けないようにハサミを入れられたのだ。それでも先輩のおさがりなどを調達してボンタンを履き続けた原田だったが、林間学校から帰宅した際、自慢の刺繍入りの長ランが、父親によってズタズタにされていた。
刺繍は剥ぎ取られ、長ランの丈も短くされていた。
ぶちギレた原田は、この時父親に初めて暴力で応戦したという。

その後、原田家は離散、兄は成人後に自殺未遂をして行方不明となり、親せきとも連絡がつかない状態になっている。

父親からの激しい暴力にさらされて育った原田だったが、「絶対に父からされたことを他人にしない」「手を挙げたり、頭ごなしに怒ったり絶対にしない」と強く自分に言い聞かせていた。
しかしその原田の強い思いが、好美さんを悪い意味で増長させることになってしまう。




「私霊感が強いの」

原田はその後、寮で好美さんと同棲するようになる。
一緒に生活するようになってすぐ、原田の周りでは奇妙なことが起こり始めた。
部屋の中のいたるところから、「ラップ音」が鳴るようになったのだ。
破裂音のようなラップ音は、必ず好美さんが在宅している時に聞こえていた。訝る原田に対し、好美さんは、
「私は霊感が強くて、子供のころそれが原因で精神病院に連れていかれたこともある」
そう原田に説明し、原田もそれを信じた。

さらに好美さんには、複数の「霊」が乗り移ったという。
男性、幼稚園くらいの女児、以前の交際相手(事故で亡くなったらしい)などなど、様々な霊が好美さんに入り込み、そのたびに好美さんは白目を剥いて、時には恐ろしい言葉を吐きながら原田の首を絞めようともした。
幼稚園児の女の子の霊が来たときは、好美さんを霊界に連れて行こうとするのを必死でなだめ、何時間もその女の子の霊が乗り移った好美さんの相手をした。

それだけではなく、好美さんは様々なトラブルも引き起こしていた。
給料が安い、と好美さんに言われた原田は、それまでの仕事を辞めて新しい仕事を探した。好美さんに言われたからかどうかは不明だが、原田は中部地方、関東地方、東海地方と転々とする。しかしどの職場も、かならず好美さん絡みのトラブルが起こって退職せざるを得なくなる。
原田の同僚と険悪になったり、奇声を発する、家具を壊すなど、常軌を逸したものもあった。

安定した職に就けないまま、原田は好美さんのたっての希望で生まれ育った九州へ行った。
しかし先述の通り、原田家は離散状態ですでに家も取り壊されていたため、原田は結局ようやく見つけた同級生の紹介で仕事を始めたが、その職場も好美さんが難色を示し始めたため失ってしまう。

好美さんの要求はとどまることを知らなかった。どんな職場で働いても、原田が寝食を忘れて働いても、満足することはなかったという。
「もっと稼げんのか!」
そう激高する好美さんに対し、原田はどこまでも根気強かった。
絶対に怒ったりしない、ましてや手を挙げたりなどしてはいけない。好美がこんな風に言うのには理由があるはずだ。そして、それを理解してやれるのは自分だけ。

原田は「自分が頑張れば克服できる」と、真剣に思っていた。




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