母の名は、女~山形・村山市6歳男児殺害死体遺棄事件④~




「母として仇をとってやりたい」

板垣は平成15年12月22日に死体遺棄容疑で起訴、有美同様、のちの殺人罪でも起訴となる。

2月16日の初公判では、どこか心ここにあらずと言った風で、裁判長からの呼びかけに応じない場面もあった。
4月19日の第二回公判において、殺人罪の罪状認否については「死んでも構わないと思ったが、計画的ではない」と確定的な殺意を否認、弁護側も有美同様、未必の故意を主張した。

この時点で、有美と板垣の関係は変化しており、有美は自身の裁判で板垣が翔くんに包丁を突き付けた、階段から翔くんを突き落とすことを相談したといった証言をしていた。
そのため、弁護側は有美の証言を根拠としての証拠採用を拒否、板垣の殺意の有無について争う姿勢を示していた。

5月24日の第三回公判では、被告人質問が行われ、翔くんに包丁を突きつけたことも、階段から突き落とす相談をしたことも否定し、さらには包丁を突き付けたのは有美であると述べたため、検察側は有美を証人申請することになる。
7月5日の第四回公判、証人として出廷した有美は、「板垣さんは私が持っていた包丁を取り上げ、翔に突き付け、『俺なら殺せる』と言った。本当に刺すかと思った。階段から突き落とす話も、板垣さんが言い出したと思う」と証言するも、板垣は「やってないことまで言っている」として有美の証言を否定した。
その上で、板垣に対して、
「顔を見るのも嫌だし、声も聴きたくない。できることなら、母として仇をとってやりたい(?)。本当に償う気がないならば更生の機会すら与えてほしくない」
と述べ、退廷するときも板垣を一瞥もしなかった。




7月26日の論告求刑において、検察は
「罪の軽減を図って虚偽の弁解をし、確定的な殺意をもって終始主導的な役割を果たしていた、加藤受刑者よりも刑事責任は重い」
として、懲役15年を求刑。
「人間として到底許されない悪質かつ残酷な犯行」とも述べ、翔くんが受けた暴力の凄惨さを強調した。
板垣は
「大切な命を奪ってしまい申し訳ない、早く刑に服して冥福を祈りたい」
と謝罪の言葉を口にした。

10月18日、山形地方裁判所の金子武志裁判長は、
「空腹や暴行に耐えて嘔吐する姿を目にしながら平然と虐待をつづけた被告人は、人間としての情が欠如している。翔くんの悲しみ、恨み、絶望を思うと涙を禁じ得ない」
と断罪、争点だった殺意についても未必の故意を認定、懲役13年の判決を下した。
検察は判決に先立ち、翔くんの祖母(有美の実母かどうかは不明)の手紙を朗読。「もし罪にならないのならば、翔にしたことをやり返したい」という手紙に、板垣は「本当に申し訳ないことをした」と謝罪した。

裁判を終え、板垣の弁護人はその態度などから、
「どんな判決でも従う心境だったようだ」
と話して、控訴しない意向を示していた。

しかし、板垣は量刑に不服として控訴した。
板垣は控訴審以降、法廷には姿を一切見せていない。理由は、
「傍聴席からの視線に耐えられない」
というものだった。

その後、なんと最高裁まで持ち込まれたものの、平成17年6月13日、最高裁はこれを棄却し懲役13年の判決が確定した。




初の懲役10年以上

この事件が注目されたのは、実母によるあまりに短い期間での虐待殺人、死体遺棄だったことのみならず、その判決にも理由があった。
それまでにも多くの子供らが虐待の末に死亡、遺体を遺棄されるといった事件はあったが、いずれも傷害致死、保護責任者遺棄致死といった罪状となっており、殺人罪が適用されるケースは稀(あるにはあった)だった。
このサイトでも取り上げている広島二児虐待死事件、苫小牧ネグレクトなどは殺人罪が適用されているものの、いずれもこの村山市の事件よりも判決は後であり、平成14年時点では虐待事件で判決が懲役10年を超えた事例はなかった。
平成13年に起きた尼崎の瀬田恭一君の事件などは短期間の暴行で死に至らしめている点や、遺体を捨てている点など類似しているものの、傷害致死と死体遺棄で懲役8年となっている。

どうも虐待は殺人ではなく傷害致死、保護責任者遺棄致死であるといった「区別」があるようにも思え、イコール、虐待する親は「まさか子供が死ぬとは思わなかった」と思いながら殴る蹴る、食事を与えない病院に連れて行かない、いざ死んだら狼狽える、だから殺意がなくては成立しない殺人罪には問えない、そんな空気が今もずっとあるように思うが、この時代においても多くがそうだったとみえる。

病気の子供を病院に連れて行かないのは、死んでもしかたないと思っているからではないのか。そしてそれは未必の故意であり、殺人と同じではないのか。いわゆる、見殺しである。
ならば、助けを求める子供を無視し、暴行を止めない、通報や他人に助けを求めるなどの行為もしない、これだって「死んでもしかたない」と思っているからではないのか。

こういうと、エライ人は「洗脳されていたんだ、騙されていたんだ、視野狭窄、フリーズ状態わーわーわー」というだろう、もちろん、それ自体は否定しない。しかし、この村山市の事件において、裁判長は「その状況を自ら選択し、優先した」という点を見逃さなかった。




昨日まで一緒に泥棒してたんでしょう?

有美は裁判でも終始泣き崩れ、加害者でありながら被害者の母親であるということに必死でしがみついているように見える。
最終陳述では、翔くんへの謝罪の手紙を読み上げたといい、傍聴席からはすすり泣きも漏れ、検察官までもが目頭を押さえたという。

「翔、ごめんな。
ここが翔に一番近い場所だと思っている。手紙読むから聞いてね。
何度謝っても謝り切れることでも、償いが終わるわけではないけど、今はそれしかしてやれません。
(中略)
再逮捕された時、翔の大好きな食べ物がおかずとして出てきた。あれ、翔でしょ。『翔が元気をくれている』。そう思った、ありがとう。
(中略)
(遺体が発見された時)ばかな母親を、翔のかーに戻してくれたね。ありがとう、翔。
小さい手なのに、ふっくらしてない翔の手だけは離すんじゃなかった。『翔、手つないで』って(お願いしても)つなげないんだね、もう二度と。」

うーん、なんだろこのドン引きする感覚。まるで浜崎あゆみの歌詞かと思うほど、酔っている。
別の新聞の報道では、オブラートに幾重にも包んだ状態でこの「ドン引き」を伝えるものもあった。
死刑にしてほしいと、有り得ない判決を望んだかと思えば、弁護人から虐待について問われても「よくわからない」という様子や、時には質問する検察官らに対し、私の気持ちはわからないと言わんばかりの態度で応じる姿に、「本心から向き合っていない」と書く新聞もあった。。
弁護人自身も、「踏み込めない部分があった」と話していた。




 
佐賀、長崎の連続保険金殺人の山口礼子を彷彿とさせる彼女は、前述のとおり自身の刑が確定したのち、板垣の裁判に証人として出廷した。
自分の刑が確定して、自分はすでに償いの道にいるからなのかなんなのか、まるで板垣単独の犯行であるかのような証言をつづけ、あろうことか、「母親として仇をとってやりたい」という迷言まで残した。お前が言うな、と、法廷にいた人たちは思わなかったのだろうか。

ラジオの超有名番組、「テレフォン人生相談」でおなじみの大迫恵美子弁護士が、ある時相談者に対し痛烈な一言を放ったことがあった。
不倫を清算した男性が相談者で、
「元不倫相手の女性が別の男性と不倫しているのが許せない、不倫は悪いことだから自分はやめた、だから女性もやめるべきだ、そのために自分は正義としてその不倫を女性の家族に伝えようと思っているが、それは法に触れないか」
という内容だった。

大迫弁護士は、罪に問われるかどうかはケースによるとしながらも、なぜそれをよりにもよって不倫していたあなたが偉そうに言うのか、ということを男性に問いただした。
男性は、「自分は反省し、悔いている。だから、今度はそういう悪いことをしている人を正したい」というような、正義感を振りかざして反論。

しかし、大迫弁護士は、
「だってあなた、昨日まで一緒に泥棒してたんでしょう?罪を告白したら急に共犯者を売っちゃって、良い人になるんでしょうか。」
と返し、相談者は絶句。テレフォン人生相談史上に残る不朽の神回である。

同じとは言わないが、有美のこの法廷での言動を見るにつけ、なぜお前がそんなことを言えるのか、という思いがずっと離れなかった。
検察官が目頭を押さえたのは絶句していただけじゃないのかとすら思う。
そんな有美に対し、本人にその意図があったかどうかは別として、板垣もまた痛烈な皮肉をつぶやいている。
母として仇をとってやりたい、そう法廷で怒りをにじませた有美に対し、板垣はこう答えた。
「……親なら、そう思うと思います。」
私は呪縛にとらわれていた、と言った有美に、この言葉はどう響いただろうか。




最期の言葉

翔くんは、6月上旬、とぼとぼとアパート近くの路上を歩いているところを通行人に保護された。
リュックを背負い、中にはパジャマらしきものが入れられており、
「にゃんこばあちゃんのところへ行く」
と話した。にゃんこばあちゃん、とは、有美の実母のことである。
保護した人が交番へ連れて行こうとした矢先、有美が血相を変えて現れ、翔くんを連れ戻した。
翔くんは明らかに、有美から逃れようとしたのだ。
この日から数日後に、翔くんは顎を真っ二つに割られ、食事を与えられず水分も摂れず、寝たきりになってただ死を待つのみとなった。

もう、長いこと「かー」と呼ばなくなっていた翔くんは、命が消えた夜、有美を見つめてこう言った。

「かー、助けて」

それが翔くんの最期の言葉だった。

**************
参考文献
社会福祉法人 横浜博萌会 子どもの虹情報研修センター
平成22年度研究報告書 「児童虐待に関する文献研究」
研究代表者 増沢高 共同研究者 川﨑二三彦 他 

事件備忘録…にOFUSEする

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「母の名は、女~山形・村山市6歳男児殺害死体遺棄事件④~」への4件のフィードバック

  1. はじめてコメントします。

    数日前にこちらのサイトにたどりつき、毎日読ませていただいてます。
    私は新居浜在住ですので、新居浜の両親殺害事件は特に興味深く読ませていただきました。

    子殺しの事件を読むたびに、どうして、なんでこんなこと・・・と本当に理解に苦しみます。加害者に、不遇な生い立ちなどどんな背景があろうとも、私はまったく共感できないし、同情もできません。

    特にこの有美は、板垣と出会うまで翔君のことを本当に愛してかわいがっていたのに、男の影響でこんなにも豹変できるものなのかと、おなじ子を持つ親として信じられない気持ちでいっぱいになりました・・・

    翔君の最期の言葉がとても悲しくて切なくて、涙が出ます。
    生まれ変わりとか、そういうのは全く信じていないのですが、虐待されて亡くなるお子さんを見るたび、どうか来世はあたたかく幸せな家庭に生まれてこられますように・・と思わずにはいられません。

    1. ほっとけーき さま
      はじめまして、コメントありがとうございます。
      新居浜にお住まいなのですね!
      新居浜の事件は私にとって忘れられない、生涯にわたって考え続けるだろう事件です。

      今回の山形の事件は、母親が堕ちていく速度があまりに早く、余計に翔くんが可哀想です。
      あんなに大好きだったお母さんが、と思うと。

      子供が犠牲になる事件については、私はどんな事情があろうとも許されないし、ましてや加害者である親や大人に一片の同情もありません。
      厳罰にしても意味は無いかもしれませんが、「死ぬとは思わなかった」などという戯言をいって罪が軽くなるのは本当に納得できないです。

      読むと辛くなる事件もあると思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

  2. いつも情報量の多い更新ありがとうございます。
    大変読み応えのある記事でした。

    この事件、覚えてます。
    ちょうど同じ時期九州の赤池町だったかな?保険金殺人の共犯が
    吉原に潜伏していて出頭した事件がありましたっけ。
    9年間だか吉原にいてよく見つからなかったな、という
    感想でしたがこちらは土浦で簡単に見つかったのを不思議に思った
    記憶があります。
    報道では障害のある子どもを山中に置き去りにしたとの事だったのですが事実をこの記事で知りました。
    なんとも驚愕です。
    うちにも障害ある子どもがいるので・・
    毎日大変ですけどそれでもこの子に癒されてます。
    幸い私はよいパートナーに巡り合えたので大丈夫ですが
    パートナー選び間違うととても悲惨ですね。
    母親に同情するところも多々ありますがそれでもトリガーを引いたのは
    この母親なんですよね。
    何とも言えない気分になりました。

    1. 遼々 さま

      コメントありがとうございます。
      書きたいことを上手くまとめられず、いつもとっちらかって長文になってしまいます汗
      でも、その分細かいところまで伝わるといいなと思いながら、書いてます笑
      ありがとうございます。

      さて、この山形の事件ですが私は当時3歳の子を育てていて、虐待事件には心が痛い思いでした。が、この事件は知ってはいたものの詳細が分かりませんでした。山中に置き去りにされた、その子は腎臓病だった、程度の記憶で。
      調べてみて、なんとも残酷極まりない事件だったと憤るとともに、こんなにも愛情深い母親がなぜ、という思いでした。
      有美は、寂しかった、と話していたようです。経済的にも余裕はなかったこともあって、「自分一人では子供を幸せに出来ないかもしれない」と考えた節があるんですね。
      一方で、自分自身の女としての幸せも感じたかった。これは全く悪くない、ですが、焦りもあったのか周りが見えなくなってしまったのでしょうね。

      厳しいことを記事では書きましたが、有美は板垣に出会わなかったら、違った人生だったかもなぁと思います。
      もちろん、それを自ら選択し優先させたという裁判所の判断はその通りで、たとえ板垣と出会わなくても、翔くんが命を落とすことはなかったにせよ、何らかの拍子で自分を見失ってしまった可能性は高いと思いました。

      もう出所しているでしょうし、生き直していると思いますが、虐待というより殺人事件であるため、あえて実名にしました。

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