22歳元自衛官が見誤った故郷の誇り~宮崎家族3人殺害事件②~

貴子さんとくみ子さんの過ち

貴子さんについて、裁判の過程で次々とその気の強さから出てしまった奥本への暴言、叱責、暴力が浮かび上がった。
先にも触れたが、経済的に余裕がなかった奥本に対し、折に触れまるで出来損ないであるかのような言葉を投げかけた。
「雄登の抱き方がなってない」「若いんだから寝てばかりいるな!」
また、その叱責の仕方も「大声で」繰り返されたといい、肉体労働を経て帰宅した奥本にとっては心身休まることは難しかったであろう。

貴子さんの気性の激しさは、別の人物による証言がある。
奥本の母親・和代さんが証言したことだが、3人の葬儀の際、貴子さんの元夫から、「章寛の気持ちもわかる、自分も貴子の母親にいろいろ言われて家を出たから」と聞かされたというのだ。
しかし、遺族側の代理人弁護士は元夫はそんなことを言っていないと否定した。和代さんはそれでもはっきりと「言いました。忘れることは出来ません」と言い切った。
元夫はというと、実は同じようなことを裁判で証言している。
第2回公判で、検察側の証人尋問の際、男性裁判員から「貴子さんとの離婚理由は?」と聞かれた際、「貴子が母親から(離婚を)勧められたからじゃないか」と話している。
それ以外にも、奥本の気持ちがわかると話したことはないかや、貴子さんの気性について質問された際は返答に窮する場面も見られた。

くみ子さんはというと、今どき布おむつを使うほど子育てには手をかけていた。
友達らとのメールでも、雄登ちゃんの成長を喜ぶ内容が多く、よくある母親に預けっぱなしで遊び惚けるというような若い母親像は当てはまらない。
半面、奥本に対してはやや違った一面も垣間見える。
子育ての経験があれば誰しもわかると思うが、どうしても夫のことは二の次三の次にしてしまいがちだ。理解のある夫であれば、それも致し方ないと納得もしようし、常識の範囲での息抜きをしてストレスを発散するだろう。
しかし、奥本の場合はそこに貴子さんという存在があった。早く帰宅すればしたで貴子さんからのダメ出しが雨あられのように降ってくる。それが嫌で帰宅時間を遅くすれば、そのことを叱責される。
奥本は車の中で出会い系サイトに興じるなどして時間を潰していたという。

もし、貴子さんの叱責に対し、くみ子さんが奥本の肩を持っていれば奥本も救われただろう。そして、2人で協力して子育てをし、自分たちだけで暮らせるよう努力しただろう。
また、くみ子さんが奥本をぞんざいに扱うのを母親である貴子さんがたしなめる、あるいは奥本をねぎらうような言葉があれば、同じく奥本の心が荒んでいくこともなかったであろう。
残念ながらこの家族は、貴子さんを中心に妻も子供も、奥本からすれば「敵」にしか見えなくなっていたようである。

そんな中、決定的な事件が起こった。

「あんたの両親はなんもしてくれん」

2010年2月22日。
家に帰りたくない奥本は、たびたび車中で出会い系サイトなどをみていた。そんな中で、1人の女性とメールをしあうようになっていた。
この日、その事実がくみ子さんの知るところとなる。くみ子さんは「離婚はいつでもしてやる」と強がったという。
23日には、深夜帰宅した奥本と貴子さんは、雄登ちゃんの初節句について話した際、求菩提の実家か宮崎のどちらでやるかという、はっきり言ってどうでもいいことで意見が対立する。
おそらくだが、奥本としては宮崎でやってもいいが求菩提の方でも行いたい、そういう案を出したのではないかと思われる。奥本が意見の対立と呼べるほど主張したとは到底思えないからだ。
それに対して、貴子さんは求菩提でやること自体を拒否したのではなかったか。
というのも、貴子さんは奥本のみならず求菩提の両親を嫌悪していた節がある。
山村で暮らす奥本の両親は、自衛隊を辞めた息子が嫁と子供に不自由をさせていると心配し、事あるごとに野菜などを送ってくれていた。
実家が田舎にある人ならば、この親が送ってくれる野菜にどれほどの思いが詰まっているか容易にわかることであるが、貴子さんにしてみれば「たかが野菜」でしかなかった。
さらには、自身が居酒屋での仕事で得た収入を娘夫婦の生活の足しにしていたこともあり、銭にもならない野菜などでお茶を濁されてたまるかという思いもあったのかもしれない。
求菩提からはるばる両親が宮崎に出向いた時ですら、貴子さんは家にあがらせるのを嫌がったという。
人々の助け合いと田舎の素朴なやさしさの中で育った奥本からすれば、貴子さんの子の両親への仕打ちは心を痛めるどころのことではなかったであろう。

初節句の話し合いのさなか、貴子さんは激昂して奥本の頭を数回叩いたという。
その上で、「あんたの両親はなんもしてくれん(それなのに義理立てしろというのか!)」と両親への侮辱とも取れる発言をした。
そして、「これだから部落の人間は・・・」と、求菩提の集落がいわゆる被差別部落であるかのような発言をしたという。
念押しとして、「離婚するならしろ、慰謝料はがっぽりとってやるから」とも吐き捨てたという。

裁判では、この瞬間に奥本の中で限界が来たということになっており、奥本も自身の弁として我慢の限界と話している。
「自分だけならまだしも、故郷のこと、両親のことを馬鹿にされるのは我慢ならなかった」

そのやり取りからおよそ10日後。
奥本は家族3人を消した。

ひとり歩きし始めた被害者遺族像

この事件と裁判において、重要な人物がいる。
貴子さんの息子で、くみ子さんの弟であるA氏である。当初A氏は、被害者遺族として峻烈な処罰感情を当たり前に抱いており、一審では極刑を望むと強く主張している。
しかし、裁判が進むにつれ、そして奥本に死刑判決が出たあたりから、A氏の感情には変化が見られた。
裁判の過程で明らかになった貴子さんとの確執。A氏は奥本とも面会を重ね、奥本一人が死刑になって終わりで良いのか、と考え始めた。
そして、上申書を作成するに至った。
そこには、被害者遺族でありながら、自身の母親である貴子さんの振舞、言動が、奥本が起こした事件の要因のひとつである、裁判をやり直してほしい、と書かれていた。

と、世間では認識されている。

このことは大きく報道され、死刑反対派や奥本を支える求菩提の人々、そして奥本の両親には非常に大きな意味を持つこととなった。
結局、冤罪でもない上に、その確執の相手である貴子さんのみならずくみ子さんや抗う術すら知らない幼い我が子にまで手をかけたという事実がある以上、たとえ被害者遺族からの上申書であっても最高裁がそれを斟酌するはずもなく、上告は棄却、奥本の死刑が確定した。
その後再審請求もなされたが、いずれも棄却されている。
A氏は様々な媒体において持ち上げられ、あたかも奥本の理解者、味方であるかのようにまつりあげられていた。

しかし、2017年7月の時点で、A氏は奥本との姻族終了届を出す予定であると毎日新聞に対し話した。
上申書については、世間で言われているような「自らが死刑回避を求めて」のものではなく、なんと加害者支援の側の人間から持ちかけられたというのだ。しかも仕事中に突如連絡がきたという。

姻族終了届を出してほしいと懇願していたA氏に対し、加害者支援の側からは拒否(奥本の両親にその話が届いていたかも不明)されてしまい、苦肉の策として、加害者を支援する人に信用してもらった方が良いと考え、上申書提出にいたった、というのが真実である。
A氏の証言(みどりの風シンポジウムにおいてのメッセージ)
そして、「奥本は反省していない」と確信もした。

A氏は事件当時公務員として一人で暮らしていた。貴子さんの自慢の息子であっただろう。
しかし事件が起き、1年ほどは気力を奮い立たせていたものの、公務員を辞めてしまった。貯金はみるみる減り、生活にも事欠くようになってしまったが、A氏には頼る家族も実家もなかった。
さらには周囲の視線も容赦がなかった。ずけずけと「お前はあいつ(奥本)の親戚だろう?」と聞いてくる輩や、「犯人が身内だとどうしようもないよね」といった訳の分からない慰めとも嘲笑ともつかない言葉を投げかけられた。
貴子さんの親戚からは奥本と縁を切れと再三迫られたという。当時のA氏は、なんで自分が悪者であるかのように言われなければならないのかという憤りに囚われたという。

私も意外であったが、A氏は世間が言うような、全面的に奥本の死刑回避を望み、奥本に同情を寄せている遺族ではないということである。というか、死刑を望んでいる。
それなのに、世間ではいまだにA氏が奥本の死刑回避を望んでおり、被害者遺族として奥本を支えているかのような印象を持って語られている。
A氏は当時まだ20代半ば、利用されたというのは言い過ぎだろうか。もちろん、奥本の両親にではない。奥本の支援という大義名分を掲げた「死刑反対論者」や、名前だけの「人権家」にである。
おそらくA氏はそれにも気づいたのではないか。その上で、面会を重ね、自分の目で奥本を判断しようとしたのではないか。
このサイトでも紹介したTBSの報道番組も、A氏に取材もしていないんだろうな、ということは明らかだ。

そしてその結果、「他人事のように事件を話す」奥本に対して、A氏は確信をもって反省してないと言っているのだ。

語られない事実

奥本についても、貴子さんについても、あまりに一方的なその人像というものが付きまとっている感がどうしてもぬぐえない。
奥本については、私も書いた通り田舎育ちの口下手な素朴な男性という印象が強い。
両親を見ても、奥本によく似た父・浩幸さんも、母・和代さんも、派手さは微塵もない田舎の真面目な夫婦、という印象以外にない。
奥本を支援しようとする求菩提の人々も、取材に顔を隠すこともなく、高校時代の友人らも当時の写真をテレビで使用されるにあたって名前と顔を隠すよう求めていることもない。
弟らにしても、その存在を隠してほしいというような報道もないし、子どものころとはいえ、兄弟3人の写真は表に出ている。
これはひとえに、奥本の人柄あってのことであると思うし、皆、求菩提で過ごした奥本章寛という男に対して、悪い印象を持ち合わせていないことの表れであるといえよう。

一方で貴子さんはどうかというと、主に奥本の証言でしかないが、気性が激しい、感情の起伏が大きい、時には手が出る、そして、トドメだったのが求菩提に対するあの発言であろう。
確かに、いくら不甲斐ないとはいえ連日連夜奥本を叱責し、なにからなにまでダメ出しをしていたのが事実ならばたまったものではない。

しかし、興味深い事実がある。
件の初節句の口論のあと、奥本はいつもの癖であったのかもしれないが、貴子さんに謝罪したという。
その際、貴子さんも謝罪しているのだ。これは一審の公判で明らかになっている事実であるが、お互いに謝罪し合った、とされている。
どちらが先に謝罪したかは定かではないものの、ここで見る貴子さんという女性は、気に入らないことがあると確かに激昂するタイプではあるものの、頭が冷えれば「言い過ぎた、やり過ぎた」と相手に言える人である。

また、お宮参りだろうか、生まれて間もない長男を抱いて、4人で撮った家族写真にも着目したい。
両脇に貴子さんとくみ子さん、家族の中心には奥本の笑顔がある。
本当に貴子さんが心の底から奥本を軽蔑し、この男はダメだと思っていたなら、奥本を真ん中にして写真を撮るだろうか。
家族写真の場合、最近では母娘が中央に、夫や父親といった男性陣は端っこに、という構図は珍しくない。
奥本家は貴子さんを頂点にした家族だったとしたら、それこそ奥本は端っこで所在投げに佇んでいるのではないだろうか。
男らしく、夫らしくもっとしゃんとしなさい、そういう思いはあったにせよ、貴子さんには心から奥本を侮蔑するような気持ちはなかったのではないか。
もちろん、本人はそう思っていたとしても、奥本が追い詰められた気持ちになったのも事実であるのだから、貴子さんの言い方や態度に問題があったのもそれは否めないだろう。
それが、うまく伝わることはついぞなかった。

奥本はといえば、幼いころからおとなしく、反抗することなどなかったというのが概ねの評価であるが、それでも心の中にイライラやストレスは普通に湧き上がっていた。そしてそれをうまく消化する術を知らなかった。
小学校高学年のころ、イライラが溜まった時に「石を棒で叩いて」ストレスを発散したという。
自分の言葉でうまく伝えられないという性格はあったようだが、奥本自身、「昔から我慢ばかりしてきて、いつしか本音が言えなくなっていた」と自らを述べている。

さらに、周囲の奥本への評価も、求菩提で過ごした時期とそれ以降とでは異なる。
建設会社で勤務していたころの同僚は、奥本から「子どもは作らない方がいい」「子どもの鳴き声がウザい」「(冗談ぽくではあるが)子供を殺したい」などという発言を聞いている。
貴子さんから一度は謝罪をされたにもかかわらず、奥本の気持ちは晴れなかった。それは、「故郷を侮辱されたから」と奥本は言うが、はたして本当にそうだったのだろうか。

子どものころ、棒で石を叩いて怒りを鎮めたという奥本は、貴子さんとくみ子さんの頭を少なくとも3~6回ハンマーで叩いたはずと、解剖を行った宮崎大学医学部の医師が証言する。
2人の死因は「脳挫滅」。
これは脳が崩れて原形をとどめないレベルのものであり、車で頭部を轢かれる、あるいは高所からの転落などでしか見たことがないとその医師は語った。
そこには、唯一の憂さ晴らしの手段であった、石を棒で叩く幼いころの奥本の姿が重なって見える。

奥本の過ち

事件にいたる過程で、奥本はいわゆる視野狭窄に陥っていたと臨床心理士の判断がなされている。
眠れず、家庭にも居場所を見いだせず、疲れ果て、そういった中で義母と妻子が「一体」と見えていた、という状態であった。
その上で、義母から逃れるには3人を殺害するしかないという判断に至るにはやはり突飛な印象を抱かざるを得ない。
離婚する、調停に持ち込む、とりあえず別居する、いろいろ方法はあったのでは?という問いかけに、「人と議論したことがなくて、どうしていいかわからなかった」と奥本は言った。

そういった鬱々とした日々の中で、義母から発せられた故郷への侮辱。
暴発のきっかけとなったのは十分に理解できるが、ではなぜそこから暴発までに10日も要したのか??
さらには、3人を殺害した後、出会い系で知り合った女性と他愛もないやりとりをし、パチンコなどに興じたのか。
何よりわからないのは、雄登ちゃんを資材置き場に埋め、偽装工作と思われる行動をしている点である。
また、「貴子さんだけを殺しても、くみ子さんから犯行がばれるからくみ子さんも殺すしかなかった」と供述している以上、犯行を隠す意図がハナからあったと思える。

故郷を侮辱されたことがきっかけと言いながら、本当は「自由になりたかった」だけではなかったか。
だから、3人から解放された束の間の自由を思う存分味わおうとしたのではないか。といっても、パチンコと出会い系という寂しい自由ではあったのだが。

再審請求が棄却された今、奥本は淡々と「その日」がくるのを待つしかない。
A氏の心が離れた以上、もはや裁判がやり直される道はほとんどないだろう。いやそれ以前に、そもそも死刑回避できる案件とも思えない。
雄登ちゃんは資材置き場で掘り返された時、泥の水たまりの中に浮いていた。
生後5か月の、なんの抵抗も出来ない愛されるだけの存在であるはずの我が子をこのように扱えるものなのだろうか。

死刑判決が下った日、裁判所を出た父・浩幸さんは泣いていた。

奥本は故郷を、両親を心から尊敬し、大切に思ってきたのは間違いない。
奥本が故郷の誇りを守るためにしたという貴子さんへの裁きは、大切なその故郷と両親を踏みにじるもの以外のなにものでもなかった。

 

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