その涙に虹がかかるまで~名護市女子中学生暴行殺害事件~

1997年正月

「美香じゃない、美香じゃない。絶対に人違いだ」

この日、沖縄県名護市に住む伊地茂さん(当時42歳)は、山奥へと車で揺られながらずっとそう考えていた。
茂さんは、昨年の6月21日から一日も休むことなく、突如行方が分からなくなった中学3年生の娘・美香さん(当時15歳)を探し続けてきた。
美香さんは家出などではなかった。行方不明になった日、自宅まであと600メートルというサトウキビ畑で、白いワンボックスカーに連れ込まれるのを目撃されていた。
それから半年。
茂さんは美香さんは生きていると信じて、沖縄中の路地という路地まで捜し尽くしていた。

現場には、美香さんがつけていたカエルのキーホルダー付きのリュックが遺されており、状況的に間違えようもなかったが、それでも父は、信じたくなかった。

1996年6月21日

名護市伊差川のサトウキビ畑に囲まれた道を、美香さんは友達らと別れ自転車を押しながら家路を急いでいた。
時間は午後7時。バレーボール部の練習を終えての帰りで、美香さんは背番号7のユニフォーム姿。自宅まではあと600メートルほどであった。

突然、背後から1台のワンボックスカーが近づいてきた。
車には父親くらいの年齢の男が二人乗っていて、一人の男が車から降りてきて美香さんに尋ねた。
「名護市内はどう行くの?」
日ごろから、人には親切にするようにと父親に教えられていた美香さんは、自転車を止め、道順を教えようとした。
その瞬間、男は豹変し、驚く美香さんを羽交い絞めにしてワンボックスカーへと押し込んだ。

その時から半年。
美香さんの行方は杳として知れず、沖縄では当時の大田昌秀県知事が会見で言及するなど、その安否が心配されていた。

犯人について

美香さんが拉致される瞬間、悲鳴を聞きつけた男性がいた。
近くの団地に住むその男性は、慌ててサトウキビ畑方面へ走ったが、駆け付けたころには車は走り去っており、「若い男の二人組」という情報しかなかった。
情報がほとんどない中、警察の大掛かりな捜査はなぜか7月で終わってしまう。捜索に自衛隊が名乗りを上げるも、県からの要請がなかったために断念。
ビラなどで情報を集める動きはあったものの、警察の捜査は全く進まなかった。
件のワンボックスカーについても、該当車両、類似車両は相当数に上り、特定には至っていなかった。
ただ、美香さんが沖縄から出た形跡がないということは確かであった。
父・茂さんは、妻と共に必死で情報を求め続けていた。来る日も来る日もビラを配り、茂さんは沖縄中を捜して回った。
地元から寄せられた情報は、どんなに些細なものでも茂さんは自ら出向いて自身の目で確かめた。
そんな茂さんの思いもむなしく、美香さんの行方どころか、犯人の目星すらついていなかった。

しかしその年の年末、12月28日。
鹿児島県種子島の交番に、一人の男が現れた。
酷くやつれ、無精ひげを生やしたその男は、「沖縄で車を盗んだ」と警察官に話した。男の名は、柳末盛(当時38歳)。
実際に6月14日、那覇市内のホテルで、建設会社社長の所有する白のワンボックスカーが盗難に遭っていた。柳はその車を盗んだとして、7月18日に指名手配されていたのだ。
那覇署に身柄を移された柳は、車両盗難についての取り調べの中で美香さんを殺害したことを自供した。
さらに、共犯として上野勝(当時37歳)の名前も挙げた。ふたりは共謀し、美香さんを拉致して暴行を加えたのち、美香さんが逃げようとしたことから殺害に及んだと自供した。

拉致してから殺害まで、たったの2時間の出来事であった。

遺体発見

柳の供述に基づいて、警察は国頭村辺戸岬近く、奥地区の山中で白骨化した遺体が発見される。
現場は林道とおぼしき人気のない山の中の道から数メートル斜面を下った場所で、周囲には雑木が生い茂り、道の上からのぞいてもわからない状態であった。
柳と上野の二人はこの道にワンボックスカーを停め、美香さんを暴行、その後殺害してガードレールを超えて美香さんを頭から斜面に遺棄した。
遺体の周囲800メートルには、美香さんのリュックや制服を入れたスポーツバッグ、教科書などが散乱していたという。
半年もの間風雨に曝された遺体はすでに白骨化し、ユニフォームの上着を身に着けた状態だった。首には絞めたひもが巻き付いたままで、脱げた靴はいくら探しても見つかることはなかった。
遺体は歯型をもとに琉球大学病院にて鑑定が行われ、発見の翌日には美香さんと断定された。

茂さんは言う。
「すっかり、その…白骨化してましたが、醜い姿を見せたくなかったんだな、と思いました。美香らしいね、綺麗になって、おりこうだったね、と言いました。(1997年週刊文春1月16日号より引用)」

愛娘の非業の死に直面しながらも、茂さんは気丈だった。

獣以下の男

柳が逮捕されて2週間後、殺人と死体遺棄で指名手配されていた共犯の上野勝は、「よく似た男がいる」との一般市民からの通報により、浦添市内のベンチで寝ていたところを発見され、指紋などが一致したことから逮捕となった。

2人は事件後、車の盗難が報道されたことを知って別れ、それぞれが別々に生活していた。

2人はそもそもどういう関係だったのか。
鹿児島生まれの柳と北海道網走生まれの上野。年も近いふたりは那覇市内の公園でホームレス生活を余儀なくされていた。
そこへ、建設作業員などをあっせんする業者があらわれ2人に職を紹介し、沖縄県内を転々としながら建設現場で働いていたという。

どこで歯車が狂い始めたのか、2人の中で不満が燻ぶり始める。給料が遅れがちなことも、体力的にきつい仕事も、何もかもが気に入らなくなっていた。
そのうち、ふたりはそのうっぷんを晴らす道具に「女性」を使うことを妄想し始める。しかし風俗に行く金など持ち合わせていなかった。
ナンパでもして、あわよくば性欲も満たすことが出来ればいいか、最初はその程度であったろう。
ふたりは給料を支払わない勤務先に苛立ちを募らせ、会社所有のワンボックスカーを盗み、そのまま沖縄県内を走った。
とりあえずナンパ目的で沖縄北部の海岸で遊び、その後名護市内へ移動。
国道58号線沿いにある羽地中学校。ここは美香さんが通う中学校だった。ふたりは最初から「女の子=少女」を誘うつもりで中学校付近で女子生徒らを物色していた。
そして、とりわけ可愛らしかった美香さんに狙いを定めた。
美香さんは偶然、サトウキビ畑の農道で拉致されたのではなかった。あらかじめ物色され、美香さんに狙いをつけたうえで美香さんがひとりになるのを見計らったこの獣以下のふたりに拉致されたのだ。

家族と父の思い

美香さんは両親と兄、妹らに囲まれ、健全な家庭で育った。
人に親切にする、人の手助けを進んで行う、父・茂さんは子どもたちに常日頃からそう教えて育ててきた。
もともと、伊地家が暮らすあたりはみんなが助け合いの精神が色濃く残る地域であったため、美香さんもその父の教えを当然のこととして考えていた。

動物が好きで、将来は獣医になるのが夢だったという。飼い犬だけでなく、野良猫や野良犬も気にかけるような心優しい少女だった。
美香さんがいなくなってから、伊地家には数匹の猫が住みつくようになっていた。茂さんは追い払うこともなく、美香さんが帰ってきたら見せてあげようと思っていたという。
茂さんは半年の間、一瞬たりとも美香さんがすでに死亡しているかもしれないとは考えなかった。

行方不明になって数か月たったころ、親戚の女性が伊地家を訪れた際、つい、「美香ちゃん、かわいそうに」と口走ってしまったところ、茂さんと美香さんの母親は、「美香はまだ生きてるんだから、そんな風に言わないでください」と言っていたという。

事実、茂さんは毎日毎日沖縄中を捜し歩いていた。
一度通った道も、逆から走って死角がないか、気がつかなかった場所はなかったか、とにかくしらみつぶしに捜していた。
夜寝ていても、ふと「あ、あの場所はどうだったか」と思いつくと、すぐにその場所へ車を走らせた。
父の願いはただ一つ、この手で美香さんを捜し出すことだけだった。
生きていると信じていたから、道ですれ違ったとき、警察官ならわからない仕草やくせで美香さんかどうかを自分ならば判断できると思った。
美香さんが帰ってきたら、たとえ誰かが美香さんをさらったのだとしても、「食事を与えてくれたことを(犯人に)感謝したい」とまで思うような、そんな父親であった。

その家族の願いもむなしく、美香さんは拉致されてから数時間後には、殺害されてしまっていた。

凶行

初めに断っておくが、この事件は15歳の少女が性的暴行の末に殺害された事件である。
多くの報道は、被害者が未成年、しかも中学生であったことや、あまりに残虐な犯行内容であることから、その内容については当初より触れていない。
媒体によっては美香さんの氏名すら伏せた。遺族の心情を思えば、無理からぬこととも思うが、沖縄では知らぬ者はいなかったというほど県民総出の捜索が行われたことや、そもそも沖縄の少女の事件はこれ以外にもあるため、匿名にしてしまうと話の信憑性のみならず、被害者の無念すらも薄れてしまうことを私は危惧する。
沖縄の少女Aの話で終わらせることはしたくない。これは、伊地美香さんという、世界中でただひとりの少女に起こった許されざる事件なのだから。

その上で、時系列と共に犯行を追う。

6月21日の午後7時ごろ、美香さんを拉致した上野と柳は、そのままワンボックスカーを県の北部、国頭村まで走らせた。
名護市の拉致現場から国頭村の遺体発見現場付近まではおよそ50キロで、普通に走っても1時間程度で行ける場所である。
供述によれば、かなりのスピードで国頭村まで行ったとされており、午後8時過ぎには現場付近へ到着していたと思われる。
国頭村は事件当時でも人口およそ6,000人。村のほとんどが森林であり、その間を簡易な舗装が施された狭い道路が走っているが、車の往来や人の目というものはほとんどないと言って良かっただろう。

特に、現場となった奥地区は、畜産業などが多く畜舎は見られるものの、海岸近く以外は国道沿いであろうとも山深い。
周囲は日が沈み、暗くなっていた。
とある場所まで来た上野と柳は、路上で美香さんに暴行を加え、財布から200円を奪った。
その後、隙をついて美香さんが逃げようとした(供述より)。それがきっかけかどうか、柳は美香さんに対し、「お前は逃げたらあかんからくびるぞ」と言い、海辺で拾っていたというロープを首に巻き付けた。
そして、泣きながら命乞いをする美香さんに対し、顔面に石を何度もぶつけるなどし、さらには首にかけたロープを両方から二人で引っ張った。

殺意が芽生えたのは、美香さんの首にひもをかけた時と供述しているが、それより前に顔面に石をぶつけるなどしている。
(注:この、顔面を石で殴打したというのは当時私も聞いた記憶があるのだが、現時点で調べられるものの中で、しっかりとしたソースのある記事は見つかっていない。公判の様子を掲載した新聞などでも、首を絞めて殺害というものばかりなので、もしかしたら他の事件と混ざっている可能性もゼロじゃない)

その際、どちらが引っ張るかをジャンケンで決めたという話も裁判で明らかになった。
最初に逮捕された柳の供述を、上野が否定する、あるいは上野の証言を柳が否定するなど、法廷は罪の擦り付け合いの様相を呈していた。
たとえば、美香さんを殺害することについて、上野は「中学生で幼いからやめよう」といったとする証言を柳が「それはない」と真っ向否定してみせたり、犯行より以前から、「女を強姦した後は殺して捨てればいい」という柳の発言に対して、「そうだな」と上野も同意していたという柳の証言を、上野は頭を抱え、振るようなしぐさをして否定した。

いずれにしても、このふたりは「合意して」美香さんを拉致し、暴行を加えて殺害したことに変わりはない。

逃亡とそれぞれの不手際

ふたりは美香さんを崖下に遺棄したのち、とりあえず辺戸岬のあたりまで車で引き返した。
車のナンバープレートを外し、車を遺棄したのちはヒッチハイクなどをして名護市内まで戻り1泊、その後歩いて那覇市内へと移動した。

7月5日に遺棄した車が発見され、そのニュースを知った二人はそこから別行動をとった。
柳は宜野湾市や北谷町などを移動し、8月下旬に船で鹿児島へと渡り、その後は広島、岡山、香川へ移動し香川でしばらく働いたという。上野は沖縄県内のとどまっていたようで、那覇市内で日雇いなどをし野宿生活を送っていたとみられる。
そこから柳が出頭(殺害ではなく、あくまで車両盗難についての出頭)するまで、実際に証拠や美香さんの手掛かりはまったく見つかっていなかった。
しかし、実際は7月5日の時点で2人が盗み、美香さんを乗せて移動したワンボックスカーは辺戸岬で発見されている。
事件発生からまだ2週間しか経っておらず、そのまま乗り捨てられていたにもかかわらず、捜査本部は美香さんの拉致に使われた車の可能性は薄いと発表している。

目撃通りの白のワンボックス、しかも、捜査からその車は那覇市内のホテルで盗まれたもので、盗んだ男はふたり。
7月18日に上野と柳を指名手配したものの、それは窃盗容疑であった。
これには理由があり、ワンボックスカーを調べた鑑識によれば、美香さんの存在を裏付ける遺留品が一切なかったというのだ。
車は特に清掃されていたとは思えず、どんなに美香さんが怯えて静かに乗っていたとしても、50キロの道中を走る車内で髪の毛の一本、表皮のかけらのひとつも検出されないなどあり得るのだろうか。
そもそも、父親の茂さんは「白のワンボックスカー」を唯一の頼りに県内をくまなく探し回っていたのだ。
もし、乗り捨てられたワンボックスカーが発見されたら、まず疑って当然なのではないか。ましてや、拉致時の目撃通り、その車を盗んだのは男二人組であった。

にもかかわらず、いわば見過ごされてしまっと言わざるを得ないこの最大の証拠。

さらに、初動捜査についても問題があった。
周囲を海で囲まれた沖縄の場合、島の外へ出るのはかなり危険だ。しかし、島内も山なども多く、パトカーだけの捜査より、ヘリなどで空から捜す方が効率的である。

以下はジャーナリスト恵隆之介氏による論文から考察する。
当時、県警のヘリは修理中で出動が出来なかったという。沖縄にいた自衛隊はヘリを数十機待機させており、要請があればいつでも飛べる状態にあった。
にもかかわらず、沖縄県は自衛隊に出動を要請することはなかった。
もしも自衛隊のヘリが飛んでいれば、美香さんが連れ去られた国頭村の上空に殺害時刻より前に到達しており、頭上を飛び交うヘリを見た柳、上野が美香さんを解放していた可能性もゼロではない。
白のワンボックスも遺棄される前に発見された可能性も高いし、となれば柳と上野が逮捕されるのも早かったであろう。

なぜ沖縄県は自衛隊に協力を仰がなかったのか。
これは推察でしかないが、やはり沖縄という土地に関係すると言えよう。
美香さんの事件より以前には、米軍による少女暴行事件が起こっていた。犯人が米軍であったことで、基地問題に揺れる沖縄は激怒、この時は大田昌秀知事も声高に少女の悲劇を世間に訴えた。「守ってあげられなくて申し訳ない」とまで言ったことを考えると、美香さんの捜索にはえらく消極的と言わざるを得ない。
その後、会見で美香さんの捜索について言及するものの、自衛隊による支援の申し出には返答すらしていなかったという。

確かに、沖縄の少女が被害に遭った事件と言えば、1995年に起きた3人の若い米兵による小学生女児暴行事件が有名であるが、命までも奪われた美香さんの事件が軽んじられて良いはずがない。もちろん、そんな意識は毛頭ないと思われるが、にしても犯人逮捕に半年も要する(事実として、事件の1か月後には警察による大規模な捜索が終わっている)のはなんとも不可解である。
そもそも、柳が疲れ切って出頭してこなかったら、この事件は未解決になっていた可能性すら有り得、美香さんはいまだに家族のもとへ戻れていなかった可能性もある。
柳が自供するその日まで、父・茂さんは美香さんを諦めなかった。

「しばらくの間、もしかしたら、結構長い間、朝まで生きていたのかもしれない。いまさら、悔やんでも遅いですが、その日のうちに助けてあげたかった・・・」

もしも自衛隊のヘリが捜索していたら、もしかしたら雑木林の隙間から美香さんを見つけられたかもしれない。
茂さんは警察や県への不満など言ってはいないが、その思いを考えると、結果論ではあるが初動捜査に問題がなかったか、鑑識は大丈夫だったのか、疑問が残る。

意外な一面


柳と上野は、事件を起こす直前、県北部のビーチで遊んだという。
実はその時、同じ場所に居合わせた人が二人の姿をホームビデオに偶然映していた。
当時のニュースやワイドショーなどで取り上げられたので間違いない話であるが、この時、2人はある「人助け」を行っていた。

そのビーチに車を乗り入れて遊んでいた観光客か地元の人が、車が砂にハマって抜け出せなくなっていた。
それを助けたのが、居合わせた上野と柳であった。
逮捕後、人相からあの時の二人だとわかったので、その話と共にビデオテープを提供したのだと思われる。

そこだけ覚えているが、晴れた砂浜で他人の窮地を救った柳はにこやかな顔をしていた。
助けてもらった人からすれば、信じられない思いではなかったか。
なんの得にもならない人助けをする親切な面と、数日後に極悪非道な行いも出来てしまうような面を併せ持つ人間がいるというのが私も信じられない。

また、柳(上野も?)には妻子がいた。美香さんの父・茂さんもいう。

「冗談じゃない。どうしてこんなことをするのか。犯人には妻子がいるっていうじゃないですか。それだったら、親の気持ちがわかるんじゃないですか…」

茂さんは子どもたちに、「決して人を憎むな。憎しみはお父さんが全部背負うから」と言い聞かせているという。
娘を残虐に殺されるという、想像すらできない悲しみと怒りの中であっても、茂さんは父親として子どもたちに気丈にふるまった。
それでも、やはり美香さんを思うと出来過ぎるくらいに本当にいい子だったがゆえに、その悲しみも一層深い。
茶色がかった天然パーマの髪をおさげにし、ぱっちりした意志の強そうな瞳は、誰が見ても美少女だった。
その上、朝出かけるときには「行ってまいります」ときちんとした言葉遣いの出来る少女だった。

「美香は、私たちの宝だったんです」

茂さんをはじめ、家族の悲しみ、悔しさは想像を絶する。

鎮魂の歌

沖縄で有名な喜納昌吉さんが作った歌に、「少女の涙に虹がかかるまで」という歌がある。

ビートたけし氏が泣ける歌としてテレビ番組で紹介したことでも有名なこの歌は、実は美香さんのために作られた歌である。
米兵による少女暴行事件の被害女児への思いもあるだろうが、厳密には美香さんへの歌だ。
喜納さんは米兵による少女暴行事件で沖縄が怒りの声をあげたのに対し、美香さん殺害事件では犯人が米兵ではなかった(一説にはふたりは元自衛官であったとか、在日だったいう話もあるが、定かではない)ため心なしか温度差があることに納得が出来なかったという。
その思いを抑えることが出来ず、美香さんのためにこの歌を作った。

事件から10数年経っても、喜納さんは美香さんが遺棄された現場に赴き、手を合わせている。
国頭村のその場所には、柔らかい表情でほほ笑む観音様の像が立てられ、傍らには美香さんが好きだった犬の置物もある。

”涙が出てきて とまらず
あなたに私の心をあげたくて”

事件から20年が過ぎ、被害者がひとりということで無期懲役となったふたりが今どうしているのかはわからない。
1990年代の事件であることから、仮釈放の運用は今ほど厳しくなかったと推察されるが、それでも20年以上は認められないと思いたい。よって、まだ、そしてこれからも塀の中にいるはずだと思いたい。

美香さんは、ふたりを恨んでいるだろうか。
父親の教えをまっすぐに守るような優しい少女だった美香さん。
父の教え通り、憎しみなど持ち合わせていないかもしれない。
どうであったとしても、美香さんの魂が大好きな家族のもとで安らかにあることを願いたい。

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