「お父さん」を惨殺した中国人留学生の罪と罰~大分・恩人殺害事件~

2002年1月18日未明

大分県杵築市山香町。
山間の畑が広がるのどかな集落で、高齢の夫婦が殺傷されるおぞましい事件が起きた。
殺害されたのは、建設会社を営む吉野諭さん(当時73歳)。背後から腰を一突きにされ、その刃先は腹部を貫通するほど深く差し込まれていた。
2階で寝ていた妻・恵美子さんは、一命をとりとめたものの、腹部を二か所刺され重傷であった。

娘の雅美さんは、父の死を病室の母親に告げることが出来ずにいた。
しかし、いつもまでも隠せるものでもないし、捜査上のこともあって伝える決心をする。
覚悟していたのか、夫の非業の死を知らされた妻・恵美子さんは、取り乱すこともなく、力なく頷いたという。

一片の落ち度も、ましてや他人から恨みを買うこともなかったこの夫婦に刃を向けたのは誰か。
犯人が逮捕された時、吉野家はさらに深い悲しみに打ちのめされることになる。

「お父さん」と慕われた人

吉野さんは建設会社を経営する傍ら、篤志家としても知られる人物で、特に、自身が戦前に中国で暮らした際に世話になったことを忘れず、日中友好に尽力していた。
その活動の一環として、中国人留学生への支援を行っており、自らが身元引受人となり、生活の世話から経済的な面倒まで、まるで親のように留学生たちを温かく見守ってきた。
その活動は中国からも高く評価され、吉林市で初となる外国人市民栄誉賞も贈られているほどだ。
吉野さんが日中友好に尽力していたのには、深い理由があった。
昭和18年、15歳だった吉野さんは中国吉林市へ渡る。電気技術を学びながら終戦を迎えると、1年近く捕虜生活を強いられたという。
飢えに苦しむ吉野さんら日本人捕虜に対し、こっそり食べ物を与えてくれたのは地元・吉林市の一般市民であった。時には衣類も差し入れてくれた。
吉野さんはその時の恩を忘れることが出来ず、日本での生活が安定した頃、中国残留孤児の身元引受人となった。
それをきっかけに、中国と日本の架け橋となり、何度も中国へ足を運んでは現地の経済政策をアドバイスしたり、日本語学校に携わるなど交流を深めることとなったのだ。

吉野さんの葬儀では、吉野さんの世話で中国から留学してきた女子学生が涙ながらにお別れの言葉を述べた。
「私たちはお父さんを喪った」

誰もが吉野さんを慕い、同時に最も尊敬する「お父さん」を喪った留学生たちにも同情が寄せられた。
彼らは留学の世話にとどまらず、吉野さんから野菜などの食材、生活に必要なものなどを分け隔てなく面倒を見てもらっており、その誰もが心から感謝していた。

しかし、その裏で、この吉野夫妻を惨劇へと巻き込んだ張本人が、実はこの告別式に参列した留学生の中にいたのだ。

犯人と動機

犯人は現場の状況から複数犯と見られた。また、吉野さん宅を狙い撃ちしていることに間違いはなく、吉野さん宅の事情に詳しいものが関係しているとみられた。
そこで浮かんだのが、吉野さんが身元引受人となっていた中国人留学生・安逢春(当時23歳)と、その友人の韓国籍の金玟秀(当時27歳)だった。その後、別府大学への身元引受を行った張越(当時26歳)が捜査線上に浮かんだ。

安は犯行当時も別府大学国文科に籍を置いており、日本語の他に韓国語も話せる優秀な学生であった。吉野さんも安をかわいがっており、一時期自身の会社でアルバイトもさせていたほどだった。
しかしこれが仇となった。
安は、勉学に励む優秀な学生という以外に、中国人女性と偽装結婚をした過去を持っており、吉野さんが思うほどの真面目な留学生とは言えなかった。
そして、この安が吉野さんの会社でアルバイトをした経験が、後の強盗殺人を呼び込んでしまうのだ。

一方、張はというと、吉野さんが「どうしても」と頼まれて引き受けた留学生だったという。
他の留学生が日々の生活もつつましく送る中で、張は来日した時点で100万円以上の大金を持っていた。そして、それを遊興費に使い、2001年10月に出席が足りず退学処分を受けている。
この張が、後に「日本人から大金を奪う方法を教えてもらった」などと得意げに留学生仲間に吹聴していたことから事件への関与が疑われた。
そして、事件から20日後、韓国籍の金、安と同じく中国人留学生であった19歳の少年が逮捕されたが、主犯格の張越と、朴哲(当時24歳)はすでに中国へ出国した後であり、国際指名手配となった。

5人は、張、朴の主導により強盗計画を練った。そもそも19歳の少年が朴に対して金を貸しており、その返済を前々から迫っていた背景があった。
また、朴自身も交際女性を妊娠させてしまい、堕胎費用を工面したいと考えていた。安らも、偽装結婚で金が要ることや、アルバイトに汗を流すことに嫌気がさした面もあり、当初は軽い気持ちで強盗計画を聞いていたようだ。
「どこかに金持ちはいないか?」
そう聞かれた安は、吉野さん宅を教えたのだった。張は、自身も世話になったはずの吉野さんの名前が出ても、それを止めることもしなかった。

朴も他の犯人と同様、別府大学の留学生であったが、2001年12月に退学している。19歳の少年も、同じ年の10月に退学となっていた。
(それにしてもこの別府大学というのはどういうところなのだろう。積極的な留学生受け入れをしているように見えるにもかかわらず、これだけの退学者を出すのは珍しくないんだろうか。)
そして、この国際指名手配となった朴と、19歳の少年は、吉野さん方を襲撃するわずか3週間ほど前、大阪で35歳の女性を強盗目的で殺害していた。

大阪事件

2001年12月26日16時30分。
大阪市北区のホテルで、派遣型風俗店従業員の女性(当時35歳)が刃物でめった刺しにされて殺害されているのが発見された。
女性はクラフトテープで両手足を縛られ、その上で心臓、首などを十数回刺され、心・肺刺創による失血死であった。
その後の調べで、女性は2枚のキャッシュカードを抜き取られており、強盗目的で呼び出されたのち、殺害されたとみられている。

この事件を起こしたのが、ほかでもない吉野さん宅を襲った19歳の少年と、朴であった。
19歳の少年は、2001年10月に別府大学を退学後、東京の専門学校へ通うために都内の知人宅へ転居した。
11月ころ、中国の母親から学費として50万円の送金を受けながら、そのうちの12万円を朴に貸し付けている。さらに、知人らへの借金返済や、遊興費にその残金を費やしてしまう。
専門学校への学費振り込み期限が迫る中、19歳の少年は同居していた知人に50万円を借り、41万円を専門学校へ振り込んだ。
しかし、母親からの送金は期待できず、またこれ以上知人からの借金も出来ず、さらには在留資格の問題でアルバイトも出来なかったために金に窮することとなった。
そこで、以前朴に貸していた12万円を返済してもらおうと、しつこく朴に電話している。
そこで朴から持ちかけられたのが、女性を狙った強盗であった。
19歳の少年は、強盗してお金が手に入れば、朴から金を返してもらえると思い、その計画に乗った。
場所は大阪と決め、12月24日、朴が大分から、少年は東京からそれぞれ大阪へと向かう。その際、朴は凶器となる棒やナイフを所持していた。
当初は、ひとり歩きの女性を襲う予定であったが、思いのほか難航。24日と25日はまったく計画通りにことが運ばず、2人はビジネスホテルに泊まった。
そして、風俗嬢を呼び出して金を奪うことを思いつき、通りで何枚かの風俗店のビラを入手する。
26日の午前1時ころ、ある風俗嬢をSEX目的で呼び出すも、若すぎるとしてチェンジ。しかしその後、別の風俗嬢が来ることはなかった。

翌朝、2人は別のホテルへ向かい、その道中、犯行に使用するクラフトテープや防止、ペティナイフを購入し、午後3時ころ19歳の少年のみがホテルにチェックインした。
遅れて朴が部屋を訪れ、道具を手渡した後「キャッシュカードの暗証番号を聞き出した後は、売春婦は殺さないと面倒だから、殺して逃げろ。自分も別の部屋で同じように女から金を奪う」と告げ、少年はこれを了承。
朴も、別の部屋で同じことをするからと少年に言い、これは二人の犯行だと思い込ませた。

午後4時30分ごろ、呼び出したA子さん(35歳)がシャワーを浴びているところを襲い、縛り上げたうえでキャッシュカードを強奪した。
逃げようとした際、A子さんが声をあげたことで我に返った少年は、やはり殺さなければと思い、所持していたナイフで刺殺した。

A子さんに刺し込まれたナイフは、その刃が根元から折れ曲がるほどの力で何度も刺し込まれており、相当な殺意が見てとれる。
少年は冷静にドアノブの指紋を拭き、その場から逃走した。
結局、少年は現金を引き出せず、キャッシュカードを朴に渡した後、ナイフを捨て、再び東京へと戻った。

そして、再び強盗をはたらくために、今度は大分へと向かうのである。
しかしこの時、朴は別の部屋でなにもしていなかったのだ。

お気楽な強盗団

大阪で事件が起きていたその頃、張は安の部屋である計画を持ちかけていた。
安が自動車を所有していると勘違いした張は、
「金持ちの家に押し入ってキャッシュカードを奪い、金を引き出す、その計画のためには自動車と運転手がいる、お前がそれを引き受けてくれれば、運転してくれるだけで3万円払う」
と何度も安にもちかけた。
しかし、そもそも自動車を持っていない安は、それを断った。
張の説得は2~3日に及んだが、それでも安は応じなかった。
年が明けても、張はしつこく安を誘った。その頃には、大阪事件を起こした後に別府に戻っていた朴も安の部屋に遊びに来るようになっており、2人がかりで説得する日が続いた。
その際、ふたりは「おれたちは何回も同じようなことをやっていて、一回で200万~300万は稼げる」などと嘯いていた。
当初の計画では、家人を脅して縛り上げ、車であらかじめ用意しておいた監禁場所へと運び、キャッシュカードと暗証番号を得た上で金を引き出す、という趣旨で、大阪事件のように「殺す」ということは言及していなかったため、あくまでも「盗み」程度の犯罪だと少なくとも安は思っていたようだ。
そこで、知り合いで自動車を持っている金にその計画を話し、張と朴にも紹介したうえで、「金持ち」として吉野さんを挙げたのだ。

一方、大阪でA子さんを殺害した19歳の少年は、1月10日頃に再び朴から連絡を受けた。
「今度は大分で強盗する」
その時、今度は二人ではなく、5人で行うということ、資産家に押し入るということ、そしてそのメンバーに張がいることを告げられた。
19歳の少年と張は、2001年の10月に、中国で偽装結婚をした際に顔を合わせており、その際に揉め事を起こしていた間柄であったため、当初少年はその計画に参加することを渋った。
しかし、信頼する朴がいることで、大丈夫だろうと判断して結局参加することとなった。

14日、安は張から、「吉野さん宅を下見に行く。道がよくわからないから一緒に行こう」と誘われた。
安は夏に吉野さん宅で草刈りのバイトをしたことがあったため、道を覚えていた。この時点では、安の心は吉野さんに対する後ろめたい気持ちはあった。しかし、自身の経済的困窮からの脱出の方がその思いを上回った。
下見には、少年以外の4人が行っている。その際、車中に残った安に対して、金が「大丈夫かな」と口にしたため、安は、「金さんは運転だけでいいんだよ」と言ったという。
しかし、金は運転だけだと分け前が減る、という言葉を口にした。

翌15日、4人は再び集まり、大分市内のホームセンターなどを回って包丁、木製の棒、ビニールテープなど犯行に必要なものを次々と万引きした。
その際、刺身包丁を目にした安は、途端に恐ろしくなったという。少しの後ろめたさが、包丁をみて吉野さんが傷つけられる可能性を考えたのだ。
そこで、張に「この計画から外れたい」と申し出て、了承された。しかしその後も、韓国籍の金が中国語がわからないため、安は通訳として会議の場に出向いていた。
16日には東京から少年が加わり、最終的な計画として、
①金が運転担当
②張、朴、少年が家屋に押し入る担当
③包丁で脅して手足を縛り、現金やキャッシュカードを奪う
④暗証番号を聞き出した後、家人を家に閉じ込めて見張る
⑤金が引き出せれば逃走、失敗なら再度脅して聞き出す
安については、強盗自体に参加はしないが、そもそも吉野さんを紹介した功労者であるから、金銭を奪ったのち各自がそれを山分けした中から安に対して5万円ずつ支払う、ということが確認された。

最終計画

張ら5人は、連日作戦を練り、吉野さん方の下見に訪れている。
犯行前日の1月17日早朝、安以外の4人は吉野さん方近くの空き地に車を停め、まだ夜の明けきらぬ中、吉野さん方の玄関に回った。
目的は、この時間帯に吉野さんが起床しているかどうかの確認である。
新聞受けにはまだ新聞が残っていたこととともに、玄関の鍵が開いていることも確認した。
ただ、起きているかどうかの確認が取れなかったために、時間を置いて確認し直すことを決め、その間、あたりをドライブしながら犯行後に金を引き出せる金融機関の場所を確認している。

ところが、8時半頃に再び吉野さん方を訪れる道中、なんと吉野さんの運転する車とすれ違う。
吉野さん方には先ほどまで合った車がなかったことから、普段この時間に吉野さんはすでに行動をし始めていることを確認する。
さらに、その時間には吉野さん方に夫婦以外の人間(会社の人間、もしくは長男・孝喜さんと思われる)がいる可能性が高いこともわかった。
そのため、事前の計画にあった、犯行後に金を引き出す間、夫妻を家に閉じ込め見張る、ということは不可能であると考え、監禁場所を新たに見つけなければならないと話し合った。

その日の夜、安も含めた5人は別府市内へ戻り、車の中で計画の練り直しをしていた。
監禁場所まで吉野さん夫妻を運ぶ必要が生じた以上、車が一台ではそもそも無理があると張が主張、そこで、車の運転ができる安に再び強盗に関わるよう頼んだ。車は、吉野さん方の車を使用すればよいとも。
しかし安は難色を示す。そのやり取りを怪訝に思った中国語のわからない金に対し、安が「車が2台必要だけれど、運転できる人間がいないんだ」と通訳した。
すると、金が、「それなら安が運転すればいい、そうしないなら自分もやらない」と言い出した。
慌てた張らは、安に対し、「お前は金の車を運転し、ついてくるだけで良い、犯行は張、朴、少年の3人が行い、縛った吉野さん夫婦を吉野さんの車に乗せて別府市内へ移動する(その車は金が運転する)から、別府に着いたら安は帰ってよい」と話した。
金は言葉がわからないことが不安であったため、張に対し、金を引き出した後に明細書を見せるように求め、張らも了承する。

最終的に、
①1月18日の深夜2~3時ころに吉野さん方へまず少年が押し入る
②少年はそのまま吉野さん夫婦を縛って、キャッシュカードを奪って暗証番号を聞き出す
③吉野さん夫妻を吉野さん方の車に乗せ、待機していた金がそれを運転、安は金の車でそのあとに続く
④山中で吉野さんの車を捨て、金の車に移動させ、安を含めて別府市内へ金が運転して戻る
⑤安が帰宅したのち、人目につかない小屋などに夫妻を監禁し、張と少年がそれを見張る
⑥その間に朴が金融機関で出金する、失敗した際は再び夫妻を脅して聞き出す

このように、一見細かく振り分けられた役割であったが、ここでも大阪事件の時のように直接手を下す役割は19歳の少年であった。
計画を主導した張と朴は、安らには負担を少なくするかのように言って説得していたが、実際には安と金の方が張と朴より負担の大きい役割となっていたのは言うまでもない。

どうせ年寄りの世帯だ、包丁を見せて脅せば金のありかはすぐしゃべるだろう。
5人はお気楽だった。果てしなく、軽く考えていた。
だから、考えもしなかったのだ、もしその老夫婦が抵抗したらどうするのかを。
抵抗どころか、反撃に出ることなど、日本人のプライドを知らないこの5人は夢にも思わなかったのだ。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です