「お父さん」を惨殺した中国人留学生の罪と罰~大分・恩人殺害事件②~

誤算

安をのぞいた4人は18日の深夜から、知人宅に集合して凶器などを車に積み込み準備を行った。
その途中で、再び段取りが変わる。
金は運転のみの役割のはずだったが、吉野さん宅付近まで来た時、張が
「3人(張、朴、少年)だけで押し入るより、もう一人いれば夫婦それぞれに2人つくことになるから、そちらの方が良い。金にも家に入ってもらいたい」
と言い出す。
これを安が金に通訳したところ、金も了承した。
その上で、吉野さんの車のカギが見つかり次第、外に出て車で待機するよう指示した。

午前二時。
吉野さん宅近くの空き地に車を停めた5人は、安をのぞいた4人で鍵のかかっていなかった玄関わきのドアから侵入。二階寝室で就寝中であった妻・恵美子さんに対し、「金を出せ」などと言って、その顔を木製の棒および拳で殴打した。
計画では、か弱い老婦人はこの時点で恐れおののき、声も出せないほど震え上がって言うことを聞く「はず」であった。
しかし、恵美子さんは暗闇で殴られながらも、階下の吉野さんに大声で助けを求めたのだ。
ひとつ目の誤算は、夫婦が別々の場所で就寝していたことだった。
張と少年が吉野さんを、朴と金が恵美子さんを縛る予定だったため、全員で寝室に入ったものの、そこには恵美子さんしかいなかった。
そして、二つ目の誤算は恵美子さんの激しい抵抗であった。大声で助けを求め、さらには顔を殴り押さえつける金の指に噛みついた。
さらに、3つ目の誤算は、吉野さんが1階におり、妻の叫びを聞いてすぐさま階下に駆け付けたことだ。70歳を超える高齢とはいえ、吉野さんはひるむことなくこの凶賊に立ち向かった。
恵美子さんの抵抗に恐れをなした張、少年、朴は、金が恵美子さんともみ合っている隙に階段を駆け下りた。
そこに立ちはだかったのは、吉野さんであった。吉野さんは刃物や棒を手にした体格のよい男たちを見てもひるむことなく、そばにあった椅子を盾にして張ともみ合った。少年は、「逃げろ」と張に叫んで家を飛び出した。
二階の寝室では恵美子さんが犯人のうちの「誰か」に刺され、瀕死の重傷を負っていた。
吉野さんは恵美子さんを救うために張ともみ合いながらも2階へと駆け上がり、そこで犯人のうちの「誰か」によって背後から腰を刺され、死亡した。

外で待機していて事情を呑み込めない安とともに、5人はその場から逃走した。
結局、5人は吉野さんの命を奪っただけで、這う這うの体で逃げ出したのだった。
そしてこの時の誤算が、あとあと裁判において5人の犯した罪と罰に影響してくることになる。

裁判と判決

張と朴の2名は犯行後に他の共犯者から金銭援助を受けて中国へ逃亡。
金、少年、そして安の3名の裁判が始まった。
検察は、3名を強盗殺人と銃刀法違反で起訴。少年にいたっては、大阪事件も合わせての裁判となった。
主犯格は張と朴である点は争いがなかったが、それでも大阪事件ですでに女性の命を奪っている少年に対しては、犯行当時19歳であることを考慮したとしても極刑が相当として、少年に対して死刑が、恵美子さんに直接的な暴行を働いたとして金に無期懲役が求刑された。
安は懲役15年の求刑であった。

しかし、裁判では「殺人の意図、共謀」について検察と弁護側は真っ向対立。
弁護側の主張としては、吉野さんの事件に関して、計画段階で誰一人として殺害する旨の意思表示をしていないこと、包丁は暗証番号を聞き出すための道具であり、殺害する目的で所持していないということ、そして、想定外の抵抗を受けたことによって起こった結果であり、誰が吉野さんを殺傷したかも特定できていないとして、強盗致傷、および強盗致死を主張した。

一方検察は、たとえ言葉で殺害の意図を示していなくても、深夜に刺身包丁を3本も用意して押し込むことは、すなわち重大な結果を招く恐れがあることが容易に想定されうるとして、黙示の共謀ならびに未必の殺意の成立を主張、強盗殺人を適用した。さらに、少年に対してはわずか数週間前に大阪で実際に女性を金銭目的で殺害しており、自分の私利私欲のために他人の命を奪った経験がある以上、まさか殺すつもりはありませんでしたは通用しないとした。

検察側の主張はもっともであるし、なにより張と安にとって吉野夫妻は恩人であった。慣れない日本での暮らしに、なにかと目をかけてくれた。
その恩人を、父と呼んでもよいほどの人を死に至らしめた結果は許し難く、特に安は事件後何食わぬ顔で葬儀に参列するなどしており、遺族のみならず関係者の怒りは想像を絶するものであった。

しかし裁判は、遺族や関係者にとって納得しがたい結果となった。
裁判所は弁護側の主張を大筋で認め、強盗殺人ではなく、強盗致傷、強盗致死にとどまると判断した。
その理由の一つとして、吉野さん夫妻に抵抗された際のあのパニックに陥った状況が、あらかじめ殺すことも止む無しと想定したうえでの犯行とは到底考えられないと判断されたのだ。
また、少年と安の供述が、捜査段階から裁判の過程にかけて一貫性があり、真相を話していると判断するに足りる供述であるとも判断された。
金については、恵美子さんに直接的な暴行(刺したかどうかは不明)を加えておきながら、10分間にわたって70歳を超えた恵美子さんに腕をつかまれ続けたなどと信憑性に欠ける証言をしたり、そもそも客観的な事実に反する点が多いと認定され、安と少年の供述を中心に審理された。
結果、検察の主張はあくまで共謀、殺害の「可能性」を示すにとどまるとして、強盗殺人ではなく強盗致傷、強盗致死にとどまると判断したのだ。
さらに、現場で吉野さん夫妻を実際に刺した人物が特定出来なかったのも影響した。
少年はそもそもいの一番に逃げ出しており、仲間のうちの誰かが吉野さんを刺したことすら見ておらず、くわえて一階で吉野さんともみ合う張に対して「逃げろ」と声をかけており、また金が刺したという証拠もなく、安については家に侵入すらしていなことでこの3人が現場において殺害の共謀を企てたとは言えず、かつ、殺害の実行犯と言える確たる証拠もなかった。

大阪事件も合わせ、今回の吉野さん宅への襲撃を企て主導したのも張と朴であり、少年が一貫して事件後、張が吉野さんを刺したと話していたことを供述していることから、この裁判での被告である3名が直接吉野さん夫妻を刺したとは認めがたく、大分地裁での第一審は、少年と金に無期懲役、安には懲役14年が言い渡された。

納得などこれっぽっちも出来ない検察は控訴、しかし、控訴審の福岡高裁では、少年と安については控訴棄却、金はそもそも運転手として計画に参加したにすぎず、結果として恵美子さんへの暴力をはたらいたとすれば、同じく運転手で参加した安との間に無期と有期の刑の差があるのは酷である、また、すでに大阪事件で確定的な殺意をもって女性を強殺した少年と同等の無期刑であるのは均衡がとれないとして金の原判決を破棄、懲役15年という驚愕の判決を出した。罪状は、住居侵入、強盗致死、強盗致傷、そして銃砲刀剣類所持等取締法違反である。

検察はあきらめず、最高裁へ上告。しかし、最高裁でも上告棄却となり、2審判決が確定した。
国際指名手配となった張と朴は、2013年に中国で拘束された。日本は中国に対し代理処罰を求め、2017年、張に2年の猶予付き死刑判決が、朴には懲役15年が言い渡された。
この猶予付き死刑というのは中国独特の判決で、2年間模範的な生活であればその刑を無期などに減刑するというものである。
朴については、大阪事件を持ちかけたものの、実際には自分は強盗、殺害を実行しておらず、吉野さんの事件においても殺害の事実が認められず、金らと同等の刑となった。

再びの悲劇

吉野さん夫妻の事件があったのち、家族を奮い立たせ、心身ともに想像を絶する傷を負った母・恵美子さんを支えたのは長男・孝喜(たかき)さん(当時48歳)であった。
恵美子さんが何度も食事をふるまい、吉野さんも殊更かわいがっていた優秀な学生の安、そして、果物などを差し入れていた張。
ふたりは子ども、孫といっても差し支えない存在であった。恵美子さんになんどもお礼をいうふたりの姿が目に浮かぶたび、恵美子さんの心は深く深く傷ついた。
新潮45 平成17年7月号に、ノンフィクションライター新井省吾氏によるルポが掲載されている。
それによれば、心を閉ざし人間不信に陥った恵美子さんを、この長男・孝喜さんが少しずつ外に連れ出すなどして笑顔を取り戻させてきたという。
孝喜さんは、父親の諭さん同様に経営者としての手腕も確かなうえ、PTAや地域の世話役なども率先して担い、勤勉かつ人としての評価も非常に高い、夫婦にとって自慢してもしたらないほどの息子であった。
尊敬する父親が事件で非業の死を遂げた後も、孝喜さんは中国人留学生らのことを憂い、マスコミに対しては「他の真面目な留学生たちは迷惑しているはず、偏見を持たないで」とコメントするなど、罪を憎んで人を憎まずを地で行くような人であった。

そんな孝喜さんの姿を見ることが、傷ついた恵美子さんが唯一見出した生きがいと言えた。
次第に表情も和らいでいく恵美子さんを見て、雅美さんら他の娘たちもそれだけが救いであったろう。

しかし、そんな遺族の思いは、思いもよらぬ形で再び突き落とされることになる。

事件から1年もたたないその年の暮れ、孝喜さんが事故で死亡したのである。

その事故は、誰がどう見ても「吉野さん夫婦の事件がなければ、起きるはずのなかった事故」であった。
というのも、父親・諭さんが生前管理していた田んぼが事件後荒れ放題になっていたことを気にしていた孝喜さんが、慣れないトラクターを運転していた際に運転を誤り、転落したところへトラクターが覆いかぶさって下敷きとなってしまったのだ。
即死であった。
その遺体は、傷を覆うために包帯で巻かれ、とても恵美子さんや雅美さんらに見せられる状態ではなかったという。

恵美子さんは唯一の生きがいを喪い、治りかけた傷口を再び深く抉られてしまい、深刻なPTSDに陥った。
すでに始まっていた裁判での、「殺すつもりはなかった」という3人の被告の供述がさらにその傷口に塩を塗り込んだ。

雅美さんらは2004年、5人の被告を相手取って損害賠償請求をおこした。この時点では張と朴は拘束されておらず、損害賠償請求が認められたところで支払いの確約など到底望めないことから、金銭を目的にしたものではなく、事件の風化を阻止するのが狙いであった。
大分地裁では、刑事裁判では否定された被告らの殺意を認定し、7620万円の損害賠償を命じた。
これで遺族の悲しみが癒えることなど到底有り得ないが、直前の一審判決で出された判決理由とは異なる、殺意の認定があったのは大きな事であったろう。

しかし、この民事での判決は刑事事件に影響は与えず、結果最高裁まで争うも、強盗致傷、強盗致死での判決となってしまった。

安逢春の罪と罰

安に対しては15年という求刑であるが、これについても許し難いと考える人は多かった。
安が吉野さんの名前を出さなければ、たとえ出したとしてもその安が犯行に加わらなければ、計画は実行されていなかった可能性が高い。
安の刑が軽かったのは、何度も計画から外れたいという意思を示していた点、犯行時唯一吉野さん宅に立ち入っていない点が考慮されたとみられ、それは事実であろう。
何度もやめたい、関わりたくないと言ったが、金から連帯的な参加をほのめかされ、やめるにやめられなかった、というのも100万歩くらい譲って受け入れてもいい。

しかし。計画を知っていて自分はやりたくない、そう思ったのならなぜ警察に相談するなり、吉野さんやその周辺の人へ話すなどの手段を講じなかったのか。
吉野さん夫妻には立派な子供たちが何人もいたし、顔も広く、吉野さんを守ることは間違いなく可能であった。
しかし、安はなにもしなかった。それは、結局自身の欲があったからだ。
さらに言えば、自分は手を汚したくはないが、分け前はもらえるという、ムシの良い結果を期待していたのだ。

安が葬儀に参列したのは、自己保身のためという見方が大勢だが、実際は安は、単純に「許される」と思っていたのではないか。
優しく、父のようだった吉野さんを、殺すつもりなど全くなかったし、そもそも自分は家にも入っていないし吉野さんが殺害された現場も見ていない。
だから、安には現実味がなかったのではないか。もしもその目で、吉野さんが惨殺された現場を見ていたら、とても葬儀に参列など出来なかったのではないか。
自分は、直接手を下していないのだから、そんなに悪いはずはない…きっと、吉野さんだって「お前は悪くない」と言ってくれるはず。
なんてことを思っていたんじゃないのかとしか思えないほど、この男はバカである。

安は、確かに他の4人に比べれば、その罰が軽いのは法律的には正しいのだろう。
しかし、たとえ法で裁かれないとしても、安が犯した罪は、個人的に他の4人の誰よりも重いと私は思う。
安があの時吉野さんの名を出さなければ、吉野さん宅への道順をバカ正直に教えなければ、吉野さん夫妻は穏やかな老後を過ごせたし、孝喜さんとて命を落としていなかったであろう。

孝喜さん亡き後、孝喜さんの妻は従業員と会社を守るために夫の跡を継いだ。しかし、精神的にも頼りであった夫も義父もいない中での会社経営は困難を極め、その規模を縮小せざるを得なかった。
安は、吉野さんの家族だけでなく、その周囲の人々の生活までもめちゃくちゃにしたのだ。
この結果が重大でないならば、いったい何が重大なのか。世の中で一番許せないのは、バカという罪だ。

安は懲役を受け入れ、すでに出所しているだろう。反省を口にし、お経をあげるなどしおらしい態度でいたという安。
しかし、そのバカである罪がもたらした結果は、どんな罰をもってしても償えないほどのことであるとは、おそらく理解していない。

 

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