忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件②~

PTSD

裁判が始まり、当初から嘉信が覚さんに対して恨みを抱いていた、ということは知られていた。
しかし、それがまさか性的暴行であったとは、捜査関係者も思わなかったろう。
また、覚さんだけでなく父親の信吉さんまで殺害していることなどから、「両親を殺すつもりはなかった」とする嘉信の自白は信用できないとした。
弁護側は自白が逮捕直後の混乱の中で作成され、心身疲弊の状態で、なおかつ「あれだけのことになって殺すつもりがなかったのはおかしい」「信吉さんの胸部に深い傷がある以上、(殺す意図をもって)胸を最初から狙ったのではないか」などと言われたため、そうかもしれないと思うようになっての自白であり、信用できないとした。
しかし裁判所は、供述調書には嘉信の申し出で行われた訂正や、具体的なエピソードも記されていること、そしてなによりその殺意が形成されるに至ったきっかけから過程は、嘉信自身でなければおよそ語り得ない内容であることなどから、自白は十分に使用できるとした。



また、嘉信の口からしか語られていない性的暴行については、事実と認定した。
これには遺族は当然抗議のコメントを出した。
「被告は嘘ばかり言っており、それに基づいて裁判が進むのは耐えられない」
警察官だという弟は、兄の「汚名」をなんとしても打ち消したかったのだろう。
しかし、強盗目的でも通り魔的な犯行でもなく、ということは家人のいずれかになんらかの強い恨みを抱いていたことは容易に理解できること、その中で覚さんに対しての執拗な攻撃からみても、覚さんに対しての強烈な恨みが認められる。
他の供述に関しても、計画的な殺意については否認したものの、その他の点は信用できること、とすれば、そのきっかけとなったとされる性的暴行も虚偽の告白とは言えないと判断されたのであろう。
判決文には載っていないが、検察もこれを事実であると認めていることから、捜査段階で第三者等の証言もあったのかもしれない。

そこで注目されたのが、「PTSD」であった。
まず、PTSDに罹患する要因として、

①実際に、または危うく死ぬ又は重症を負うような出来事を、1度又は数度、又は自分又は他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、又は直面した。
②その人の反応は強い恐怖、無力感又は戦慄に関するものである
と定義されている。

さらに、外傷的な出来事が、以下の1つ(またはそれ以上)のかたちで再体験され続けていることもポイントである。

①出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心象、思考、又は知覚を含む。
②出来事についての反復的で苦痛な夢
③外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする(フラッシュバックや錯覚、中毒時や覚醒時に起こるものも含む)
④外傷的出来事のひとつの側面を象徴し、又は類似している内的又は外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛
⑤外傷的出来事のひとつの側面を象徴し、又は類似している内的又は外的きっかけに暴露された場合に生じる生理学的反応

くわえて、外傷と関連した(外傷前には存在していなかった)刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺が少なくとも3つ以上あることも必要である。

①外傷と関連した思考、感情、又は会話を回避しようとする努力
②外傷を想起させるような活動、場所又は人物を避けようとする努力
③外傷の重度な側面の想起不能
④重要な活動への関心又は参加の著しい減退
⑤他人から孤立している、又は疎遠になっているという感覚
⑥感情の範囲の縮小
⑦未来が短縮した感覚

また、外傷以前には存在していなかった持続的な覚醒亢進症状が2つ以上あるかも必要である。

①入眠、又は昏睡維持の困難
②易刺激性又は怒りの爆発
③集中困難
④過度の警戒心
⑤過度な驚愕反応

そして、基準B、CおよびDの症状の持続期間が一ヶ月以上であり(E)、それらの障害が著しい苦痛、社会的、職業的又は他の領域において機能の障害を引き起こしているかどうか(F)、このような複数の判定基準に基づいてPTSDは診断されている。

嘉信のケースの場合、幼少期の性的暴行は明らかにAでいうところの「身体の保全に迫る危険」に該当し、泣きながら帰宅したことからも「強い恐怖」を植え付けられ、後に行為の意味を知って屈辱感を味わったことが「無力感」となって認識されている。
思春期以降、幾度となく性的暴行のシーンが突然甦ったり、夢に見る、これらはB基準の中で①と②に合致する。
さらに、女性を意識すると同時に、性的なシーンを見たり想像するだけで自身の性的暴行も思い出され、嫌悪感、凌辱感などがわきあがってマスターベーションすら持続できないなどC基準でいうところの①に該当する。
また、覚さんと極力関わらないようにしたり、車なども視界に入れないようするなど②に当てはまる。嘉信は暴行された時、緑色のビニールシートがかぶされた物置(おそらくドーム型の簡易物置と推察)と覚さんの薄笑いははっきり覚えているものの、それ以外の風景は記憶から消し去られている。
この点は、③の重要な側面の想起不能である。

そして、性的暴行の夢を見て目が覚めたり、覚さんの姿や車などをみると警戒心を抱き、動機や火照りを感じるなどはD基準の①と④に該当する。
きっかけとなった性的暴行から10年程度その症状は継続しており、E基準における期間の継続にも該当するし、過去がばれるのを恐れて一か所に長く勤めないなど、社会的領域における機能障害(F基準)にも該当しているとした。

これらの判定をもとに、嘉信がPTSDに罹患し、他人に相談できなかったことから症状を悪化させ、たまりにたまった怒りを増幅させるほかになく、結果として誤った確信を有する一種の幻覚妄想様態に陥っていた、そしてそれを払しょくするには、他者(覚さん)を攻撃する以外にないというのが弁護側証人の専門家による証言である。

裁判所の見解



これに対し、裁判所の見解は以下のようなものであった。
まず、診断に要した時間が30分の面接が2回だけである点、PTSDという概念自体が新しいもので、具体的な症状については議論の余地があるだけでなく、一般的にPTSDが引き金となって他害行為に及ぶということはないと考えられている(平成19年当時)ため、この証言内容から直ちに嘉信がPTSDであるとは断言できないとした。

その一方で、裁判所も認めている嘉信の身体的・心理的な症状(火照り感や動悸、性的暴行の夢を見たりフラッシュバックが起こるなど)においては、診断した証人(精神医学者)の証言は一貫性があり、具体的かつ理論的で、検察による反対尋問でも一切崩れていないことを考えると、少なくとも嘉信が「PTSDではない」とも言い切れない、とした(回りくどい・・・)。
要するに、裁判所としてそう簡単にPTSDなんか認めないよ、そんなこと認めたら世の中PTSDだらけになるじゃん、でも子供のころにそんなことをされたら相当心に傷がつくのはわかるし、医学的な見地でもそれは立証されてることだよね、だからPTSDに陥っている可能性までは裁判所としても否定しませんよ、ということだ。
これは個人的な意見だが、証言した精神医学者が「デキる人」であったのもひとつあるだろう。専門的な立場の人間はどうも難しいことを言いがちで、正しいことでも理解されにくい側面がある。
しかし、この証人は検察の、「身体の保全」を「心身の保全」と読み替えたのは証人の基準が偏っているからだ!という苦肉の反対尋問にも耐えた。

弁護側としてはPTSDに陥った嘉信の責任能力を問いたかったと思われるが、裁判所はその点は否定した。
これは、嘉信が覚さんを見た瞬間に襲ったのではない点、自身の内部にわきあがった怒りを鎮めるために、プラモデルを作ったり家族と食事するなどしている点、そしてその経過の上で、「やはり殺さなければならない」と殺意を再形成している、と判断されたからだ。
さらに、犯行の様子をある程度客観的事実に符合する供述をしている点なども、責任能力を有していたと判断された。

検察側の主張は、性的暴行の事実をあえて引き合いに出し、「この経験が事実だからこそ、覚さんに対しては簡単に殺害するのではなく、あえて苦しみを長引かせるようにして殺害した」と、その残虐性を強調した。
そして、それを完遂するためには、あらかじめ信吉さんと秀子さんを殺害しておく必要があるのだから、3人に対する強固な殺意があり、当初から一家皆殺しを念頭に置いていたと主張した。
また、そのきっかけとなった「性的暴行」については争わないとしつつ、別の医師に「性的な空想は事実を膨らませることがよくある」「精液を飲まされたという供述はやや行き過ぎていると推測されるので、もしかしたら誇張がはいっているのでは」などと証言させた。ちなみにこの医師は嘉信と面談すらしていない。
さらに、嘉信はこの性的暴行の事実よりも前から、人格的に他人を思いやるとか自己反省が出来ない人間であるとし、性的暴行が嘉信の人格形成に関係したのではないとした。
したがって、性的暴行が事実だとしても残虐で無反省な人格はそれ以前のものであるから、更生の余地はないとし、死刑を求刑した。

これに対し、裁判所の見解は驚くほど人間的なものであった。
どんな事情があったにせよ、殺害止む無しとするような、被害者に落ち度があるとまでは言えないとしながらも、嘉信が受けた心の傷がどれほどその後の嘉信の人生、人格形成に影響を与えたかに一定の理解を示した。
言い換えればそれは、覚さんからすれば過去の一過性の過ちであったかもしれないが、嘉信にとっては異常な体験であり、受けた側の心の傷の深さも遠回しに踏み込んだ。
それは、「誰かに相談すればよかったのにそれすらしていない」などととぼけたことを抜かす検察に対して、「結果論として被告が苦悩を解消する手段を講じるべきではあったとしても、不幸の連鎖を断ち切った上で更生させる余地すらないとは言えない」とした。

2人を殺害し、1人に重傷を負わせた事案で、検察も死刑を求刑し、遺族も峻烈な感情を抱いて極刑を望んでいたにもかかわらず、無期懲役であったことは、やはり裁判所が嘉信の心の傷に一定の配慮を見せた結果と言えるだろう。

言いたくても言えないこと



裁判はその後、検察と弁護側双方が控訴したものの、双方の訴えを棄却。
検察は上告を断念し、弁護側のみが上告したが、嘉信が取り下げ無期懲役が確定した。
後に、山形地裁に遺族らが損害賠償請求を行い、2009年に2億円の賠償命令が出ているが、その後の情報はない。

ネット上を中心に、被害者が過去に行った犯罪が取りざたされ、嘉信への性的暴行と併せて同情は嘉信に集まった。これは一般的な人の感情でいえば当たり前かもしれない。
私自身、息子がいる身であるから、もし息子が嘉信と同じことをされたら、と考えただけで恐ろしい。泣きながら帰宅した幼い息子の身に起こったことを、事件後に知った母親の胸中を思うとこちらもまた体が震える。
しかし、同じ母親でも秀子さんの胸中はいささか理解しがたいものがある。
不確かなことは言えないが、覚さんが婦女暴行をはたらいて逮捕までされている以上、「何も知らなかった」ことはないだろうと思う。
にもかかわらず、社会復帰した息子を実家に立ち入らせ、自身もそれまでと同じように小さなその街で暮らしている。
もちろん、犯罪者の家族はこそこそと暮らすべきだとか、そんなことは思わないにしても、それこそ嘉信が思うように「なんで被害者がコソコソして、加害者が普通に暮らせるのだ」とは思う。
さらに理解できないのは、覚さんの婚約者だ。その女性は覚さんと6年の付き合いだという。
ということは、婦女暴行を働いた当時も付き合っていたことになる(義信が専門学校卒業後に地元に戻った際に逮捕、あるいは逮捕された話を聞いており、少なくとも4つ下の嘉信が実家にいた間の出来事ではない。ということは、義信が実家を出た18歳以降の出来事であり、事件が起こったのは年齢を考えると覚さんが22歳以降の出来事であるといえる。
交際女性とは6年の付き合いということなので、殺害当時27歳であった覚さんとは21歳のころからの付き合いとなり、時系列的に見ても婚約者がその事実を知らなかったとは考えにくい)。
犯罪に大きいも小さいもないが、彼氏が強制わいせつや婦女暴行で逮捕なんて私は絶対いやだ。
また、覚さんの弟は警察官であるが、そのあたりもなにかこう、うまく言えないけれどひっかかるものがあり釈然としない。

片方で、人望の厚い面倒見の良い父親と、看護師として働き者の母親、警察官の次男に親思いの明るい長男。
その家庭の裏にある、婦女暴行と、男児に対する性的暴行の過去。
これをなんとみるべきなのだろう。

わたしはこのことを考えるたびに、チベットスナギツネみたいな顔になる。言葉もない。言いたいことは山ほどあるが、絶対に言えない。
それを口にしてしまったら、被害者叩きというだけでなく、嘉信が堕ちた闇に引きずり込まれるような気がするから。

でも、これだけは言いたい。覚さん、なんでそんなことしたの。

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