妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件②~

束の間の平穏

同居してすぐ、またもチヨコさんは物がなくなったといっては家族を泥棒呼ばわりし始めた。
ただ、その程度であればまだ耳をふさいでさえいればやり過ごすこともできた。
父親が生きていたころは、父親がチヨコさんを諫めたり、原や妻を庇うなどしてくれていたため、同居した当初は一緒に食事もし、家族の体をなしていた。

しかし、父親が他界したのち、その言動は次第に常軌を逸していく。

言葉だけだったチヨコさんの妻に対するいびりは激しさを増した。時には、突然妻の頬を平手打ちするなど、暴力行為にも及び始めた。
通帳がなくなった、服がなくなった、とにかくありとあらゆることで妻を罵倒した。
原が仕事から帰宅すると、妻は部屋で泣いていることが増えた。
子どもたちの教育にも良くない、これでは家庭が壊れてしまうと思った原は、昭和59年頃に神奈川県小田原に住んでいた弟にチヨコさんを託す。
弟は原に比べてチヨコさんの扱いがうまかったこともあり、また、チヨコさんの性格もわかっているためにこれを承諾、月に1~2回は中津川の原宅へ戻るという生活を始めた。



これでなんとかなると安堵した原は、自身の仕事においてもその頃から昇進が続き、地域の人から「先生」と呼ばれる機会も増えたことで、より一層世間体を気にするようになっていた。
平成5年頃、警察犬訓練士になりたかった娘・こずえさんの影響で、2頭のシェパードを飼育するようになった。
「エンジェル」と「エイミー」と名付けられたシェパードは、原の愛情を受け、特に妻の名前をもじってつけた「エイミー」は殊のほかかわいがったという。

平成10年。平穏な日々は突如終わりを告げることになる。
弟宅で暮らしていたチヨコさんが、ついには弟にも愛想をつかされてしまった。
厳密にいうと、チヨコさんが通院する頻度が増えたことで独り身の弟が面倒を見切れなくなったという方が正しいかもしれないが、チヨコさんはウマが合うはずの弟に対しても、物がなくなったといって泥棒呼ばわりしていたという。
兄の事情もわかってはいたが、弟にはこれ以上チヨコさんを預かるのは無理だった。
平穏な暮らしに安堵しきっていた原は狼狽する。しかし、長男という立場、弟に迷惑をかけられない思い、そして何より地域の人々に慕われている自分が母親の面倒を見ていないと知れたらどうなるかという「世間体」が気になった。

思い悩む夫を見かねて、当初は断固拒否していた妻は同居しても良いと原に伝えた。
そして平成11年、再びチヨコさんは原の家族と同居することになった。

常軌を逸していく母親



妻は、前回の同居から10年以上経過していることもあり、過去のことは忘れて仲良くやっていこうと考えたという。
そこで、チヨコさんの好きな献立を並べたり、買い物や旅行に誘うなどしてチヨコさんの機嫌をとった。

しかし、そんなことで変わるようなチヨコさんではなかった。
相も変わらず妻を泥棒呼ばわりし、心を込めた妻の手料理にケチをつけ、あげく「こんなところで食べても美味しくない」と言い放って自分で料理を作り、自分の部屋で一人で食べるようになった。
チヨコさんの具合が悪い時に妻が作った料理はそのまま捨てられた。
チヨコさんの希望で購入した花の苗を妻に植えさせた後、数日後にその花を全部引き抜く、台所のテーブルに妻あての罵詈雑言をしたためた手紙を置くなどといった嫌がらせを日々手を変え品を変え、思いつくままにやり放題であった。

これでは身が持たないと感じた妻は、小田原の弟に助言を求めた。
「兄さんに間に入ってもらう方がいいよ」
もっともな弟のアドバイスを妻は夫に伝えたが、夫の反応は薄かった。
「自由にさせておく方がいい、放っておけ」
原は口ではそういったが、本心では「放っておくことでしか自分の身を守れない」だけであった。
幼いころから、母親への対処は無視であった。大人になり、人の親になり、社会的な地位を築いた今でも、母に対してはそれ以外の対処法を知らなかった。

妻には時には「老人だから許してやってくれ」と、情に訴えるようなことも言った。そのたびに、妻は悲しそうな顔をして引き下がるのだった。
夫婦は次第にチヨコさんと顔も合わさないようになっていった。

チヨコさんはというと、家庭内で孤立しても意に介さず、腹巻の中に通帳などの貴重品を入れて持ち歩いていた。
平成13年には突然、原に断りもなくチヨコさんの部屋に通じる廊下に扉をつけた。突如現れたその扉には鍵がつけられ、二世帯住宅の共有部分はチヨコさんの居住スペースの側から鍵がかかるようになっていた。
原や妻は、チヨコさんの部屋に立ち入ることが出来なくなったが、チヨコさんは原と妻の寝室や、妻が入浴中のふろ場を覗いたり、勝手に原の家族のリビングに入り込むなどして自分の存在はアピールし続けた。
原らにとってその行動は存在のアピールにとどまらず、チヨコさんに常時監視されているような感覚も受けた。

その頃には、風呂に最後に入る妻への嫌がらせとして、浴室に大小便をまき散らす、生ごみをぶちまけるなど正気の沙汰とは思えない行動に出ていた。
さらに、仕事から帰った原を頻繁に部屋へ呼びつけては、妻に聞こえるように妻の悪口を吹き込んだ。
たまに訪ねてくる小田原の弟にも、同じように声高に妻の悪口を言い続けた。
妻にとって、物理的な攻撃もさることながらこのように夫や義弟にあることないことを吹き込まれることは精神的に打撃が大きかった。
夫である原にその不満を言っても、反対に諭されたり説得されるのが関の山であったため、ノートに思いの丈を書いて憂さ晴らししていた。
原にしてみれば、あえて「放っておけ、気にするな」ということで男としての余裕を見せているつもりであった。
しかし妻の切実な訴えをどうすることもできない自分もわかっていて、それから逃げるために犬の訓練だのと称して家を空けたりした。
妻は次第に、夫に失望感を抱き始めた。それは原にも伝わり、世間体や男として、夫としての不甲斐なさを認めたくない原は、「母親さえいなくなればよい」と考えるようになっていった。

殺害やむなし



平成14年、こずえさんが長男を出産。心が荒む日々の中において、長男・孝平ちゃんの存在は一筋の光に思えた。
こずえさんとTさん夫婦は、坂下の実家から5分程度の距離の借家で、お互いの家を行き来して孝平ちゃんも原夫妻に懐いており、関係は良好だった。
しかし、孫であるこずえさんは、両親同様に祖母チヨコさんとは交流がなかった。

平成15年、ついに妻が別居を申し出た。チヨコさんのいびりに耐えかねた結果だった。
慌てふためいた原は、なんとか妻を思いとどまらせようとチヨコさんとの別居を提案する。それが嘘ではないという証明なのか、実際に知人らに借家がないかと聞いたり、実際に物件を見て回ったりもしていた。
しかし、弟にその話をしたのち、当然チヨコさんの耳にもはいることとなり、チヨコさんは鬼の形相で長男夫婦に詰め寄った。
「わたしを見捨てる気か!」
また始まった。激昂する母親の前に、原は無力であった。同時に、その頃老人保健施設「はなのこ」の事務長として働いていたことも、チヨコさんを追い出すことを躊躇させる要因となった。
老人福祉を担う自分が、母親の面倒を見ないというのはどうにも世間体が悪かった。
結果、別居に踏み切ることは出来なかった。

その頃、原の中でおさえきれない衝動が込み上げるようになっていた。通帳がないと騒ぎ立てるチヨコさんの首を締めそうになったことが2度あったという。
それまでは無関心を装ってやり過ごせていたのに、チヨコさんが騒ぎを起こすたびに死んでくれたら、そうすれば楽になるのに、と考えるようになっていた。
同時に、それまではチヨコさんを殺してしまったら家族に迷惑がかかるからと思いとどまっていたのが、それならばいっそ家族丸ごと殺した方がいいのではないかと考えるようになっていたが、こずえさんの第二子妊娠がわかるなどしたことでその衝動を抑えていたという。

しかし翌平成17年、たまに訪ねてくる小田原の弟のために、チヨコさんは裏庭を駐車場にすると言いはじめた。
その裏庭は、原が飼育している2頭のシェパードを遊ばせる場所にしており、それをわかっていながらそこを潰すというチヨコさんに対し、やはり弟だけがかわいいのだ、だからこれは自分への嫌がらせなのだと思い込むようになった。
チヨコさんへの殺意が大きく実行する方へ傾いたのもこの頃だという。
そして、家族についても、「自分ならば残されたら辛い、死んだ方がマシだ」と思うからという理由で、チヨコさんのみならず家族も殺さなければならないと考えるようになった。

妻については、大変な苦労を掛けたうえ、そもそもチヨコさんから解放することが目的なのだから殺すことは出来ない、そう考えて、実行するとしたら妻がいない日に使用などと漠然と考えた。

しかし、その直後、決定的な事件が起こる。
平成17年1月26日、日ごろから懇意にしている郵便局の局長から、チヨコさんの貯金について、限度額超過している分を新たに預け替えたらどうかという提案を受けた。
原は、本人を連れて翌27日午後に郵便局へ行く旨伝え、チヨコさんにもそのように伝えて自宅にいるよう言い置いていたが、同日昼頃帰宅するとチヨコさんは勝手に一人で郵便局へ行っていた。
しかも、郵便局の窓口で、局長らの提案を誤解どころか曲解し、「この人(局長)に騙されてお金を取られた!」と大騒ぎしていた。
止めに入って宥める原の言うことは全く聞かず、顔見知りばかりのその郵便局の窓口で、チヨコさんは局長らを泥棒扱いし続けた。
チヨコさんは痴呆でもなんでもなく、その上でこのようなことをするのはもはや原に恥をかかせる以外に考えられず、わざとやっているんだと原は確信した。

これまでは家庭内の問題でなんとかやり過ごしてきたのに、地域にまでトラブルを起こすようになってしまった以上、原はチヨコさんを生かしておくことは出来ないと決意した。
それは同時に、家族らも生かしておけないという決意でもあった。

矛盾だらけの建前



裁判では、原の供述通り、チヨコさんへの積年の恨み、そして妻への愛情、それらが複雑に絡まり合った末の無理心中との見方がされた。
検察はこの事件は原の自己愛の強さ、自身の虚栄心や自尊心のみを重要視する人格がもたらしたもので、自己を正当化し、世間から同情を得るための供述をしているに過ぎないとしていた。
が結局、動機の部分は深く追及されることもなく、最高裁までいったものの判決は無期懲役で確定した。
この判決には、あの死刑廃止で有名な菊田幸一弁護士ですら、
「遺族感情がかなりのウエートを占めた可能性もある。(死刑廃止という)死刑回避の立場からすれば歓迎すべきだが、被害者数から言えば過去の判例からはありえない判断」
と疑問を呈するほどの一審判決であった。
弁護側、検察双方が控訴したが控訴棄却、最高裁では上告棄却となりはしたものの、裁判長である横田尤孝裁判官ただひとりが差し戻しを主張、死刑回避の要因にはなり得ないとする思料をつけた。

原が言うように、チヨコさんへの恨みであったならば普通、チヨコさんを殺害し、その上で自分も死ぬ、そういうことだったならば理解できる。
あるいは、妻も含めた一家心中であっても、まだ理解できる。
理解できないのは二点、遺された家族が不憫だから殺すと言っておきながら、一番愛していたという妻を生かしたこと。もうひとつは、その場にいなかったこずえさんの夫・Tさんを、わざわざ迎えに行ってまで殺害しようとしたことだ。

妻は、自分のために一家を殺したと言われているも同じであり、それこそ世間から同情と好奇の入り混じった視線を一身に浴びる羽目になり、不憫どころの騒ぎではない。しかも、子どもや孫まで殺害され、一瞬にして一人ぼっちになってしまうのだ。
愛しているからこそ、一緒に連れていく、こちらの方がよほどしっくりくる。
だから、当初この話を知った時、原は妻を愛していなかった、というか犬以下の存在だったのかなと思ったのだ。わたしが妻だったらこれほどまでの侮辱はないだろうな、と。

そしてもう一点の疑問、なぜTさんを殺す必要があったのか。
Tさんは娘の夫であるが、所詮は他人である。血のつながりもなければ、事件後被害者遺族ではあっても犯罪者の家族とはみなされない。自身も重傷を負わされているし、事件のきっかけにもならない存在であるわけだから、とばっちりもいいところで同情しかされない立場だ。
にもかかわらず、最初から殺すリストに入っていた。それはなぜなのか。こずえさんと孫たちのために死んでもらう方が良いと思った、とは言うが、釈然としない。
遺された家族が不憫と言うなら、Tさんよりも弟のほうではないのか。
しかし、弟については遠方であったこともあるだろうが、殺すリストに入っていない。

どうもこの辺りが矛盾しているため、裁判で語られた殺害の動機は果たして本心なのだろうかと長年わたしは悩んできた。

そして、冒頭で書いたようにある手記を見つけたことで、そこから原の本心が見えた気がしたのだ。

理想の自分、理想の家族



原の家族は、亡くなったこずえさん、正さんを含め、非常に仲の良い健全な家族であるように報道され、様々な出版物などにもそのような印象をもって書かれている。
しかし、裁判記録を読んだ時、私にはちょっと違った印象の原一家の姿があった。

長男の正さんは、大学卒業後いったんは大阪で民間企業に就職したものの、都会の生活があわず、2年で退職。実家へと戻ったのちはフリーターであった。
その後、30歳を前にカイロプラクティックの資格を取った。そして、実家でカイロプラクティック医院を開院していたという。
裁判記録によれば、原は息子の正さんに対して、「30歳にもなるのに定職につかず実家に居られるのは世間体が悪い」と感じていたという。しかし、正さんとの仲が悪くなることを恐れ、その点について口出しはせず、カイロプラクティック医院開院の際には経済的な援助も行った。
原は、世間体をことのほか気にする以上に、チヨコさん以外の家族と揉めるのを極端に嫌った印象がある。
長女こずえさんにしても、高校卒業後、警察犬の訓練士になりたいと専門の施設へ通うも、一年で挫折。訓練士にはならず、その後エステ機器の販売という職に就いた。
この、エステ機器販売という仕事を怪しさ満載、と思うのは偏見だろうか。
その後平成11年頃、Tさんと知り合い、平成13年に結婚、しかし結婚式は先送りであった。
詳細は不明だが、どうも経済的に困窮していた節がある。というのも、Tさんは離婚歴があり、2人には借金もあったという。
その二点が原には気に入らないものであったため、内心では結婚に反対だった。しかし、ここでも寛容で頼れる父親でありたいという思いから、娘夫婦の借金を清算し、結婚費用や新居のリフォーム代まで援助した。
結婚後も、なにかと娘夫婦に援助を惜しまず、この点については事件後Tさんは「本当に世話になった」と複雑な思いを明かしている。

ここで思うのは、原がいう、「遺された家族が不憫」というのは嘘じゃないか、ということである。
多少はあるかもしれないが、実際のところ、思い通りにならなかった娘と息子のことを、正直どうでもよくなっていたのではないか。
金を使い、気を遣い、尊敬される父親であり続ける努力を惜しまなかった、「理想の家族」を演出するために。
それが、チヨコさんへの恨みに引っ張られて、「お前らだって本当は…」という歪んだ気持ちがあったんじゃないのか。「遺された家族が不憫」などというのは、体のいい言い訳じゃないのか。

ではTさんはなぜ殺害する必要があったのか。
世間体を気にしまくる原にとって、被害者遺族として妻と弟はおそらく自分をわかってくれるだろうという計算があった。しかし、血のつながりのないTさんにはしゃべってほしくなかった、自分の自尊心を傷つけるようなことを話す可能性を排除したかった、それじゃないのか。
というのも、原は正さんとチヨコさんを殺害し、犬を連れだして殺害した後、自身の勤務先である老人保健施設へ行っている。
額に返り血をつけたまま、トイレで手や額を洗い流した後、自分の机の引き出しから私物を持ち出しているのだ。
これは、「あとから勤務中に私用をしていたと言われないようにするため」であった。引き出しには警察犬関係の本があったという。
事件後、マスコミに原の人となりを話す人間がいた時、勤務中に仕事以外のことをしていたような人だ、などと言われることは原にとって許せない事だったのだ。
多分、そんなことをいう人はいなかったわけだが、原は徹底して「理想の自分」を守ろうとしたように思える。
そう考えると、Tさんを殺害しようと思ったのもうなずける。「悪く言われたくなかった」、ただその一点だったのではないか。

妻はどうだっただろう。美人で明るい性格で、チヨコさんのいびりにも耐え、同居も自ら提案したというまるで妻の鑑のような人物に思える。
しかし、娘婿であるTさんはこういう。

”私の妻こずえは、母親について『子どものような性格をしている。自分の思い通りにならないと癇癪を起こして口もきかなくなる』と、よく話していました。~週刊現代  2005.8.20・27 p.198~”

その上で、自身が事件後、義母に連絡を取ろうとしても義母側の親戚に「ショックを受けているから」という理由で取り次いでもらえなかったり、娘であるこずえさんと子どもたちの葬式にも顔を見せなかったことなどを明かしている。
さらに、後にようやく会って話をした時の話は耳を疑う。
Tさんが供養にと母子観音像を建立した際の写真を見せると、義母は、ちらっと見ただけでその写真を「投げて返した」というのだ。
我が娘と我が孫のために建てられた慰霊の像の写真を投げて返すとはどういった心境なのだろうか。
さらにT氏は言う。

”そんな義母のことを、義父(原)が愛していたなんて信じられません。むしろ、義母だけ殺さずに一人だけ生き残ったら・・・・・・。それこそ、生き地獄でしょう。義父はそう考えていた(そこを狙っていた)のではないかと、思えてならないのです。~週刊現代 2005.8.20・27 p.198~()内はcase1112による補足”

だよね?!これ、普通に考えて妻への究極の嫌がらせだよね、わたしがそう思ったのは言うまでもない。

実は、事件後地元では原の妻の「男女関係」が原因ではないのかといううわさがまことしやかに流れ、T氏もそれを知っているという。

世間体を殊のほか気にし、理想の自分、理想の家族に恋焦がれ続けた男。社会的にも認められ、人望厚く、家庭では良き夫、頼りがいのあるおおらかな父親、しかし現実では、80を超えた小柄な母親にすら、言い返すこともできない軟弱な男でしかなかった。
結局は、妻のためと言いながら、自分が逃げたかっただけである。チヨコさんからも、おそらく妻からも家族からも、逃げ出したかったのではないか。
妻に「本懐を遂げた」自分を見てほしかった、等とさも男らしいことを言っているように見えて、そのためには子供や孫を利用することを厭わなかった、それこそ自己愛の塊の男である。

何もかもから逃げることに加え、本心かどうかは別にして結果として妻に最大の嫌がらせをしたことになった愚かな息子の所業を、チヨコさんは嗤っている。

 

 

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