町田DV殺人事件

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平成19年5月6日。

町田市森野2丁目のとある2階建てアパートの一室で、結婚間もない夫婦が暮らしていた。
当時34歳の夫・仁志は、健康食品会社に勤務しており、28歳の妻は細身の美人で福島の出身だった。
何の変哲もない、ごくごく普通の若い新婚夫婦に見えたが、妻はその外見からは想像がつかない一面を持っていたという。
入籍からわずか3か月後のこの日、夫は妻の細い首に手をかけ、そのまま殺害してしまった。
犯行後、夫は冷静に知人に事の顛末を電話し、さらには予定していた新婚旅行と挙式のキャンセルを業者に伝え、自身は自宅の外で警察官の到着を待ったという。
計画的に見えるこの殺人事件。この夫婦に何があったのか。

出会いと、妻の抱える病

仁志が妻と出会ったのは平成18年の夏。たまたま居合わせた居酒屋で、彼女の方が声をかけてきた。
可愛らしい顔立ちに惹かれた仁志は、電話番号を交換し後日デートをする。そして、その後すぐに同棲をはじめ、翌平成19年の2月には入籍まで済ませるほどの早い展開だった。
結婚を強く望んだのも妻の方であった。当初から仁志に対して強い愛情を示していた妻だったが、そのうち異様な側面を見せ始める。
「最初は普通の人だった」
とは、夫・仁志の弁である。若く可愛い妻は、かねてより仁志のことを知りたがり、常に一緒にいたいという考えを持っていたが、それらは女性にありがちな甘え願望によるものであり、すべては愛情がさせていることだと思っていた。過去に付き合っていた女性のこともひどく気にし、卒業アルバムなどで顔と名前を確認したりもしていたが、それらもやきもちの一種とも思えた。

しかし、だんだんと妻は理解しがたい言動を見せるるようになる。
ほんの些細なことでスイッチが入り、途端に不機嫌になり怒り始めるのだった。理由は様々だったが、「部屋が寒い」「会話が減った」「メールの返信に絵文字がない」といった、他人には到底はかりようのない彼女の基準によるものだった。
その感情の振れ幅は次第に大きくなり、部屋中のものを投げつけたり、家具を壊す、押さえつけなければならないほどに暴れる、果ては自傷行為にまで及んだ。
夫・仁志は当初知識もなかったため、とにかく抱きすくめて妻の感情が静まるのを待つほかなかったが、妻が「パニック障害」を持っていることを打ち明ける。そこで初めて、妻の病を知ることとなったのだ。
しかし、妻が抱えていたものは、「パニック障害」だけではなかった。

殺害のきっかけ

その日、結婚披露宴の衣装合わせに行く予定で出掛ける用意をしていた時、妻がなんらかの拍子に夫・仁志の携帯に保存されていたある画像を見つけてしまう。
それは、以前仁志の友人男性がふざけて送ってきた猥褻な画像で、仁志としても特に好んで、意味を持って保存していたわけではない画像だったが、それを発見した妻は激昂する。

いつにもまして怒りの収まらない妻をなだめ、なんとか一度は駅前まで妻を送り出したものの、妻は再び自宅アパートへと引き換えしてしまう。
自宅に戻った妻の言動は、もはや正気の沙汰とは思えなかった。
画像を送ってきた友人男性に電話し、罵倒し謝罪させても収まらず、離婚する旨をメールで送りつけた。
同じように、静岡に住んでいる仁志の実母にも同じように電話でまくしたてた。さらには、何の関係もない夫の昔の彼女を挙げ、あたかもその彼女の存在がこの状況を引き起こしていると言わんばかりの罵詈雑言を浴びせかけた。

夫は必死になだめるも、妻の耳には届かなかった。家中を破壊し、家族写真を破り捨て、しまいには件の彼女の勤務先に電話し、自分の携帯に電話させるよう手配していた。
そして、最悪のタイミングで携帯に彼女からの着信が入った。電話口で無関係の彼女に暴言を浴びせ、それを必死になだめる夫の顔面に平手打ちをくらわすと、鼻血を流して顔を抑える夫に対し、妻はこう言い放つ。

「あの女をめちゃくちゃにしてやる。あんたとも別れる。あんたのものは全部壊してやる。あの女は顔をぐちゃぐちゃにして裸で会社の前に捨ててやる!」

そして、台所のテーブルから椅子から何から何までひっくり返し、投げつけ、さらに包丁の入った水切り籠まで投げつけた。

夫が妻に初めて手を挙げ、床に引き倒して首に手をかけたのは、その直後だった。

新潮45の記事と、妻の過去の結婚

報道では、結構おバカな事件扱いだったように記憶している。猥褻画像を妻に見られた夫が逆上して妻を殺した、ほとんどの報道はそうなっていたし、まあ、実際のきっかけを短くまとめるとそうなるわな。
しかし、2008年に出た新潮45のルポは、それまでのこの事件の印象を大きく変え、「人格障害」というものにもスポットを当てたと言える。
裁判が始まり、その過程で妻が抱えていた「ある問題」が浮き彫りになった。実は妻には2度の離婚歴があった。それについては、夫も当然知っていたであろうと推察される。昭和初期ならまだしも、平成の世でバツ2などはもう珍しくもなんともない。
しかし、その離婚理由によっては、話はまた違って当たり前である。
福島で生まれた妻は、三姉妹の次女として育ったが、高校を中退したのちに、JR二本松駅の近くのスナックで働いたという。
しかし、それ以前には一度東京へ出てホステスもしていたというがはっきりしない。
ほどなく、二十歳を超えた彼女は地元に戻ってきて、客としてなじみだったスナックのママに、「お店で働きたい」と申し出る。その店はホステスがそろっていたため、ママの紹介により他のスナックで働いたが、なぜかすぐ辞めている。
平成15年の春、そのママのお店で週末働くようになった彼女は、酒を飲むとトラブルを起こすようになったため店での飲酒は禁じられていた、ホステスなのに。
妻はその店で知り合った男性と結婚した。男性には離婚歴があり、幼い男の子がいた。彼女はそんなことは意に介さず、その男性と新興住宅地にある一戸建てで新婚生活を送るのだが、3年で終止符を打つことになる。実際には、入籍して一ヶ月のころから妻が言うところの「パニック障害」による騒動が起きていた。
幼い息子(夫の連れ子)までも巻き込んだ妻の暴挙に、夫は離婚を迫るが妻はそのたびにさまざまなトラブルを引き起こす。
この辺りは新潮45の本に詳しいが、手元にない方のために抜粋すると、こうだ。
夫が仕事に行くのも嫌がり、勤務先にも電話をかける。その際に、幼い息子を電話に出し、「ママが腕を切ってるから帰ってきて」などと言わせる。実際に怪我をすれば「病院へ連れていけ」とわめき、実際に連れていくと「こんなヤブに診せるのかよ!」と激高、別の病院へ行かせまた同じことの繰り返し。
元妻の勤務先にも電話し罵詈雑言を浴びせたかと思えば、結託して夫から金をとろうと持ちかける、気に入らないことがあれば家中の窓ガラスをたたき割り、家電を壊し、疲れ果てて爆睡、妻の実母が迎えに来て気持ちが落ち着くと、謝罪することもなく「私大人になるから!」とすがすがしく宣言するも、ドン引きする夫を見るや、「傷ついた、慰謝料払え」と豹変。
離婚を申し出た夫に、土下座しろと要求し、夫がそれをのめば今度は「親戚一同連れてきて全員で土下座」と要求があがる始末。それは、丸め込んで用心棒にし同席させた代行運転手の男すら、呆れ返るほどのことだったという。
やっとの思いで離婚届が提出されてから一か月後のある朝、妻は「元夫が暴力団を雇って私を襲った」として、ケガした足を引きずり警察へ駆け込んでいた。しかし、夫は夜勤でそのような事実も全くなかったため、すぐに狂言だとわかってしまう。警察にも相手にされなかった妻は、その日、元夫の自宅軒先の洗濯物に火をつけ、放火の疑いで二本松警察署に逮捕された。
その翌年の春、1度目の離婚から再び別の男性と結婚できるようになる6か月が過ぎるとほぼ同時に、彼女は2度目の結婚をしている。しかし、2度目の結婚も同じように彼女の言動が原因で4か月という短さで破たん。
その時の夫はその後行方が分かっていない。
そして、離婚とほぼ同時期に、3度目の夫となる仁志と出会ったのだ。

当事者と、傍観者のハードル

殺人はいかなる理由があっても許容されるべきではないし、正当防衛などもそうそう簡単に適用されていいはずがないのは誰もが認めるところだろう。
この事件も、どんなに妻の常軌が逸していようとも、だからといって殺して良い、ということにはならない。しかし、夫・仁志が妻と過ごした月日は、私たちには想像にも及ばない地獄の日々であったことは間違いなかろう。ただ、暴力を振るい暴れまわるのが「女」であったことが、この事件をややこしくした一因に思える。

今でこそ、DV(ドメステック・バイオレンス)やセクハラ、レイプなどに男女差はなくなっている。非力な女性であっても、男性を精神的に、肉体的に攻撃することは可能だと理解されつつあるし、実際に女性が支配する側に回っている事件も多い。
この事件が起きた2007年頃はどうだったであろうか。それは、裁判のみならず、傍聴した人の感想や報道を見てもよくわかる。誰も、この事件の背景を考えていない。ただ、「ポルノ画像を見られて咎められたことで逆上し、殺害に及んだ」という図式に当てはめ、妻が3度ともDVで家庭崩壊していることや、夫・仁志の周辺の人々が知る事実、さらには実家でも暴れて警察が出動する騒ぎを起こし保護入院にまで至った事実も、完全スルーされていた。
実際に傍聴した人のブログがあったのだが、そこでも夫の無反省な態度、あげく、仁志は実は件の元彼女と浮気していたのではないか、そしてそれを妻に気づかれたから、殺害したのではないかとまで書いているものもある。理由としては、妻を殺害した後の冷静な夫の行動(知人に電話したり、旅行や挙式をキャンセルするなどの事務的行為)が、かねてより殺害を計画していたからできたのではないかというものや、そもそも元の彼女にそこまで妻が執着したには理由があったのではないか、というものである。その理由というのは、仁志が元彼女と浮気していたという推測だろう。

その元彼女というのは、仁志と同じ業界で働いていた女性で、ことあるごとに妻はこの女性を槍玉にあげている。
殺害された当日は、この女性に直接、脅迫以外のなにものでもない電話をかけている。ここまで執着するには理由があったのではないか、確かにそうも思えるが、職場にまで電話をかけてきて罵詈雑言を浴びせるような事態に陥ってまで、そんな妻を持つ男と関係を持ち続けるだろうか?その上、証言台にまでたつだろうか。もしも浮気が原因であったならば、当然検察側から追及されるだろうし、殺人というコトの重大さを思えば、少しでもやましいところがあれば証言台に立つなど出来ないのではないだろうか。

さらに理解できなかったのは、妻の家族の証言である。妻の家族は、ただひたすら娘をかばい、頑張り屋の良い娘だった、落ち度はない、どこもおかしくない普通の人間だったと言い切っている。自宅(実家)で大暴れし、たまりかねて警察を呼んだのは紛れもなくこの実両親だ。家庭内で口論やいざこざ、時には取っ組み合いのけんかもあるだろう。しかし、警察を呼ぶほどのこととなると、それはスルーして良い状況とは言えないはず。
しかも、この時の入院で妻は、「境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)」と診断されている。いわゆる、ボーダーというものだが、これを家族が知らないはずはないのだ。本来ならば、一番に思い当たるはずだが、家族はどの取材にも、裁判の証言でも、「娘は普通の人間で、どこもおかしなところはなかった」と言い切った。最初の結婚の時、家中の家財道具や窓ガラスを叩き割り、夫の要請で駆け付けた実母はその惨状を見ているはずだ。それでも、「娘は家族思いの頑張り屋」であったと泣いて訴えた。

夫である仁志は、その事実を全く知らなかった。こんなの、婚姻後に知らされたとしたら離婚に至ってもおかしくないが、妻の異常な言動は妻から聞かされたパニック障害であると思っていた。なのに、裁判では「ケンカ(ケンカですらないわけだが)の原因はあなたには少しもないわけ?!」「医者に診せればよかった」「警察に相談すればよかった」などとまるで他人事な正論ばかりが仁志の頭の上を通り過ぎた。

死人に口なし、は、加害者有利と言えるか

この裁判で、遺族をはじめ多くの人がいっていたのがこの「死人に口なし」という言葉である。
死んだ人は自分で話せないから、利害が対立する人が好き勝手に言ってしまうことを表したものだが、この事件の場合、妻が死んでしまったことがかえって夫・仁志の言い分が汲み取られない要因にもなっていると言える。
もしも妻が生きていて、妻を再度診察したり、接触できた人が家族以外にいれば、仁志の「気持ち」が少しは理解されたはずだ。
もちろん、罪状に関しては殺人ではなくなるわけだから軽くもなるだろうけれど、それだけではなかったはずだ。
「パーソナリティ障害」という、直面しなければ到底理解しえない問題を抱えた人たちや、その家族、周囲の人々にももっと早くスポットが当たったかもしれない。
今では発達障害が大きく取り上げられ、一見普通でも特定のことができなかったり、他人を傷つけることがあったり、周囲とうまく関われない人々のことを知ろう、という動きが出ているが、これも「障害を抱える本人」だけを守ろうとしている節がある。守られるべきは、いわれのないことで振り回される周囲も同じであるし、場合によっては周囲が温かく受け入れるだけでなく、一時的であっても物理的に引き離すということも必要なのだ。
この裁判では、仁志の日々の苦悩、周囲の人へ危害が及ぶことへの恐怖、不安感などはほとんど考慮されていない(特に一審)。仁志をかばうつもりはないが、社会的に警察沙汰やトラブルなどとは無縁の世界で生きていた人だったからこそ、前夫たちがしたような「逃げる」ことが出来なかったんだと思う。
それは、間違いなく愛情であったと思う。この妻を一人に出来ない、なんとかしたい、その一心で、妻の要求をのみ、妻を抱きしめてなだめ、自分が暴力を振るわれ精神的に追い詰められても、離れるという選択肢は持てなかった、持たなかったのだろう。離婚した気持ちはあったが、それを切り出す気力も、暴れ狂う妻の前では委縮してしまうのは想像に難くない。
その、常軌を逸した妻の言動は、妻がモノ言えぬために仁志にとっても証明不可能になってしまっている。
死人に口なし、そうはいってもこれだけ仁志の窮状がスルーされた以上、仁志に有利に働いていたとは考え難い。

仁志自身の生き難さ

仁志は「殺すつもりはなかった」とは言っていない。一審では、「こうなったことに後悔はない」とし、「他人へ危害が及ばなくてよかった」とまで言っている。
これを、裁判所は「反省の色なし」と断罪したが、この発言の真意を汲み取らなければならなかったと思う。被害者である妻の常軌を逸した言動にはなぜか皆、「そうなるには相当の理由があったのでは」と理解を示す一方で、仁志が妻を殺した経緯、その背景には目を背けているとすら思える。
もしも仁志がこの妻からうまく逃げおおせていたら、別の男性が同じような経験をし、以後ループであっただろう。
家族がまったく娘の病気を直視しようとしていない以上、言葉は悪いが彼女は野放し、そして一つがダメになるとすぐまた別の依存対象を見つけ、また破滅させる。そしてその対象は、夫にとどまらず周囲の人をも巻き込むむ可能性は高かっただろう。
それに終止符を打ったのは、仁志だった。だから、彼は「後悔していない」のだ。

二審では、出所後遺族に対して25年にわたって月2万円を慰謝料として支払う意思を示した。この、月2万円という額も、現実的過ぎて仁志の愚直さというか、悪い意味での正直さが出ているなぁと感じる。こういう場合、ウソでも月に10万円とか言った方が反省の念を強く打ち出せる気がしないでもないが、社会復帰後、自分の生活を考慮して実際に払える額とすれば2~3万円が妥当だろうから、そういったのだろう。
このように、どうでもいいところまで馬鹿正直に考える仁志が、先に述べたように巧妙に周囲を巻き込んで自身の浮気を隠したりできようか。
控訴裁判でも、犯行時殺害する以外に道はないと感じたことを今でもそう思っているのかと尋ねられ、返答に窮する場面があった。
仁志にしてみれば、その時の嘘偽りない気持ちを「聞かれたから」答えたのに、それを「じゃあ反省してないね」と言われても困るわけだ。今となっては、殺害したことに反省の気持ちもあるし、遺族に申し訳ない気持ちもあるけれど、「あの瞬間」はそうではなかったのは紛れもない事実だ。
こうして考えれば、仁志の発言も矛盾はない気がするが、これでは実社会は生き難いのではないかなぁと思う。嘘も方便的な生き方は、この人には出来ない。だからこそ、逃げることもできず「終わらせる」しかなかった。

事件から10年

事件からすでに10年以上経過しているため、仁志は出所していると推察される。彼の足取りはもちろん私たちが知る由もないし、健康でいればどこかでまた人生を生き直しているのだろう。
新潮45のルポを読んで、私は仁志に対して同情こそないが「そうするしかなかった」という気持ちはわからなくもないなぁと思っていた。
それは、ただひたすら耐えるまじめな男という人物像が新潮45に描かれ、それこそ、散歩していたら突然落とし穴にはまり抜け出せなくなった人、という風に思っていたからだ。
しかし、その本を読んでからしばらく後、偶然とあるブログを見た。そのブログ主は、町田の健康食品を扱う店の客であり、そこで店長をしていた仁志と顔見知りであったという。
ブログ自体は事件を掘り下げるものではなく、単に知っている人が事件の当事者になっていて驚いた、といった短いものだったが、その中で忘れられない一文があった。

判決は確定し、仁志は妻との壮絶な日々をたんたんと証言し、少なくとも私を含め新潮45のルポ本を読んだ人には「大変だったんだろうなぁ」と同情や酌量の余地的なものを抱かせた。私がここで書いたように、「バカすぎるほどの生真面目、実直さ」が仇になったんだろうなぁと。

しかし、彼を一切の利害なしの立場で知るそのブログ主は、仁志の人物像をこう書いていた。

「あんなに口の上手い人見たことない」と。

背筋が凍ったのは久しぶりだった。

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