「疑わしきは、罰せず」を貫いた法廷~広島・家族3人放火殺人事件~

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2001年1月17日未明

広島市西区己斐大迫1丁目の住宅街に、火の手が上がっていた。
二階建てのさほど大きくはないその家は炎に包まれ、二階部分も赤く火の手が迫っていた。
驚いて飛び起きた近隣住民の耳に、ふと子供の声が聞こえた。
「おねーちゃーん!おねーちゃーん!」
この住宅には、中村小夜子さん(当時53歳)と長女が暮らし、そして小夜子さんの孫である彩華ちゃん(当時8歳)と、妹のありすちゃん(当時6歳)の姉妹が良く泊まりに来ていた。

住民らの脳裏に幼い姉妹の姿がよぎった。

間一髪逃げ出せた長女は助かったものの、焼け跡から小夜子さんと幼い姉妹の遺体が見つかった。

検視解剖の結果、彩華ちゃんとありすちゃんは焼死と断定されるも、小夜子さんは首を絞められるなどして火にまかれる以前に死亡していたことが判明、事態は放火殺人の様相を呈してきた。
しかし、犯人の手掛かりはなく、5年経ってもその事件は解決を見ていなかった。

2006年、詐欺容疑で逮捕起訴されていた男性が、その取り調べの過程でこの2001年の事件への関与を認めているとして、広島県警は殺人と現住建造物等放火の疑いでその男性を逮捕した。
男性は、亡くなった小夜子さんの息子で、同じく亡くなった姉妹の父親であった。





男性のそれまで

男性は、1度目の結婚の際にもうけた彩華ちゃんとありすちゃんを引き取り1995年に離婚している。
その後、1997年ころA子さんという女性と再婚したが、A子さんにも連れ子がいた。
当初はお互いの連れ子を含めて生活していたものの、再婚相手のA子さんはどうやらこの彩華ちゃんとありすちゃんとうまくいかなかったようだ。
2000年の4月ころからは、彩華ちゃんらと同居することは無理だとA子さんは訴え、男性は彩華ちゃんとありすちゃんを連れ、家を出た。
5月12日には男性とA子さんの離婚も成立し、男性はその間、実母である小夜子さんが経営する喫茶店を生活の拠点としていたようだ。
A子さんは、離婚した月と同じくして、児童手当を得るための現況届を提出している。これは、子どものいる方ならご存じだろうが、収入に関係なくどの家庭にも送られるもので、その時点での家庭の状況や、収入の状況などを記入し、提出する。
収入、子どもの年齢や数によって額に差はあるが、現況届を提出すれば最低5,000円の給付がある。
これとは別に、児童扶養手当、というものも存在する。これは、父母が離婚した児童、父または母が死亡した児童、父または母が一定の障害状態にある児童などの養育者に支給されるもので、先述した児童手当と併せて受給可能なものである。
A子さんは、すでに離婚が成立していたため、5月29日に広島市内の区役所においてこの児童扶養手当の申請を行っていた。






しかし、離婚したとはいえ男性とA子さんの付き合いは継続していたとみられ、6月に男性が購入したパジェロのローン保証人にはA子さんが「妻」として自書した。
生活面においても、男性はA子さんの子供を連れて遊びに出かけたり、食事を用意したり、同居はしていないものの、A子さん方を頻繁に訪れていた。
当然ながら、A子さんとの間に性的な関係も継続していた。
離婚が成立した後、各々の給料や各種手当などはそれぞれの名義で管理しており、生計は別個となっていたが、男性には借金があったとみられる。
男性は年収がおよそ300万円程度であったが、月の借金返済額は20万円を超えており、実母である小夜子さんとも親子の仲が円満であったとは言えなかった。
小夜子さんが仕事で喫茶店に来ているときは実家で、小夜子さんと妹が実家にいるときは男性は喫茶店に行くというような、なるべく顔を合わせないような生活になっていたようだ。
妹ともうまくいっておらず、小夜子さんが喫茶店にいて、妹が実家にいるというような状況では、男性はどちらにも行けず自分の車で寝泊まりするなどしていた。

12月ごろ、男性とA子さんとの間に諍いがあった。そのことで、男性はA子さんとはもう終わってしまうのかと考えたという。
しかし、その数日後には性的関係を再び持ったことで、またA子さんとやり直そうと考えた。
実母に預けっぱなしの彩華ちゃんとありすちゃんが気になりつつも、A子さんのもとに残した自分の実子を含めた子らとの生活も諦めきれなかった。

そんな優柔不断な男性の事を、小夜子さんや妹は快く思っていなかったと見える。
いつまでも放っておかれる彩華ちゃん姉妹を、自分の籍に入れようかとまで小夜子さんは考えていた。妹にしても、兄である男性が事あるごとに借金を作り、その返済のために自身が母親の喫茶店で働いて得た給料が減らされるということもあった。
A子さんと離婚しているにもかかわらず、A子さん方へ通う男性に対し、その状態で児童扶養手当を受け取っているのは不正ではないのかとも思っていた。

そして、1月17日が訪れた。




別件逮捕からの自白

小夜子さん方の事件からおよそ5年後の2006年5月22日。
広島県警は、詐欺の疑いで男性と元妻であるA子さんを逮捕した。2000年8月から翌年8月までのおよそ1年間に、子ども4人分の児童扶養手当を不正に請求し、約75万円を騙し取ったとしたのだ。
不正受給と断定したのは、離婚後も男性が継続的にA子さん方を訪れ、A子さんと暮らす実子を含めた子供らの面倒をみていたことなどから、ふたりの離婚は偽装であると判断したからだ。

しかし、その後の流れを見ていくと、どうやら県警はこの逮捕は別件で、当初から男性が小夜子さん方への放火と殺人に深く関与していると見ていたと思われる。

A子さんは当初は容疑を否認していたものの、後半途中から容疑を認め、のちに有罪が確定した(内容については不明、おそらく執行猶予と思われる)。
男性は6月9日の起訴後も拘留が続いていたが、6月12日になって小夜子さん方への放火と殺人について自白、23日には放火殺人で再逮捕となった。
男性は事件当初から任意の取り調べを受けてはいたが、警察によるポリグラフ検査を拒否、車と、2か月後に提出された事件当夜着用していた衣類などから灯油の反応などが全くでなかったことからそれ以上の追及は及んでいなかった。
しかし、警察としてはこの男性こそが放火殺人で最大の利益を得ている事を把握しており、先の児童扶養手当に関する詐欺行為を突破口に、男性から自白を引き出した。
男性は、詐欺事件の拘置理由開示公判において、「極刑を覚悟で自白した」などと述べ、自白調書にもサインしていた。




いわば執念の捜査であった。
閑静な住宅街で深夜にあがった火の手は、密集する近隣住宅の住民を恐怖のどん底に叩きつけたのみならず、仕事に精を出し、常連客らからも慕われた小夜子さんと、その幼い孫二人の人生を奪った。
当初はヘビースモーカーであった小夜子さんの寝たばこが失火の原因とも思われたが、小夜子さんが出火以前に殺害されていたこと、普段あった場所からファンヒーターの位置が大きく変わっていたことなどから、何者かが失火を装って小夜子さんを殺害したと推測。
そして、数々の状況証拠から、男性以外に犯人は考えられないとかなり早い段階から断定していたと思われる。

その状況証拠は、おそらく一般常識と照らし合わせた場合、多くの人間が同じ印象を抱くであろう程、激しく真っ黒であった。
加えて、男性は「極刑をも覚悟のうえで自白」し、接見した妹に対してもその自白を裏付ける告白を涙ながらに行った。
これ以上ないほどに、揃いに揃った証拠の積み上げに思えた。
検察は死刑を求刑。

しかし。

広島地裁は男性に無罪を言い渡した。しかも、児童扶養手当に関する詐欺事件に関しても、そもそも成立していないとして無罪とした。
法廷はどよめいたという。
検察は当然怒りの控訴となったが、なんと高裁でも無罪。そして、事件から10年以上が経過した2012年2月。最高裁は一審、二審の無罪判決を不服とした検察の上告を棄却。
男性は無罪が確定した。




自白からの一転否認

男性の自白は以下の通りである。
2000年ころから離婚したA子さん方で再び同居するようになっていたものの、12月に入って些細なことで仲たがいをした。
そこで自身の経済状況などを併せて考えたとき、これではもうA子さんやA子さんとの間に生まれた子供らと一緒に暮らすことは出来ないと考え、自殺しようかと考えるようになった。
しかし、自殺には踏み切れず、それならばいっそ事件を起こして死刑にでもなろうと考えるようになったという。
そうなると、実母である小夜子さんを悲しませてしまうから、小夜子さんを殺害し、さらには放火の罪を重ねることで死刑になろうと考えた、というのだ。いわば、小夜子さんのためを思い、かつ、死刑になるという願望まで達成しようとした、というわけだ。
しかし、事件の1週間前である10日頃まではそれを迷い、実行に移せずにいたところ、12日から14日頃、A子さんと性的交渉を持つ機会があったため、これはやり直せるかもしれないと考えるようになった。
しかし、自身の経済的な不安は厳然たる事実として残っており、それを解消しなければまた同じことの繰り返しになるとも考えていた。
そこで、方針を転換し、小夜子さんを失火に見せかけて殺害すれば小夜子さんの保険金が手に入ると考え、さらには放火することで同居する妹や彩華ちゃん、ありすちゃん姉妹がたとえ死亡することになったとしてもいたし方ないと判断し、1月17日未明に決行した、というのが趣旨である。




犯行の様子については、17日の午前2時半頃、西区の小夜子さん方へ自身の車である三菱パジェロで乗り付け、家人が寝静まっている自宅1階の居間に侵入、そこで寝ていた小夜子さんの首を絞めて殺害した。
その際、小夜子さんは「約束は…」と呟き、なにかボタボタと水がこぼれるような音が聞こえたために、小夜子さんが失禁して死亡したと思ったという。
その後、偽装するために台所にあった小夜子さん愛用のたばこや灰皿を居間へ移動させ、あたかも寝たばこをしていたかのように見せた。
同じく台所にあったファンヒーターも移動させ、ファンヒーター内の灯油と、台所の掃き出し窓の下にあった予備のポリタンク入り灯油を小夜子さんの頭部付近および周辺のタンスなどにぶちまけ、空になった容器はそれぞれ元の場所へと戻し、灰皿内のたばこに小夜子さんのライターで火をつけた。
一瞬にして大きな炎が立ち上がったことに驚き、なぜか一度は2階への階段を駆け上がろうとするも止め、玄関から出てパジェロに乗って逃走した、というのが犯行の一部始終であるとした。

6月14日には、接見に来た妹に対し、涙ながらに「1月17日の火災は、あれは事故ではありません、僕がやりました。」と告白し、その後の複数回にわたる妹との手紙のやり取りにおいても、以下のような文章を書いている。

”今の私は全てをあった事はあったように,正直に話すという事を心掛けていますし、そうする事がお母や彩華、ありすへの償いの第一歩だと思っています。どんな事をしても許される事ではないですし,私がどんな罰を受けても〇〇(妹)たちがこれから受ける苦難が取り払われる事はありません。(中略)私のやった事を考えればどんな扱いをされても仕方ないのに(以下略)。

7月25日付けの手紙
”今の私の本音はやはり私は「極刑」になると思っています。過去の判例からみても、これだけの事をやって極刑じゃないってことはほとんどありません。”

8月4日付けの手紙

”正直まだ「心から手を合わせられる」とは言えません。口では「償い「反省 「謝罪」等なんとでも言えるけど「 心から手を合わす 」とはどういうことなのか」というものが自分なりにあって「そういう心境になれているとは言えない」というのが本音なのです。
おそらく刑が確定するまではそういう心境にはなれないでしょう。でも1日も早くそういう心境になれるようにしたいと思っていますし、そういう気持ちだけは毎日持っています。
それとお母は多分私が自白した事を責めたり悲しんだりしないと思うし、全部知ってると思う。まあそれよりも私がやった事自体を悲しんだり怒ったり責任を感じたりはしてると思うけど。多分、今私がこういう状況になってる事は仕方無いと思ってると思うよ。” (以上広島高裁判決文より引用




男性は当初、このように自白していた。
国選ではあるものの、弁護士がついており、しかも毎回1時間を超える接見を行っていたなどかなり手厚い弁護を受けていた。
その上での自白であったため、検察側としてもその自白に基づいて自信たっぷりに男性を起訴したわけだが、公判で男性は突如否認に転じた。

男性は、自白以前の取り調べの段階で、児童扶養手当に関する詐欺で逮捕されていたA子さんを「再逮捕」する可能性があるとほのめかされたという。
なんとしてでもA子さんを子供たちのもとに返したかった男性は、自分が放火殺人の罪を告白すれば、A子さんが再逮捕されることはないと考えたというのだ。
そこで、内容など特に気にもせずに、供述調書を言われるまま署名捺印したというのだ。
また、担当の刑事が、「お前がしゃべららなくてもA子にも口はある」などと、ことさらA子さんを持ち出したり、詐欺容疑の取り調べであるにもかかわらず放火殺人についての取り調べであるかのような言動があったことを男性は不満に感じていた。
しかし、机をたたく、怒鳴る、そしてA子さんになにか不利益が及ぶのではないかという不安から、やっていないけれども放火殺人について警察の主張に沿う形の自白をしたというわけだ。

では妹に対してのあの涙の告白は何だったのか。
男性によれば、接見は突如設定されたものだという。しかも、部屋の片隅に警察官がおり、二人の会話を、というか、男性が何を言うかを監視されているような状態であった。
涙を流したのは、後悔や反省の涙ではなく、悔し涙だったという。
自分の意思に反して、このようにして警察にコントロールされていくのか、という諦め的な気持ちもあったようだ。
そして、妹に対して出した手紙の内容については、妹から「ちゃんと反省して」という趣旨の手紙をもらっていて、それに対する返信であるため、反省しているとか、そういう内容を書かざるを得なかったというのだ。ここら辺ちょっと理解不能。

いずれにせよ、公判では男性は無罪を主張、証人として男性の父親、そして彩華ちゃん姉妹の母親である元妻まで登場することとなった。