およそそうとは見えない女郎蜘蛛~秋田・大曲4歳児殺害事件②~

虐待

報道では当初、美香と諒介ちゃんが2004年のある期間に母子支援施設に入所していたことがあったため、CさんのDVが原因、などと報じていた。
しかし、その時期にはすでに離婚が成立していたし、なによりCさんは、美香が最初の夫と離婚した理由こそが暴力だったと美香から聞かされていたので、絶対にそれだけはしないと誓っていたし、実際に自分が灯油をかぶることはあっても、美香に暴力は振るっていない。
最初の夫Bさんにしても、美香の異常な行動を諫めるうちにもみ合いになったりはしたかもしれないし、その際に手が出ることもあったのかもしれない。
しかし、Cさんとの結婚の際には、義母らに暴力を振るっていたのは美香である。
Cさんが反撃したのは、美香に局部を蹴られた際の一度きりである。

美香には、少なくとも感情に任せて暴力を振るう一面があった。
そしてそれは、幼いわが子にも向けられていたのだ。
先述の、母子支援施設内での出来事である。諒介ちゃんに大人用に処方された睡眠薬を飲ませる、殴りつけるといった虐待が発覚した。通報によって秋田県中央児童相談所もその事実を確認し、諒介ちゃんを「要保護児童」に指定した。しかもその際、「死に至る危険性がある」とされ、美香と諒介ちゃんは一時的に引き離され、諒介ちゃんは美香の実家へ預けられた。
しかし、その後すぐに美香は実家へと舞い戻り、諒介ちゃんと一緒に暮らし始めていた。児相は、懸念しながらも祖父母が同居しているという理由から経過観察としていた。
その後、美香と諒介ちゃんは、当時の交際相手の男性が暮らしていた大仙市大曲住吉へと、実家のある鴻上市から越してきた。Aさんとは同居はしたものの、新潟県中越地震の復旧作業に従事していたAさんは長期に家を空けていた。
諒介ちゃんと美香は、実質二人暮らしだった。
大仙市福祉事務所も、鴻上市から虐待案件の引継ぎを受けていたが、現時点での虐待は認められないとしていたが、周囲の人は疑いを持っていた。
夏ごろには10日間にわたって、朝方家の前で泣き続ける諒介ちゃんの姿が目撃されていた。また、保育園でも一目でわかる痣があごの辺りにあり、保護者らの間でも「もしかして・・・」という話が漏れ聞こえていたという。
夕方には、美香と諒介ちゃんが犬の散歩を指せているのが目撃されていた。しかし、その様子は異様であった。

幼い子を連れた母親なら、会話をし、楽しそうに散歩させるものだろうが、この母子は無言であった。感情のない表情で、ただひたすら歩いているだけ。会話もなく、顔を合わせることもなく、ただ押し黙ったまま歩いていた。
事件発覚時、諒介ちゃんの体にはつねったような皮下出血が手足のあちこちに見られた。それは、殺害されるその直前まで、虐待は日常的であったことの何よりの証拠でもあった。
一見、気性の激しさなどみじんも感じさせない美香ではあるが、イライラが募るとどうも自分を抑えられないという性分であることは間違いないようである。
さらに、彼女の過去をひも解いていくと、たんなる「神経たかり」では済まされない過去があることもわかった。

いじめと放火事件

美香は中学高校と、まったく目立つ生徒ではなかったし、ましてや男性とのうわさなどもなかった。
中学では手芸クラブに属し、親友と呼べる同級生の女子生徒もいた。
しかし、その女子生徒が3年の夏休みが終わったあと、体調不良を訴えて学校に登校できなくなった。両親らも思い当たるところがなく、どうしたものかと思案していた時、担任の教師から思わぬ話をもたらされた。
親友だと思っていた美香が、その女子生徒をいじめているというのだ。二人の関係は親友というより、主従関係に近く、女子生徒は常に美香のカバン持ちをさせられていた。
具体的な例は出てこないが、担任が「美香とは離れた方が良い、高校は美香とは別の高校へ」とアドバイスしたというから、かなり深刻であったと思われる。
このように、美香は親しくなった人間に対して、それまでとは違う一面を見せることがあったようだ。

高校卒業後は、縫製工場などに勤務したが、どこも長続きはしていなかった。
二十歳のころ、自動車関連の雑誌の文通欄で一人の男性と知り合った。幾度か文通を重ね、96年の4月ころには交際を始めた、とされている。
しかし一か月もしないうちに、その男性は美香と距離を置き始めた。美香はそれを、「ほかに女がいるのでは」と疑うようになった。
連絡もままならない中、5月、美香は驚くべき行動に出た。

その当時、秋田の複数の駅舎でボヤ騒ぎが起こっていた。大きな火事にはならなかったが、火の気がないことから放火とされていた。
不審火は酒屋の軒先の段ボールや郵便ポストなど、その後も続いていたのだが、5月15日、美香は放火の容疑で逮捕された。一連の犯行は、美香によるものだったのだ。
放火が行われた後、いつも若い女性の声で119番通報がされていたという。消防車はその都度駆け付けたわけだが、美香の狙いはそこにあった。
当時交際、というか美香が入れあげていたのは、消防士だった。
「私が火の中で死んでいくのを見れば、彼は私の愛がどれほど深いかわかってくれると思った」
この八百屋お七顔負けの思考回路はどういったものか。てか、そんなガラかよマジかよ・・・
実際には、美香は焼死することもなく、消防士の心が深く傷ついただけで二人の距離が縮まるなどということは起きなかったわけだが。

2006年サンデー毎日12月3日号において、犯罪心理学者の故・作田明氏が見解を述べている。
「男性とのかかわり方を見ると、美香は人を支配、操作しようとする傾向が強い。そうした人物は相手と親密になったときそれまでとは違う人格を見せる。
思い通りに動かせないと非常にイラ立つ傾向もある。それが子どもの虐待へ繋がったのではないか。中学時代のいじめや、連続放火事件にも、こうした面が見られます」

美香のこの、人を思い通りに操りたいという人格は、実は諒介ちゃんの事件よりはるか前からわかっていたことだった。
2度の結婚のときの、夫や義母への態度を見てもわかる。気に入らないと無理難題を押し付け、相手を困らせ、相手がもう許してというまで追い詰める。
一方で要求が通ればさらにエスカレートした要求(Cさんの焼身自殺未遂事件)を重ねるあたり、美香の狙いは要求を通すことよりも、自分のイラ立ちを解消するための「いじめ」であるとすら思える。
この美香の人格を全く考慮されなかったことは、のちの裁判にも関係してくる。

複数の交際相手と、畠山

美香は、出会い系サイトで次から次へと交際相手を探し、たとえ誰かと交際している間でも、他の男を探すことをやめなかった。
出会い系サイト以外にも、結婚情報誌なども常に利用していた。付き合う相手はどこに住んでいようと気にしていた風はなく、県内全域に散らばっていた。
そして、妊娠したら結婚し、嫌になったら離婚する、その繰り返しであった。たとえ美香に責任があっても、女性で、かつ養育する子供がいることを盾に慰謝料や養育費を分捕った。
Cさんも、調停委員から「養育費をしっかり払っていれば、いつか諒介ちゃんにも会える」と諭され、きっちりと養育費を支払ってきた。
その後も、諒介ちゃんにかかる費用は何かと融通してきている。時には、諒介ちゃんの病気を理由に「嘘」の要求にも応えてきた。
しかし、その間も、実は美香には数年来にわたる「恋人」がいたのだ。それが、この事件で美香を上回る懲役刑を宣告された、畠山博である。


畠山は大館市中心部から南東へ20キロほどの山村に暮らしていた。十和田八幡平四季彩ラインをまたぐようにして分け入る山の中の、小さな集落に畠山の実家がある。そこで、両親ら家族とずっと暮らしてきた。

地元の小中学校を卒業後、職業訓練校を出、逮捕当時はハローワークで紹介された大館市内の県立高校に非常勤技師として勤務していた。
畠山の人物評は概ね良好で、子ども好き、見ず知らずの人にも親切にする、性格は堅物すぎるほど真面目、好きな陸上の話題や行事ごとのときはとても張り切っていた、というものがほとんどだった。
半面、そのまじめさからくるのか、思い込んだら周りが見えなくなるという印象を持つ人もいた。しかしそれらを考慮しても、周囲の人間の誰もが「こんな事件を起こすような人ではない」と言った。
ずっと独身で、浮いた話もなかったというが、母親らは早く結婚してほしいと願っていたという。30代後半のころ、付き合っているという女性を母親に紹介するが、その女性に高校生の連れ子がいたことに母親が難色を示したため、結局結婚には至らなかった。
畠山と美香が、いつから交際をしていたのかは定かではない。畠山は美香のことを誰にも話していなかった。
そして、畠山と交際しながら、Aさんとも交際をし、同居していた。
いくつかの情報を見てみると、どうやら美香は畠山にさほど重きを置いていなかったようだ。何人かの交際相手の一人、という位置づけでしかなく、Aさんと交際し、同居に至った間はむしろ畠山とは疎遠であった可能性もあった。
しかし、Aさんが出張が多く不在がちであったことが、畠山と美香を再接近させた要因となったようなのだ。

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