いい親になりたかった母親の無理筋~尼崎・児童虐待死事件③~

婦人公論の記事

事件後、婦人公論の誌面において、フリーライター佐藤万作子氏による知子との面会などを綴ったルポが発表された。
内容をまとめると、
①知子はよき母親になろうとしていた
②本来は心優しい人間である
③職員が母親である知子の扱いを間違えた
④知子は助けてほしいと思っていた
だから知子は悪くない、とは言っていないが、正直よくここまで恭一君の存在を無視できるよなぁという印象だった。


この佐藤氏はそもそも男女同権とか、男らしさ女らしさ、母性などと言った言葉に非常に敏感に反応される方のようなのでなるほどなと思わなくもなかったが。
新潮45の中尾氏が完全に知子とその知子を育てた親、環境に重点を置いているのに反して、佐藤氏はちょっと引くくらい知子に「肩入れ」していた。
同じ母親として思うところがあった、というのはわかる、しかし、恭一君に暴行を働いたあげく殺し、運河に棄てたという事実を全く加味してないんじゃないかとしか思えない内容であった。

中尾氏をはじめ、報道や他のマスコミやニュースなどが報じる知子像は、幼いころから刃物をちらつかせるなどしており、中学の頃友人を切りつけ教護院での生活もしていた、近隣住民らともトラブルが絶えず、知子の母親は知子を含めた子供らを殴って育てた、というようなものであったが、佐藤氏が描く知子は、よき母親になろうと努力を惜しまない、他人のアドバイスを受け入れる素直さを持ち、それでもうまくいかないことに悩み苦しんでいた母親である。
さらには、剛士に対しても同情して見せる。初公判以降、二人は法廷で涙にくれ、ふたりともよい親になろうとしていたはずなのにと悔やんでいる、剛士は知子と結婚してからすぐ、離れて暮らす恭一君を思って様子を気にしていた、引き取る話が出ても快諾した、それは剛士自身が父親の手で育てられ、母親のいないさみしさを知っていたからだと、本来は心優しき人間であるとまとめている。私なんかは、簡単に子供の引き取りをOKするやつなんて、ただの考え無しの無責任な人間としか思わないが、佐藤氏から見れば「妻の連れ子を引き取ることをOKするとは、なんと優しい男だろうか」に変換されるようだ。そもそも、剛士が恭一君を引き取ることに異を唱えなかったのは、家族が増えればその分「手当」も増えるからという話も当時からあったわけだが。

1億歩譲って本来は優しい人間だった、でいいとして、ではなぜ、執拗に虐待、いや殺害してしまったのか。心優しい、よき親になろうとしていたはずの二人が、砂入りのペットボトルをわざわざ作って、引き取ってすぐに恭一君に激しい暴行を加え、殺害したあげくに口裏合わせをしてこともあろうか我が子を澱んだ運河に棄てるとはどういうことか。

それについては佐藤氏は、どうやら暗に「周りの無理解」にあると言いたげだ。
知子はいい母親になろうと努力し、恭一君に好かれようとしたが、恭一君からしてみれば優しい園の姉ちゃんのほうが100万倍も好きなわけで、そうした恭一君のある種の「テスティング」が知子の暴力をエスカレートさせたとも書いている。え。恭一君が悪いん?

知子が高価な文房具を恭一君に持たせたのを、園の女性職員が「子供にはふさわしくない」と判断(どんな文房具持たせたのよ・・・)して、園が用意したものを使わせたことがあった。
佐藤氏は事情もすっ飛ばして、ただひたすら「母親が子を思ってした行為を無碍にした」と断じ、その時の知子の心を思うと切ないとまで言う。いやおかしくね?
さらに、尼崎学園が恭一君と知子の担当を知子と同年代の若い女性職員にしたことも、配慮に欠けるという。親って何様なん?
知子は良い母親になろう、同年代の他の女性のように、ちゃんとしたい、子どもに好かれたいと願っていたのに、同じ年代の女性が職員では、気が休まらなかったのではないか、嫉妬心もあったのではないかというが、難癖にもほどがある。もちろん、その他の面で尼崎学園にも落ち度があったのは言うまでもない。

親のサポートより大事なこと

子育てをしていればだれしも経験があろう、感情的になってしまう自分への嫌悪感。それを吐き出せる場所がなかった、共感し、頑張らなくていいと言ってくれる人がいなかった、挙句、男性は家族を養う、女性は優しい母親であるべきといった世間の偏見が、そうなれない人の自尊心を低くし、結果子供への暴力に走らせているといった驚くべき責任転嫁を佐藤氏はして見せた。
しかもこれは、DVの加害者男性らを支援する自助グループ代表の言葉だという。
はっきり言おう、お前らの気持ちとか更生とか、後回しでいいんだよ。人殴っといて、殺しといてなんだよそれ。知らねぇよ。
この事件は今から20年前の事件だ。そして、その頃確かにこのような、虐待してしまう親へのサポートが何よりも大切なのだ、頑張らなくていいんだ、いいお母さんをやめよう、といったわけの分からない考え方が広まっていった時期でもある。親を理解し、認めなければ、虐待はなくならないというのが趣旨だろうが、そりゃその親の元に子供を返すのが前提ならそうだよな。
それがどうよ、20年経って、親の気持ちに寄り添い、子どもは親が大好きなんだから、親子が一緒にいた方がいいに決まってる、そんな考えで親元に戻されたどれだけたくさんの子供が殺されているか。まだいうか。
虐待した親を立ち直らせるとか、子どもを親元に帰すとか、もうやめたらいい加減。何人死ねばいいの。

頑張らなくていい、確かに無理はよくない、でもそれなら子供から離れるべきだ。
こういう、自身を制御できず感情を弱い者にぶつける人間ほど、その対象(子供)を取り上げられるのをことさらに拒む。離れることで楽になり、自分を見つめ、じっくりと治療を受けることだってできるはず。
しかし、いまだに子供のこととなると実の親、親権者の力は絶大である。千葉の心愛ちゃんにしても、これ以上ないというくらいストレートな訴えを外部にしていた。にもかかわらず、周りの大人は誰もそれを直視しなかった。なにをどうやったら親元に帰す判断に至るのか全く理解できない。
こんなことを言うと、現場を知らないだの、職員は頑張ってるんだという人がいるが、正気か?と言いたい。頑張った結果がこれならもうやめてしまえ。

知子は確かに、恭一君を嫌ってなどいなかったろう。いい母親になりたかったのも事実だろう。自身が子供のころにおつかいを頼まれたことが嬉しかったから、恭一君にもおつかいをさせてみたという。
スーパーへたばことコーヒーを買いに行かせたものの、心配で台所の窓からずっと見ていた。剛士にしても、伸びていた恭一君の髪の毛をバリカンで刈ってやり、プールにも連れて行った。佐藤氏が言うように、二人はいい親になりたいと思っていたというのも、嘘ではないだろう。
今はもう取り壊されたが、一度知子の自宅をテレビで見た。ボロい文化住宅ではあったが、表札代わりの可愛らしいプレートがあり、一見、若い幸せな家族が住んでいるんだろうなと思わせる外観であった。

しかし、家の中はゴミだらけ、食器がシンクに山積みとなった惨憺たる家であった。どこかこう、理想のようなものを持ってはいるものの、それには遠く及ばない現実の中に知子は生きていた。
新潮45において、中尾氏もこう書いている。
知子一家が引っ越す場所は、どこも少し不便な場所であったという。しかし、その場所のすぐ近くは、いずれも小奇麗で閑静な住宅街が接している地域だった。引っ越しは十数回にのぼるというが、家賃滞納での夜逃げもあったようだが、それでも知子は自分が踏み込めそうもない場所が見える場所を選んで居を構えている。
このことからも、佐藤氏が言う、「本当は良い母親でありたかった、なりたかった」のではないかという知子の本心は当たっているとは思う。理想はあったわけだ。
ただし、物事には段階もあれば手順もあるわけで、知子はそれをすっ飛ばした。
職もない、免許もない、金もない、そんな自分がいきなり「向こう側」へなど行けるはずがないように、恭一君と突然仲良し親子になどなれるはずもなかったのだ。
一緒に暮らしたことなどほとんど記憶にない恭一君を、「実の母親」というだけで懐柔できると知子は真剣に思っていた。子供はお母さんが大好きな「はず」だから。施設なんかより、家の方がいいに決まっている「はず」だから。

環境を整え、自身の心に向き合うこともせず、ただただ子供が母親を嫌いなはずがないという妄想にすがり、暴走した。
思い通りにならない恭一君を理解できず、自身がされたように殴って従わせようとした。私は母親なんだから、絶対にわかってくれる「はず」。
そもそも恭一君は、知子に対して「母親」を見出していなかったのにもかかわらず。

現在

尼崎学園で当時園長だった芝氏は、その後尼崎学園から同じ尼崎市社会福祉事業団が運営する「あこや学園」に移った。
平成26年の着任のあいさつでは、まぶしい笑顔の写真と共に、自身の30年に及ぶ児童福祉に携わってきた経験の中で、17年を尼崎学園で過ごしたと書いていた。
尼崎学園では、虐待などのケースもあったが、「親がひどいのではなく、親も悩んでいた」と書いていて私はのけぞった。恭一君の事件があったのにもかかわらず、それにも一切触れることはなかった。
「最近ではマスコミで取り上げられる虐待ケースが多くなりましたが、」などと書いているあたり、どこか他人事、まるで尼崎学園ではそんなことなかったけれど、と言っているようにすら聞こえてしまう。
事件当時、芝氏はマスコミに対し、恭一君の親代わりとして出席した入学式の様子を思い、その時の写真をデスクに飾って涙を浮かべていた。
あれから約20年が経過し、どうか恭一君の事件を教訓に、立派な指導をされていると信じたい。

知子夫婦はどうしているだろうか。
判決は2003年に懲役8年の判決が出ているため、もうかなり前に出所している。二人は今も一緒だろうか。
恭一君のことを忘れないと佐藤氏に語った知子は、今もその気持ちを持ち続けているのだろうか。
知子夫婦が暮らした立花町3丁目にあった文化住宅はすでになく、今は小洒落た一戸建てが何事も無かったかのように建っている。

「いい親になりたかった母親の無理筋~尼崎・児童虐待死事件③~」への2件のフィードバック

  1. 本当に子供を虐待して挙句に殺す親なんて親じゃないですよね。他人以下。
    産めば良いってもんじゃないわって思います。
    自分が子供の立場で、ご飯もくれない殴る怒鳴るの親の元に居たいと思うんでしょうかね。
    しかも死んだ後にゴミ袋に全裸で入れられて川に流されるって可哀想すぎます。

    心愛ちゃんの父親も、恫喝がものすごいなら職員が110番すれば良かったのでは。なぜそこで心愛ちゃんを帰したりアンケート見せたりするんでしょう。
    勇気を出して書いたことが裏目に出て絶望しか無いですよね。

    1. ちいさま

      この事件は衝撃でした。逮捕されるときの映像もリアルで見て、とにかく唖然としたのを覚えています。
      私にも子供が生まれたばかりの時期で、事件の詳細を知って、恭一君の写真なども見て本当に切なく憤りを感じました。
      今回、古い記事だったためにいろいろと遡って調べていたのですが、この頃は今より多かったのかもしれません。
      飲酒運転や煽り運転などは法律が変わってどんどん厳罰化されていくのに、虐待だけはなぜか後回しな感が否めません。
      アメリカ並みでいいと思う、子どもを放置したらソーシャルワーカーが飛んでくる、医者は虐待だと思ったら親から引き離せる、虐待が疑われる場合は一時的に親権停止、虐待した親とはとにかく引き離す。
      親子の絆とか、眠たいこと言うとんなよと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です