無関係の女性を焼き殺した男の安らかな死にざま~愛知・2女性ドラム缶焼殺事件②~

「精子が出たらどうしよう(笑)」

空き地にドラム缶を二つ並べて、車から洋子さんらをおろした野村らは、牧田兄に対して「風呂に入ってもらえ」と言い、洋子さんと勝子さんをドラム缶内に入れさせた。
洋子さんよりも勝子さんが暴れていたため、野村は勝子さんが入ったドラム缶の蓋に角材をかませて開かないようにした。
洋子さんは観念したのか、冒頭の通りひたすらに念仏を唱えていたという。
しかし、そんな洋子さんの様子を見ても、野村は動じる気持ちは一切なかったと後に告白している。
”奇妙なことに、その言葉に私が感じたのは「うるせぇな、このオバハン」ということだけだった。深谷の女房はどんなに弁明してもムダと悟ったのか、急におとなしくなってしまった。そして、声を震わせ念仏を唱えだしたのである。だが、それを聞いても私には何の感情もわいてこなかった(引用元 フライデー2009年2月27日号)”

当初、野村らは拉致した後でチェーンソーを使って殺害しようと企てていた。そのために、レインコートを準備している。しかし、血が飛び散ることを嫌って、それならいっそのこと生きたままで焼き殺してしまえば一石二鳥と考えた。

ふたりをドラム缶に押し込めた後、野村が丸めた新聞紙を牧田兄に差し出した。すると牧田兄は、野村が持っている新聞紙にライターで火をつけようとした。すると野村が驚いたような顔で
「俺にやれってこと?(笑)」
と聞いた。そこで川村が、牧田兄に対し「お前がつけろ」といって、新聞紙を持たせた。
牧田兄はもう言われるがままであった。この期に及んで、火をつけるのは嫌だなどと言えるはずもなかった。自分が断ったところでこの二人は生きて帰れないし、もしも反抗的な態度を自分がとれば、その後自分も同じ運命を辿るとわかっていたからだ。

午前2時40分。
演習林の中で洋子さんと勝子さんの断末魔が響き渡った。それは口をガムテープでふさがれていたにもかかわらず男4人が耳を塞いだというほどの絶叫であった。
炎上するドラム缶から二人のうめき声が聞こえなくなったことで、二人が死亡したと判断した川村は、「人を殺すというのはこんなもんだ」と涼しげに言い、野村に至っては、「アドレナリンがいっぱい出てる、精子が出たらどうしよう(笑)」と冗談を飛ばした。
戻ってこない池田と白沢を捜しに、野村と川村はいったん現場を離れた。その間、牧田兄弟はひたすらドラム缶を燃やし続けていた。
野村らが再び現場へ戻った午前5時ころ、洋子さんが入れられたドラム缶内に人の骨らしきものが見え始めたことから、ハンマーやレンチを使ってドラム缶内の遺体を砕き始めた。さらに、ドラム缶の火を消した後でチェーンソーをドラム缶内に突っ込み、遺体をチェーンソーで粉砕した。当初使う予定で持参したすり鉢が不要になるほど、洋子さんの遺体は粉々になってしまった。
川村はここで便意をもよおしたという。離れた場所で排便したものの、あとあと証拠になったら困るため、便をビニール袋に入れた。そして、まだ燃えていた勝子さんの遺体があるドラム缶内に放り込んだ。
午前6時。少しずつ明るくなる中、4人は勝子さんが入れられたドラム缶を横倒しにして崖から落とし、粉砕し切れていない遺体を砕くなどし、遺体の塊を周辺にばらまいた。

川村と野村は、牧田兄弟に今後の段取りとして、この犯行は牧田兄弟、白沢、池田の4人がしたことにせよと命じ、川村と野村の名前は出さないようくぎを刺した。
牧田弟は名古屋市北区に新設した事務所へ立ち寄ったところを、警察官に職質されて任意同行、逮捕となった。
牧田兄と川村、野村は、牧田弟が職質を受けたことを知り、すぐさま関東方面へ逃亡した。岐阜県中津川駅で合流した3人は、新幹線で東京方面へと逃げた。その道中、取り込み詐欺会社の役員に名を連ねていた牧田兄に逮捕状が出ていることを知る。
野村と川村は、ならばいっそ牧田兄を主犯にしてしまえばよいと考え、牧田兄を出頭させることにした。その上で、野村が偽名として使っていた「上杉」という名前を牧田兄に名乗らせ、実際に詐欺用の口座として開設していた上杉名義の口座からわざと牧田に金を引き出させた。そして、その際には顔が防犯カメラにしっかりと映るようにもした。
野村は牧田兄に対し、「上杉の名前はお前が使っていたことにしろ。お前の家族の面倒は見てやるから」と言い含め、牧田兄を出頭させた。

逮捕から裁判

午後6時、牧田兄は逮捕された。そしてその3日後、嘘をつきとおせなくなった牧田兄によって、洋子さんと勝子さん姉妹が殺害されたことが判明した。また、その前日には、野村と川村の関与も自供しており、捜査本部は姉妹の遺体遺棄現場の捜索をすると共に、逃げた川村と野村の行方を追った。
当初はなぜこの姉妹が殺害されたのか全く不明であったが、現場で野村が「恨むんやったらお父ちゃんを恨め」などと言っていたこと、当初深谷さん夫妻を拉致する予定だったのが、深谷さんが逃げ、代わりにその場に居合わせた勝子さんが巻き添えになったことなどが判明、事件は深谷さんと確執のあった野村が大きくかかわっていることがわかってきた。
その頃、野村と川村は、野村の実父のつてで関東方面の知り合いを頼って逃げていたものの、途中で自身も指名手配がかかっていることを知り、さらに、実父の知り合いらの説得もあって出頭する決意をした。
しかしながらそれは全面的に罪を認めるという出頭ではなく、「自分たちは強盗殺人にかかわっていない」ことにしたうえでの出頭だった。
4月10日、二人は強盗致傷の容疑で逮捕となった。
口裏合わせの通り、川村は一切を否認していたが、野村は深谷さんに対する強盗致傷を認めた。さらに、4月14日までの取り調べで、野村はおおよその事実を自供し、自分が計画を立て、川村とともに4人に殺害を指示したことを認めた。
それまでの牧田兄弟らへの取り調べで、警察は「自分たちは指示されてやった。川村と野村は現場でも手を下していない」という供述を得ており、野村の供述と併せても整合性が取れるとし、事件は野村と川村両名の主導で行われたと断定した。
しかし、川村はそれでも一貫して否認を続けていた。深谷さん襲撃もしていないし、洋子さん、勝子さん姉妹の殺害も自分はしていない、と言い続けたが、のちに犯行を認めた。

名古屋地検は6人全員を強盗殺人、死体損壊などの罪で起訴した。
裁判では主犯とされた野村と川村、それから従犯とされた残りの4人は分離公判となった。検察は4人の従犯について、実際に殺害行為を行った牧田兄、殺害行為はしていないが現場にいた牧田弟二人に死刑を求刑。
深谷さん襲撃と女性二人の拉致には関与したものの、殺害現場にたどり着いていない池田と白沢は量刑の均衡を保つ意味でも長期刑が妥当と判断した。
弁護側は、牧田兄弟も生命保険を掛けられるなどして逆らえない立場だったのは池田らと何ら変わりはないとし、死刑回避を求めた。しかし、牧田兄弟、特に弟は、仕事ができると野村と川村から認められていた一面があった。検察は従犯4人の罪状を軽くするつもりは毛頭ないわけで、出来得る限りの重い刑を求刑しようと思うのが普通である。主犯が誰であろうが、殺害を実行した人間や拉致にかかわった人間の罪が軽くなっては遺族としてはたまったもんではない。
しかし、4人と主犯の川村と野村の間に主従関係が言うほどなかった、としてしまうことは、川村と野村の刑にも影響する可能性もあるため、片方では野村と川村の横暴や生命保険の話などを持ち出しつつも、決して「その状況から逃げ出せなかったわけではない」ということを検察は強調した。
現場に居合わせなかった池田と白沢に対しても、逮捕されてしばらく事件の全容を隠していたこと、牧田兄にしても自身に命の危険があったことを差し引いても、警察に保護を求めるなどの措置も講じず、出頭してからも数日にわたって隠避し続けた点でその罪は重いとされた。

死刑を求刑された牧田兄弟は無期懲役、途中で逮捕された池田、白沢両名は懲役15年の求刑に対し懲役12年となった。
そして、主犯の野村と川村に対しては、死刑が言い渡され、その後確定した。

不可解な事実

拉致された洋子さんと高橋さんは、異父姉妹であった。
洋子さんは深谷さんと結婚する前、昭和29年に最初の結婚をし、二人の男の子を授かった。その後離婚し、昭和62年に深谷さんと再婚、深谷さんの経営する喫茶店を手伝いながら、平凡に、穏やかに生活していた。
洋子さんの妹である高橋勝子さんは、昭和35年に内縁の夫との間に長女を授かったものの、死別。その後再婚もしたが同じく死別となり、その後は姉夫婦のもとに身を寄せ、仲よく助け合って暮らしていた。
深谷さんは、喫茶店を経営する傍ら、個人的な金融業も営んでいた。しかし順調とは言えない経営であったようで、たびたび事業資金の借り入れを行っていた。
その焦げ付きが、野村の父に回ったのである。
その額面は、事業をするものからみればわずか240万円だった。しかし、返済は滞り、野村の父親をもってしても、取り立てがうまく運ばなかった。
一方で深谷さんが所有していた車はトヨタのクラウンマジェスタであり、当時でいえば高級国産車である。しかも、深谷さんはリゾート地に不動産も所有しており、240万円などすぐに用立てられそうにも思えたが、なぜか返済されることはなかった。

野村らは、深谷さん夫妻を拉致殺害することは考えていたが、高橋勝子さんについては突発的なものでしかなかった。
当初より、深谷さん宅に苗字の違う女性が暮らしていることは調べていたが、娘だろうと考えていたようだ。
その上で、深谷さんを拉致した後でマジェスタなどの売却にあたって必要になる実印などの所在をその娘に確認すればよいと考えていた。
しかし、実際には洋子さんの妹であり、はっきり言って野村にとっては何の恨みもない相手であった。
事実、現場で命乞いをする洋子さんらに対し、「恨むなら父ちゃんを恨め」「かわいそうなのはこっちの人(勝子さん)や。関係あらへんのに」と言っていた。関係ないといわれた勝子さんの心中を思うと苦しすぎる。理由も全くわからず、ただその場にいただけで今ドラム缶の中でまさに火をつけられようとしているのかと思っただろうか。自分だったら等と恐ろしくて考えることもしたくない。

野村はなぜ、たった240万円(厳密には180万円)のためにここまで残虐なことをしたのだろうか。普通なら、深谷さんを殴ってでもマジェスタを売却させれば済む話だったのではないか。それこそ、奴隷のように従ってきた4人にやらせればよかったはずだ。
野村は、2月の襲撃計画の際には4人にすべてをやらせる手はずだった。それが、4人がしくじったことから、自ら犯行に加わると言い出した。そして、川村もそれに乗った。
この時すでに、金の事よりも深谷さんを何としてでも殺害すること、それも限りなく残虐な方法で殺害することに意義を見出していたのではないか。
このあたりは横浜で起きた電気のこぎりバラバラ殺人(横浜チェーンソー殺人)にも共通するものがある気がする。いわば、見せしめというか、ただ殺すだけでは気が済まないといった、本来の目的から逸脱した何かを感じる。

野村が裁判で死刑を受け入れたのに対し、川村は最後まで抵抗した。しかも、裁判の中で1999年に岐阜で起きた発砲事件を持ち出し、警察と暴力団との癒着についてとうとうと持論を展開した。
詳しい話が手元にないので詳細は書けないが、どうもその発砲事件を警察がうやむやにした、もみ消した、と言いたいようだった。
そして、その事件をしっかり警察が捜査していれば、自分たちは今回の事件を起こしていなかった、とまで言った。弁護人によれば、その事件は資産回収トラブルから債務者が発砲した事件だといい、その時のことを川村にしっかり聴取してくれていれば、今回深谷さんに対してここまでの取り立てをしなかった、といいたいのでは、ということだったがよくわからない。
これはどういう意味か。川村の妄言ともいえるが、川村の主張には続きがあった。死刑確定後、川村は事件の黒幕は今も実社会でのうのうと生きており、この事件以外に3件の殺人が隠されているなどと、上申書殺人の後藤良次ばりの告白をした。
そして、深谷さんをめぐる事件は野村の実父によって仕組まれた事件であり、自分たちもいわば捨て駒だと、そして実子の野村を守るため川村を主犯に仕立てることを警察と裏取引をしたため、自分の罪が重くなった、などと主張した。
これらを理由に、川村は最後まで再審請求を続けてきたが、2009年1月29日、野村とともに死刑台へと送られた。

 

「無関係の女性を焼き殺した男の安らかな死にざま~愛知・2女性ドラム缶焼殺事件②~」への2件のフィードバック

  1. 「相当に追い詰められていた牧田兄は、平成12年2月に自殺未遂を図る。」

    この部分、未遂を図るのはおかしいので、「自殺を図るが未遂に終わる」が正しいのではないかと思います。

    1. ぼじお さま
      そうですね、ご指摘ありがとうございました。誤字脱字、文脈がおかしい点は多々あろうかと思いますが、個人のサイトゆえ、御容赦いただけたらと思います。

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