なぜ彼女は家を出たか~伊勢崎市・主婦監禁暴行餓死事件~

平成13年11月12日

救急救命士二人とともにその家にやってきた消防署員は、家族の案内で家の中へ通された。
小さな木造平屋のその借家の六畳間に、布団に寝かされた「急病人」がいた。
通報では、「妻が死亡しているようだ」と聞かされていたため、亡くなっている可能性を頭に入れて対処にあたろうとその布団に横たわる人を見た瞬間、消防隊員らは息をのんだ。
女性と思しきその人は、ひどく痩せこけ、というより体中の水分という水分が抜け出てしまったのかと見紛う程干からび、通報してきた男の妻とは思えないほどだったからだ。
女性はすでに死亡していたが、火葬の許可が下りなかった。
この女性は、通報者の妻ではなかったからだ。さらに、女性には正式な夫のほか、家族もおり、平成10年に捜索願が出されていたのだ。

その家

女性が死亡したその家は、群馬県伊勢崎市上諏訪、殖蓮とよばれる辺りにあった。
当初、市営住宅といった報道もあったようだが、この地域にそういった市営住宅は存在せず、民間の借家であったようである。
同じつくりの木造平屋建てが4件並んでいたといい、その家には高齢の夫婦とその長男長女、さらには長男の中学生になる娘が暮らしていた。
その家は、四畳半と六畳間、3畳の納戸に台所と風呂、便所という間取りで、一家5人が暮らすには手狭であった。
広い6畳間に長男とその娘が暮らし、どうやらそこに死亡した女性もいたようだった。

一家はそれまで太田市内にある鳥之郷団地というところで暮らしていたが、突如高齢の両親と長女がそこを出て行方をくらましていた。
伊勢崎市内の現場となった借家では、当初その親子が生活していたが、平成10年1月、長男がその家へとやってきて、再び一緒に生活をするようになっていた。
彼らの一家の暮らしを詳しく知る人は実はほとんどいなかった。そんな中で、近隣ではある噂が持ち上がっていた。
「あの家にはもう一人女の人がいるのではないか」
そう噂されたのには理由があった。平成13年の春から夏にかけて、複数の男性が入れ替わり立ち替わりその家を張り込んでいたのだった。時にはその家の家族らと押し問答をする様子も目撃されていた。

その噂は現実のものとなり、最悪の形で露見することになったのだ。

出会いとそれまで

死亡していた女性は、邑楽郡に住む女性・長谷川三根子さん(当時36歳)と判明、上諏訪のその家には事件の3年ほど前から同居していたと見られた。
その家の人間は、金井賢次(当時72歳)、妻・アイ子(同65歳)、長男・幸夫(同37歳)、長女・洋子(同38歳)、幸夫の中学生の娘である。
三根子さんは幸夫の中学時代の同級生で、数年前から幸夫と連絡を取り合い、会っていた間柄だった。
中学時代の友人同士が連絡を取り合うことは別に普通のことに思えたが、この二人を繋いでいたのはいささか込み入った事情があった。

三根子さんと幸夫は、太田市内の中学校の、いわゆる特殊学級の同級生だったのだ。特殊学級と言っても、三根子さんは一見してそうとは見えず、学習面で若干の遅れが見られる程度だった。
本来なら普通学級でもよかったが、三根子さんのストレスになってはいけないとの両親の判断もあって、特殊学級での学びを選んだのだった。
一方、幸夫はどうかというと、こちらもさほどあからさまな知的、精神面での遅れはなかったようだ。ただ、当時の担任によればそういったことよりもむしろ家庭環境が劣悪で勉強ができる環境ではなかったと言い、そういったことも総合的に判断したうえでの特殊学級在籍であったようだ。
私が過ごした中学校にも特殊学級があった。今は違うのかもしれないが、昭和の時代、特殊学級にいる生徒はいろいろで、勉強が極端にできない子、知的に障害があると診断されている子がメインであったが、普通学校の特殊学級である以上、基本的には自分のことは自分でできる子ばかりだった。
だから、よくよく付き合ってみなければそのようなハンディを抱えていることに気づかないレベルの子たちが多かったように思う。
幸夫も三根子さんも、担任や親の配慮で「あえて」そのクラスにいたというような生徒だった。
中学を卒業した三根子さんは、部品製造工場などで勤務していたが、幸夫はというと定職にも就けず引きこもりのような怠惰な生活を送っていたとみられている。
そしていつのころからか、三根子のもとに幸夫から電話が入るようになっていた。

繰り返された家出

平成元年。
知人の紹介で知り合った男性と結婚した三根子さんは、夫が建ててくれた新築の一戸建てで女の子にも恵まれて幸せに生活していたかに見えた。
夫によれば、三根子さんが特殊学級に在籍していたことを知らなかったという。
家事も問題なくこなしていたし、子育ても特に問題があるわけでもなかった。だから、たとえ三根子さんが特殊学級にいたと聞かされたところで、夫にしてみればだからどうだと言うのだ、という以外になかった。

しかし、実は結婚して4年経った時、三根子さんは突然家出していた。
幸夫からの頻繁な電話に気づいていた夫は、すぐさま幸夫に連絡してどういうことかと詰め寄った。
夫の予想通り、三根子さんは幸夫が暮らしている太田市内の鳥之郷団地におり、そのときは迎えに来た家族らとともに自宅へ戻った。
三根子さんの兄と義理の弟が念押しのために幸夫の家へ出向き、今後一切三根子さんに電話やその他の接触をしないということを語らせ、録音してその証拠とした。
怒り心頭の兄たちの剣幕に恐れをなしたのか何なのか、幸夫は涙を流して詫びたという。
兄と義弟はそれでも不安を残したまま、一旦引き上げた。
兄らの不安は、それ以前から耳に入っていた幸夫の素行の悪さにあった。三根子さんの同級生であることはわかっていたが、同じ中学といっても近い場所に暮らしていたわけではなかった。
当時特殊学級のある中学校は一校しかなかったため、三根子さんは邑楽郡から両親が送って通わせていたのだ。
そのため、金井一家とは全く縁もなかったのだが、三根子さんと接点ができて以降、いやでもその評判は耳に入ってきた。
その中でも、幸夫にかかわった女性たちがこぞって酷い目に遭っているという噂は、三根子さんの家族の一番気がかりなことであった。

金井家の「惨状」

金井家は、群馬に来る以前は東京で生活していた。そこで、長女・洋子をもうけた。
父・賢次は、尋常小学校を出たのち農業手伝い、工員として働いていたが職はかなり転々としていたようだ。
幼少のころから難聴で、それは通常の音量の会話での意思疎通ができないほどのものであり、そのため賢次自身も会話が得意ではなかった。
それでもアイ子と出会い、アイ子の支えに頼りながら家庭を築いてきた。
昭和38年には長女・洋子が生まれ、その翌年には長男・幸夫が生まれた。決して裕福ではなかったものの、その後訪れる自動車産業の躍進の波に飲み込まれるように、太田市内に相次いで建設された大規模な市営住宅へと越してくる。
昭和45年、幸夫の下に生まれた妹を含めた5人家族は、建ったばかりの鳥之郷市営団地に入居した。
周囲が地元の工場などで働く一家が多い中、金井一家は浮いていた。もともと仕事が長続きしない性質の賢次とアイ子は、わずかな収入もギャンブルに使うこともあった。
幼いころの幸夫は、とにかく内気で、学校にも満足に通えない子供だったという。一旦は学校へ行くものの、数時間すると帰ってきてしまうのだという。その後も、仕事へ行く母親の袖をつかみ、結局アイ子も仕事に行けないという有様だった。
幸夫が特殊学級をすすめられたのも、こういった性格的なことも関係していたのかもしれない。
両親は、姉と妹に比べて幸夫を「えこひいき」していた面もあった。長男だからなのか、小遣いを余計に渡したり、事あるごとにそうしたひいきをする一方で、暴力で幸夫にあたることもあり、極端に振れる家庭であった。
そんな家庭の中で、真っ先に参ってしまったのは幸夫の姉・洋子だった。
幸夫の一歳上の洋子は、中学卒業後一旦は高校へ進学していたが中退、その後工場勤務などをしていた。
中学生になった幸夫は不登校になり、そのイラ立ちのはけ口を家族に向けていた。典型的な内弁慶であった幸夫は、外では自分よりも弱いものを従え、自分より強い立場の人間には立ち向かえず、甘やかしてきた母親や姉の洋子に暴力を振るった。
幸夫の暴力に耐えかねた洋子は精神に変調をきたし、入院する羽目になった。皮肉にもその後は、姉の障碍者年金が一家を支えることとなる。

新潮45に掲載された駒村吉重氏のルポによれば、ある時から暴力に怯える時とは明らかに違う「姉の悲痛な叫び」が家から漏れ聞こえるようになったという。
鳥之郷団地は二階建てタイプのものや団地タイプのもの、それから平屋タイプのものが現在でも存在してるが、当時の金井家が住んでいたのは平屋タイプの市営住宅だった。

通りからは家の中が容易にのぞき込めたという。
洋子の痛々しい悲鳴に何事かと覗き込んだ近隣の人によれば、窓ガラスの向こうでズボンを下げた幸夫の友人ら数人が洋子を取り囲んでいたという。

幸夫は、姉を差し出すことで「友達」を繋ぎとめていたのだ。
しかも、その姉への仕打ちは、当初幸夫と二人きりの時に始まっていた。それが、次第に幸夫が連れ帰る男たちへと広まったのだ。
このことを両親はおそらく知っていたと思われる。洋子の叫びが響き渡る中、帰宅した両親らは鍵がかけられた家に入れず、外でじっと佇んでいたという。
父親である賢次は、さすがに娘の異常事態を見過ごせず、かといって幸夫に太刀打ちできる力も知力もなかったことから、近所の人に相談していた。
しかし相談を受けた人が「家庭のもめごととして警察は相手にしないのではないか。そもそも晒しものになってしまうよ」という最悪のアドバイスをしてしまったことでそれ以降、賢次は見て見ぬふりをするしかなくなっていた。

幸夫は、友達を繋ぎとめるだけでなく、姉と遊ばせることで金銭を得ていた。順序から言えば、借りた金を返せない代わりに姉に相手をさせていたわけだが、それはある意味姉を利用して遊ぶ金を得ていたことに他ならない。
母・アイ子にも暴力は振るわれた。殴る蹴るにとどまらず、熱湯をかけられて火傷させられたこともあった。
もはや幸夫は、金井家という小さな箱の中で暴れまわる「ヒトでないなにか」に成り果てていた。

 

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