子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」②~千葉・少女撲殺事件~

広宣

裕子さんを殺害したこの男は、本来ただの冴えない田舎ヤンキーでしかなかった。
事実、事件後も広宣について主だった「悪い噂」が出てこなかった。
不良少年の中にも序列や階級は存在し、ヤクザ顔負けの極悪人から使いっぱしりのヘタレまで様々だ。金のあるなしも大きくかかわる。
広宣の場合、その「ぱしり」であったというのが新潮45のルポにもある。
誰からも相手にされない、名前すら知られていない広宣だったが、その広宣をなぜか慕う後輩たちの存在があった。
犯行に加わった4人の少年たちである。この少年らは同じ中学の出身で、事件現場に近い場所で成長している。
広宣と4人の少年の共通の知人であった男が、後に裕子さんと交際を始めることからそのつながりは絡まりあっていく。

広宣は決して幸福な幼少期を過ごしていない。広宣の母親によれば、2歳のころ実の父親が借金を理由に家を出、家庭は不安定な状態にあったという。
その後広宣が6年生の時に母親は再婚したが、義父は事故で寝たきりの状態となってしまう。
母親が仕事と介護に奮闘する中、広宣は家事の手伝いを嫌がらずよくこなしたという。
そんな家庭の中でも、中学までの広宣は決して不良とか、落ちこぼれといったこともなかったようだ。母親によれば、中学の頃の広宣の夢は「警察官とか、公務員」だった。
高校へ進学した後も、学費は自分で稼ぐからと母親を思いやり、ファミレスでバイトもしていた。

しかしその裏で、広宣はいわゆる不良少年らと行動を共にしていた。といっても、ただ同じ空間にいるだけ、時には使いっぱしりのようなことをさせられるだけの存在であったのだが。
広宣がどんな気持ちで仲間と呼ぶには程遠い関係を続けていたのかは知る由もないが、広宣もまた、転落の坂道を転がっていく羽目になる。

16歳の時、盗難車を運転して事故を起こして少年院へと送られた。
この時、興味深い話があった。広宣はここぞとばかりに仲間を庇ったというのだ。
仲間への忠誠のつもりだったのか、広宣は取り調べに対して他の仲間の名前をしゃべらなかった。
しかし、庇った仲間はというと、広宣がしゃべっていないことを知ってか知らずか、全て広宣に押し付けた。
結果、盗難を企てたのは広宣であるという構図が出来上がり、広宣とて庇った手前、今更違いますとも言えなかったようなのである。

この時、広宣は母親へあてた手紙で悔しさをにじませていたという。

出所した広宣は、B子さんという同い年の少女と知り合い、平成11年に結婚した。
B子さんも広宣同様、複雑な家庭で育ち、弟や妹の世話をしてきたという経歴があった。
若い二人は不遇な自分たちの人生を埋めるかのように、結婚生活を始めた。あの、千城台東の市営団地の一室である。
そして、このB子さんが面倒をみてきた妹というのが、裕子さんの小学校時代の親友のひとりだった。

歪な関係

B子さんと結婚したものの、広宣は更生したとは言えない自堕落な生活を送っていた。
中卒の「子供」に働き口がそんなにあるわけでもなく、中卒の少年らが働くネットワークにも、パシリでしかなかった広宣は入れなかった。
コンビニでのアルバイトにありついたものの、ここで広宣はバイト先のレジから金を盗むという行動に出る。
新潮45のルポによれば、「仲間にいい格好をしたかったのだろう」とあるが、私はむしろ「上納金」に困っての犯行ではないかとも考える。
この頃広宣は、件の盗難車の件で広宣に全てを押し付けた仲間を仲間と思えなくなっていたのか、それともそもそも「居場所がなくなった」のか、船橋の少年らとつながっていたという。
そのグループがどういったものかは定かではないが、おそらくそこでも広宣は下の扱いであった。だからこそ、「いい格好」をしたかったのだろうし、もしかしたら下の扱いから脱出する唯一の手段が「カネ」だったのかもしれない。

当然のことながら悪事はすぐに発覚し、広宣は二度目の少年院送りとなった。
今回は仙台。遠く離れた地から、時折母親に充てて手紙も届いていた。実際に私はニュース番組で広宣の直筆の手紙を見たことがある。とても几帳面な、割ときちんとした字を書いていたと記憶しているが、新潮45でもそのように書いてあった。
そして、少なくともあの市営団地で喘いでいる漢字の読めない若者とは違っていた。

広宣は少年院を出た後、ようやく今後をまじめに考えた時期があったようだ。
少年院ではいくつか技術系の資格も取った。難しい資格ではないものの、あるのとないのとでは中卒の広宣にしてみれば全く違う。
B子さんとは離婚していたが、平成13年には復縁、その翌年に女児が誕生した。
少なくとも、この時期広宣はなんとかまともな生活を家族で成り立たせようとしていたのではないか。

しかし、復縁したことによって広宣は、最後の妻となる裕子さんと深く関わっていくことになる。
まじめに、更生しようとしているかに見えた広宣だったが、それも長くは続かなかった。

復縁したB子さんは、広宣から暴力を振るわれ、かつ、家族を養っていけるだけの収入がなかった広宣を支えるため、子供を預けて水商売をしていた。
広宣は時に木刀などを持ち出してB子さんにいうことを聞かせることもあったといい、愛情なのか支配なのか、それとも一人よりはマシ、というだけだったのか、夫婦という状態ではなくなっていた。
そんな状態の真っただ中にあった平成14年の末、たまたま乗ったモノレールの中で、広宣は裕子さんとA子さんと出会う。

「一目ぼれだった」

そういうA子さんは、翌平成15年の正月から広宣の自宅に上がり込むようになる。この自宅は、妻であるB子さんと最初に住んだ団地の一部屋、と新潮45のルポにはあるが、その当時広宣にはB子さんという妻がいたはずだ。
にもかかわらず、その日からA子さんと同棲生活を始めたというのだ。さらに、同棲はしているものの、正式に付き合っていたわけではなかった。
「付き合ってほしい」
A子さんは裕子さんを通じて広宣に気持ちを伝えていたが、広宣の返事は
「今付き合っている男と別れたら付き合う」
というものだった。ていうかお前妻子持ちやろお前が言うな。

A子さんは言われるがままに当時の交際相手と別れ、晴れて(?)広宣と交際するようになった、というか、彼女になったつもりでいた。

妻・B子さんはというと、広宣のすることに意見をするということがなかった、出来なかったため、いわれるがまま1月5には正式に離婚した。
しかし、当時職もなく、妻・B子さんの仕事の送迎という「仕事」をしていた広宣は、離婚後もB子さんと関係を切っていなかった。もちろん、娘の存在もあっただろう。
B子さんも、広宣への思いは断ち切れておらず、広宣はA子さんと同棲しながら前妻のB子さんとも関係を保ち、なんとその2か月後には復縁している。こりゃ市役所の人も大変だ。

そういった事実をA子さんが知っていたかどうかはわからないが、この頃には結婚、離婚を繰り返すことで姓を変える「戸籍ロンダリング」の手口を覚えていた。
そして同じころ、裕子さんもまた、当時の交際相手とともにカード詐欺などを行っていた。

ど底辺の生活

広宣らが行っていたカード詐欺は、自分名義のカードでしこたま買い物やキャッシングをしたのち、「盗難被害に遭った」などとカード会社へ申告し、支払いを免れるという稚拙な手法だった。
1度や2度ならうまくいくだろうが、カード会社もバカではない。
平成15年の2月末、広宣と裕子さんの交際相手は、カード詐欺で逮捕された。
当時広宣は借金にまみれており、また、そのせいでまともなローンなど組めるはずもない状態にあった。
そのため、盗難車を専門に扱う業者から盗難車のセルシオを購入し、偽造ナンバーをつけて乗っていたという。
盗んだバイクで走り出すのは15の夜と尾崎豊も歌っているのに、広宣は二十歳を過ぎても盗まなければ車一台まともに手に入れられない男だった。

そんな、ダメすぎる成人男性の広宣だったが、16歳のA子さんや裕子さんから見れば、車を運転できるだけでも羨望だったのだろう。いわゆるDQNカーはどれだけみっともなくても少年少女には貴重なアイテムだ。
同じ年頃の少年には持ちえない、ただ成人であるだけで持つことが出来るものに、彼女らは魅力を感じていた。そして広宣もまた、まったく相手にされなかった同世代、同世代から上の人間とは違い、自分の意のままに操れる年下の少年少女たちを従えることで、自分の居場所をそこに見出していたようにも思える。
そして、舞い戻るのはいつもあの市営団地だった。

広宣が逮捕されて、A子さんは狼狽したという。狼狽したとは言いつつも、どこかで極道の妻にでもなったつもりのような感じでもあった(ように私には思える)。
そして、裕子さんもそれは同じで、その薄っぺらい極妻気取りのA子さんと行動を共にし、励まし、憂さ晴らしに付き合った。
A子さんは仕方なく実家へ戻ったが、そこへは裕子さんもついてきた。ふたりは夜な夜な遊びに出掛けては、同じ年頃の女の子に因縁をつけてケンカをしたり、ナンパしてくる男性らから金銭を盗むこともあった。当然、よからぬ病気ももらっていた。
さらにこの時期、A子さんと裕子さんは、自分で自分の腕に「入れ墨」をついた。もっともそれはタトゥーとすら呼べないシロモノで、針に墨汁をつけて彫るというみっともないことこの上ない出来であった。
素人なら絵柄ではなく文字や記号程度しか彫れないうえに、自分でやるもんだからそのほとんどがとんでもない出来になってしまう。それこそ、江戸時代の島流しにあった人みたいになる。
それをカッコいいと感じ、他人にひけらかしてしまうのも若い子によるあることだ。極妻なら何百万もかけて一流の彫師を雇うわけだからその仕上がりは息をのむほど美しい。
しかし、千城台の彼女たちは金もなければ彫師のつてもなかったのだろう。「刺青をしている」という形だけが整えば、よかった。
A子さんは広宣を指す「ヒロ」を、裕子さんも自身の彼氏の名前、仲の良い男友達、ハートマーク、そしてなぜか「ヒロ」の文字を入れたのだ。
解せん。
この時、A子さんは何とも思わなかったのだろうか。かのリンリンハウス放火事件で逮捕された坂本なんとかという男がいたが、彼には忠誠を誓う側近が複数名いた。そしてその全員が坂本のフルネームをみぞおちからへそにかけて彫っていた。・・・そのノリか?

ともかく、A子さんは裕子さんとともに広宣の帰りを待った。当初は別れも考えたというA子さんだったが、広宣と長くともに暮らした妻・B子さんの、
「あなたには無理よ」
という嘲笑めいた言葉がA子さんを頑なにさせた。
平成15年7月。執行猶予が付いた広宣は、A子さんのもとへ帰ってきた。広宣が戻り、A子さんの実家に居候していた裕子さんは、A子さんが広宣のあの団地へ戻ったのを機に、その団地で広宣とA子さんと、3人で生活するようになっていく。多くの人はこの状態から当然のように予想するように、広宣は裕子さんとも性的な関係を持っていた。さらにはシンナーなどにも手を出し、日々乱痴気騒ぎを繰り返しながら、3人はど底辺の中で自由気ままに生きていた。
その直後、トラブルがあって一度は実家へ戻っていたという裕子さんだったが、中学時代の友人が事故で亡くなったことなどもあり、少し心境に変化もあったという。葬式に出るため、茶色の髪を黒に戻したいと母親に話したり、母親の助言にも以前よりは耳を貸すようになってもいた。体調を崩していたこともあってか、秋からは昼の仕事を見つけると母親と約束していた。
しかし、その約束は裕子さんの死によって果たされることはなかった。

偽装結婚

3人の生活が始まってすぐ、広宣はやるべきことがあった。逮捕前に乗っていた車が盗難車であったことから、執行猶予中の今、その盗難車に乗ることはためらわれたのだ。
しかし、広宣にとって車は自分の威厳を保つためにも必要不可欠なアイテムであった。広宣はいわゆるVIPカー愛好者で、中古のやっすい元高級セダン(クラウンとかセルシオとか)を下品に改造した車が好きだったという。後に共犯となる少年らとも、その趣味がきっかけで知り合っている。
田舎では免許を取ったばかりの若い子が、10年、15年落ちとかの国産セダンに乗っていることが多い。価格にすれば30万円以下の価値しかないものでも、そういうことを知らないさらに若い世代にはある程度見せびらかせる。
セルシオが生産終了となったのは、こういった下品な改造をされてしまうことでイメージが悪化したことが要因ともいわれるほどだったが、件の広宣の盗難車も、セルシオであった。

広宣は新しい車が必要だった。しかし、多重債務者の広宣が組めるローンはなく、そこで再び、戸籍の名前を変えて別人に生まれ変わることを考えた。
広宣はこれまでに鈴木、天野と名前を変えてきた。そして、さっそく自分に惚れ込んでいるA子さんに結婚の話をもっていった。
ところが、思いがけずA子さんはそれを拒否する。拒否する代わりに、なんと裕子さんと結婚するよう広宣に言うのだ。
一目ぼれともいった恋人が、たとえ戸籍上のことだけとはいえ自分以外の女と結婚するなど、普通で考えればありえないはずだが、そもそも普通とはかけ離れた中で生きてきた彼女たちである。そうだった忘れてた。
A子さんが拒否した理由は定かではないが、裕子さんはその申し出を10万円で引き受けた。

当然ながら裕子さんは入籍の事実を両親には伏せていた。16歳だった裕子さんが結婚するには親の承諾が不可欠だったが、その書類も偽造し、7月10日には広宣は裕子さんの「石橋姓」と、マークⅡを手に入れた。

うまくいったかに思えた偽装結婚と3人の生活だったが、7月末には早くも破綻の兆しが見え始めた。
A子さんが蓄えていた生活費の4万円が消えたのだ。これをA子さんは裕子さんが盗ったとして問い詰めると、裕子さんもそれを認めたという。そして、裕子さんは先述の通り実家へと戻った。
ただ、この時期この団地の部屋には不特定多数の少年少女らが入り浸っており、裕子さんが盗ったという確証があるわけではない。裕子さんは、親友のA子さんに問い詰められたことで信頼されていなかったことに気づき、どうでもいいという気持ちから自分がしたことにしたのかもしれない。

同じころ、A子さんの妊娠が発覚した。広宣の子供に間違いなかったためにすぐ広宣に伝えたが、そっけない態度だったことでA子さんのイライラは募っていく。
広宣にしても、子供どころの話ではなかった。偽装結婚はしたものの、それで凌げるのも短期間だ。しかもこれが露呈すれば執行猶予は取り消される。
広宣はこの頃久しぶりに母親へ電話をかけた。お金の無心もしたが、その際、「ものに対する感動が薄い」という趣旨の話をしたという。
子供ができたというのに喜べない自分、この時広宣は何かを自分に訴えたかったのかもしれない、と母親は振り返る。

さらに、思わぬところからも悩みの種が持ち上がった。
裕子さんから謝礼の残りを支払うよう催促が来たのだ。広宣は偽装結婚の謝礼として10万円払うということで裕子さんと合意していたが、実際には5万円しか支払えていなかった。
そのことを持ち出され、挙句、籍も早急に抜いてほしいともいわれた。
実は裕子さんの妹が携帯電話を契約するのに住民票が必要で、このままでは裕子さんの偽装結婚の事実が親にばれてしまうことを裕子さんは恐れていたのだ。
さんざん親を振り回して逃げ散らかしてきた裕子さんが、この時ばかりはなぜか親にバレるのを恐れ必死に催促を続けた。
たまりかねた広宣は、裕子さんに対して「籍を抜くなら渡した5万を返せ」と言ったが、裕子さんの返事は「それは残りのお金を払ってからじゃないの?」というものだった。

裕子さんについては、とにかく一言多い、という印象だったという。
気の強さもあったと思うが、相手の逆鱗に触れるようなことを臆せずいうようなところがあったのは事実のようだ。
もちろん、裕子さんのいうことは善悪は別として正論であり、広宣とて痛いところを突かれたが故の激高であったろう。
しかし、この時裕子さんを取り巻く状況は本人が知らないだけでかなり悪い状況にあったと言わざるを得ない。
前出のとおり、親友のA子さんとの間の溝、仲のよかった人ほど離れた際の言われようが殊更ひどくなるのはよくあることで、裕子さんに関する嘘とも真ともわからないような悪い噂が仲間内で噴出した。

A子さんの4万円は、実は広宣にそそのかされて盗った、と裕子さんが言いふらしているといううわさが立ったのもこの頃だった。
そして、広宣に対しても、謝礼金を払わないのならば偽装結婚の事実を警察に話す、そればかりか、偽装結婚に伴う詐欺についてもチクってやると裕子さんが息巻いているといった話が飛び交った。
A子さんも憤慨し、時に広宣に対し、「もう裕子、やっちゃえよ」と言うこともあったという。

広宣の中で、何かが弾けた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です