子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」③~千葉・少女撲殺事件~

子分たち

広宣は裕子さんがこのままでは自分を警察に売りかねない、そう思うようになっていた。
思えば16歳のころ、車を盗んで捕まった時、広宣は一緒に盗んだ仲間のことを言わなかった。ダサい田舎ヤンキーの広宣にも、矜持たるものはあったとみえる。
密告る(と書いてチクる)、それこそ、広宣の中で最も許せないことだったのは想像ができる。
自分の中途半端、馬鹿さ加減は全力で棚の上であったとしても。

広宣には年下の子分がいた。少年CとDである。
いずれも同じように「何が格好良いか」の判断さえつかないような少年たちだったが、だからこそ、広宣にもついてきた。
広宣はその子分たちに、裕子さんを襲撃させようと画策したのだ。
少年CとDは、8月に路上で高齢女性に対する強盗を働いていた。事件自体は表沙汰になっていたが、CとDの犯行であることまでは発覚していない段階だった。
その強盗事件の被害者が後に死亡した、とCとDは思っていたが、実は死亡していなかった。強盗殺人を犯してしまったと思い込んでいたのはCとDだけではなく、その界隈の少年少女らにはそう思い込んでいたものも少なくなかったという。
広宣はそれを利用することを思いつく。裕子さんが「あの強盗殺人の犯人はCとDだ」と言いふらしていると吹き込んだのだ。
さらに、「警察に言うと言っている」と付け加えるのも忘れなかった。

加えて、広宣やA子さんに対する不義理、あることないことを少年らに吹き込み、少年らの怒りを増幅させていく。
そして、近くの駐車場にでも裕子さんを呼び出し、そこで「ヤキを入れる」ことを計画した。その計画はA子さんも承知していた。
少年CとDは、知り合いの別の少年Eにも話を持ち掛け、さらにはたまたまその日遊びに来ていた別の高校生・Fも引き込んだ。

そして、10月1日を迎えた。


広宣は裕子さんの仕事の送迎も行っていた。裕子さんは当時、「Pure Rose」というぼったくりキャバクラで働いていたが、その店は住吉会系暴力団がからむ店だった。
広宣はその店を通じてかどうかは定かではないが、覚せい剤も使用していた。
その店は、コピー用紙に手書きで料金が書かれていたといい、一部報道では「抜きキャバ」ともいわれていた。
普通のキャバクラとは違い、性的なサービスを行っていたというのもまぁ、なんとなく想像がつく。

店が終わる午前2時ころ、広宣は何食わぬ顔で裕子さんを迎えに行くと、店のママとともに裕子さんを乗せ、まずママを自宅方面へ送った。
その後、子分の少年らが別の車で待機している貝塚墓地へと走り、まずは裕子さんにトランクを開けるよう指示し、背後から少年らが襲う、という手はずだった。

少年のうち、Cは自身の犯罪発覚を恐れていたこともあり、サバイバルナイフも準備していた。ほかにも、金づちなどをあらかじめ準備してその時を待っていた。

午前3時過ぎ。
広宣と裕子さんの乗ったマークⅡが貝塚墓地へとやってきた。計画では、少年Eがまず裕子さんを引き倒すはずだったが、Eがタイミングを逃したため、裕子さんはいったん車内へと戻ってしまう。
広宣は、小便をしてくるといって車を降り、再度裕子さんにトランク内を見てくるよう告げた。
訝りながらもトランクをのぞき込む裕子さんの背後から、今度こそ少年Eがその衣服をつかんで後方に引き倒したところを、他の少年らで殴る蹴るの暴行を働いた。
この時点では、おそらくケガを負わせて黙らせる、という筋書きでしかなかった。少なくとも、少年らはそうだったろう。
最後に加わった高校生・Fにいたっては、貝塚墓地へ行く前から後悔していた。しかし、計画自体をすでに知ってしまった以上、抜けることは無理だと諦め、とりあえず墓地までついてきたという状態だった。

しかしそこは限度を知らない、踏み込んでいいこと悪いことの区別の知らない子分たちのこと、案の定暴行はエスカレートしていく。
広宣は持参した金づちで裕子さんの頭部や背中を複数回殴打、それを見ていた残りの少年らも、次第に暴行に力が入っていく。
そして、最終的には墓地にあった石材を投げつけ、それでも助けを求める裕子さんに対し、重さ60キロ以上の石材を頭部に落として殺害したのだ。
高校生・Fは、この投石行為に参加していない。
その後、証拠隠滅を図るため、少年らに指示してドン・キホーテでライター用のオイルを万引きさせる。この時、少年Cはドン・キホーテの店内で実父に遭遇していた。
アリバイなのか口裏合わせか何なのか、広宣と少年らは万が一貝塚墓地にいたことがばれた場合は、「かくれんぼ」をしていたことにしようと話し合った。

少年たちはいざ知らず、広宣には確定的な殺意が事件を起こす前からあった。殺すことを決めていたのだ。
それを証明したのは、ほかならぬ広宣の前妻・B子さんであった。

B子さん

裁判で、弁護側は広宣裕子さんに対して殺意を持ったのは少年Eが石材をぶつけ始めてから後のことであり、計画的な殺人ではなかったと主張した。
たしかに、少年らも、交際相手であり裕子さんとの軋轢もあったA子さんも、広宣が裕子さんに「ヤキを入れる」と思っていた。
しかし広宣は、前妻・B子さんに、裕子さんを殺した後の遺体の処理方法について話をしていたのだ。
そしてB子さんは、捜査段階でこそその話をしなかったが、裁判が始まると「広宣から裕子さんをボコったあとでオイルをかける、という話を聞いていた」と述べた。
B子さんは、広宣が裕子さんを焼くつもりだと知っていた。実際にやるかどうかは別として、そうするかもしれないということを知っていた。

B子さんは裁判で、かなりの割合で広宣の不利になる供述をしている。しかしその一方で、広宣に対し、「娘はしっかり育てるから」「また一緒にやり直そう」などとも話している。
弁護側はこのB子さんの証言を信用できないとした。そりゃ、散々迷惑をかけられ、挙句、離婚が成立していたとはいえ妹の友達であるA子さんを妊娠させ、堕胎させたような男だから、いわば復讐心のようなものから虚偽の証言をしていると言いたかったんだろうが、裁判所はB子さんの証言が信用に足る、と判断した。

B子さんは確かに虐げられ、広宣に迷惑をかけられ振り回され、大変な思いをしてきた人だ。暴力も振るわれた。
しかし、違う見方をすれば、広宣を誰よりも理解し、何もかも飲み込んだうえで共に時間を過ごした人でもある。たとえ広宣に女ができようと、離婚、復縁を繰り返そうと、B子さんには大したことではなかった。
広宣は、どんな時も結局この前妻・B子さんの元へ戻っている。A子さんと同棲するために離婚したものの、すぐさま復縁し、周囲には戸籍ロンダリングのためと映っていても、心のどこかでB子さんの存在が広宣の拠り所だったのではないか。

そしておそらく、そんな広宣の弱さをB子さんはわかっていた。だからこそ、A子さんというイキがる鼻息荒いこわっぱが登場しても、鼻で笑えたのだろう。
ましてや、裕子さんなどどうでもよい存在でしかなかったろう。広宣と同じように、戸籍ロンダリングの道具でしかないと考えていたとしてもおかしくはない。

そして自分は、裁判でとうとうと善悪の分別のある人間を「演じた」のだ。そしてその上で、広宣に「待っている」と伝えた。怖ぇー。

それぞれの母親

事件後、毎日新聞において双方の母親が手記を寄せた。
当初、毎日新聞に連絡してきたのは広宣の母親だった。そして、その手記に対する反響に反応する形で、裕子さんの母親も手記を寄せた。

広宣の母親は、一貫して「私の育て方が間違った、愛情のかけ方を間違えた」と自身を責めた。そしてそれは読者から、「広宣のしたことは許せないけど、なんか泣けた」だの、「犯罪加害者は、人生の被害者でもある(なんでやねん)」「広宣も被害者」といった感想が寄せられていた。
このあたりは例の熊谷男女4人殺傷そそのかし女の母親に通じるところがある。あの母親も、自分が悪かったと言いながら、その文章からは自己憐憫、責任転嫁の臭いがプンプンしていた。
広宣の母親は、自分の好きなように生きてきたという。広宣を殺人鬼に変えたのは自分だと。
しかし続けてこうも言う。
自分自身が親に棄てられ、思いやりや愛という感情を知らずに育った。貧困の中、必死で子育てをし、育児書通りにやった、そうそう貧困の理由は夫の借金なんです、私は広宣のために離婚する気はなかったけど、広宣が言ったんです、「ママ、無理しなくていいよ、僕は大丈夫だよ」と、小学1年生の子が言ったんですよ、だから離婚したんです。
広宣はぜいたくを言わない子で、私は買ってあげようとして「欲しい?」と聞いたんですけど、「いらない」とあの子が言ったんですよく出来た子でしょう?反抗期もワガママもなかった。
悪いことはしましたけど、よく手紙もくれたし、そうそう、そもそも少年院に入ったのも友達を庇ったからなんですよ本当にあの子は優しい子で…
高校中退してから変わっていったんですけど、そもそも県立大原高校は第一志望じゃなかったんです、行きたい高校に行ける力はあったけど、父親(義父)の介護があったもんだからついて行けなくて…決して怠けていたんじゃないんですよ
事件直前にもお金を貸してくれと電話が来たんです、でもうちにそんな余裕はないから助けてあげられなかった、うちに来いというべきだったんですまぁ来たところで何にもしてやれなかったけど…

といった調子である。読む人によれば、広宣もかわいそうだな、とか、この母親も一生懸命だったんだなとなるんだろうが、そうはいかんぞ。
これを読まされた裕子さんの側はたまったものではない。というか、加害者である以上、こんな公開土下座みたいな手記は一番やっちゃいかんやつだ。なんのための手記なのか。反省文にすらなっていない。
ただひたすら、我が子を守ろうとする母親を演出している自己陶酔の文章でしかない、〆の言葉はまさにそれを表している、「私の犠牲になったと書いて」ってだったら代わりに無期懲役行くのかよ。

一方、裕子さんの母親の手記も、同じ親として考えると首をかしげる部分もいくつか見受けられる。
裕子さんが非行の道を全速力で疾走し始めたことについて、新潮45の記事などによれば部活が終わったことでの燃え尽き、みたいな風に書いてあるが、母親によれば実際にはもっと前から夜間徘徊などの問題行動はあったという。
裕子さんの両親は、「いつかわかってくれる」と信じて口やかましく言わなかったという。裕子さんは「他の家は話が分かってくれていいな。うちは嫌だ」と口癖のように言っていたとも。

なにかこう、ずっと前から家庭におけるなにかが始まっていたとしか思えないが、そこには言及されていない。というか、いまだにわかっていないのかもな、とも思う。
実際、口やかましく言わなかったという割には、手記の中で裕子さんに語ったことは結構口やかましいことが多いようにも思えた。

また夜の店のことも、母親は飲食店で働いていた、と書いている。しかし実際は風俗店まがいのキャバクラであった。いくら何でも知らなかったということはないだろう。事件後、裁判が始まってもなお、娘が働いていたのは飲食店であるとあえて言ってしまう、このあたりに裕子さんとのわだかまりの一端が見えるような気もしないでもない。

さらには遺族として裁判で少年たちに語り掛けてもいるが、それも少年らに何か伝わるはずだと信じてのことだという。これにも私は引っかかるものを感じずにいられない。段階としてそういう心境になる人も大勢いるが、いくらなんでも早ない?
感情をぶちまけ、極刑以外にないというのならわかる。しかし、まるで諭すかのように娘を殺害した少年らに語り掛けるのはどうも違和感を覚えてしまう。どうしてそこまで「理解」を示そうとするのか、と。
それは、裕子さんが加害者になっていたかもしれないという思いがあったようだが、
「責められるべきは、わずかこれだけの理由で生命の尊さを一顧だにせず被害者を惨殺した被告人その人である」
と断罪した裁判所の方がよほど人間らしいと思うのだ。
裕子さんが欲しかったのは、こういうことじゃなかったのか。

「困ったら身近な大人に相談して」
母親はそう手記をまとめている。裕子さんは相談できなかった。籍を抜くことを急いたことが事件の引金の一端ではあるが、両親らは相談してくれればよかった、と嘆く。そりゃそうだ、人を殺したわけでもあるまいに、なぜこの程度のことが相談できなかったのか。
家出を繰り返し、犯罪まがいの行為を繰り返していた裕子さんが、なぜ今になってたかだか偽装結婚していた事実を家族に知られまいとしたのか。
おそらく裕子さんはこの時期、家庭との修復を図ろうと試みていたように思える。だからこそ、こんな些細なこと(些細じゃないけど)も親には知られたくなかった。知られては困る、なにかこう怯えのようなものを感じてしまう。家庭との修復を図ろうとする裕子さんに、それでも「今は若さだけでいいけど、接客業は頭がよくないとできないよ」という返しは果たして適正だったのだろうか。
裕子さんにしてみれば、偽装結婚の事実をドンと受け止めてくれる親とは思えなかったのかもしれない。

裕子さんは何でも一人でやる子だったそうだ。
しかし、好きでそうしてきたのだろうか。そうしなければならない家庭だった可能性はないのか。
裕子さんは自分がしたいことや好きなことを、認めてほしかったのではないか。けれどそれが叶わなかったから、相談もせず一人で決めるしかなかったのではないか。

無期懲役

少年らは、当時高校生だったFを除いて懲役5年以上10年以下、遺体を焼く行為に加担していないFについては、懲役3年6月以上7年以下の不定期刑がそれぞれ言い渡され、確定した。
広宣はその後無期懲役が確定した。

裕子さんと仲違いしたままだったA子さんは、有名な話だが事件直後、広宣に連れられて燃える裕子さんを見に行っている。
それでも事件発覚直後の取材に対しては、別れを決めることもできずにいたという。
親友でもあった裕子さんの遺体、しかも火に焼かれている姿を見せられて、それでもそれをやった男を吹っ切れないとはもはや理解不能ではあるが、なにか「特別扱いされた自分」とでも思っていたのだろうか。
広宣からすればその行動が意味するのはただ一つ、「見たんだからお前も共犯な」それだけであるというのに。

A子さんは特別な存在どころか、裁判では前妻・B子さんの存在だけが取り上げられた。
A子さんはど底辺の青春を謳歌した大切な友達だったはずの裕子さんも、広宣との一方通行の愛の結晶も失った。広宣に関しては、最初から手に入れてなどいなかったのだが、おそらく気づいていまい。

「あなたには無理よ」

 

「子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」③~千葉・少女撲殺事件~」への4件のフィードバック

  1. 怖すぎますよね。
    全てが怖い。
    自分の娘が裕子さんみたいになったらどうしようと思います。申し訳ないけど。
    口うるさく言わなくても言ってもダメならどうしたらいいんだろう。
    子供が非行に走るのはそれだけでは無いでしょうけども。
    今小5だからまだ親の言うこと聞いてますけど、高校とか大学とかまともに行って、就職してくれますようにと祈るばかりです。

    犯人は、見た目からしてダメダメですね。
    ダサすぎるし。同い年に相手にされなくて年下を舎弟にしてるって。
    B子さんとA子さんもこんな男を取り合うって一体‥。
    自分に対して優しいならまだしも、暴力振るって無職で覚醒剤とか、ひとつも良いところが無い。

    B子さんと娘はいまどうしてるんでしょうかね。

    1. こんなこと言うと千葉の人に怒られますが、この少年少女達が生きた場所が、怠惰な甘えを許してきたんだろうなーと思います。
      裕子さんが言う、「よその家庭は~」というやつは甘えでしかない。
      でも、きっとこの街が、漢字の読めない子や無職でダラダラしてる子達を許容していたと思います。
      そうなってくると、そういう人にはこの上なく居心地が良い場所になる訳で、そういった人間が増える。
      環境が全てとは言わないけれど、結構大事だとも思います。
      うちの近所でこんなこと出来ませんもん。誰にも相手にされないです。そうなると、許して受け入れてくれる場所に行くしかない。
      いじめ以外のいわゆるDQNな事件は、ほとんど場所も影響してると思ってます。

  2. お返事ありがとうございます。
    環境大事ですよね。
    うちの周りも割と真面目な地区というか、ヤンキーとか見かけない住宅地です。
    この辺で高校も行かないでフラフラしてたら噂の的になると思います。
    たしかに、そういう人ばかりの地区なら、そうなる可能性高いですよね。
    周りの家庭も、親もそんな人生なんでしょうね。
    勉強がどうしても嫌いなら、まじめに働けば良いのにそれもしない。
    主犯は無期懲役になったけど、いつ頃出てくるのか、死ぬまで入ってて欲しいです。
    外に出たって生活保護か犯罪かでしょうし。こんな奴のせいでまた他にも被害者が出たら迷惑すぎる。

    1. 私も褒められた人間ではないし、親を悩ませた時期もあります。
      でも、多くのそういう人はそれこそ二十歳を期に、とか、結婚を期に、気づくわけです。周りを見て、これではいけないと。
      それを気づかせるのこそが、環境だと思うのです。
      それでもダメで居心地のよい場所に逃げるとしたら、もうそれは本人の問題として良いでしょう。残念だけど。

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