暗闇で「やったつもり」の育児の果て~厚木・男児死体遺棄事件②~

もう一人の保護責任者

この事件では幸裕の無責任っぷりばかりがクローズアップされた。法廷でも時に居眠りを長時間していたり、理玖くんの死は「事故のようなもの」と言い放つなど、裁判員らに対する心証も最悪であった。
そんな中、ある時妻のことに話が及んだ際、聞かれてもいないのに「妻は風俗で働いていました、自分は知りませんでした」と言った。
これも、妻は風俗で働くような女だから信用ならないと印象付けたかった、かのようにも報道され、幸裕の責任転嫁の表れととらえられもした。

実際妻は自ら警察に母親であると名乗り出、裁判にも出廷した。
そして、10月1日の第8回公判では、涙ながらに「息子が餓死するとわかっていれば、迎えに行ってました…私に責任があると思います」と述べた。

風俗で働いたのも、生活費が足りず理玖くんのものを買ってあげられなかったからだったそうで、家を出たのは幸裕の酷い暴力が怖かったからだと訴えた。
とにかく幸裕から逃れたい一心で、数万円をもって漫画喫茶などで寝泊まりし、お金を貯めて住居を構えられるようになったら、その時こそ理玖くんを引き取りに行くつもりだったと涙の訴えを繰り返した。

この妻の主張に対し、幸裕は反論した。
酷いDVという認識はなく、そもそもお互いが殴り合うような状態で、妻もグーで殴り返したり、リモコンなどを投げつけるなどしていたと証言した。
一方妻は、無理やりSEXを強要されても暴力が怖くて応じるしかなかった、理玖くんの目の前で暴力を振るわれ、それ以降、理玖くんの言葉が出なくなったなど、幸裕の暴力に全ての原因があると訴えた。

これについて、杉山氏、石井氏どちらも妻の言い分については信用していないように思われたが、石井氏はさらにこの妻の証言の裏付けを行っている。

妻は、生活費に困窮してコンビニで早朝のアルバイトをしていた。朝6時から9時までの短い時間ではあったが、これだけ聞けば「一生懸命出来ることをしていたんだなぁ」と思うが、その間、乳児の理玖くんは自宅に置き去りだった。当時幸裕は早朝4時ころ出社し、夕方頃までの勤務体制となっていた。妻がアルバイトを始めたことは、食卓にコンビニ弁当が並び始めたことで気づいたという。
おそらく、妻の中での「放置できる限界」が3時間だったのだろう。

さらに、「理玖くんに洋服を買ってあげたかった」ことから始めたはずのコンビニのバイトと風俗のバイトで稼いだ金は、理玖くんの養育や家庭のために使われた形跡が全くと言っていいほどなかった。
一緒に風俗店で働いていたという女性によれば、店の料金体系や妻の勤務時間を考えると、1日に2~3万にはなっていたはず、という。
ミッツマングローブ似のこの妻は、一重瞼であることを気にするあまり無理やりアイプチで二重にしてかえって瞼を腫らすような女性で、同性から見ても魅力的とは言い難かった。それでも長時間店にいれば結構な稼ぎになっていたのは事実だった。
しかし、理玖くんの服装は依然と変わらず、むしろ不衛生なことも多かったという。

外で働くようになってからは家事の一切をほとんどせず、家の中はこの頃から荒れ放題、妻の留守中に放置された理玖くんの様子を見に行ってほしいと頼まれた当時の友人によれば、
「理玖のからだはいつもおしっこ臭かった。2歳でもしゃべれない、ご飯も手づかみ、それを母親は意に介してないようだった。留守中に家に行くよう頼まれて部屋に入ったら、ごみ溜めの中で理玖が泣きじゃくっていた。部屋には使用済みのコンドームまで放置されていた(石井氏のルポから抜粋」
といった状態であったという。

10月7日の迷子事件のあと、家を出てから3~4か月後に、妻は理玖くんに会うため厚木のアパートを訪れた。その際も、理玖くんを引き取ることもなく、「ゴミ片づけなよ」と言っただけで帰って行った。
裁判で、風俗で稼いだ金はどうしたのか、と聞かれた際は、「覚えてない」と妻は言った。

しかし、妻が家を出た後、幸裕のもとへホストクラブの飲食代の請求書や、病院の治療費などが次々と届いた。さらに、家出した妻の携帯電話の料金(月5万)もおよそ1年にわたって幸裕が支払い続けていたという。
月収が20万円から25万円あったとしても、アパートの家賃が6万円かかり、収入の半分、時にはそれ以上の出費があったことを考えると、後に電気が止められてしまっても回復できなかったのも想像は出来る。

裁判で妻はしおらしく反省の言葉を述べたかと思うと、幸裕の弁護士からの質問にはいきり立って反論する場面が多々あった。
特に、10月7日の迷子事件の際に、「西新宿の友人が自殺を図ろうとしたためそれを止めに行っていた」と言っていたことを突っ込まれると、「児相の仕事なんか知らない!」と逆上したという。
ちなみにこの西新宿の友人の名前やマンションの場所も「知らない」「忘れた」で通した。
結局、妻は理玖くんの正体を知らなかったことから、一切の罪に問われることはなかった。お金を貯めて、理玖くんを迎えに行くはずだった、片時も忘れたことはないと話す妻が家を出てから、すでに10年が経過していた。

これに納得できなかったのが、当の幸裕であった。

「だって仕事があったんですよ!」

幸裕は精神鑑定を受けた。その鑑定を行ったのが、山梨県立大学の西澤哲教授である。
先に述べたとおり、子供時代に一定の教育はなされており、社会生活に支障をきたすレベルではないものの、「共感性・他社視点の欠如」「育児イメージの貧困」という診断をしている。
面談の中で、幸裕は自身の育児について「それでよいと思っていたのか」「別の選択肢は考えなかったのか」というような質問をされると逆上する場面が見られた。
たとえば、公園には月に1~2度しか連れて行っていないことを指摘されたり、保育園に預けるということは考えつかなかったのか、などと聞かれると、
「だって仕事があったんですよ!」「やってました!ちゃんと子育てしてました!」と声を荒らげた。

幸裕は、生活環境や育児に対しては劣悪な状況を改善しようともしない一方で、対外的なものに対しては妙な「律義さ」も持ち合わせている。
仕事でAランクの評価を受けていたのもその表れと言えよう。妻の携帯代を払い続けたり、回されてきた妻の請求書も払った。しかし、電気代や水道代は払っていないし、理玖くんの死後もたとえ隠す意図があったとしてもどこかにこっそり埋葬するとか、そういうことすらせずにアパートに隠し続けることを選んだ。
理玖くん死亡後、幸裕は家に帰れず仕事に行きながら野宿もしていた。その後、新しい交際相手と同棲し始めてからも、幸裕は元のアパートを維持するために月6万の賃料を発覚まで払い続けた。その総額は、なんと500万円。
妻に対しても、先の携帯電話の件もそうだが、理玖くんが死亡した後に更新された健康保険証をわざわざ妻に渡している。
これらのことから、杉山氏は「家族という体を保ちたかったのでは」と推察している。
幸裕は勝手に出て行った妻に対し、怒りを見せる一方で「理玖の母親だから」という理由で事あるごとに妻に会い、妻のために行動している。自身に新しい同棲相手ができて何年も交際、同棲しているというのにもかかわらず、好き勝手にやっている妻を「ずっと妻」として考えていた節がある。

このような行動から、やはり幸裕の幼少時代を思わざるを得ない。
仕事に没頭した父、家庭を、子供を顧みず精神を破綻させた母、そしてそれを飲み込んで生きてきた自分。
とても普通ではないと私たちは考えるけれども、これこそが幸裕の経験に基づく「生き方」であったのではないか。
その思いが、理玖くんの死を「幸せな家庭の始まりであったそのアパート」に隠し続けた要因の一つにもなっているのかもしれないな、と感じる。まるで、アパートの一室を理玖くんの墓とでも言わんばかりに。

懲役19年

一審では殺人罪として起訴された幸裕だが、一貫して殺意を否認した。検察の主張は、自身の女性との交際にかまけ、幼い理玖くんの世話が嫌になり、このままでは死亡してしまうと認識しながら養育を怠ったことによる殺人罪が成立する、とした。
理玖くんが死亡したのは2007年の1月中旬、とされた。この根拠としては、膨大なゴミの山から発見された未開封のコロッケパンの消費期限だった。
幸裕の供述では、理玖くんの死を確認してから1週間後にあらためて「弔いの気持ち」からお茶とコロッケパンを供えたという。それを裏付けたのがコロッケパンだった。

一審で証人として出廷したある医師がこう証言した。
「遺体は長いこと栄養不足であったことから起こる筋肉の萎縮、それに伴う関節が固まる『拘縮』という現象が見られた。死亡の一か月ほど前からこの現象は起こり、頬がこけてげっそりするなど誰が見ても命の危機がわかるほど相当にやせて衰弱していた」
この医師は、事件発覚当初に警察から見せられた理玖くんの写真からそう判断したという。
また、解剖時のレントゲン写真を見た別の放射線科の小児科医も、
「死後放置されても骨の成分は変わらない。ということは、骨密度や骨濃度が通常の5歳児の半分程度しかなかったと判断できる」
とした。
この二人の医師の証言からも、いかに理玖くんが長きにわたって十分な食事を与えられなかったか、ということが印象付けられることとなった。

ということは、幸裕は少なくとも「誰が見ても命の危険を感じる状態」に陥った理玖くんを見ており、このまま措置を講じなければ死亡するであろうことが予測できていた、と検察は見ていた。

実際、捜査段階では幸裕も「亡くなる前の年の秋ごろから家に帰りたくなくなった。帰宅するのが週に2~3回になり、理玖が痩せてきたのが分かった。そこで1度の食事の量を増やしたが、それでも痩せるのが止まらなかった。死の一か月前からは週に1度の帰宅になっていた」と話す調書がある。
しかし裁判が始まると、幸裕は「死亡する日まで毎日帰宅していた」といったかと思うと、「帰った日もあるがそれがいつかはわからない」などと言い出し、話は二転三転して時には自身に有利な証言までひっくり返すこともあった。
さらに、理玖くんが死亡した日の状況については鮮明に証言するものの、それが何月何日だったか、は「覚えてない」と言い、検察官に「信じられない!」と責められた。

帰宅した幸裕が理玖くんの肩を触ると、動かなかったという。そこで幸裕はパニックになり、頭の中が真っ白になってそのまま部屋の中でしばらく理玖くんの亡骸を見つめていたという。
ふと、寒いことに気づいて理玖くんに毛布を掛けてあげた。この様子についてだけは、鮮明に、変遷することなく語られた。

この幸裕の証言からわかるのは、幸裕自身に「体よくごまかす」「自分に有利なように話を作る」といった部分が全くない、ということだ。おそらく、相手が聞きたいこと、その趣旨すら理解できてなかったと思われる。本人曰く、相手からこれこれこうでしょ、そうじゃないと辻褄が合わないよ、というようなことを言われると、そうなのかも、と思ってしまったり、その場をしのぐために相手に迎合する、そういった気持ちがあったという。
これは、あの豊川の幼児連れ去り殺害事件で犯人とされている田辺雅樹受刑者と似ている。
田辺受刑者の場合は元来の性格として筋金入りだが、幸裕の場合は幼少期の体験が大きく影響していると言わざるを得ない。先にも書いたが、精神を壊した母親の言動に目も耳も心も塞いで生きることが、幸裕のたった一つの生き方だった。
嫌なことは忘れ、考えないようにする、そうやって少年時代を彼は過ごしていた。

しかし裁判では、その幸裕の言動のすべてが無反省、と断じられた。

一方で、医師が証言したような手足の関節が固まったりといった拘縮の症状は見ていない、そこまでがりがりではなかった、とも証言したが、当然そんなものはいいわけだと一蹴され、懲役19年の判決が下された。

殺人罪からの保護責任者遺棄致死

納得できない幸裕は控訴した。これも、世間からは「まだいうか」との印象を持って非難された。
一審では時に居眠りをし、足を投げ出すような姿勢で椅子に座る幸裕の姿も報じられ、反省の気持ちも持たない自己正当化の男だというイメージが完成していた。

「理玖の死は事故のようなもの」「なぜ死んだのか原因はわからない」などといった発言も反感どころではない、世間の怒りを買った。裁判所も、「耳を疑った」と断罪した。
控訴したのは、そもそも殺意など持っていなかったにもかかわらず「そんなわけあるか!」という世間一般の常識でのみ語られ、裁判が進んだことへの抵抗からだった。
幸裕は、一審の裁判の中で自分が行った子育てが「足りなかった」ことは理解したようで、「部屋の環境と、栄養のある食事」ができていなかったと話した。

そして、「理玖に申し訳なかった、ともっと伝えたかった」とも話した。

2017年1月13日、控訴審判決。
東京高裁は一審の判決を破棄、殺人罪を適用せず保護責任者遺棄致死とし、懲役12年の判決を出した。
この、高裁が殺人罪を認めず破棄自判するというのはレアケースだという。
実は一審の判決に大きく影響した二人の医師の証言が、裁判所の外ではかなり疑問視されていたのだ。
実際に理玖くんを解剖した東海大学医学部の大澤資樹教授も、一審で理玖くんの死因は「不詳」としている。さらに、解剖時に拘縮がみられると感じておらず、死後数年を経た骨から推測するのも言い過ぎではないか、と証言していた。
担当弁護士の石田智嗣弁護士は、一審の証拠を大澤教授や、日本法医学会の理事で千葉大学医学部の岩瀬博太郎教授に意見書を求め、拘縮と飢餓の関係に疑問を抱いていた両教授は意見書を提出した。
実際に、拘縮という症状は老人の寝たきり状態や、その他外傷が要因となったケースが主で、飢餓状態が拘縮に直結すると言ったことは医学界では馴染まないという。

判決文を読んでみると、その点について大澤教授が言及したことにも触れてはいるものの、拘縮と飢餓の関係を主張した医師が、これまで10例ほどの栄養不良による飢餓状態の症例に接していることを重視し、大澤教授よりも経験があるとして信用できる、としている。
しかし、控訴審では大澤教授の意見書が信用できる、とした。その根拠としては、右手に拘縮が認められるとしたにもかかわらず、左手にはその症状がないことが挙げられた。さらに、その医師は解剖すらしておらず、警察から見せられた写真だけで判断している点、そもそも、警察の求める意見を述べた可能性も否定できず、診断した医師の信用性も疑わしい、とした。
たしかに、解剖までした医師(大澤教授)の意見よりも写真だけしか見てない医師の意見を重視するというのも、何かそこに「意図」を感じないとも言えない。
骨の密度からして5歳児の半分程度、とした放射線科の医師の所見についても、解剖した大澤教授によれば、カビによる影響で頭蓋骨が変形し死亡時とは大きく異なっていること、体に付着した虫が理玖くんの躰を栄養源にしていた時期などもあることから、ミイラ化した状態の遺体を「見た」だけで判断するのは無理がある、とした。

実際、解剖して分かった理玖くんの成長状況は、「5歳児相当」となっている。これは、少なくとも理玖くんは死亡した時点では年齢に応じた成長を身体的にはしていた、ということだ。

そうなれば、長期のネグレクト、餓死させた、といった前提が崩れてしまう。もちろん、死亡する可能性が高かったことは「通常であれば」うかがえるものの、幸裕本人がそれを認識していた、とまでは言えない、とした。
検察は上告を断念、幸裕も「殺人ではない」ことの認定に納得し、懲役12年が確定した。

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