暗闇で「やったつもり」の育児の果て~厚木・男児死体遺棄事件③~

発覚が遅れたのはなぜか

幸裕は会社に勤め、外部との接触を持っていた。結婚したのはそもそも理玖くんができたからであり、双方の両親や家族だって理玖くんの存在を知っていた。
にもかかわらず、理玖くんの存在が7年以上も誰からも気にされなかった、こんなことってあるんだろうか。

児相が役立たずだったのは今も昔も同じことで、厚木児童相談所もそもそも朝の4時にオムツ姿の裸足の乳児が外で震えているのに、迷子で片づけるくらいだから程度が知れる。

しかし、家族らはどうだったのだろうか。

妻の方は、ほとんど没交渉だったとみられる。妻の実家は箱根の旅館だったというが、その実家自体も結構複雑な状態であるようで、風俗時代に同僚から離婚して実家へ戻ったら、と言われた際に「お母さんとは仲悪いし、妹が受験生だから」と話し、帰ることは出来なさそうだったという。
石井氏の取材によれば、実家の方も、この3人姉妹の次女である妻のことは煙たがっており、たとえ助けを求めてきたとしても受け入れなかったのではないか、という親族の話がある。
実際、石井氏が妻の母親に取材を申し込んだところ、「あの子のしたことです!私は知りません!何も関係ないんです!」と門前払いであった。
親族が言うように、この母親には確かに頼れない。

一方の幸裕の家族はどうだったのか。
母親が精神を病んだ以降、幸裕は妹や弟に苛立ちをぶつけることもあった。しかし、県立高校に入りその在学中にバイクを購入してもらうなど、家族との関係は悪くない。
その後も、車の修理工を目指し、専門学校へ通うも通学時間の長さを考えておらず挫折(ていうか通学時間がネックで退学って聞いたことねーよw)、ひとり暮らしをするでもなくそのまま退学し、運送会社などでアルバイトを始める。
その頃、父親にメタリックグリーンのセドリックというけったいな車を買ってもらうが、目立ちすぎたのかいたずらされ、直すでもなく廃車にした。
父親は結構甘い、というか、どこか幸裕に似ている気がする。考えなしというか。
通学時間などはハナからわかりきっていること、それがネックになるなら一人暮らしをするとか考えそうなもんだが、この親子はそういうこともなく、リセットすることで「なかったこと」にしているような節があった。

また、父親は法廷で幸裕の「生き難さ」を問われた場面で、「息子は頭脳明晰でした」と言ってしまう。本来ならば、幸裕の嫌なことは忘れてしまうだとか、受任気質の強さなどを証言すべき場面だったが、とうとうと聞かれてないことまでしゃべり続けた。
さらに、幸裕と理玖くんの2年間の生活のことも、「2年間よく頑張った」と発言。これは妹までもが同様の発言をしたという。法廷がドン引きしたのも容易に想像できる。

ただ、ルポライター杉山春氏はこういう。
「だが職工として勤めあげ、精神疾患を発症した妻を支えながら子供たちを育てた父は、法廷にいた誰よりも、子育てと仕事の両立に苦しんだ幸裕を理解していた可能性もある。(杉山春 著:「児童虐待から考える」より引用)
これはおそらく正しいと思う。私たちの経験していない家庭があり、その家庭ではそれが当たり前で、そうするしかなくて、それでもやってきたという「経験」がある。
たとえそれが私たちから見て異常で、劣悪だったとしても、そこを生きた人にしかわかり得ないことというのは、ある。

事実、幸裕はそんな父親の法廷での姿をみて、感慨深げだったという。理玖くんのことを頼れなかったのも、実は父親に多額の無意味な散財をさせてしまった負い目があったからだった。父の「一生懸命」を幸裕は理解していた。たとえ面会に一度も来なくても、手紙さえくれなくても。そのかわりに、アパートの賠償金を支払いってくれた。それが父のやり方で、精いっぱいなのだ。

だから、理玖くんにも通用すると思ったのだ。「自分なりの精いっぱい」が。

紙吹雪

幸裕は確かに理玖くんを放置した。
けれど、本人にその自覚があったかというと、絶対にあった、とはどうしても言い切れない。善悪の話ではなく。ましてや、餓死させた、などとは全く思っていないのだ。
栄養も何も考えない、ただエネルギー源としてだけの食事だったが、解剖所見からもわかるように、少なくとも「餓死」が確定しているわけではない。体も5歳児相当に成長していた。
判決でも保護責任者遺棄致死であり、殺人、傷害致死でもない。もちろん、7年の月日がその判別を分からなくさせていることは間違いなく、幸裕の行ったことに酌量の余地はない。ありえない。

暗闇の中、寂しくて悲しかったろう。けれど、理玖くんは「その生活」しか知らない。
私たちは、お友達を作り、親の愛を一身に受け、おいしくて温かな料理を食べ、テレビや絵本を見て好奇心を募らせ、毎日入浴し、動物に触れあい、たくさんの人と出会い、成長してきた。だからそれが正しいと知っている。
けれど最近思う。それって、最上級の子供時代なんじゃないか、と。
正しいことに間違いはないけれど、この時代、その正しい子育てをやれている家庭ってどれだけあるのかな、と。子供にコンビニ弁当を一人で食べさせることも、仕事が終わるまでの数時間、子供だけで留守番させることも、栄養よりも量、で考える親も、その量すら間に合わない親も、今の時代少なくはない。

私自身も、母子家庭だった頃は息子に対して無理もさせたし、とても余裕をもって向き合えることは出来なかった。深夜の牛丼屋の脂臭い控室の床で眠る小学1年生など、下手したら通報ものだ。
理玖くんは、幸裕との生活がすべてだった。幸裕のやり方、子育てが、理玖くんにとっての「普通」だった。だって知らないんだもん、それ以外を。

間違っても幸裕に同情とか、気持ちがわかる、などということではないのは断っておく。理解なんかできねーよっ!バカじゃないの?考えたらわかるやろーーーー!!ハァハァハァハァ…

いや、わからなかったのだ。

幸裕には、普通とか、正しい子育てとか、わからなかった。子育てをしてもらった記憶が欠落しているのだから、警察で「あなたもしてもらって分かるように」と言われてもおそらくピンと来なかったのだろう。
食べ物なんて、おなかに入れば一緒。1日3食食べられなくても死にゃしない。清潔にしなくても死にゃしない。ごみ溜めで生活しても死にゃしない。1日家を空けても死にゃしない、というか、平気だった。オムツは1日1回換えれば問題ない。臭くたって死にゃしない。

この、死にはしない、その感覚がどんどんどんどんズレていった。

理玖くんとの暗闇での暮らしは、幸裕にとっては別段不便ということはなかったという。
当初は軽自動車を所有しており、その車で近くの公園まで遊びに連れ出したこともあった。
しかし車が故障してからは、外出の機会は失われる。暗闇の中、ごそごそと毛布にくるまったり、手近なものを投げたりして遊んだ。
幼い理玖くんがとりわけ喜んだのが、雑誌をちぎってつくった「紙吹雪」だった。
たくさんちぎって、理玖くんの頭上からひらひらと降らせると、ことのほか笑い、幸裕もそれをよく覚えていた。

幸裕が仕事から帰ると、理玖くんは頭を触ってきて喜んだ。

パパ。パパ。

理玖くんが発見されたのは、奇しくも理玖くんの13歳の誕生日だった。
お誕生日、覚えていてくれてたの。

 

 

参考文献:シリーズ奈落の子供たち第3回(石井光太著)
     児童虐待から考える (杉山春著)

「暗闇で「やったつもり」の育児の果て~厚木・男児死体遺棄事件③~」への2件のフィードバック

  1. 今回もいい作品でした。

    前半の明るい感じから、中半で一気に締める。そして最後の考察。長編小説を読んでいるようでした。

    思うに幸裕は「普通」だったのかなと思います。多分ですが、仕事が暇で家にいることが多ければ、理玖君は普通のヤンキーとかになっていたと思います。

    結局、幸裕が家にいれば、妻も遊びにいけず、しぶしぶ子守をしていたのでしょうね。いないと幸裕に怒られますから。

    理玖君は、あまり親の愛を受けずに育つ事と生るので、多分、不良になると。

    自分の事しか考えない親っていると思うのです。子供の事を押しつけ合う夫婦もいると思います。

    それでも、そこのバランスがうまくあえば、少なくとも、子供は育ちます。案外いい子に育つ事もあります。

    この二人、寂しかったのだろうな。なんとなく大人になって、なんとなく子供が出来て、なんとなく夫婦になった。

    で、夫が仕事でいない。子供と二人。接し方がわからない。どうしよう。少しなら遊んでもいいだろう。

    結局、離婚。よし俺が育てよう。失敗。もう知らない。

    幸裕にも妻にも、何の同情もないし理解も示しません。生まれ育った環境!?知らんがな!ようここまで生きてこれたものだ!自分を見つめ直す事はしなかったのか!どうせ、わがままにそこそこ幸せに生きていたのでしょう。ただ家族の優しさを感じた事がないだけ。

    そこが一番なんですよ。例えコンビニ弁当でも、おもちゃがなくても、友達がいなくても、親なり兄弟なりが「そばにいる」と言う事を感じさせれば、最低限はOKかと。大人になれば、何もされていないと恨むかもしれませんが、大人になったんだ、自分でした幸せつかめよと。

    ま、こいつらの場合は、それ以前ですけどね。言葉が悪いですが飼育方法を知らない訳ですから、施設に預ければよかったのに。何でしなかったのかな?

    あ、所で息子さん、牛丼屋の件、特に何も言わないか茶化すかのどちらかでしょう?ちゃんと優しさを感じていたと思いますよ。そばにいてあげたかったのでしょう?だから床で寝かせていたと推測します。当時はそんな事を考える余裕はなかったと思いますが。

    うーん、また乱文長文になっちゃった。

    1. ひめじの さま
      いつもありがとうございます。

      この事件は私の中では特殊で、10年も発覚しなかったという信じられない事態がまず信じられませんでした。
      それだけ、父と子だけの世界があったということだと思いますが、母方、父方どちらにも家族がいたのに、児相案件にもなっていたのに、なんなんだこれはという思いでした。

      幸裕自身にも相当な落ち度があり、彼自身の問題によるところが大きいのは間違いないのですが、それでも彼が「死ぬと思わなかった」というのは、本当なのだろうなと思います。
      おっしゃる通り、ものを与えずとも、親がそばにいてくれるという安心感で十分子供は育つと思います。
      幸裕もおそらく自分なりにはやっていたのでしょう、ただそれが、大きく外れたものだった。
      施設という選択肢すらなかった、知らなかったと思います。

      牛丼屋の件、息子の中では楽しい思い出だそうです。
      大学生の男の子たちがいたので遊んでももらえましたし、今でもすき家の牛丼は大好きです!(笑)

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