解体途中で投げ出した女が残した、鍋の中身~交野市・夫バラバラ殺人事件~

平成9年8月12日

大阪府交野市幾野4丁目。そのマンションでは、5月くらいから異臭騒ぎが持ち上がっていた。
生ごみのような、明らかに何かが腐敗しているようなその臭いは、3階の部屋から漂っていた。
この部屋の住人は、たしか夫婦だったはず。しかし、住民らは分譲マンションのその部屋で、夫婦の姿を1年ほど前から見かけなくなっていた。

マンションの自治会では、再三警察に相談するなどしていたが、当初は真剣に向き合ってもらえずにいた。夏になり、異臭は凄まじいことになり、ドアノブから合鍵を作り、それが出来た12日に警察官、自治会長がその部屋に踏み込んだ。

ドアを開けた瞬間、もうこれはただ事ではないとその場にいた全員が悟っていた。
凄まじい腐敗臭、それは浴室からのものだった。
浴室のドアを開けると、そこにはバラバラに解体された性別不明の成人らしき遺体と、のこぎりが放置されていた。 続きを読む 解体途中で投げ出した女が残した、鍋の中身~交野市・夫バラバラ殺人事件~

男がなりたかった「自分」~世田谷・交際女性殺害事件~

平成27年2月14日

バレンタインデーのその日、警視庁北沢署に一人の男が訪ねてきた。
「同居している交際相手が帰宅しない」
当初はよくある類の相談だと思って聞いていた署員は、男のどこか不自然な態度が気にかかった。
その後、署員に伴われて男は世田谷の小田急小田原線経堂駅前の自宅マンションへと戻るが4階にある部屋の中のロフトで女性の遺体が発見された。
遺体の首には絞められたような跡も認められたため、その後警察は同居していたその部屋の住人である先ほどの男を逮捕した。

男は曳地雄太(当時25歳)。事件当時は休職中だった。

借金してでも人に貸す男

裁判は2016年6月20日から始まった。曳地は起訴内容を認めた。
そこでは曳地の生い立ちから大人になってから被害者と交際に至る経緯、そして殺害に至る経緯が明かされたが、殺害に至る動機もさりながら、この曳地雄太という男の歩んできた生き方に誰もが首をかしげた。

曳地は特に経済的に裕福だったわけではなく、むしろ自身の生活もしっかりとなり立っていないような状態だった。
しかし、被害女性との同居生活において、その生活費の負担は曳地が担っていた、というか、最初からそういう約束だった。
それはよくある、惚れた相手のためならと言うようなことではなく、曳地の方から被害女性に対して「援助」を申し出ていたという。
被害者は山口裕美子さん(当時24歳)で、一旦大学を卒業したものの、もう一度別の大学へ入りなおすことを目標に努力していた女性だった。
学費の工面に苦労しており、それを知った曳地が援助を申し出たというのだ。

さらに曳地は、裕美子さんのみならず、友人や会社の同僚、先輩らに対して金を貸していた。その金額は総額100万円近くになった。
驚くべきことに、曳地は自身の貯蓄から貸したのではなく、わざわざ消費者金融で借金をしてまで、すすんで彼らに貸していたのだ。
そのため、自身の生活にも事欠くようになった。それを補てんするためにさらに借金を重ね、事件当時には160万円の借金があった。

曳地はそれを裕美子さんには隠していた。

男のそれまで

曳地は福島県の出身で、ごく普通の家庭に育った。
ただ、曳地には吃音の症状があり、6歳頃から友達とうまくかかわれないなどの弊害があったという。
当然母親が病院にも連れていくも、さほど重症とは言えなかったのか、様子見となってしまう。しかし曳地本人は、その症状を非常に気に病んでいたとみえる。

成長するにつれ、その吃音の症状が障害となっていると感じることが増えた。
人前で何かを発表するときも、吃音が邪魔してうまく話せなかった。中学3年の時には、部活の試合での壮行会でうまく話せず、その経験は「人生で一番の失敗」と本人が思うほどのいわばトラウマになった。

そういったことが積み重なって、曳地はある時から他人より優位に立ちたい、という感情にとらわれていった。
高校時代には明らかな他人との差を感じられ、かつ、努力次第である程度なんとかなるということからか、勉強に集中し始める。
しかしなぜかその時も、東京大学へのこだわりを持ってしまったことで、自らそのハードルを上げまくっていた。
誰であっても狭き門である東大に、ごく普通の学力でしかなかった曳地が合格するほど甘いわけはなく、曳地は東大に不合格となる。詳細がないため不明だが、もしかしたらセンター試験の時点で点数が足りていたのかどうか怪しいところだ。

曳地は浪人し、東京大学に絞らず「大学進学」を目標に努力したとは言うが、結果としてどの大学にも行けなかった。
この裁判を傍聴した朝日新聞社会部・塩入彩氏のルポによれば、「断念」という表現になっているため、受験自体が叶わなかった可能性もある。

ともあれ、曳地は学力でマウントをとることをあきらめ、2014年、上京する。

しかしそこでも曳地の「他人より優位に立ちたい」願望は色濃く躰に染みついていて、曳地は人の悩みを聞くことを生業にしたいと考えるようになった。
契約社員やアルバイトをしながら、曳地は2014年ころ

、探偵事務所のサイトを開設する。
「ミナト探偵事務所」と銘打ったそのサイトは、一見ごく普通の探偵事務所のサイトに見えたが、実は作りかけの状態で、警視庁のその後の調べでも営業していた実態はなかった。

その頃、曳地は大手探偵事務所が運営する養成学校の資料請求を行っていたことから、「探偵業」をやろうとしていたのは間違いなかった。

そして実際に、事件直前の2015年2月3日からは、探偵会社の正社員として採用となり、試用期間中だった。

この時点では少なくとも曳地は自分の目標に少しずつ近づいていたわけで、その10日後になぜ裕美子さんを殺害しなければならなかったのか、裁判長はじめよくわからないといった状態であった。

しかし、この探偵事務所での勤務が、少なからず曳地のその後の行動に関係していたのだ。

失敗続きの「自分」

憧れの探偵事務所に勤務できたことは、曳地にとってもうれしい出来事だった。
しかし、そんな思いは暗転する。
勤務開始からわずか4日、なんと曳地は会社の先輩の車を運転中に追突事故を起こしてしまう。
物損事故であったことや、保険の内容の関係で先輩の車の保険は使えなかったとみえ、運転者である曳地に90万円の損害賠償がのしかかった。
そしてその2日後には、会社を休職している。

曳地はおそらく打ちのめされていた。しかし誰でも失敗はするし、長い人生で考えればその事故も大きな事とは言えない。人に怪我をさせていないのだから良かったと言ってもいいほどだ。
しかし曳地はそう思えなかった。
しっかり謝罪して、給料天引きでもいいからその分仕事を頑張ろう、とはならず、曳地は休職してその場から逃げた。
自分はこんなはずではない、吃音に悩まされ、人の苦しみや痛みもわかっている自分は人の役に立つ人間のはず。
なのに、大学受験も失敗し、人の悩みを解決するという仕事もうまくいかない・・・

いつからか、曳地は現実の自分を受け入れられなくなっていた。

裕美子さんとの関係

そもそも裕美子さんとの出会いはTwitterだった。
その当時社会人として働いていた裕美子さんは、仕事をやめて大学に入りなおしたいという夢を持っていた。
曳地はそんな裕美子さんに、生活費の援助を申し出た。
どのようなやり取りだったかは不明だが、援助の見返りなどを求めた形跡はなく、結果として二人は交際を始めたが、曳地はそれが目的ではなかった。
2014年の暮れから同居を始めたふたりは、当初の約束通り曳地が生活費をすべて負担するという話になっていた。

実際に曳地は昼も夜も働いたという。
しかし同居を始めて間もなく、曳地の借金が裕美子さんの知るところとなった。
生活費を全部負担すると申し出た男が、借金のある男だとわかって裕美子さんは心配したという。
おそらくそれは、少なくとも当初は、心からの心配だったであろう。

「返せるの?」
そう訊ねた裕美子さんに対し、曳地は大丈夫だという返答をした。
曳地もまた、その時点では返せると思っていたという。

しかし裕美子さんもまた、切羽詰まっていた。
大学受験を目前にした2015年初め、学費の工面にめどが立たなかった裕美子さんはその年の受験をあきらめる。
そして、しっかりと学費を貯めることにしたのか、以前の職場に復帰して働き始めた。
一方で曳地は、追突事故の借金までがのしかかり、その返済に窮していた。
曳地は裕美子さんに返済を手伝ってもらえないかと頼んでみたが、裕美子さんからは逆に認識の甘さを追及されてしまった。

どんな大学へ入りたかったのかは定かではないが、たとえば医学部や芸術系の学部でないのならその学費はさほど高くはない。
学費のローンもあるし、それこそ一時的に借金をするという手もある。
しかし裕美子さんは、自分で学費を貯めてから受験するという堅実な道を選んだ。遠回りになっても、返せるあてのない借金をするということは出来ないと考えていたのだろう。
だからこそ、曳地の借金が理解できなかったのだろう。

裕美子さん自身、自分の借金で首が回らない曳地との同居に意味はなく、同居解消してそれぞれが自分のことをしっかりやっていった方がいいのではないかと考えるようになっていた。

バレンタインデーの朝

2月14日、目覚めた二人は朝のけっぱちから金の話をしていた。
曳地の借金と、今後同居していくうえでの生活費の話だった。
「今ある借金をどうやって返していくのか」「この先、安定した収入を得られるか」といったようなことを裕美子さんは曳地に訊ねたという。
せっかく掴んだ探偵への道も潰えようとしている曳地は返答に窮していた。
「見通しが甘いよね」
裕美子さんの何気ない、しかし強烈な一言であった。

早朝だったため、裕美子さんは再び眠りに落ちた。
その傍らで、曳地は自分の人生に思いを巡らせたという。普段ならば前向きな考えも出来たが、その日ばかりはできなかった、裁判で曳地はそう答えた。

曳地は眠っている裕美子さんの首に手をかけ、驚いた裕美子さんがわずかに抵抗したものの、そのまま締め続け、裕美子さんを殺害した。

曳地は自分も、というか一人で死ぬつもりだったという。
しかし結果として、曳地はその後自殺未遂すらせず、裕美子さんにLINEで「ご帰宅は何時ごろです?」などとあたかも裕美子さんと一緒にいなかったかのような偽装工作までしていた。
それらを法廷で質問された際には、「裕美子さんを殺害する直前の数分間に、死にたい気持ちが増大した」「(LINEは)自白できなかった際に、失踪届の参考になると思った」などと話した。

一方で、遺体を部屋にそのまま残した状態で警察に行くなど、隠ぺいとは言えないような行動もあり、曳地の心理状態は腑に落ちないものだった。

裕美子さんは殺害される前日も、いつもと変わらず元気な様子で退社したという。
ただ、曳地との同居解消については同僚らに話していたようで、勤務先の上司らも何となく知っていたようだ。
しかし、深刻な様子はなく、まさかこんな事件に発展するとはだれも想像すらしていなかった。

自己愛性人格性障害

曳地は裕美子さんに対して、実際に同居を始める以前から「対人恐怖症」であると思っていた。
そして、自分とよく似た境遇であるとも感じていたという。
その似ているところとは、「弱者である点」だった。

誤解のないように記しておくが、裕美子さんが対人恐怖症であるとか、弱者であるといったことは全く感じられない。
そもそも会社でも同僚らとのコミュニケーションに問題もなかったし、一度辞めた会社に復職できるほど信頼されていた。
また、対人恐怖症の人間がネットで知り合った異性と同居したり出来るもんなんだろうか。ここら辺は専門外なのでわからないが、少なくとも裕美子さんが対人恐怖症であるという話はない。

曳地はなぜか、裕美子さんを「弱者」にしたがっていた。
それは裕美子さんに限らず、どこか他人を弱者と決めつけ、時には関係を持った人間(友達や同僚など)に過度な好意や親切心を見せることで相手の立場を弱い方へ追いやるという性質を持っていた。
裁判の過程で行われた精神鑑定では、鑑定した医師によって「自己愛性人格障害」と診断された。
一見、自分を犠牲にしてでも他人に尽くしたり助けるという行為は尊い行為だし、医療従事者や法律家、警察官や消防士などの公職に就いている人の多くは、純粋にそう考えている人が多いだろう。
しかし曳地の場合は、そうすることで自己の「人を救済したい」という欲求を満たしていた。
そのために他人を「利用」していたのだ。

多くのまともな人々と曳地の違いは、身の程を知っているかどうかだと言える。
本来、曳地が心から人を救済する仕事をしたいと思っていたなら、大学や専門学校で医療系、心理系、福祉などの勉強をしたうえで実務に就く、資格ももちろん取る努力をしただろう。
しかしそれには長い時間がかかるし、忍耐も必要である。10年経っても半人前だと自身を戒めている人も多い。
曳地はそれをしなかった。それをしない時点で、他人を救済できる人間になどなりようがなかったのだ。
しかし手っ取り早くその立場になるために、他人を弱者と決めつけることにしたのだ。

裕美子さんは生活の援助などしてもらわなくても問題はなかった。事実、生活の援助を申し出たはずの男は自分の生活も成り立っていなかった。
お金を貸してもらったかつての同僚らも弱者などではなかった。激しく自分を見失った曳地だけが、彼らを弱者と決め込んでいた。

裁判で、弁護人から「何が間違っていたか」と問われ、「他人の生活をサポートできる人間でありたいと強く思いすぎた」と曳地は答えた。
そして、「何を受け入れられなかったのか」という問いには、「等身大の自分」と答えた。

曳地はたしかに、裕美子さんの生活を支えようとしていたのだろう。裕美子さんの生活を支えるために自身の生活を削り、そのために借金もした。
その事実を裕美子さんが知ったとき、「私のために借金までしてくれてありがとう」と言われるとでも思ったのだろうか。言うかバカ。

曳地は懲役14年が確定した。

(参考図書:「きょうも傍聴席にいます」朝日新聞社会部 )

「子を置いて行け」と面罵した姑へ下した嫁の鉄槌~大田区・姑殺害事件~

平成4年6月9日

東京都大田区西糀谷4丁目。

その日、買い物から戻った嫁が、いつものように風呂の水を入れ替えようと風呂場をのぞくと、水が張られた浴槽内で座り込む姑の姿が目に飛び込んできた。
服を着たまま、口元には半分取れかけた粘着テープがついたままで、大柄な姑がなぜか小さく見えた。

慌てた嫁は、体調不良で早退して2階で寝ている夫を叩き起こし、事の次第を伝えたが、姑はすでに息絶えていた。

一階の茶の間や、姑の鏡台などの引き出しが無造作に開けられたままになっていたことなどから、警察では物盗りの犯行も視野に入れた殺人事件として捜査本部を設置した。
ただ、外部から侵入した形跡が見当たらなかったことから、捜査は思うような進展を見せていなかった。

事件から2か月余りが経過した9月3日、警視庁蒲田署捜査本部は、第一発見者の嫁を姑に対する殺人容疑で逮捕した。

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妻を切り刻んだ男が持ち出した写真38枚~長野・青木峠母子バラバラ殺人死体遺棄事件~

平成元年5月13日

その日、測量のために長野県本城村の青木峠に分け入った森林組合の職員らが、国道沿いの斜面に黒いビニール袋が投げ棄てられているのを見つけた。
不法投棄かと近づいてみると、破れた袋の隙間から頭髪のようなものが見えた。まさか、と思いつつ目を周囲に向けると、そこにはオムツ姿の男児があおむけで横たわっていた。
そして、その周囲には人間の胴体、手足などがバラバラの状態で散乱していたのだ。

切断された部位は全部で11。中にはパジャマらしき衣類の上から切断された部位もあった。そして、遺体の一部をくるんでいた新聞が、千葉県内で配布された「聖教新聞」だったことも発表され、遺体の足には修行で出来るタコがあったことから、被害者は創価学会の信者の可能性が高いとされた。
バラバラの状態の遺体の損傷は激しく、身元確認のため大々的な報道で情報が集められると、事件発覚から二日後、「船橋にいる娘と孫ではないか」という福島県在住の男性から情報がもたらされた。

被害者は船橋市在住の阿部アヤ子さん(当時40歳)と、長男の秀之ちゃん(当時2歳)であることが判明した。

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業火に焼かれる母と娘~福山・保険金放火殺人事件~

平成17年12月

福山市三之丸町にある雑居ビル「グリーンパキュラビル」1階の喫茶店「リバージュ」から火が出て、焼け跡から男性の遺体が発見された。
遺体は、同店を経営する女性の夫で、辻祥一さん(当時50歳)と判明。
当初は寝たばこによる失火とみられていたが、祥一さんの遺体から睡眠薬の成分が検出されたこと、広島県警科学捜査研究所により放火と断定されたことなどから、祥一さんの妻で同喫茶店の経営者・辻冨美恵(当時48歳)が殺人と現住物放火の容疑で逮捕された。
冨美恵は当時結婚相談所も兼ねたこの喫茶店の経営に行き詰っており、1500万円ほどの借金があった。祥一さんには1億5千万円もの生命保険金が冨美恵を受取人にしてかけられていたが、実は冨美恵と祥一さんはわずか9日前に婚姻届けを出したばかりだった。 続きを読む 業火に焼かれる母と娘~福山・保険金放火殺人事件~