闇の中~中国人少女殺害死体遺棄事件と、父親の事件~

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凶行

平成5年11月21日午前、新潟県のホテルから119番通報が入った。
通報があったのは六日町にあるホテル「ウェルネスVILLA越後六日町(当時)」で、内容は「男性が包丁で刺されてけがをした」というものだった。
南魚沼消防署と、消防から連絡を受けた県警六日町署員がホテルに急行したところ、3階の客室に続く階段付近で男性が血まみれの状態で倒れていた。
さらに、客室内の畳の上でも、男性が腹などに傷を受けた状態で倒れていた。
現場には、血に染まった包丁2本を手にもって立ち尽くしていた男がいた。警察は状況からこの男が二人を刺したと断定、その場で殺人未遂の現行犯で男を逮捕した。

刺されていたのは、東京の鍼灸師・佐々木学さん(当時46歳)と、息子の新さん(当時19歳)で、病院で治療を受けたものの学さんは出血多量で死亡した。

逮捕されたのは、中国籍の袁銘(えん・めい)(当時49歳)。
袁は太極拳の講師で、佐々木さんらに招かれこの新潟の佐々木さんが経営する施術院で宿泊客らに太極拳を教える予定だったという。
室内には別の女性スタッフもおり、その女性スタッフによると、袁と学さんが口論となり、突然袁が隠し持っていた包丁で斬りかかったという。
止めに入った息子の新さんにも斬りかかり、学さんは胸や腹を7か所、新さんは12か所を刺されていた。
傷は学さんの方が少なかったが、学さんは足の動脈や肺に傷を受けていたことで出血が多く、救命できなかった。

「口論になって刺した」「殺すつもりだった」

袁は取り調べに対しそう話していたが、逮捕された時には中国語でなにかをわめいていたという。

それは、「私は埼玉で白骨遺体で見つかった慧娜の父親だ!」という叫びだった。

いなくなった少女

それはこの殺傷事件のおよそ4か月にさかのぼる。平成5年7月30日。
少女はひとりで自宅マンションにいた。父と二人暮らしの少女は10歳。
この日、父は仕事で新潟へ行っており、少女は一人で留守番をしていた。父がいない間、少女は父の職場の同僚宅に毎日電話すること、父にも電話をすること、そしてその職場の同僚が様子を見に行くという、いくつかの約束事があり、その日も午後7時過ぎに父親に電話をしていた。
特に、変わった様子もなかった。
しかし2時間後の午後9時、同僚の女性が自宅を訪れた際、部屋から応答がなかった。
電気は消され、ドアにも鍵がかかっていた。

知らせを受けた父親が帰宅し、部屋の中を確認したがもともと台所に四畳半間があるだけの狭い部屋の中で、なくなっていたものはなかった。
また、父親が少女の生活費として渡していた4万円のうち、3万円がそのまま室内から見つかっていた。
夜に10歳の子が勝手に出歩くと目立つ可能性があったが、近所の人らによればその少女は大人びて見え、高校生くらいに見えたという人もいたことで人目につかなかったのかもしれなかった。

当時少女は、家の中からなくなっていた洋服から推測して、白のTシャツ、白地に赤の水玉模様のスカート、エナメルの黒いバッグという装いだったといい、父親曰く「よそ行きの恰好」だったという。
そこで、上池袋に住んでいる別れて暮らす母親のもと、もしくは豊島区内の親戚の家にでも行ったかとも思われたが、いずれもその日は訪れていなかった。

実母によれば少女はしっかりしていて、一人で出かける可能性はあるということだった。また、たとえば誘拐された可能性については、少女が太極拳のチャンピオンになったこともあって考えにくい、と父親も話していた。

当初は自力で娘を捜していた父親だったが、周囲の人らの勧めもあって8月12日、警察に捜索願を提出した。

越辺川の白骨遺体

平成5年11月7日午前。
埼玉県坂戸市赤尾の越辺川(おっぺがわ)の河川敷で、白骨化した遺体が発見された。
県警捜査一課と西入間署は、その遺体のサイズから小学生、しかも低学年の女児の可能性が高いとしており、当時行方が分からなくなっているその年頃の子供について捜索していた。

遺体は身長が約130センチ、足の大きさが18センチ、さらには乳歯が残っていたことから子供であること、そして骨盤の形などで女児だと判断されていた。

発見当時、遺体は両足がミイラ化。死後およそ2~6か月経過しているとみられた。
衣服はすべてはぎとられており、さらには数枚重ねのビニール袋に入れられて放置されていたことから、死体遺棄事件であることも間違いなかった。

そして翌8日になって、板橋区で7月末から行方が分からなくなっている女児の存在が判明、すでに捜索願も出ていたことから管轄の板橋署も捜査に乗り出すこととなった。そう、あの少女である。
行方不明になっていたのは、中国籍の袁慧娜(えん・えな)さん(当時10歳)。
慧娜さんはその年の6月に中国から来日したばかりで、板橋区内で先に来日していた父親と二人で生活していた。
当時は夏休みなどの関係もあってかまだ小学校には通っていなかったが、二学期からは通学する予定だったという。

警察の調べで、身長、頭髪の長さ、そして歯の治療痕が一致していることから遺体は慧娜さんにほぼ間違いないとみていたが、それでも実母らは慧娜ちゃんでないことをひたすら祈っていた。
しかし、遺体の下から発見されたハートのヒスイのペンダントが決め手となった。
それは、慧娜さんの実母がお守りにと、慧娜さんに渡したものだったのだ。

最悪の結果となってしまったが、その後の捜査も全く手掛かりがつかめていなかった。
父親との関係は良好、来日して間もないとはいえ、都内には親戚も実母いた。
実母には長く会っていなかったようだが、親戚の家には失踪前日にも訪れていたという。
父娘をよくみかけたという商店主は、「いつも仲良く二人で買い物に来ていた。日本語が話せないようだったが、父親もちゃんと仕事をしていた」と話し、二人が暮らした部屋の大家も、「慧娜さんはかわいい子で、お父さんから慧娜さんが掲載された中国の新聞を見せてもらった。慧娜さんはお父さんが出張で家を空けたときは外出はほとんどしていなかった」と証言していた。

が、一方でその部屋に男女が出入りしていたと話す住民もいた。そして、慧娜さんが行方不明になって以降、その男女を見かけなくなったというのだ。
その男女が父親の知り合いなのか、中国人なのか日本人なのかもわからなかったが、慧娜さんがなぜいなくなったのか、そしてなぜビニール袋に入れられて捨てられたのかも、全く分からなかった。

遺体が慧娜さんと判明して二週間後、新潟で男性二人を殺傷したとして逮捕されたのは、慧娜さんの父親だった。

トラブル

捜査本部は袁がこの鍼灸師の親子と仕事をしながら、何らかのトラブルを抱えていたとみていた。
父親の学さんは、上池袋で鍼灸の診療事業を行う株式会社東日本東洋医学療法事業団(当時)を経営、その事業の一環として、新潟のホテルの一室にて太極拳を取り入れた治療を行っていた。その講師として招かれたのが、袁である。
ただ袁は人文医療ビザで上海から来日していたが、実際には太極拳のショーや整体をしていたという。

来日は3度目、それまでも興行としての太極拳ショーを熱海などの観光地のホテルなどで行っていたが、その興行団体が解散したため、今回は佐々木さんらの新潟の治療院で活動していた。
袁は山東省の出身。武術では相当な実力者だったといい、上海にいたころは弟子も多くいたという。昭和61年、慧娜さんが三歳の時に妻とは離婚。その後は経済的に困窮することもあったといい、来日した際、佐々木さんの会社の関係者から金を借りることもあった。

捜査関係者らによれば、袁は性格的にも難しい面があり、慧娜さんの遺体発見時のインタビューなどには一方的にしゃべったのに対し、気に入らない質問があると黙り込んだり、カッとしやすい性格でもあったという。

一方で、被害者の佐々木さんにもトラブルの影が見え隠れしていた。
町田市に自宅があった佐々木さんだったが、マッサージ師、鍼灸師という職業であるにもかかわらず近隣との付き合いはあまりなかったようだ。
実は佐々木さんは、昭和63年に経営していた会社(マッサージ、整体関連)が倒産、その際に給料未払いなどで裁判沙汰になっていて、その頃から近所づきあいをしなくなったのだという。
しかし一部の近所の人には、「新しい治療院を出すための内装費が必要」などといって出資を募っていた。
何人かが出資したというが、平成3年に池袋に開院したという鍼灸院も、事件が起きた平成5年の5月には閉院となり、結局出資者に金は戻らなかった。そのこともあってか、佐々木さん親子の事件があった直後も、佐々木さん方を見舞う近所の人々の姿はなかった。

警察ではそういった佐々木さん親子と袁の関係性において、仕事上のトラブルという線と、一方で慧娜さんの事件とのかかわりについても慎重に捜査をしていた。

慧娜さんは日本語がほとんど話せなかったことから見ず知らずの人について行ったり、行動を共にすることは考えにくいこと、部屋が荒らされていないこと、遺体は河川敷に流れ着いたのではなく、そこに置かれていたこと、その発見現場は非常に足場が悪く、単独で行うことは難しい、そういったことから、顔見知りで、かつ、複数犯との見方を強めていた。

そして12月13日ころになって、当初は「言葉が通じないことで佐々木さんに不信感があった」などと話していた袁が、「慧娜は佐々木さんが殺したと思った」と話したのだった。

思い込み

顔見知りの複数犯の犯行、という見方が捜査本部にもあったこと、そしてすでにそれらも報道されていたことから、娘を殺害された父親の復讐劇、という風にも思われたが、結果から言うと佐々木さん親子は全くの無関係だった。
そもそもそんなことはアリバイを調べればすぐわかることで、警察も佐々木さん親子が慧娜さん殺害とは無関係と早々と公表している。

しかも、日本語がわからない袁を思い、慧娜さんの捜索願を出すよう勧めたのも佐々木さんだった。袁は、慧娜さんの行方が分からなくなった翌日の8月1日、佐々木さんにこのことを相談した。
そこで、佐々木さんから捜索願を出すよう言われたが、おそらく日本語がわからないことなどから思うようにいかなかったとみえ、佐々木さんが警察に電話して捜索願について尋ねていたのだ。
そして警察から両親の話を聞きたいと言われ、8月12日にようやく袁と妻が警察で捜索願を出した、という流れだった。

それをどうしてなのか、袁は佐々木さんが慧娜さんを殺害して遺棄したと思い込んでしまった。

警察でも、なぜ佐々木さんが慧娜さんを殺したと思ったのか、を、袁から聞き出そうと慎重に取り調べを行ったものの、袁は慧娜さんの話になると意味不明の話をし始めたり、かと思えば黙り込む、さらには「みんなが俺を殺そうとしていた」とまで言い出した。
ただ、泊まっていた部屋からは「慧娜、どこに行った」「慧娜がかわいそう」というメモなども見つかっていて、袁が相当精神的に追い込まれて不安定になっていたことも間違いなかった。
愛する娘が無残な形で発見されたわけで、その点は父親である袁に同情しかないわけだが、それがなぜ佐々木さんへの被害妄想、思い込みに発展したのか。

平成6年1月から開かれた公判においても、袁は入廷直後から通訳に文句を言い、人定質問にも「みんな知ってるだろう。何のための確認か!」と声を荒らげて拒否、さらには「娘の事件が関係していないという訴状を認めろと言われても納得できない」として、なんと初公判で起訴状の朗読、罪状認否、冒頭陳述も行えない事態となり審理に入らないまま、その日は閉廷となった。

その後9月18日、袁に対し、新潟地裁長岡支部の三浦力裁判長は、求刑懲役17年に対して懲役12年の判決を言い渡した。

判決では、佐々木さん殺害の動機としては佐々木さんが慧娜さん殺害に関わっていると思い込んだこと、それに加えて意思疎通がうまくできなかったことから自分も殺されるのではないかと思い込んだことによる犯行と認定。
求刑から結構割り引かれた判決を見ても、袁に対して一定の酌量が認められたと思われる。

袁はその後控訴すると話したが、その後確定している。

しかし慧娜さん殺害については、現在までその解決には至っていない。

誰が少女を殺したか

子供の事件であり、本来ならば大騒ぎになっているわけだが、その後に父親が引き起こした事件に全てを持っていかれてしまった感じもする。

加えて、慧娜さん父娘が日本人でなかったこと、来日まもなく、二人とも日本の社会に接点がなかったことなども関係したのだろう。
もしも慧娜さんが小学校に通っていたり、どこかしらに繋がりがあればもっと世間も注目したのではないかと思う。
慧娜さんは日本の社会からするといわば「誰も知らない少女」であり、日本で起きた事件であるにもかかわらず、どこか知らない国で起きた事件のような感覚があったのかもしれない。

失踪して2週間も警察に通報しなかったのも悔やまれる。中国からやってきたこの父には、日本の警察に頼むよりも自分で捜す方が確かだったのか、それとも、違う事情があったのか。
袁は、自宅にある指紋を除外するための指紋採取の意味がわからず、警察から自分が疑われていると誤解していたという。
当初から警察に対する漠然とした不信感があったのだろうか。

他に、実際にはどんなことが考えられるか。
個人的に推理とか考察とか嫌いなのでしたくないのだが、事実を見て考えた場合、少なくともゆきずりの強盗、空き巣ではないと思われる。
二人が暮らしていたのは小さなアパートであり、もしも強盗や性的な犯罪目的で誰かが押し入ったとすれば、時間的にも午後7時から9時までの間ということもあり、何かしらの物音や騒ぎ声などが聞かれているはずだ。それもない。

ならば慧娜さんはやはり自発的に家を出たのだろうか。その理由は別として。
よそ行きの格好だった、というのが気にかかるが、そもそも日本語が話せない10歳の少女である。よほど知った人に会う予定でもなければ出かけることは考えにくいのだが、それは大人の考えであって、子供なりの好奇心などがあったのかもしれない。母親も、慧娜さんは一人で出かける可能性はある、と話していた。

ちなみに、警察が当初発表していた犯人像の中で、殺害遺棄現場の足場が悪いことから複数犯、とされていたが、その後、発見前に雨の影響で水傘が増え、上流から流されてその場所に流れ着いたものと考えられる、と訂正されていて、その時点で複数犯でない可能性も出ていた。

なんらかの事情で慧娜さんの意思で家を出たとして、なぜ慧娜さんは殺害されなければならなかったのか。
手口を見ても大人の犯行に思えるが、慧娜さん宅を訪ねていたという男女二人組の存在はその後全く報道されないことから、不審人物からは外されたのだろう。
小さな古いアパートで経済的にも余裕がなかった袁に、身代金目的の誘拐などあり得ないだろうし、そうなるとやはり慧娜さん個人のトラブルなのだろうか。10歳の女の子が死ぬトラブル……

本当は、真実はとても身近に、まさかと思って誰も気にしなかったようなことや、早々に打ち消されたことだったりするのかもしれず。灯台下暗し的な。

娘の遺体が確認されたわずか数週間後にその父親が起こした事件。なぜ父は自分の雇い主である佐々木さんが事件に関与していると思ったのか。
どこか、もうこの時点でこの父の精神は危うい状態だったような気もするが…
慧娜さんはあの夜、誰とどこにいたのか。

彼女を殺したのは。

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参考文献後ほど追記します

 

「八月の母」と伊予市団地内少女監禁暴行死事件

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先日Twitterで「八月の母」を読んで感想を書いてほしい、という話があった。
この、「八月の母」を書いたのは悲しきデブ猫ちゃんで愛媛新聞購読者にはお馴染みの、早見和真氏である。
早見氏のことは皆さん検索していただくとして、この「八月の母」という本は実に事件備忘録的な本であり、完全なフィクションではあるけれど、実際に起きた事件がベースとなっている。

平成26年八月のあの日、私は夫の実家のある久万高原町にいた。夕食の準備をしながら見ていたニュースに、全員が「これ、ちょっと……」と言ったきり言葉をなくした。
伊予市の市営団地の一室で、若い女性の遺体が発見されたというニュースだったが、その時点でそれが集団によるリンチの末の死であること、女性が監禁状態にあったことなども併せて報じられていたからだ。

年代的に私は綾瀬のコンクリ事件を思い出した。
被害者は松山市内の10代の女性で、逮捕されていたのが現場となった団地の一室の主である女と、その子供たちが含まれていたことも衝撃だった。
団地、家出少女、未成年者のたまり場、シングルマザー、もうこれだけでお腹いっぱい的な話ではあるが、私はこれが「伊予市」で起きたことにも実は重きを置いていた。
事件の全容は、未成年者がかかわることもあってかなり抑えめだったように思う。途中からは主犯とされた母親の名前さえ伏せられることもあった。
報道をつなぎ合わせれば、たまり場と化していたその団地の一室に、いつからか入り浸るようになった被害者が、家族の感情のはけ口にされ日常的に暴行されるようになり、歯止めが利かなくなった末に命を落とした、というもの。
殺人ではなく、傷害致死である。集団心理という言葉も取り上げられた。

その事件をもとに書かれたのが、「八月の母」である。

この本は、フィクションではあるものの作中には実在する町の名前がでてくる。地元の人間ならばどこなのか、どの店なのかまでわかるほど、場所を意識して書かれている。それが、事件備忘録でよく話題になる「場所と事件の関係性」を意識させ非常に興味深く読んだ。
内容的に結構なネタバレになることはあらかじめお断りするとして、実際の事件と私が生まれ育った愛媛を取り混ぜながら本の紹介と読書感想文を書いてみる。

以下、ネタバレOKな方のみお進みください。嫌な人はまず本を読もう。
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🔓吐き気がする~宮崎・男性殺害死体遺棄事件と場外乱闘~

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タレコミ

「どうやら殺されて埋められているらしい」

平成15年9月に宮崎県警にもたらされたタレコミは、無視できないものだった。
殺されているとされたのは、県内でも大手の建設会社を営む一族の血縁男性で、事実、5年ほど前からその姿を見た人がいなかった。
いや、正しくは「家族以外」その男性の行方を知っている人がいなかったのだ。

家族によれば、すでに離婚した妻は子を連れて宮崎を出ており、それを追って男性もまた宮崎を出た、という話だった。
しかし男性が貸金を行っていたことや、暴力団との付き合いが取りざたされていたことなどから、県警では事件に巻き込まれた可能性を視野に捜査を開始、家族からも事情を聴いていた。

警察は男性が妻との離婚届を提出した日付が、すでに行方が分からなくなっていた時期であることに注目、筆跡鑑定の結果男性の署名が男性のものではないと判明。
平成17年2月、男性との離婚届を偽造した有印私文書偽造、同行使の容疑で男性の妻、男性の実母、そして知人の暴力団関係の男を逮捕、その後、宮崎市細江の山中の養鶏場跡地に男性を埋めたとする供述をもとに捜索したところ、ビニールシートにくるまれた遺体が出た。
DNA鑑定の結果、遺体は行方不明の当該男性であると確認された。

崩壊家族

殺害されていたのは宮崎市の境大介さん(当時31歳)。逮捕されたのはその妻の池本友里(仮名/当時35歳)、暴力団関係者の鳥井信之(仮名/当時39歳)、そして大介さんの母親・境喜枝(仮名/当時58歳)の3人。このほかに男一人の逮捕状も出ていた。
友里と鳥井は殺害も含めて全面的に認めていたというが、喜枝は離婚届偽装については認めたものの、それ以外は否定していた。

しかし大介さんが殺害された後に境家名義の口座から数千万円、大介さん名義の口座から数百万円を引き出していたこと、大介さん名義だった5階建て自宅マンションを喜枝名義に変えていたことなどから追及、その後息子殺害を認めた。

宮崎市内では知らない人がいないというほどの、家だった。過去には宮崎県知事が3000万円の賄賂を受け取ったと告発(のちに無罪確定)した人物の存在があり、先にも述べたように経営する建設会社は相当力のある会社だった。
その直系に当たる大介さんだったが、180センチ120キロの体格で、若いころから暴力がつきまとっていた。
同級生らに話によれば、確かに素行が悪かった部分もあったが、身近な人には優しい人だったという話もある。群れなければ何もできないというタイプではなく、また面倒見も良かったという。

友里とは平成7年に結婚、その年には父親が日向市内で交通事故で亡くなっている。
ただこの時点で母親の喜枝は離婚していて境家と無関係になっていたといい、当然ながら元夫の遺産は受け取れなかった。
その翌年、絶大な権力を持っていた祖父も死去。孫である大介さんには多額の財産が遺されたが、喜枝は無関係だった。
そういった関係があるからなのか、離婚しても喜枝は大介さんと同居し、境姓を名乗っていた。自身でも会社を経営していたようだが、ペットフードや輸入雑貨の販売を掲げたその会社に、その経営実態は全くなかったという。

身近な人に暴力は振るわない、と同級生らの印象としてはあったようだが、実際は大きく違っていた。
大介さんが10代のころから、喜枝はすさまじい暴力にさらされていたのだ。何度も自宅には救急車が来ていたし、そうでなくても喜枝は年中顔を腫らしていたという。
妻である友里にも暴力は及んだ。
「一日のうち、自由にできるのは30分くらい」
後の公判で友里はこう供述。さらには殴られて気を失うこともあり、両目が網膜剥離になっていたことも明かされた。

そんな大介さんは、祖父、父親が遺した財産も完全に独り占め状態だったという。そしてその金を元手に、鳥井ら暴力団関係者に金を貸していた。最後に逮捕された男も、債務者の一人だった。

巨額の財産を持つ息子と一円も自由にできない母親と妻。大介さんには覚せい剤の使用もあったといい、特に妻の友里が受けた暴力は「異常とも言える激しい暴力」と裁判所も認定した。
そんな二人と、鳥井ともう一人の男は次第に親密になっていった。
それぞれがそれぞれに大介さんに対して不満という言葉では到底表しきれないほどの感情を抱き、いつしかそれは大介さんさえいなくなれば、という考えに変わっていく。

もう、死んでもらうしかなかった。

【有料部分 目次】
被害者の落ち度
マスコミの大失態
あぶない刑事
キモいメール
恥知らず

🔓イッシーの日記〜越谷・高校教諭監禁殺害事件〜

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「このメモが事件を解決する唯一の手がかりとなりました。息子がこれを書いていてくれて、本当に良かった……」

被害者の父親は、週刊誌の記者に対して絞り出すように話した。
息子が行方をくらましてすでに4ヶ月が経過していたが、警察の捜査の結果、静岡県の山中に埋められていたことが判明した。
発見された時、男性は両足が手錠に繋がれ、その体のほとんどは白骨化し、頭蓋骨には髪の毛すら残っていなかった。

事件自体は、金銭トラブルの解決のために被害届を出した男性を逆恨みした加害者グループが、犯行の発覚を恐れて男性を殺害して遺棄したというものだったが、実はこの事件は男性が失踪した直後から、いや正確にはその前から、ネットの世界で注目を集めていた。

被害男性はネット上に失踪直前まで「日記」をつづっていたのだ。それには事件をうかがわせる記述もあったことから、多くの人々が男性の安否を気遣っていたのだ。
公開捜査となってネット上の某掲示板には彼を心配するスレッドが立っており、そんな中での遺体発見だった。

出会い系サイトが乱立していたあの時代の特徴的とも言える事件だったが、それに加えて彼の遺した「日記」から見えるあまりの危機意識の薄さと事態の深刻さとかけ離れたその文面が色々な意味で注目されいまだに語られる事件である。

詳細は判決文も公開されており、多くの人がすでに知っているものではあるが、彼の日記と時系列とをリンクさせる形で振り返ってみたい。

【有料部分目次】
ある男性の失踪
嫌な予感
毟り取られる男
もう一人の女
夢見る男
事件前
悪い奴ら
それぞれの裏切り
静岡の山の中へ
「俺、殺されるかもしれない」
痛々しくも、憎めない人

 

励ます女~大津市・女性殺害死体遺棄事件~

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男は思いつめながらも、それでも決断できずにいた。
このままでは、恋焦がれたこの人はいずれ誰かのものになってしまう。男にとってそれは耐えがたいことだった。

「何もできそうにありません。私がしていることは正しいことなんだろうか?」

男は縋るような思いで聞いた。

「これしかないし、それが一番だと思っています。」

本当に?果たしてこれが一番の方法なんだろうか?

「幸運を祈っています。」

男の心は決まった。 続きを読む 励ます女~大津市・女性殺害死体遺棄事件~