私を捨てるなら、死んで。~木更津年下夫殺害死体遺棄事件②~

結婚生活と些細なほころび

結婚式などにもこだわらず、一緒に生きることのみを求めた息子と14歳年上の子連れの光子に、父親はそれでもこうなった以上はと歩み寄りを見せた。
光子の両親に挨拶に行こうと息子に相談したが、「彼女がそういうことはいらないと言っている」と、消極的な態度であったのは少し気になった。
また、反対していたとはいえ、今まで1度も光子に会ったことがなかった。入籍から二十日ほど過ぎて、両親は光子とその娘に会うことになった。
電話口での話し方などから、勝気な印象をそれまで持っていた両親だったが、目の前の光子はむしろ穏やかで気立ての良さを感じさせた。
それに加え、とても30代半ばとは思えないほど若く見えて、少しずつ両親の拒否感は薄らいでいた。
なにより、かわいらしい盛りの一人娘は、いくら血が繋がっていないとはいえ、まだ孫がいなかった両親にとっては愛おしく思えた。
心配していた母親も、光子たちのために手料理をふるまい、それまでのぎこちなかった距離を近づけようとしていた。

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私を捨てるなら、死んで。~木更津年下夫殺害死体遺棄事件③~

光子と私

私は光子と似ている。30代半ばで離婚し、子供を連れてバツイチになった。その後、職場に出入りしていた9歳年下の現夫と再婚しているが、光子と同じように当初は周囲の反対があった。
とはいっても、私の場合は反対していたのは私の愚かさを知っていた私の両親であり、夫に対して「こんな娘ではあなたが苦労する」といって反対していたのだ。
また、夫の両親、兄、親類はなぜか私を好いてくれた。一度は極道の世界にまで足を踏み入れた息子には、年の離れた姉さん女房がちょうど良いと思ったのかもしれない。

結婚して7年になるが、幸い、夫は高校生になる私の息子の良き理解者として、今もしっかりと家族の大黒柱でいてくれているし、夫としても私にちゃんと向き合ってくれていると思っている。

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悪いのは、全部あなた~宇都宮・主婦散弾銃殺害事件~

平成14年7月4日。

その日は梅雨空で、正午過ぎの郊外の新興住宅地は人通りもまばらであった。
栃木県宇都宮市さつき3丁目。
大手自動車メーカーや、宇都宮駐屯地に勤務する自衛隊員らの家族の家が多いその一角で、事件は起こった。

その新興団地に住む初老の男は、その手に散弾銃を持ち、隣家のベランダへその銃口を向けた。ベランダには隣家の主婦、田中公子(当時60歳)が日課の布団干しを行っている最中で、パンパンパンパンとリズミカルに布団を叩く音が周辺に響いていた。

男は公子さんに狙いを定めると、無言のまま、驚いた表情の公子さん目掛け発砲。
銃弾は公子さんの左半身と左顔面に命中、そのまま公子さんはベランダに倒れ込んだ。
男は鍵を壊し家の中へ入り、公子さんが倒れているベランダへと階段を駆け上がった。そして、瀕死の状態であえぐ公子さんに、迷いなく至近距離から5発撃ちこんだ。男はその後、不意に外に目をやり、近くの家から走り出てきた主婦・海老沼志都子さんにも計5発発砲、海老沼さんは左頭部から肩にかけて被弾する。

男は名を高橋卓爾(当時62歳)という。すでに駆けつけていた警察官に臆することもなく、2階和室に座り込んだ。目の前には公子さんが虫の息で横たわっている。それを確認すると、男は猟銃を口に咥え、迷うことなく足の指で引き金をひいて自らの頭を吹き飛ばして果てた。

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京都・伏見認知症母親心中未遂事件その顛末①

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2006年、2月。

その日は冷たい雨が降っていた。54歳になる息子は、86歳の母親の車いすを押しながら、思い出深い京都・伏見の桂川遊歩道を歩いていた。
まだ人影もない、真冬の早朝。ふたりは前日の夜中から、あてもなく極寒の冬空の下を彷徨っていた。

「もう生きられへん、ここで終わりやで」
そういう息子に、母は動揺もせずに答えた。

「そうか、あかんか。」

母との最期の言葉をかわし、息子はその母の首に手をかけた。

数時間後、自身も首を切って自殺を図った息子と、息子のそばで息絶えた母親が発見された。息子は死にきれなかった。

京都・伏見で起きたこの事件は、認知症の年老いた母親をたったひとりで抱える息子の苦悩と、福祉サービスの限界などもクローズアップされ、他人事ではないと感じる多くの人から同情が寄せられた。

判決は、懲役2年6か月、執行猶予3年という入れとも言える温情判決であった。
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京都伏見認知症母親心中未遂事件・その顛末②

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行政、福祉とのすれ違い

康晴は、仕事を完全にやめてしまう9月までの間、何度か生活保護の申請のため福祉の窓口を訪れていた。
現状では近い将来、間違いなく収入が途絶えてしまう。働く意思は十分にあるが、何よりその仕事がない。自分の食べることより、とにかく母親の生活を維持しなければならないという思いがことのほか強かった康晴は、「良かれと思い」先に福祉窓口へ相談に行ったのだろう。

しかし、後から考えると、この相談に行ったタイミングが悪かった。そして、そのタイミングの悪さゆえにマニュアル通りの対応に終始してしまった福祉の窓口は、後に総バッシングされる羽目になる。

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