京都・伏見認知症母親心中未遂事件その顛末①

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2006年、2月。

その日は冷たい雨が降っていた。54歳になる息子は、86歳の母親の車いすを押しながら、思い出深い京都・伏見の桂川遊歩道を歩いていた。
まだ人影もない、真冬の早朝。ふたりは前日の夜中から、あてもなく極寒の冬空の下を彷徨っていた。

「もう生きられへん、ここで終わりやで」
そういう息子に、母は動揺もせずに答えた。

「そうか、あかんか。」

母との最期の言葉をかわし、息子はその母の首に手をかけた。

数時間後、自身も首を切って自殺を図った息子と、息子のそばで息絶えた母親が発見された。息子は死にきれなかった。

京都・伏見で起きたこの事件は、認知症の年老いた母親をたったひとりで抱える息子の苦悩と、福祉サービスの限界などもクローズアップされ、他人事ではないと感じる多くの人から同情が寄せられた。

判決は、懲役2年6か月、執行猶予3年という入れとも言える温情判決であった。
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京都伏見認知症母親心中未遂事件・その顛末②

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行政、福祉とのすれ違い

康晴は、仕事を完全にやめてしまう9月までの間、何度か生活保護の申請のため福祉の窓口を訪れていた。
現状では近い将来、間違いなく収入が途絶えてしまう。働く意思は十分にあるが、何よりその仕事がない。自分の食べることより、とにかく母親の生活を維持しなければならないという思いがことのほか強かった康晴は、「良かれと思い」先に福祉窓口へ相談に行ったのだろう。

しかし、後から考えると、この相談に行ったタイミングが悪かった。そして、そのタイミングの悪さゆえにマニュアル通りの対応に終始してしまった福祉の窓口は、後に総バッシングされる羽目になる。

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京都伏見認知症母親心中未遂事件・その顛末③

裁判

京都地裁で開かれた裁判は、異例の展開を見せた。
通常、このようないわゆる「心中」事件は、生き残ってしまった側は罪に問われるのがまず前提だ。それは、相手が「殺してくれ」と頼んだとしても、他人の命を奪うということがもしも許されてしまったら、それこそ「死人に口なし」でいくらでも悪用することが出来てしまうからだ。
そこで、殺人罪とは別に、「承諾殺人」という罪状が用意されている。これは、相手に殺害の申し込みを行った場合に、それを相手が受け入れ、自身が殺害されることを認めた場合に適用される。
康晴には、この承諾殺人罪が適用されての起訴となった。

承諾殺人罪は、単なる殺人よりはその性質上、刑罰も軽くなるのだというが、その線引きはいったいどうやって行うのだろう?
裁判は当初から、康晴の窮状、この母子がいかに社会から孤立していたかを検察が語るという、検察も弁護側も康晴に同情しているとしか思えない展開となった。
康晴はすべてを話し、自身の気持ちも素直に述べている。千人を超える減刑の嘆願書も届いていた。
近所の人も、職場の同僚たちも、誰一人康晴を非難する人はいなかったし、みんなが康晴の行動に理解を示し、母は恨んでなどいないと言った。

「生まれ変わっても、母の子として生まれたい」

そういってむせび泣いた康晴に、法廷も傍聴席も言葉を失くした。
検察官も、刑務官も、そして裁判官までもが涙をこらえていた。それほどまでに、康晴の窮状は悲惨であり、かつ、康晴の人柄、母子の絆の深さに感極まったのだろう。

判決は4回の公判を経てくだされた。

「懲役2年6か月、執行猶予3年」

裁判官からは、「母親は被告に感謝することはあっても、恨んだりはしていない。お母さんのためにもどうか幸せに生きてほしい」そう康晴を諭した。

康晴は弁護人に対し、ありがたい判決だった、しっかり生きて冥福を祈りたいと話したという。弁護人も検察も、これでよかったのだと思ったに違いない。

しかし。
事件から10年後、康晴はひとり、琵琶湖に身を投げた。そして母の元へ旅立った。

温情判決の是非

ここからは私個人の考えであるので、中には不愉快に感じる人もいるかもしれないが許してほしい。

私は当初から、求刑を下回る判決であっても、半年でも1年でもいいから執行猶予なしの実刑でなければならないと思ってきた。
理由は大きく分けて二つある。
ひとつは、「人の命を故意に奪うこと」の重大さにある。
どんな理由があっても、相手が誰であろうと、人を殺してはいけない。これは人として生きる以上当たり前のことだ。
だから、たとえ相手が悪人であっても、人の命を奪ったらしっかりと償わなければならないと思っている。
そもそも「心中」などという言葉があるのは日本くらいなもので、生きている人間が勝手に心中だと決めつけているケースもあるはずだ。
特に、親が子供を道連れに死ぬなど、心中などと呼んでほしくない。ただの殺人なのだ。
にもかかわらず、そこに悲劇的な要素や親子間の話になると途端に世間は加害者に対して同情的になってしまう。それはいいとしても、それでも刑には服すべきだ。

二つ目の理由はまさに加害者のためにことで、康晴のように愛するものを愛するがゆえに殺害してしまったケースなどは特に、自分を責め、その罪の意識を一生涯背負う人も少なくない。
だからこそ、司法によって「あなたが行った行為は罰せられなければならない」として罰してもらわなかったら、いったい誰が自分を罰し、そして許すのか。
それがなければ許されることは一生ないし、ということは幸せに生きることなどまず、無理なのだ。

NHKのクローズアップ現代において、この康晴の事件とその後の悲しい結末が特集された。その際、ゲストだった大村崑氏の発言は、まさに私が思っていることであった。
大村氏は、「みんなが感動した裁判官のあの説諭、あれが彼(康晴)には重すぎたのではないだろうか」と語った。そう、まさにその通りだと私も思う。
私のような能天気で自分本位の人間ならば、裁判が終わったと同時に罪の意識も薄れていくかもしれない。

私の幼いころの話だが、あるとき駄菓子屋でノートを一冊購入した。その際、お金をおばちゃんに渡して、ノートの山から一冊とったつもりが、家に帰ってみてみると2冊重ねて持ち帰ってしまっていた。
その時の私の心は、故意ではなかったが泥棒になってしまった、どうしよう、と恐ろしい思いでいっぱいだった。どうやって謝ろう、素直に話してわかってもらえるだろうか、黙っていてバレたら大変だ、と、子供心に気が気ではなかった。
結局、翌日再度その店に行き、同じようにお金を払い、ノートを買うふりをしてノートを受け取らずに帰った。そうすることで、つじつまを合わせようとしたのだ。
これで問題はなくなったはずだったが、誰からも罰せられなかったことはその後私の心を余計に苦しめた。
おばちゃんに怒られればよかった、そうすれば「済んだこと」になったのに、そうしなかったためにいつまでも済んだことにならなかったのだ。

適当な性格の私ですらそうだったのだから、もともと生真面目で他人に迷惑をかけられない康晴のような性格の人には、罰を与えないというのはかえって逆効果であったと思うのだ。
もしも半年でもいいから服役という「罰」を与えられていたら、康晴がここまで思い悩むこともなかったのではないか、とすら思うのだ。
裁判が終わって、みんな「良かったね、頑張って、応援するよ」とは、言ってくれた。世間はみな、康晴の味方だったはずだ。
なのに、なぜ彼は10年後、へその緒を抱いて「一緒に焼いてくれ」と言い残し自死したのか。
罪の意識が日に日に大きくなる中で、ぽーんと実社会に戻されて「幸せになれ」「がんばれ」と言われて、彼はどう思っただろうか。しかも、その言葉の頭には必ず、「亡くなったお母さんのためにも」というフレーズがついていただろう。
自分がこの手で奪った母親の命。その罪を一番深く感じているのに、世間は罪に問わないという。では、この罪の意識はどうやって昇華すればよいのか。

服役というのは、罪を償う一番わかりやすい選択だと思っている。その間、様々な人と接し、服役後はむしろ康晴のような人ならば支援もあったかもしれない。
服役中に知り合う他の受刑者の話を聞けば、自分より大変で辛い人はたくさんいたのだと、少しはわかったかもしれない。人に頼ってもいいんだと思えたかもしれない。
しかし、裁判の結果、その機会は失われた。
康晴は、またあの現実の社会に放り出されたのだ。「がんばれ」という言葉の重石とともに。

これまで頑張り続けて、もう駄目だと思って母親を殺して、その上まだ頑張れと言われた康晴の心を思うと、いたたまれない。

康晴は裁判後、滋賀へ移り住んだ。そこで木材加工などの仕事を得たようだが、60を過ぎて体の衰えもあり、職を失っている。
周囲の人は声掛けなどはしていたようだ。しかし、康晴のような人には、もっと立ち入らなけれなダメなのだということを、結局誰もわかっていなかった。
「相談してくれてれば…」よく後から聞く言葉だが、「相談してたら助けてたの?どうやって?」と聞いてみたい。

けれど、康晴は死んで楽になったのだと思う。
愛する母親のそばで、今は何も悩むことなく、母と子として穏やかに過ごしていることだけを願いたい。

町田DV殺人事件

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平成19年5月6日。

町田市森野2丁目のとある2階建てアパートの一室で、結婚間もない夫婦が暮らしていた。
当時34歳の夫・仁志は、健康食品会社に勤務しており、28歳の妻は細身の美人で福島の出身だった。
何の変哲もない、ごくごく普通の若い新婚夫婦に見えたが、妻はその外見からは想像がつかない一面を持っていたという。
入籍からわずか3か月後のこの日、夫は妻の細い首に手をかけ、そのまま殺害してしまった。
犯行後、夫は冷静に知人に事の顛末を電話し、さらには予定していた新婚旅行と挙式のキャンセルを業者に伝え、自身は自宅の外で警察官の到着を待ったという。
計画的に見えるこの殺人事件。この夫婦に何があったのか。

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