🔓ケモノ~町田市・同居男性殺害事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********

 

小田急玉川学園駅から北西に広がる巨大な団地群。
鶴川街道と鎌倉街道に挟まれるようにしてその団地はある。
町田市金井町、都市再生機構「藤の台団地」がそれだ。

その日、多くの人々が夕食を囲んでいた午後8時前、3階のとある部屋から出火した。
火災に気づいたのは隣室の住人。異様な臭いにベランダへ出てみると、まさに隣のベランダが燃えていたのだ。
火はさほど強くはなかった。ベランダのゴミのようなものが燃えている、そう思った住人は火元の部屋のドアを叩いた。
「ベランダが燃えているよ。なんとかしなさい。」
住人が声をかけると、室内からは特に慌てるような気配もなく、「はーい」と男性の返事が返ってきた。

しかし一向に火は消えず、さらには爆発音のような音も聞こえたことから住民らは避難を開始した。

避難しようと階段を下りていた住人の大学生が、ふと前を降りていく男性を見た。両手をポケットに突っ込んで、火事だというのに急ぐ素振りもない。
しばらく男性の後をついて降りていた大学生は、こんなのんびりしていたら危険なのではないかと思い、男性を追い越した。

外からベランダを見上げると、ベランダの火は上階にまで届くほどの勢いになっていた。

消防隊が駆け付け、消火活動が開始された。幸い、隣室への延焼は食い止められたようだったが、室内から男性の遺体が発見された。

一方で、警察は現場付近の墓地で墓石にしがみついている男を発見。男はパトカーを見て歩き出したが、足を引きずり、どこか様子がおかしかった。

「足をどうかしたんですか?」

警察官の問いかけに、男は要領を得ない返答をし、立ち去ろうとした。男の手には包帯がまかれていた。
さらにその手の傷について質問されると、男は「わからない、わからない」とうろたえた様子だったが、自分の名前を名乗り、生年月日を伝えてきた。

男はあの火が出た部屋の住人だった。

【有料部分 目次】
事件と、当初の報道
男の半生
違法薬物、酒、リタリン
主からのメッセージ
口腔内にドリル
来なかった大天使ミカエル
憎悪か、幻想か
卵が先か、鶏が先か
責任能力
忘れ去られるのみ

思い込みPart2~千葉市・6歳男児殺害事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********

 

昭和62年、東京で母親が当時13歳と9歳の我が子を刺し殺すという悲惨な事件が起きた。
母親は当時とある病気にかかっていると思い込み、それが家族に感染したと考えていた。それは完全な妄想だったのだが、支配された母親は一家心中へと突き進んだ。
裁判で母親には心神耗弱が認められたが、それでも懲役5年の実刑が下った。

2年後、千葉市で小学校に入学したばかりの6歳の男の子が、母親に殺害されるという事件が起こる。
この母親もまた、ある妄想に取り憑かれていた。

平成元年4月14日

母親はふと、息子が失禁していることに気づいた。息子の衣服を着替えさせ、汚れをふき取ると布団に寝かせた。
夫に書置きを残し、必要なものが入ったバッグを机に置くと、夫に頼まれていた3000円の振り込みをするために家を出た。
午後7時15分、マンションの階段をのぼり、母親は10階までやってくるとそのまま廊下の手すりを乗り越えた。下を見れば、通行人らが見える。

あとは、一歩踏み出すだけだ。

しかし通行人らが通報したのか、すぐに消防署のレスキューがやってきた。あぁ、どうしよう。このままじゃ、お父さんに怒られる。捕まっちゃう。

結局、母親は駆け付けた消防隊員らに保護された。

同じ頃、千葉市真砂4丁目のマンションから110番通報が入った。帰宅した男性が、6歳になる息子の意識がない状態で寝かされているのを発見、通報したものだった。
男児は救急搬送されたが、病院で死亡が確認された。

死亡が確認されたのは、そのマンションで両親と暮らしていた瀬野真吾くん(仮名/当時6歳)。真吾くんは首を絞められた痕跡があったことから、警察では行方が分からない母親を捜した。
そして、自宅近くの別のマンションの10階から飛び降りようとして保護された女性が、真吾君の母親と判明。事情を聞いたところ、母親が真吾君を絞殺したことを認めたため、殺人容疑で逮捕した。

逮捕されたのは瀬野玲子(仮名/当時42歳)。玲子は保護された際、泣きじゃくっており、息子を殺害して自分も死のうとしていたと推測された。
真吾君はこの4月から市立真砂第三小学校(現在は休校または廃校)に入学したばかり。マンションの住民らも、仲が良い親子だったと話しており、玲子や夫の評判も温和な印象しかなかった、としていた。
ただ、真吾君については、活発でときどき一人でどこかへ行ってしまい、そのたびに玲子が探し回っていたという話があった。

新聞各社報道は、親が虐待などではなく子供を殺したケースではその精神状態などに配慮が必要なことがあるため、いずれも被害者加害者の実名は避けた。

そして、事件から1か月後には、一切の報道はされなくなった。

家族

玲子は昭和21年生まれ、特に大きな病気もせずに成長し、短大の国文科を出た後は国会図書館の非常勤職員や団体職員などを経て、昭和56年に結婚、翌年3月には専業主婦となり、7月に真吾君が誕生した。
時代的に少し遅めの結婚、出産ではあったが、経済的な基盤もできた上での家族の暮らしは安定し、親子3人、平凡に幸せな日々がこの先も続くと玲子のみならず誰もがそう信じていた。

真吾君が1歳6か月の時、千葉市の保健師が指導する「親子で遊ぶ会」に玲子は参加した。そこで、真吾君の様子を見ていた保健師から真吾君の発育に気になる点がある、と指摘された。
真吾君は見た目には特に問題はなかったが、発語が遅れていた。また、他人と視線を合わそうとしない、呼びかけにも応えないという特徴があったという。
玲子は保健師の指摘を受け、自宅近くの小児科でそのことを相談した。小児科医師の紹介で今度は千葉市療育センターへ1年ほど通ったものの、真吾君の発育は変化がなく、玲子は自分でも情報収集を始めた。
そして、聖マリアンナ医科大学の「ことばの治療室」の存在を本で知り、月一の割合でカウンセリングを受けるようになった。

玲子はこの時点で、真吾君の特徴が「自閉症」に似ていると感じており、小児科医にもその旨相談するなどしていたという。

昭和63年、4歳になった真吾君を保育園に入所させたが、この頃真吾君には「多動」が現れていた。
今でも多動傾向の強い子供はどこの保育所でも、ということは難しいという話も聞くが、今から30年以上前であればただの「しつけができていない子」「変わった子」という認識が強かった可能性が高い。
保育所からは保育士が真吾君にかかりきりにならざるを得ず、また危険な行動もとることがあると言われてしまった。
しかも家での真吾くんは睡眠障害や偏食、奇声をあげるなどの行動が顕著になっており、玲子は保育園へ通わせることを半月で断念せざるを得なかった。

ノーベル賞学者との出会い

玲子のみならず、この時代の一般人で自閉症について正しい知識を持っている人は多くはなかったと思われる。今でこそ自閉症児の親がSNSなどを通じて情報発信しており、またYouTubeなどでもリアルな生活や行動などを発信しているため、昔ほど間違った知識を持つ人は減ってはいると思うが、それでも理解を得られなかったり、時には差別的な待遇に悩まされる当事者や家族もいる。

玲子は自分でも本を中心に知識を得、少しでも親として理解を深めようと努力していた。
そんな時、一冊の本に巡り合う。オランダの有名な動物行動学者でノーベル医学生理学賞を受賞したニコ・ティンハーゲン氏の著書「自閉症児・治癒への道」である。
ティンハーゲン氏は1970年代以降、自閉症に関心を寄せており、1987年に出版されたのがこの本だった。
当時、自閉症児らには教育が不要(やっても意味がない)であるという放置するしかないといった風潮があり、ティンハーゲン氏はそれを否定し、早期の療育教育によってその可能性は広がるといった主張をしている(多分)のだが、その中に「自閉症は親の行動に起因する」というものがあったため、現在でも間違った受け止め方をしている人々もいるという。

玲子もその、間違って受け止めた一人だった。

おそらくだが、ティンハーゲン氏の著書の中で「自閉症児は精神薄弱児施設でゆっくり過ごすのが良い」「自閉症児には税金をかけて教育しても無駄」という当時の常識というか、そういった現実に触れる個所があったのだろう。
ただそれはあくまで現状を述べたにすぎず、ティンハーゲン氏はそれが正しくないことであるとしていたにもかかわらず、玲子にはその部分だけが印象に残ってしまったようだった。
そして、自閉症児は閉ざされた施設で一生を過ごすのが良いとするのがティンハーゲン氏の主張であると思い込んでしまった。

玲子はこれまで必死で病院を渡り歩き、ありとあらゆる努力を重ねてきたことがすべて無意味になってしまったと感じた。
親として取り返しのつかないことをしたと思い込んだ玲子は、この頃から自殺したいという思いを抱き始めたという。
昭和63年暮れ、翌年に小学校入学を控え、玲子はますます思いつめるようになっていた。

「おもちゃの会社のぶんちょう。」

真吾君の行動はますます理解不能になっていた。
家にいても突然思い出したように泣きだす、大声で何ごとかを叫びながら部屋中を走り回る、夜突然起きて寝なくなる、食事を拒否する、ある時、アイスクリームを買いに行くと出かけて行ったきり、帰って来ないことがあった。
捜索願を出したところ、なんと保護されたのは東京都内ということもあった。体の発育は順調だったこともあり、もはや真吾君をひとりで行動させることは無理だった。

小学校への入学のための健康診断があった日は、帰宅するなり泣き喚き、家の中のクローゼットにこもり、「おもちゃの会社のぶんちょう」と繰り返し大声で叫んでいたという。それが3日続いた。

玲子は以前読んだ本の中で、自閉症の中にはいわゆる精神分裂病(当時の表現)があると記載されていたことを思い出した。
これをきっかけに、それまでに相談してきた人々の言葉の中にも、精神分裂病という言葉があったことを思い出していた。
小児科医からは、自閉症の酷いのは分裂病と言われたこと、捜索願を出した際、警察官に息子は自閉症と伝えたのに、書類には「精神不安定」と書かれたこと、その他、精神分裂病という言葉が繰り返し思い出されるようになった。
が、これは玲子の記憶違いや受け止め方の違いが多かったようで、この辺から玲子が思い込むそれらはどうも事実と違うこと、何でそうなったといいたくなるような極端な解釈が目立ち始める。

ある時、玲子は百科事典の精神分裂病の項目を熱心に読んだ上で、これを間違って解釈した。
そして別の本から仕入れた知識として、ある病気の症例と真吾君の特徴が似ていることから真吾君がその病気に侵されていると思い込んだ。
その症状とは、目がとろんとしていて鼻水が多く出、よく鼻血が出るといったもの。幼い子供の多くが当てはまるようなものとしか思えないこれらから玲子が導き出した病気は、梅毒。
真吾君は先天性梅毒による進行性マヒに違いないという結論だった。なんで。

暴走する妄想

玲子はとにかく、なぜか悪い情報のみを拾い集めているかのように物事を曲解しまくっていた。
過去に聖マリアンナ医科大学のカウンセラーから「真吾君はしつけや教育が要らない子」「なんでもしてあげなさい」と言われたことを、真吾君の余命がないことを知っていたからこその発言だと決めつけた。
おそらくカウンセラーは、自閉症は治す、問題行動を矯正するといった意味でのしつけや教育はいらない、だけど親として真吾君のためになると思うことがあればなんでもしてあげて、という程度の言葉だったと思われるし、普通は意味がよくわからなければその場で「どういう意味でしょうか?」と確認するだろう。
玲子も、その場では意味が解らないのではなく、まともな意味に受け止めていたと思われる。それが、ふとしたきっかけで「実はそういうことだったのでは?」というある種の気づきを得ては、それに沿った答えをこじつけてでも導き出していた。

玲子の暴走は止まらなかった。

小児科医院で看護師が複数真吾君の診察を見ていたことを、実際に意味などなかったにもかかわらず、
「母子感染による梅毒の症例を看護師らに見学させていた」
と決めつけ、その小児科医の自宅に診察のお礼に行った際、普段は繋がれている犬が放されていたのは、梅毒患者である自分と真吾君を医師の家族に近寄らせないようにするためのものだと決めつけた。
玲子は関係者の言動を過去にまでさかのぼって、自分の妄想に沿う形で無理矢理こじつけた。しかもそのほとんどが、玲子の間違った認識や誤った記憶に基づいていたというから手に負えなかった。

夫はどうしていたのか。

平成元年3月、玲子は夫に、真吾君は先天性梅毒による進行性のマヒに侵されていると話した。自閉症だと思っていた夫は面食らう。ていうか、それなら自分たちも梅毒に感染しているはず……
その感染経路についても、玲子はとある記憶を確固たる証拠として夫に話して聞かせた。
それは真吾君を出産した際のこと。帝王切開で真吾君を取り上げた産科医がゴム手袋を外した際、その手がひどく荒れていたのだという。玲子の主張は、その産科医が梅毒にかかっており、その産科医に出産を受け持たれたことで自分と真吾君に梅毒が感染した、というものだった。

夫は当然、そんなことは有り得ないと一時間に渡って説得したというが、玲子は頑として夫の話の一切を聞き入れなかった。

玲子はその後、カウンセラーに対して「先天性の梅毒だと知りつつ、なぜ保育園入所しても良いなどと指導したのか」と詰め寄ったりもしているが、夫や関係者は当然のことながら血液検査をすればはっきりすると主張し、自分も梅毒であると信じていた玲子は当然血液検査に応じた。
結果は陰性。玲子が梅毒にかかったことはないと証明されたが、玲子はその結果から自分の考えの根拠が崩れたと思うのではなく、
「やはり産科医が手袋を外して真吾を触ったから真吾だけに梅毒が感染した」
という妄想を補強する材料としてしまった。

安楽死

ところで玲子の親族には医師がいた。叔父にあたるその医師(K医師)は北海道在住だったが、ある時玲子から電話を受けた。
真吾君のことを相談する内容だったが、その際、叔父から従兄弟にあたる医師(R医師)が聖マリアンナ医科大学にいることを聞き、叔父を通じて連絡先を聞いた玲子はR医師に連絡し、カウンセラーに会ってほしいと頼んだ。
その後、北海道のK医師が上京することになったと聞き、真吾君のことで上京するのだと思った。
玲子はR医師にも、真吾君は先天性の梅毒であると話したというが、その際、R医師が、「あ、これでY先生(聖マリアンナのカウンセラー)に会える」と言ったという。

同じ頃、新聞でおそらく外国の話だと思われるが看護師による患者安楽死事件が報道され、玲子もそれを目にしていた。
4月、真吾君は小学校に入学。しかし玲子は梅毒が学校給食を通じてほかの児童に移ると信じ、それを心配していた。
ここでふと、R医師の「これでY先生に会える」との発言を思い出した。

そして玲子の中で、この発言は、真吾君を安楽死させる計画が進められている証拠だという確信になってしまった。なんで。

4月10日、玲子は梅毒が移ることを心配するあまり、義務教育である小学校をやめさせようと考えた。そのためには医師の書類がいると考え、カウンセラーに書類を書いてもらおうとしたり、12日には真吾君が発熱したことでいよいよ症状が進んでいると確信した。
13日、かかりつけの小児科医院を訪ねた際、普段と何ら変わらない医師の態度がおかしいと思い込み、何かを隠していると思い込んだ。
さらにはカルテが分厚いのは、カウンセラーからの情報を書き込んでいるからだとし、ひいてはこの小児科の医師も真吾君の安楽死に関わっているのだと思い込んだ。
その日の診察料金を支払った時、玲子はいつもより安いと思った。そしてそれは、この小児科医がK医師から安楽死の件を聞かされ、特別に安くしてくれていると思い込んだ。ちなみに、診察料金はさほど普段と変わってはいなかったという。

玲子はそれらを確信しつつも、本来安楽死などというのは内密に行われるものであって、たとえ医師とはいえその事情を知る人間が多いことが気になっていた。
14日、小児科医がどこまで関与しているのかを探ろうとしたのか、玲子は小児科医に電話し、「真吾は進行性のマヒではないか」と尋ねた。
小児科医の反応は「ただの扁桃腺炎で、進行性マヒの症状はない」とのものだったが、玲子はこの答えから、小児科医は真吾君が進行性マヒであることを知りながら安楽死させる計画を知っているためにその事実を隠していると思い込んだ。

さらに、この日は北海道から叔父のK医師が上京する日であり、K医師が来れば安楽死の計画が粛々と進められると考えた。同時に、K医師は親族であり、親族から梅毒患者が出たなどとなれば親族にも迷惑をかけるし、その親族であるK医師に安楽死をやらせるというのはそれはそれで大変なことであると考えるようになる。

そして玲子が出した答えは、「私と真吾が死ねば、皆に迷惑をかけずに済む」というものだった。

その日

決意を固めた玲子は、心中した後すぐに身元が判明するよう、自分あてのハガキやスナップ写真などを持ち、その日の午後4時ころ真吾君を連れて家を出た。
そして近所の高層マンションの最上階まで行くと、真吾君に対し
「二人で死のう」
と告げた。
ところが真吾君は反発。「いやだ!家に帰る。」はっきりとそう意思表示した真吾君に玲子は怯んだ。
それでも死ななければ多くの人に迷惑がかかるため、こうなったら真吾君を無理やりにでもここから突き落とそうか、とも考えた。
が、さすがにそれは出来ず、とりあえずこの時は無理心中を諦めその場から去った。
帰り道、真吾君は「今日は死なないよ」と何度も口にしていたという。

午後5時前、自宅に戻った玲子は真吾君に「二人で寝ようか」と声をかけた。が、真吾君は寝ようとせずに一人で遊び始めた。
それを見た玲子は、首を絞めて殺害することを思いつく。怖い思いをさせるより、その方がまだいい。
玲子はビニールひもを手に、機会をうかがった。少しでも警戒されたくなかった。
背後から真吾君に近づくも、真吾君の目の前に姿見があり、そこに今まさに子供を殺そうとする玲子の姿が映っていた。
それを見て躊躇したものの、真吾君がやがて姿見から少しずれた場所で遊び始めたことで、玲子は一気に背後からその首をビニールひもで絞めあげた。

妄想のはて

報道では最初から最後まで息子の発育や行動に問題があるのは自閉症のせいだと「思い込んだ」というものだった。
しかし実際には、思い込んだのは自閉症であるということではなかった。むしろ、自閉症ではなく先天性梅毒による進行性マヒだと思い込んでいた。

検察は玲子の身体的検査や脳波検査、それらに異常がないこと、IQも問題なく、逮捕後に行われた鑑定の結果でも記憶や知的な問題もなく、意識もはっきりしており、犯行当日、真吾君に反発されいったんは心中を思いとどまったこと、屋上から突き落とすのはかわいそうだと考えたこと、その帰り道で真吾君が「今日は死なないよ」と何度も口にするのを他人に聞かれるとまずいと考えたこと、そしてなにより梅毒にかかって余命いくばくもない我が子のことで親族に迷惑をかけられないとする動機が思い込みだったとしても了解可能なこと、逮捕後の言動から自己の行為の善悪の判断がついていたとして、玲子の起訴に踏み切った。

弁護側は、玲子は少なくとも平成元年1月ころには重度の妄想性障害の状態にあったとする鑑定をもとに、犯行当時は心神喪失の状態だったとして無罪を主張した。

妄想性障害とは、一つまたは複数の間違った強い思い込みがあり、それが少なくとも1か月以上持続する場合をいう。

特徴として、日常生活は比較的問題なく遅れている人が多いといい、玲子もそうだった。
また、その思い込みにはタイプがあり、ストーカーによくみられる被愛型、自分は特別だと思い込む誇大型、身近な人間が裏切ったり浮気していると思い込む嫉妬型、見張られている、中傷されているなど自分が被害者だと思い込む被害型、そして何の異常もないのに自分の体に異常がある、病気だと思い込む身体型に分けられる。

玲子の場合はどうか。身体型が当てはまるようにも思えるが、実際に真吾君には発達面で気になる点があったわけで、しかもそのあと自分で梅毒からの進行性マヒだと思い込み、医師や夫らから有り得ないと説得されても信じ込んだあたりを見ると、自分の発見に固執しているような印象も受ける(誇大型)。

しかもそれならば血液検査ではっきりすると言われ、実際に血液検査をして玲子が陰性だったにもかかわらずその考えを曲げなかったばかりか、梅毒に感染しているという思い込みを改めるのではなく、母子感染でないなら出産時に真吾君が梅毒にかかったと考えただけで、梅毒に感染していることは確定として扱っているなど、その思い込みは強固なものに違いなかった。

裁判所はその責任能力をどう解するかにおいて、玲子がその妄想性障害であるとしてもその妄想から攻撃の幻覚を抱き、それに反撃するための犯行というものとは違うとし、妄想に直接的に支配されたものではない、と判断した。
しかし、その妄想自体が動機の形成に密接に関係していることは否めないとし、その妄想自体が突飛で、素人が見ても医学的に有り得ないことを根拠としているため、医学的法的見地から何度もそれを訂正するに足りる客観的資料を与えられ、あらゆる説得手段で臨んでも微動だにしないその思い込みは相当強固であり、通常では了解できないものである、とした。

また、一見冷静で善悪の判断がついていると思われる一連の言動についても、それ自体は了解可能であっても、動機を形成したその前提が了解不能な妄想である以上、それを切り離して考えることは適切とは言えず、すべてをひっくるめて考えた場合には「了解不能である」と判断した。

玲子は殺人という行為そのものは違法であると認識はしていたとしても、動機は極めて理解しがたく、不合理で、全体として妄想という精神障害により物事の善悪を弁識する能力を欠いていたと結論付けた。

要するに、玲子は無罪だった。

判断の難しさと、ある疑問

この事件はその前に起きたエイズ思い込み事件とかなり似ているように思う。が、エイズ思い込み事件の場合は本人の元来の神経質な面などから、妄想性障害とまでは言えないとされたのか、言及されることもなかったし、実際に心神耗弱どまりだった。

妄想性障害は、その判断基準に「統合失調症ではない」というものがある。ということは、妄想の部分以外は「正常」なのだ。
そしてそれは、裁判所の判断も難しくさせる。鑑定人ですら、どこまでが健常でどこからが病理的かの判断は非常に困難としているからだ。

そのため、同じ妄想性障害であっても、死刑判決が確定する場合もあるし、心神耗弱や玲子のように心神喪失が認められることもある。

永山基準のように、大きな判断が行われるとそれは判例や枠組みとして引き継がれるようになるが、この精神鑑定の結果と裁判所の判断においては合致しないことは少なくない。
鑑定結果がすべて同じではないし、たとえ同じであってもそれを裁判所が採用しないという場合もある。それは、精神鑑定の結果だけを見ても事件の背景などの全容が解明されるわけではないこと、動機の解明などに関係する心理的分野はそもそも精神医学の本分とは言えないといった事情があると思われるが、この精神鑑定の取り扱いについても、昭和58年、59年、平成20年、21年と、最終判断は裁判所、という決定をそれぞれを補強する形で最高裁判所が出している。

玲子の事件の場合は、鑑定結果と裁判所の判断は合致していた。エイズ思い込み事件もほぼ、合致とみていいと思うが、それでもその事件には有罪と無罪という越えられない壁があった。
が、素人的にはその差が正直わからない。
エイズ思い込みの母親も、どれだけ医学的に有り得ないと根拠を示されてもその考えは微動だにしなかった。玲子もまた、同じだった。

ただ、この玲子の事件にひとつだけ気になるところがあった。

玲子は梅毒を否定する夫や医師の説得で自ら検査を受けている。そして陰性だった。そこで玲子は、母子感染ではなく出産時に医師から真吾君に直接感染したのだと、感染経路を変えた。真吾君が梅毒であるという前提は崩していない。

しかし、肝心の真吾君の血液検査をしていないのだ。これはどういうことか。

…わかっていた、ということはないのか。梅毒などではないことを本当は。けれど玲子には梅毒でなければならない理由があったのではないのか。だから、真吾君の血液検査をあえてしなかったのではないのか。梅毒が強烈で忘れかけていたが、当初は自閉症と考えていたはずではないのか。言い換えると、自閉症ではないという理由が欲しかった可能性はないのだろうか。
この時代、自閉症には玲子がそうであったように間違った知識、偏見もあったろう。むしろ梅毒を疑ってそれが否定されるとさらに重篤なエイズだと思い込んだあの母親の方が突飛だし、妄想の度合いが強すぎる気がする。

自閉症は命にかかわるような、余命云々という障害ではない。それはいくら偏見があった昭和の終わりから平成でも同じだろう。梅毒や進行性マヒと自閉症にどう考えても共通するような症状はない。そしてなにより、余命いくばくもないとか安楽死とか、死を意識するような妄想になぜ取り憑かれたのか。
突飛だと言われたその思い込みは、玲子にとって真吾君は自閉症ではなく、この子はもうすぐ死ぬのだというある種の「願望」だったような気もしないでもない。

**************

参考文献

朝日新聞社 平成元年4月15日東京朝刊、5月3日、28日東京地方版/千葉

妄想性障害と刑事責任能力  本庄武『一橋法学』(一橋大学大学院法学研究科)第 21 巻第 3 号 2022 年 11 月

平成2年10月15日/千葉地方裁判所/刑事第一部/判決/平成1年(わ)415号

🔓死刑と無期のはざまでpart2~北九州・母子3人殺害事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********

 

「家の中にまだ3人いるんだ!!!」

夜も明けきらぬ午前3時、住宅密集地にある一軒の家から火の手が上がっていた。木造2階建て、火の回りが早くおよそ80㎡がすでに焼け落ちようとしていた。
男性は近所の人らに羽交い絞めにされながらも、家族の名を叫び続けていた。

平成5年2月14日未明

火災が起きたのは北九州市小倉南区の住宅。
この家には夫婦と10代の長女、長男の4人が暮らしていたが、父親以外の母子3人の行方が分からなくなっていた。
救助された父親によれば、火が出た時間帯には妻と長男は就寝中で、長女は起きていたという。
後に焼け跡から3人の遺体が発見され、母子と断定された。

警察と消防の調べでは、現場に灯油をまいた痕跡があったことから、早い段階で放火の可能性が高いとみていた。
加えて、一人逃げ延びた父親の話が放火を裏付けることにもなった。

父親によれば、午前2時過ぎころから1階のリビングで転寝をしていたところ、突然後頭部を殴られその後しばし気を失っていたという。
そこへ、「助けて!」という妻の悲鳴が聞こえたことで目を覚まし、急いで妻と長男がいる2階の和室へ向かったところ、すでに和室が火に包まれていたというのだ。
父親は隣の部屋にいるはずの長女が心配になって部屋を覗くと、灯油のにおいがして、長女の部屋にも火の手が上がっていた。
そして長女もそこにいた。手に金属バットを持って。
父親に気づいた長女は、金属バットを振りかざして父親に殴りかかってきたため、もみ合いになったという。そうこうしている間に、父親の衣服にも火が燃え移ったために父親はそのまま家の外に逃げ出した。
長女はそのまま、炎の中に消えた。

家の外では、すでに火事に気付いた近隣の人が消火活動を始めており、逃げ出してきた父親も救助された。
父親は冒頭の通り、取り乱して家族を救うために再び家の中へ戻ろうとしたという。近所の人々は胸を痛めながらも、父親を必死で取り押さえた。

この火事で死亡したのは、この家の主婦・小副川(こそえがわ)美代子さん(当時43歳)、長男の剛くん(当時10歳)、そして長女(当時17歳)と断定された。

救助された父親も、後頭部に殴られたような痕があり、警察は父親の証言と現場の状況、そしてそれまでの家族の状況などから、長女が火を放ち、自身も死亡した可能性が高いとして捜査を始めた。

長女は素行に問題があり、両親は以前から心を痛めていたという。前年の3月には高校を中退しており、専門学校へ通ってはいたものの、帰宅が遅いことなどから家庭内では口論が絶えなかった。
父親も、前日の夕方の食事中に些細なことから長女と口論になったと話していた。その後、遅くまで長女の部屋に電気がついていることから、早く寝るよう注意した直後の火災だった。

長女は心に病を抱えていたのか。それとも、家族間で殺したいと思うほどの憎しみがあったのか。

【有料部分 目次】
家族の軌跡
夫婦の問題
その夜の真実
壊れゆく家族
快楽の沼
その女
バレンタインデー前夜
「もう、遅い」
死刑求刑
本来の人間性と、子供の障害
立ちはだかるあの事件
死刑と無期のはざまで

必要だった、あと少しのなにか~安中市・姉放置死亡事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********

 

生まれついてかそうでないかにかかわらず、日本では病気や怪我によって生活や仕事が制限されるようになった際、国がその等級に応じて年金という形で生活を支援する「障害年金制度」というものがある。

当然ながらこれらは本人の生活、人生のためのものであり、決して十分な額とは言えないかもしれないけれどその他の公的サービスなどと組み合わすことで、身体、精神に障害を持っていても生活していけるための大切なものである。

ただ、心、知的な障害を持っている場合、どうしてもその管理を身近な人間がせざるを得ないケースが出てくる。
同居する親や施設の責任者がそれを担うことが多いと思われるが、中には、身元引き受けになったそれ以外の人が行うこともある。

そこにもし、悪意があったら。いや、悪意がなくとも、そもそも引き受けた側に相応の能力が欠如していたら。

安中の事件

群馬県安中市の借家で、一人の女性が死亡した。
女性は50歳、ひどく痩せ衰えており、体も汚れていた。一応、上着などを身につけてはいたが、家の中であるにもかかわらず死因は低体温症。
一人暮らしの持病のある女性であれば、助けを求めることができずに衰弱したということも考えられたが、この家には女性の妹夫婦とその子供が一緒に暮らしていたのだ。

平成2926

死亡していたのは萩原里美さん(当時50歳)。里美さんには中度の知的障害とてんかんの持病があった。そのため、昭和62年頃から渋川市の障害者支援施設に入所していた。
その後、平成2712月に施設から実家へ一時帰宅した際、里美さんが施設に帰りたくないという趣旨の話をしたことから、当時実家にいた里美さんの妹夫婦がそのまま退所させ、里美さんを引き取ったのだという。

里美さんは施設にいた当時56キロほどの体重があったという。しかし、発見された里美さんは体重が35キロ程度にまで減少しており、司法解剖の結果、胃のなかに食べ物はありはしたものの、おそらく長い間栄養状態が良くなかったと見られた。
加えて、2月という寒い時期だったこと、低栄養からの高度の貧血状態にあり、体温調節機能が著しく低下したことからの、低体温症で死亡したと断定されていた。

一方の妹夫婦とその子供の体調に問題はなかった。
里美さんだけが、この家の中で衰弱し死亡したということで、警察は里美さんの死因に不審な点がないか捜査を始めた。その疑惑は当然、同居していた妹夫婦に向けられた。
が、里美さんが死亡する3日前の23日、安中市障害福祉係の職員が里美さんに面会していたことが判明。
その際、里美さんは痩せてはいたもののひどく衰弱した様子はなかったといい、職員からの質問にも意思表示をするなど、里美さんの状態がそこまで悪いようには見えなかったという。
当然ながら、妹夫婦も姉が死亡したことについて自分たちは世話をしており、死んでしまうような状態には思えなかったと証言。

里美さんは病死なのだろうか。

しかし警察は5ヶ月後の平成2976日、里美さんを放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の容疑で妹夫婦を逮捕した。

年の離れた姉妹

逮捕されたのは里美さんの妹である高倉里織(仮名/当時31歳)と、その夫・高倉圭祐(仮名/当時30歳)。二人には幼い子供もいた。
警察の調べでは、ふたりは里美さんに十分な世話をしなかったばかりか、衰弱しているのを知りつつ病院へ連れていくなどの必要な世話をしなかったとされた。
里織は容疑について「違っているところがある」としており、夫の圭祐も、「やるべきことはやっていた」として否認していた。

当初報道では、里美さんが知的障害を持っていたというより、先天的な障害があって寝たきりだったとしているものがあったが、実際の里美さんは最初から寝たきりなどではなかった。
福祉施設に入所している際は食事や着替えなど、日常的なことは自分ですることが出来ていた。ただ、知的な問題があったために、季節に応じた服装をするとか、栄養を考えた食事をとるといったことは出来なかったという。
また、てんかんの持病があったことから定期的な医療機関への受診、服薬が不可欠だったが、それも自分一人で考えて行動するようなことは出来なかったことから、日常生活には常に誰かの支えが必要な状態だった。

しかし、誰かの支えがあれば、里美さんは里美さんなりに、平和な生活を送ることは十分に可能な状態にあった。

それが、福祉施設を出て12カ月の間になにがあったのか。

里美さんと里織は、実の姉妹ではあるがその年齢差は実に20歳も離れていた。
生い立ちなどは明らかになっていないが、平成26年から実母が再婚相手と暮らしていた安中市の借家に里織夫婦は同居していた。
実母がその年の暮れに死亡した後、実母の再婚相手がその家を出てからは、生まれたばかりの長男との3人でその借家で生活していた。

そんな里織夫婦が里美さんを引き取ることになったのはなぜか。

里織は昭和61年に生まれているが、その翌年に里美さんは施設に入所しているため、姉妹の交流はそれほどなかったのではないかと思われる。
が、関係資料によれば兄弟姉妹の中で里美さんと里織は仲が良かったという。里美さんは小学校中学年程度の知能だったといい、幼い里織にとったら、20歳の年齢差を感じなかったのかもしれないし、離れて暮らしている分、姉というより友達、そんな感覚だったのかもしれない。

里美さんが里織夫婦に引き取られるきっかけは、母親の法事だった。
平成2711月、里美さんが暮らす施設に里織から連絡が入った。要件は、母親の法事の費用を姉にも分担してほしい、というもの。その額は7万円だった。
里美さんは障害者年金を二カ月に一度13万円受け取っていた。それらは施設の費用などに充てられていたが、当然残った分は施設が里美さん名義で管理していた。
その直後、一時帰宅ということで里織夫婦の安中の借家へ外泊した里美さんを、そのまま里織夫婦が引き取りたいと施設に申し出たのだ。

30年に渡って施設で生活してきた里美さんだったが、里織夫婦の元で暮らしたいというのは里美さんの希望もあったという。
里美さんは精神的、知的に小学生程度であったことから、施設内の他の入所者らからときどきイジメに遭っていた。施設側も、実の妹である里織の申し出であり、かつ、夫や子供の存在もあること、障害があっても施設ではなく地域社会で生活することが真の自立であるという障害者自立支援法の理念などもあって、おそらく退所すること自体は問題ではなかったと思われる。

平成2712月、里美さんは安中の借家での生活を始めた。

引き出された年金

裁判では里美さんを引き取ったそもそもの理由について、検察と弁護側が対立した。

弁護側は、先にも述べた通り里美さんが施設で他の入所者から嫌がらせやいじめを受けていることを知り、一時帰宅した里美さんも施設に戻りたくないと訴えたことから可哀そうになり、そのまま退所させる方針を決めた、と主張。
さらに、里美さんはほかにもいる兄弟姉妹よりも里織と一緒に暮らすことを希望していたといい、その願いを叶えようと思ったことが引き取った理由だと述べた。

一方の検察は、里織夫婦が里美さんを引き取った時期の生活状況に注目していた。
里織夫婦が里美さんを引き取ろうと動き始めた平成271112月、夫婦は家賃や光熱費すら払えないほどに生活に困窮していたという。
加えて、母親の法事の費用の相談を施設にした際に、その正確な額までは把握していなかったとしても、里美さんにある程度の貯蓄があることに気づいていた。
そして、129日の退所会議でこのまま貯蓄しておくようにと言われた里美さんの貯蓄77万円をなんと退所した当日から数日間でその全額を引き出していた。
さらに、12日には夫婦となぜか実母の再婚相手の携帯電話3台を契約。しかもその名義は里美さんになっていた。

おそらく里織夫婦は携帯電話を契約できない状態にあったのではないか。加えて、電話料金の支払いも里美さんの口座を指定していた。

これが意味するのは何か。

検察は、口座振替にわざわざ里美さんの口座を指定したのは、障害者年金が振り込まれることをわかっていたからであり、これらを併せ考えれば里織夫婦が里美さんの障害者年金を自己の自由にするために里美さんを引き取ったと優に考えられる、とした。

裁判所としても、弁護側の主張を否定するものでもないが、かといって検察が言う動機が両立しないとも言えない、とした。

簡単に言うと、里織が姉である里美さんを不憫に思う気持ちも本当にあり、里美さんの希望通り一緒に暮らすことで里美さんの障害者年金を自由にできるという、いわばwin‐win的なことが成立する、ということだ。

ただ、たとえ里美さんを引き取った本当の理由が障害者年金目当てだったとしても、里美さんの生活のサポートをし、常識的な範囲での世話さえ出来ていれば、それはそれで問題とまでは言えないはずだった。
しかしこの夫婦は、通常の人々より生活能力に欠ける部分があった。

支えが必要な人

里美さんは中程度の知的障害があり、誰かの支えなしではひとりで生活することは出来なかった。
一方の里織と圭祐については、裁判でも知的な問題は指摘されていないし、それまでに前科前歴もない。
なので断言するようなことは出来ないが、私にはこのふたりも、一般常識の範囲で自立した生活を送るということが難しい事情があったのではないかと思っている。

当時圭祐は定職に就いていない。だからこそ生活に困ったわけだが、そもそも里織の実母が暮らす安中の借家に転がり込んだもの生活していけなくなったからだと思われる。
この安中の借家は、外観から察するにおそらく6畳二間と台所と風呂トイレ、という作りだと思われ、単身もしくは夫婦ふたり、幼い子供くらいならいけると思うが、大人が4人に子供というのはいくらなんでも窮屈すぎる。

裁判所は量刑を決めるにあたって、この里織と圭祐の生活能力のなさについて、非難の程度を若干ではあるが減少させるとしており、やはりなにか本人の努力ではどうしようもない「なにか」があったのではないかと思われる。
たとえばこれがギャンブルや浪費など、金の計算ができないとか自己の欲求に赴くままとか、そういう話ならば非難の程度は減少どころか増加するはずだからだ。

本来、里織と圭祐にもその生活を監督し、助言や経済的なサポートが必要だったように思われる。ちなみにふたりが生活保護を受けていたという話はない。

ふたりは、里美さんを引き取ることでとりあえず月額65千円(2カ月に1度、13万円支給)の収入を得た。即日引き出された里美さんの77万円は滞納していた家賃などの生活費に消えている。
しかし普通に考えれば、65千円で里美さんを含めた家族4人が生活などできようはずもない。そこで思うのが、なんで施設はこんな生活能力のないふたりに里美さんを引き渡したのか、ということである。
犬猫の譲渡であっても、その生活環境や家族構成などが審査されるのに、介護経験もなく狭い借家暮らしで幼い子を抱えた定職もない夫婦に、なぜ里美さんの世話ができると思ったのだろうか。

血を分けた姉妹だから?

これについては裁判でも言及されておらず、安中市が調査報告書を出したという話もないため、詳細はわからない。
ただ、里美さんが長年暮らした渋川市の施設は、里美さんが死亡する2か月前から施設に来ていないことを安中市に報告していた。そしてそれをうけて、23日に安中市の職員が家庭訪問したのだ。これは里美さんの死亡3日前の話である。
その際、安中市の職員は「里美さんがそこまで衰弱しているように思えなかった」としているが、この時里美さんの体重は35キロしかなかった。
長年施設で暮らしていた里美さんは56キロあった。身長にもよるだろうが、施設にいてとんでもない肥満体だったとは思えない。里美さんがたとえ身長150センチ以下であっても35キロというのは痩せているという印象を受ける。
しかも里美さんは低栄養の状態が長く続いていた。それでも、里美さんの健康状態に問題がないとみえたのだろうか。

裁判では、この時の安中市の職員との面会で特に問題を指摘されなかったことが、対応した圭祐の中に「里美さんは大丈夫」という安心感が生まれたと指摘されているが、だからといってそのまま里美さんを放置してよいことにはならないとし、結局は年金欲しさに里美さんを引き取ったはいいが、他人任せでなんら里美さんに必要な介護を行っていなかったと非難した。
ふたりはやることはやっていたと主張していたが、安中市の職員との面会以降、急激に弱り寝たきりとなった里美さんを病院にも連れて行かなかったばかりか、一人放置されトイレにも立てない里美さんが排泄物を垂れ流していてもそれを世話することはなかった。
里美さんが低体温症となったのは、冬という季節に加え自身の排泄物にまみれそれによって体温を奪われたことによるものだった。
それでも、やるべきことはやっていたと、二人は思っていたのだ。

前橋地方裁判所は、身勝手な犯行としながらも、二人の生活能力に問題があったことや、圭祐が当初は里美さんを含めた家族のために仕事をし始めたことがあったことなどを酌量し、里織と圭祐に対し、懲役56月(求刑懲役7年)を言い渡した。

この事件は、結果から見れば身勝手で本当に腹立たしいのは当然としても、この里織の環境というのがもう少し明らかになればまた違っていたのかな、とも感じる。
そもそも里美さんとの年齢差が20歳あるというのも正直、何かあるような気もする。
すでに死亡していた母親が何歳だったのかも不明だが、姉妹間で起きた事件であるにもかかわらず、そしてほかにも兄弟姉妹がいるにもかかわらず、ほかの家族の存在がないのだ。

一緒に暮らしていたならまだしも、少なくとも里織が物心ついた時点で里美さんは施設で暮らしていたわけで、先にも述べたが姉という感覚を持てていたのかどうか。

里織が里美さんを不憫に思ったのが引き取るきっかけだったというのは否定されなかったものの、一方で早織はそれまで里美さんの面会はおろか、施設のイベントなどがあっても一度も顔を見せたこともなかった。
本当に仲が良かったと言えるのか。

ただ、最初から100%金目当てで里美さんを引き取ろうとしたのかというと、それも正しくないような気もする。
裁判でも認められたように、圭祐は怠惰な生活を改め、自分なりに一家の主として幼い子を持つ父親として、仕事をし始めたという事実もあった。最初から金目当てだったら、そもそも仕事をしようという気すら、いや、それをしたくないからこそではないのか。
里織も、施設に戻りたくないと話す姉の姿を不憫に思ったのは嘘ではないように思う。たとえ一瞬であっても。
そして、里美さんの年金があれば何とかやれるのではないかと思ったのも嘘ではないかもしれない。
自分たちに全く生活能力がないことは棚に上げて。

そのあたりの行き当たりばったり、その時の感情で後先も考えず行動してしまうことが、たとえ当初の動機が正しく思いやりから出たものであっても、最悪の結果へと変えてしまった。

支えが必要な人を、同じく支えが必要な人間に託してしまったことは家族である以上致し方なかった部分はあったのかもしれないが、もう少し何かが出来ていれば、里美さんも里織夫婦も、こんな結末にはならなかったような気もする。

ただ、その、もう少しの何かが何なのかと聞かれると、正直、わからない。

***********

参考文献

中日新聞社 平成2977日朝刊群馬版
朝日新聞社 平成2977日、平成3039日東京地方版/群馬
産経新聞 平成2978
読売新聞社 平成30314日、317日東京朝刊

平成30316/前橋地方裁判所/刑事第2/判決/平成29年(わ)384

男として、父として、主として~山形・一家4人殺傷事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********

 

病院で男は眠る妻の前にいた。

医者からはもう意識が回復する見込みはないと告げられていた。
明るく、優しく、面倒見の良い素晴らしい妻。その妻が、左手をベッドにくくりつけられ、時に下半身をあらわにして寝かされている。
妻はもう、変わり果てていた。

男は妻がすべてだった。この妻なくして、自分は何一つできない、それを実感していた。
娘たちも母親がいなくてはおそらくどうにもなるまい。特に、下の娘は母親がこうなって以降、精神的に大きなダメージを受けてもはや男の手には負えなかった。
上の娘も他人とのかかわりが持てない性格。それも、自分の血を引いているせいだ。

なにもかも、妻がいたからこそ、こんな出来損ないの自分とその血を引いた娘たちも生きてこられたのだ。

もう、それも無理だ。

孫たちがいなくなればお義父さんもお義母さんも悲しみに暮れて生きていけないだろう。

みんな、連れて行こう。 続きを読む 男として、父として、主として~山形・一家4人殺傷事件~