小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件①~

平成7年4月8日午後10時半

静岡県三島市長泉町土狩の路上を、町内在住の公務員男性(当時22歳)は自転車で家路を走っていた。
そこへ、走ってきた車が男性の進路をふさぐように前方に回り込み停車、車から2人の若い男たちが下りてきた。
「金、持ってるだろ、出せよ」
唐突に絵にかいたようなカツアゲをされた男性は、当然断った。
直後、頭に激しい痛みが走る。男たちは木刀を持っていた。
殴られた。男性が必死に体をかばっている隙に、男たちは男性の財布を奪って走り去った。

423日。
三島市若松町の駐車場内で、車上荒らしが発生。
会社員の所有する乗用車の中から、書類入りのバッグが盗まれた。
この事件で警察は、周辺の防犯カメラ映像や聞き込みから、若松町在住の男(当時23歳)を割り出し、窃盗の容疑で逮捕した。
522日、男は48日に発生した路上強盗でも逮捕される。共犯の男(当時21歳)も逮捕となった。

男らは罪を認め、23歳の男は執行猶予中であったことから前科も併せての実刑となり、それから6年間服役した。
男の名前は、服部純也。彼は17年後の夏、死刑執行によりその人生を終えた。 続きを読む 小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件①~

小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件②~

逮捕

警察では犯行現場から、「土地勘のある人間の犯行」とみて聞き込みに力を入れていた。
そんな中、不審者、夜間徘徊者リストに名前があった服部の、当夜の目撃情報に目を付けた。
事件後には3月と6月の2度、大規模な検問なども実施されていたが、この時に服部の事件関与は全く浮かんでいなかった。
というのも、服部は事件の直後にひき逃げ事件を起こしており、2月末に出頭して逮捕されていたのだ。

警察では住民らの協力の下、不審者リストを作り上げ、現場の地理に詳しいもの、住民目線で見て不審者、あるいは犯罪の臭いがする人物などを調べていった。
その一人一人のアリバイ、素行調査、証拠資料との照合などを地道に行う日々が続く中、不審者リストにある服部のDNAと、現場に残されたDNAが一致したのだ。
もし、住民らの協力がなかったら、おそらく服部は重要人物とみなされなかった。しかも本人は別の事件ではあるものの、自ら出頭して罪を認め、実刑判決を受けていたのだから。

DNAというゆるぎない証拠があったものの、当初服部は全面否認だった。
「コンビニでナンパしたが、家に帰した」
服部の当初の供述はこうだった。
警察も、DNAが現場にあったということから、佐知子さんと最後に接触した人物の可能性が強い、ということは言えても、殺人を犯した張本人とは言い切れなかった。
とりあえず逮捕監禁と強盗の罪で逮捕したものの、本人の口から供述を得られたのは逮捕から1週間後、佐知子さんの自転車を遺棄した場所を自白し、その後殺害を認めることとなった。

裁判では初公判から色のついたレンズの眼鏡をかけ、時には赤いジャージで出廷した服部に、反省の色が見えないと感じる人も多かった。
罪状認否でも、起訴状に間違いがないかを確認された服部は、
「強姦ですけど、場所が違います。あと、劣情を催して姦淫しようと企て、というところですが、そのときにはそういうこと思ってないんで。それは否認します。」
と言い出した。
一方で、佐知子さんを強姦したこと、火をつけて殺害したことは認めており、正直場所がどうとかその時の気持ちがどうとか、罪状にあまり関係ない部分を否定するその真意がわからなかった。

無期は嫌

佐知子さんを殺害した動機については、「二度と刑務所に戻りたくない」「(佐知子さんの)身元をわからなくしたかった」と語ったが、殺害の方法については、実家に立ち寄った際に偶然目にした灯油のポリタンクから、焼き殺すことを思いついたようだった。
佐知子さんの自転車は、沼津市内を流れる狩野川に捨て、携帯と財布はコンビニのゴミ箱に捨てていた。その際、財布の中身を確認して、身元が分かりそうなものは焼き捨てていた。
実家から持ち出したポリタンクはご丁寧に元の場所へ戻してもいた。

一方で、火をつけた時点では「死んでいるかもしれないと思った」と話したり、死ぬかもしれないと思ったが、殺してやろうとは思っていなかったなどと、殺意については確定的ではなく、未必的であるなどと主張した。
また、佐知子さんを殺害した時点で覚せい剤の影響があり、責任能力が減退していたとする主張も行っていた。しかし、そもそも「早く覚せい剤を打ちたい」という欲求が事件を起こした要因であり、整合性はなかった。

平成15年10月9日、検察は服部に対し、静岡県内では袴田事件以来となる死刑を求刑した。

被害者が一人で、計画的な強盗殺人でもなく、殺人などの前科もない服部に対し、死刑判決が出されるかどうか、行方が注目されたが、平成16年1月15日、静岡地裁沼津支部の高橋祥子裁判長は、死刑を回避、無期懲役の判決を下した。
理由としては、服部が最初から佐知子さんを殺すつもりではなかったことから、計画的とは言えないこと、そして、過去に殺人など人の命を奪おうとするような罪は犯していないことを挙げた。
弁護側は無期または有期刑が相当と主張していたため、概ね納得のいく判決だったはずだった。

当然、検察は控訴したが、なんと服部側も控訴した。
「無期懲役は嫌(控訴審担当の福島昭宏弁護士の言葉から)」という、服部の意向を受けてのものだった。

佐知子さんの遺族は傍聴席で悔し涙に暮れていた。
確かに、被害者が成人で一人、ということだけを見れば、それまでの事例と突き合わせれば無期でも致し方ない、とする見方も多かった。
識者らの意見も割れた。刑事政策が専門の石塚伸一龍谷大教授(当時)は、「計画性がない点がポイントになった。被害者が一人で、過去に殺人で無期刑を受けたこともない。被告は若く、もう一度(チャンスを)、ということだろう」と一定の理解を示す一方、検察官経験者の土本武司・帝京大教授(当時)は、「今回は死刑を適用できる事例だと考えていた。日本の裁判官はよく言えば謙抑主義で、量刑には極めて慎重。検察側は断固、控訴して最後まで争う姿勢をとるべきだ。」と語気を強めた。

判決後、死刑回避となったことでなにごとか弁護人と言葉を交わした服部はだったが、実は内心穏やかではなかった。

死刑になると思ってなかった弁護人

控訴審では東京弁護士会所属の福島昭宏弁護士が担当となった。
福島弁護士は、服部の死刑執行後、フォーラムにて服部の裁判のことを語っている。以下は、そこで福島弁護士の口から語られたことからの引用となる。

福島弁護士は、同時期に同じように一審死刑求刑、判決無期、という事件(おそらく大和市主婦連続強盗殺人の山本章代)を担当していた。
こちらは特別案件に指定されていたこともあり、控訴審では逆転判決が出る可能性もあるのではないかと感じていたという。
しかし、結果は無期懲役のままで、服部の事件ではそもそも特別案件に指定されなかったということで、いわば「瀬踏み」して受けた案件だった。

しかしその瀬踏みは、とんでもない見当違いであったことを判決の日に思い知ることとなる。

平成17年3月29日、東京高裁の田尾健二郎裁判長は、主文を後回しにした。
その瞬間、福島弁護士は、「え。何言ってんの?」と思ったという。
慌ただしくなる傍聴席とは反対に、福島弁護士の頭の中真っ白になっていった。本人の弁によれば、裁判長の言葉も頭に入らないほどだったという。
それほどまでに、前例からしても服部に死刑判決が出ることはない、という自信があったのだ。
現に福島弁護士は、国選の依頼があった際、「死刑にはならない」と思った、だからこそ引き受けたのだという。
自分の弁護でひとひとりの命が左右されるということに自信がなかったこともあるし、そもそも嫌だろう。

当の服部は判決を受けてどうだったのだろうか。今となっては知る由もないが、福島弁護士の話からそのなんとなく、が見えてくる。
判決後、福島弁護士のもとに服部から面会要請があったという。ただ、上告審の弁護人はすでに決まっており、一般面会としてなら会える、という返事をしていた。
福島弁護士は、相当な自信をもって控訴審に臨んでいたわけで、おそらく服部本人にも前向きな話はしていたはずだ。
それが逆転判決となってしまった。
「多分私のことを恨んでいたと思います。(中略)本人から面会要請の手紙が来ました。担当弁護人ではないので、一般面会なら会えますよと回答しましたけれど、その後、動きがなかったので、多分、秘密面会して、自分の責任だと言って金でもせびり取られるのかなと思っていました。」
服部がどう思っていたかよりも、福島弁護士が服部をどう見ていたかがよくわかる話ではあるが、本当のところはどうだったのだろう。

服部は何を福島弁護士に伝えたかったのか。

担当弁護人は一番被告人のことをわかっている、そう福島弁護士は言うが、ならばどんなことをしてでも、この時服部に会ってほしかったなぁと勝手ながら思う。

その後上告は棄却となり、再審請求の準備もしていたようだが、それらがなされることもなく、平成24年8月3日を迎えた。

小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件③~

ふてぶてしさの反面

公判で、服部の服装などを見た傍聴席からは、「反省の色が見えない」などという声も聞かれた。服部本人の態度も、どこか他人事、感情が垣間見えるような場面もなかった。
佐知子さんの家族が証言する際も、動揺するそぶりもなかった。
それは他人の悲しみや苦しみに鈍感だから、ということでもない。自身が受けた死刑判決確定の際にも、出た言葉は「まいったな」である。自分に対しても、どこかこう真剣みというか、必死さが見られない。無期は嫌と言いながら、そうならないためのなにかをしているように思えないのだ。

実は、服部には親せきや友人らによるかなりしっかりしたサポートがあったという。
報道などでは、傍聴席の友人らに手を挙げて応える様子や、また「がんばれよ」などと声をかける友人の姿が報じられたため、類は友を呼ぶというがこいつの周りにはロクなやつがおらんにゃあ、と私は思ったものだが、実際にはまともなサポートもあった。
福島弁護士によれば、服部が控訴したことに対し、そのサポートする人々からは、「人が亡くなった事件なのだから、被告側の控訴は取り下げてくれ」という話があったという。
もちろん、そこには服部のために少しでも有利になる嘆願書や上申書を集めたいという思いがあって、検察が死刑を求めて控訴している以上、それに反抗するような被告の態度ではそれらも集められない、そういう思いもあった。
しかし、それを服部は蹴った。「無期は嫌」だからだ。
結局、嘆願書などは集めることができなかった。

一方で、そんな他人からどう思われるかなど一切気にしていないかのような服部の意外な一面もあった。
先にも述べたが、公判での服部は、サングラス(正確には色付きのレンズが入った眼鏡)を常にかけ、初公判こそ、紺のシャツにズボンという格好だったが、それ以降は赤のジャージ姿が多かった。
熊谷の男女4人殺傷事件で逮捕された少女も、ピンクの派手なジャージを「好んで」着ていた。通常であれば、落ち着いた色のまじめに見える服装をするもんじゃないのかと思うのだが、なぜその色!!といった服を選ぶ被告人もいる。
服部が好き好んで赤のジャージを着ていたのかは知らないが、サングラスについては事情があった。
服部は飛蚊症を患っており、法廷内で目がチカチカするため、あえて色付きの眼鏡をかけていたのだという。
これは地裁からそうだったのだが、裁判中、なぜサングラスをかけているのかという説明がなかった。
ゆえに、「サングラスかける被告って何だ?!」ということにもなり、実際に服部はそれをひどく気にしていたという。
控訴審を担当した福島弁護士は、服部からそれを聞いて控訴審ではサングラスをかけている理由を説明した。

また、一審の判決後、弁護人となにごとか話した際、弁護人が笑顔を見せたという。それが、なぜか服部が笑っていたとか、そういう風に話が伝わってしまったこともあり佐知子さんの遺族が激怒していたことを、服部は気に病んでいた。
わざわざ控訴審の弁護士に話すくらいだから、相当気にしていたのだと思われる。

もちろん、控訴を見据えてのことだと言われればそれまでだが、ならばいの一番に謝罪の言葉や態度を見せたはずだ。
見ず知らずの女性を強姦した挙句に火を放った悪魔のような男。
一審ではそれでも前科に人の命を脅かすようなものがないことや、まだ若いことなどが斟酌されて無期懲役になったが、控訴審ではそのいずれもが否定され、無期懲役は軽きに失し不当であるとされた。

私個人としてもこれは死刑だろうと思っているし、なんの異論もない。ただ一点、過去に犯した罪と今回の所業とのあまりの乖離がどうしても解せないのも事実だ。

小心者

服部は幼いころからいわゆるワルではあった。しかし一方で、「挨拶すれば笑顔を見せる可愛い少年」と話す人もいた。
その非行も、ほとんどが手癖が悪いといったもので、他人に暴力を振るう、ましてや命を脅かすような行為はしていない。
成人して、暴力団関係者が運営する会社で勤務していたことはあったが、本人は構成員になっていない。少年院に出入りしていたとはいえ、極悪な少年という印象とは違う。

それが変わったのはどこなのか。

覚せい剤に手を出したことは間違いなく関係しているだろう。
しかし、あの夜は覚せい剤を打っていなかった。
直前までの飲酒が気を大きくしたのか。それにしても、だ。
福島弁護士は言う、とにかく殺害の手段が悪質過ぎたと。
弁護人であっても、ここを庇う気はさらさらないといった感じで、相当悪質だと言及している。しかし、そこをしっかり議論しないでただただ残酷だから死刑ね、っていうのはおかしい、と。(たとえば、同じ静岡県内で起きた沼津ストーカー殺人の場合は、交際相手を殺害した被告人が過去にも女性を殺害未遂していたにもかかわらず、無期懲役となっていること、そっちのほうが性質としてやばいだろうという話を福島弁護士はしているが、服部と比べてとかではなく、単純にそっちも死刑だろう、とは思う。)

そこは上告審での趣意書にも引き継がれ、殺害方法いかんにかかわらず、殺害という行為自体は被害者にとってみればどんな方法であっても残酷極まりないことに変わりはないのであって、殺害方法をことさら強調して刑を決めるのは違うのではないか、としている。
殺害方法が残虐かどうかが刑にかかわるというならなぜ、沖縄で女子中学生を拉致して暴行した上に山の中で殺して捨てたあの男たちは死刑ではないのか。群馬の山の中で死の宣告をしたうえで男性を叩き殺したあの男たちは。幼い兄妹を拷問の挙句殺したあの男はなぜ無期懲役なのか。かたや、栃木の兄弟投げ落としの犯人は死刑。たしかにつじつまが合わないと思わざるを得ないケースは少なくない。

他の死刑判決を受けた事件概要を合わせて考えても、被害者に一切の落ち度がなく、一人殺害での死刑判決は、この時点で名古屋闇サイト殺人と奈良の幼女誘拐殺人の二つで、うち奈良の小林薫元死刑囚は自ら控訴を取り下げての確定である。
名古屋闇サイトはその計画性や殺害の状況、犯行後の印象の悪さ、裁判での開き直りなどなど更生の余地などみじんも感じられないありさまであり、奈良の女児誘拐殺人は幼女を標的にした前科や犯行後の言動、本人の人格など、こちらも更生の「意志」もなければ本人自身が控訴を取り下げていた。しかも第二の宮崎勤になりたいといって当の宮崎勤に鼻で笑われる始末である。

ここに同列として並ぶというのは、感情を抜きにして(ここ大事)考えたらば、見劣りするというと言い方は悪いが、あまりにも格下の印象を受けてしまうのも事実だ。

余計な批判を受けたくないので重ねて言うが、私は服部の死刑には賛成である。一審判決を聞いた時どれだけ腹が立ったか。
強姦した挙句に生きたまま焼き殺すなど、どれだけ凶悪なのかと思った。
が、実際には凶悪とは程遠い、ただの小心者だったのでは、とも思う。

犯行後、車を運転しているとどうしても思い出してしまってハンドルを持つ手が震えた。
その震えは止まらず、知人宅へ到着しても、水を飲んでも収まらなかった。ガソリンをかけて女性二人を殺害した後、興奮しすぎて精子が出たらどうしようと笑った野村(佐藤)哲也元死刑囚とは雲泥の差である。
覚せい剤を打つ手も震え、周囲にいた知人らもその時の服部の様子は心ここにあらずと言った風で、どこか普段と違っていたと証言していた(そうでもなかったという証言もあり、控訴審ではそれが支持された)。

服部本人も、殺害直後、「とうとう殺しまでしてしまった。ここまですることはなかったんじゃないか」という「後悔」の念を抱いていた。だったらやるなよ、なんだけれども、とにかくなにもかもがパニックになった小心者の姿しか浮かばないのだ。

幼い頃、悪さをするたびに父親からは暴力で制裁を受けてきた。
言ってもわからないから叩く、殴る、そういう方針だったのだろう。しかしそれによって、服部少年は悪さをしなくなったのではなく、悪さをしても隠ぺいすることを学んだのではないか。
服部家には子供が4人いた。裁判で、家庭環境の悪さについて審議された際、裁判所は、
「本人以外の兄弟はみな、社会人として自立している」
として、あくまでも服部純也個人の資質によるところのものであるとしたが、実はそうでもなかった。

服部が佐知子さん殺害事件を起こした2日後に、ひき逃げ事件を起こした際、兄弟のうちの一人が服部の隠匿生活を援助している。さらに、DNAの提出を求められた際、服部から頼まれ、事件当夜の知人との電話の時間を確認するなど、隠ぺい工作に加担していた。隠ぺい体質は兄弟にもあったのだ。
たとえ家族のためとはいえ、被害者がいる場合に隠ぺいは1億歩譲ってもあり得ない。
もちろん、裁判開始後は家族らも先に述べたように、良識の範囲でサポートを行っている面もあったことは再度付け加えておく。

上告趣意書で、弁護人は「なお、弁護人にとっては、幼少時の被告人に体罰をもって更生させようとしていた被告人の実父と、本件控訴審判決の内容がダブるように思えるものである」と記している。

あの夜、最初はただのナンパだった。それがなぜ、死刑台にのぼらなければならなくなったのか。
推測だけれども、過去にも似たような出来事があったのかもしれない。最初は無理やりだったけれど、というような。
だから軽く考えていた。けれど、佐知子さんは服部が知っているような、自分の身を軽く考える女性とは違っていた。その重大な出来事を、笑って適当にあしらうということなど、出来るはずもなかったのだ。

自己の欲求を抑えることを学べず、殴られることには慣れた。殴られて済むなら楽なものだろう。欲求を満たしてから後始末を考える。盗んだものは隠せばよかったし、事故を起こしても逃げて車を廃車にすればよかった。
ナンパして無理やりヤッたとしても、きっとなんとかなる、はずだった。
火を放って現場を離れた服部は、ルームミラーに目をやった際、火だるまになって転げまわる佐知子さんが目に入ったという。
それが頭から離れず、途端に恐怖と後悔にさいなまれた。

しかし服部は、裁判で遺族の思いを聞いても、裁判長から厳しく断罪されても、それでも「無期懲役は嫌」といい、死刑判決が確定した後も謝罪や反省より生きることへの執着が見えた。自身の処遇を嘆き、焦り、不安、そういった感情をうまく処理できないで過ごしていた。
そして、死刑囚となって命の尊さを身をもって知った、ゆえに、生きて被害者遺族に償いたい、被害者遺族同様死刑囚もつらいのだと訴えた。

福島弁護士は、少なくとも被害者が一人である点について議論はされていないと語る。しかし、
「生きたまま焼き殺したんだ、だから殺害方法が残虐なんだ、火炙りだから残虐なんだ、死亡被害者が一名でも、お前は死んでくれ、死刑判決なんだと言っているんだったら少なくとも先例としての意義があったと思う。」
とも話す。

死刑確定から4年。おそらく心の準備には程遠かったであろう。
遺体は無縁仏にはならず、家族が引き取ったはず、と福島弁護士は言う。30男の責任など持てないと言い放った母、証言台で「それでも生きてほしい」と話した父、事件後も、服部のことを「好きで好きでたまらなかった」という元妻と二人の子供。。

今も事件現場には花を手向ける人がいるというが、その中に服部の家族の姿もあってほしいと心から願う。

【参考文献】
「無抵抗の女に火を放った「三十男」の興味」
『その時、殺しの手が動く 引き寄せた災、必然の9事件』上條昌史 著 

『新潮45』編集部、新潮社〈新潮文庫〉
響かせあおう 死刑廃止の声 2012 – 死刑廃止フォーラム90 vol.125
ユニテ 会報 希望第65号9 服部純也 著


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「嘘」~狭山市・二女児殺害事件①~

平成13年11月16日深夜

「助けて!!子供が中にいるの!!!」

狭山市広瀬1丁目の河川敷で、車らしきものが炎上しているのを近所の住民らが発見。
気付いた住民らが消火器を持って駆け付けてみると、その傍らに全身ずぶ濡れの女性が呆然と立ち尽くしていた。
通報で駆け付けた消防により、車の火は消し止められたものの、車内の助手席と後部座席から小さな遺体が発見された。

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「嘘」~狭山市・二女児殺害事件②~

その日

11月16日、その日は長女の学校での役員会が予定されていた。
ここしばらく、家事もままならないほど寝込んでいた里香だったが、抗うつ剤や安定剤などを服用して役員会に出た。
しかしこの日、体を無理やりにでも動かしたことで里香は、いっそ今日、すべてを終わらせたらいいのではないかと思ってしまう。

里香の頭の中は今日死ぬことでいっぱいになってしまった。

玲奈ちゃんが友達の家から帰宅し、里香は沙奈ちゃんを保育園に迎えに行くと、少し早めの夕食を娘たちに食べさせた。
ママの手料理を喜んだ玲奈ちゃんだったが、里香は玲奈ちゃんにこう話した。
「今日は、パトロールの日だから夜一緒に車で出かけようね」
おそらく玲奈ちゃんは喜んだだろう。ふさぎ込みがちな母親が、少しでも元気な様子を見れば、子供はうれしいに違いない。
そんな玲奈ちゃんと沙奈ちゃんが食後のコーラを飲んでいる間、里香はせっせと片づけをしていた。
その手には、家の権利証や預金通帳。
子供たちが飲んでいる飲み物には、すでにすりつぶした睡眠薬が入れられていた。
自分用の睡眠薬と水筒を準備していると、電話が鳴った。友人からだった。ほんの少し話をして、里香は子供たちを車に乗せた。

とはいっても、どうやって死ぬかは決めていなかった。
ふと、以前家族で出かけた入間川河川敷を思い出した。
「そうだ、車で川に飛び込めばいい」
午後8時、里香は入間川に到着、しかしおぼれ死ぬには水深が足りないように思えた。
うまく死ねずに途中で子供たちが目を覚ましては苦しませてしまう……
里香は思案しながら、ふとバッグの中のたばこに目が留まった。

助手席では玲奈ちゃんがすやすやと眠っている。里香は睡眠薬を飲むと、後部座席の沙奈ちゃんの傍らで目を瞑ったのだった。

懲役7年

里香は、元来周囲の目が気になり、一つの事柄をいつまでもくよくよ思い悩むという性格であったこと、そしてそれは執着といってよいほどだった。
里香はその時その時では、うつの状態が回復傾向にみえることはあっても、常に沙奈ちゃんの将来を思い悩んでいた。
沙奈ちゃんの将来に関する事柄が起きていないときにはそうでもないが、たとえば年度替わりや小学校入学など沙奈ちゃんの進路にかかわる事柄が迫ってくると、また悩みが始まるといった具合に、沙奈ちゃんのことが「執着」そのものであった。

3人の精神鑑定医による精神鑑定では、二人の医師が事件当時の里香は心神耗弱が認められ、完全責任能力があったかどうかは疑わしいとしたが、一人の医師は、心神耗弱の可能性はあるものの、事理を弁識して行動する能力は失っていないと鑑定した。

里香は、実父母との関係性を幼いころから悩んでいたという。詳細は明らかではないが、特に実母との関係においては、心に葛藤を抱いていた。
それは時に、手のしびれや頭痛となって表れたという。
また、献身的に家族を支えていたという夫との関係性にも、里香は人知れず悩みを抱えていた。
そんな状態でありながら、里香自身、壁にぶち当たった時に内省する能力が乏しく、不満を感じていても具体的な解決策を見出せないという特徴的な性格を持ち合わせていた。

鑑定医の一人は、そういった内因性のうつ病を発症していたのであり、事件当時は責任能力が失われていたと鑑定したが、残る二人の医師は、内因性ではなく神経性、もしくは反応性うつであるとし、元来の性格が引き起こしたというよりも、執着し続けた沙奈ちゃんの障害、ひいては将来への悲観がうつを引き起こしたものであり、犯行当日も行動に合理性が認められると認定した。
里香は犯行当時の記憶(どうやって、何を使って放火したか)が欠けていたが、里香が意図して放火したことは明らかであり、その動機も理解可能であるとした。
また、放課後、駆け付けてきた男性らに車内に子供がいることを告げており、事の重大性も十分認識できていたと判断。
よって、里香には犯行当時、完全に事理を弁識できない状況ではなかったとされた。

一方で、完全責任能力があったか否かについては、強い自殺念慮に支配されていたことや、いずれの鑑定でもその程度は重症で、心神耗弱状態を完全に否定するものではない、といった鑑定がなされていたことから、心神耗弱の状態は認められた。

判決では、里香の行為を自分勝手極まると厳しく非難したが、それまでの里香の母親としての心痛、自分を責め続けたことへの言及もあった。
母親として、娘にできる限りのことをしてきた。教育も、療育も、経済的にも時間的にも里香は自分のすべてを沙奈ちゃんに費やしたと言ってもいいだろう。
しかし、判決は懲役7年。これを重いと見るか軽いとみるかは判断が分かれるだろうが、放火(一つの行為)によって二人が死亡したが、長女玲奈ちゃんはいわば道連れであり、犯情の面で考えるとより重いため、玲奈ちゃん殺害について処断されたものだ(観念的競合)。
そして、心神耗弱が認められたためにさらに減刑となった。
里香はおそらく控訴せずに判決を受け入れたと思われる(情報なし)。

確かに里香は一生懸命沙奈ちゃんを支え、玲奈ちゃん沙奈ちゃんの良き母親であったと思う。
それが、沙奈ちゃんが病にかかり、その後の発育に影響が残るとわかった時の母親としての心中を察するとこればっかりは同情を禁じ得ないし、里香が自分を責め、いっそ死んでしまいたいと思うのは十分理解できる。
娘を、孫を失った里香の夫や祖母(里香の実母、夫の実母)らは、里香の犯した罪に衝撃を受けながらも、里香を今後も支えていくと話した。

しかし、里香はあの夜、嘘をついていた。

里香は子供たちに睡眠薬を飲ませた。それは、苦しませたくないというせめてもの母心のはずだった。
里香自身も睡眠薬を飲み、そのまま3人とも目覚めることはない、はずだった。

結果から言うと、里香は目を覚まし、熱さに耐えきれず車外へと這い出した。いや、目を覚ましたというよりも、起こされたのだ、沙奈ちゃんに。
車内で最初に目を覚ましたのは、妹の沙奈ちゃんだった。煙と熱さに恐怖を感じ、沙奈ちゃんは必死で傍らで眠る母を起こしたのだ。
その後、里香はどうしたか。
改めて言うが、里香は「心中」しようとしていたはずだ。心中を企てた人間だけが死にきれないという結末は掃いて捨てるほどあるが、里香の場合、我に返る瞬間があったのだ。
沙奈ちゃんが里香を起こした時点で、沙奈ちゃんは「死にたくなかった」ことがだれの目にも明らかだ。しかも里香は、消火活動をしている(といっても、どうにかなるレベルではもはやなかったようだが)。
しかし火は消せず、里香は自分だけ車外へと逃げた。炎に包まれようとする沙奈ちゃんと玲奈ちゃんを車から出すこともせずに、だ。
助手席にいた玲奈ちゃんはもしかするとこの時点ですでに死亡していたのかもしれない、しかし、後部座席のすぐ隣にいた沙奈ちゃんを「車外に出さなかった」のはなぜなのか。

さらに里香の言動は続く。
駆け付けた消防隊に、里香はこう話した。

「次女が(車内で)ライターで遊んでいた。次女は何をするかわからない子で・・・。ライターで座布団に火をつけたんだと思います。後部座席には紙も散らばってましたから」

里香は、沙奈ちゃんのせいにしたのだ。玲奈ちゃんの死も、沙奈ちゃんのせいにしたのだ。この心理は何なのだろう。
無理心中で自分だけ死にきれなかった人間は山ほどいるが、本気で死のうとしていた人間で人のせいにした人を聞いたことがない。
もちろん、里香は死のうとしていたと思う。けれど、最後の最後に「保身」に走ったのはどうやっても理解できない。ましてや、愛してやまなかったはずの娘のせいにする、これはどういうことなんだろうか。

里香のこのとっさの言葉に、すべてが表れているように思えてならない。
私のせいでかわいそうな娘。私が悪い、普通の小学校にも行けそうにない、かわいそうな娘…

里香が本当にかわいそうに思ったのは、里香自身だったのではないか。

娘のせいでかわいそうな私。娘が悪い、普通の小学校に行けない娘を持って、かわいそうな私…。


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