殺害と死体遺棄を手伝った女友達の絆~千葉・前夫殺害死体遺棄事件~

平成9年8月1日午前5時

千葉市中央区東千葉一丁目。
「もう後戻りできないよ、本当にいいの」
マンションの前で言葉を交わし、意思を確認しあった二人の女がいた。
夏のこの時期、5時を過ぎれば辺りは明るくなる。もう時間はなかった。

部屋に入ると、男性がまだ寝入っていた。ふたりは、男性に近寄りそのまま首にネクタイをかけると目いっぱい引っ張った。

早く終われ…

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あなたと、地獄の果てまでも~大和市・連続主婦強盗殺害事件④~

共同作業

一人目のターゲットは弘子さんに決めた。
いつ実行するかという話になった際、庄子が8月28日、あるいは29日はどうかと言うと、章代は「あの家は夫の給料日が25日だから、早い方がいい」と提案。
実行日は28日と決まった。
その際、二人でやらなければ意味がないから、殺害時はふたりで首を絞めると決めた。そして、重要な事項である「天国を見せる」ことについても、章代が先に弘子さんに対してわいせつ行為に及ぶことも決めた。
そのほか、怪しまれないように室内に入るため、まず章代が訪問することや、財布の置き場所なども確認した。 続きを読む あなたと、地獄の果てまでも~大和市・連続主婦強盗殺害事件④~

あなたと、地獄の果てまでも~大和市・連続主婦強盗殺害事件⑤~

フミのことだけ

この事件は間違いなく、庄子が画策し、章代を引き入れて起こした事件である。章代単独ではこの事件は起きなかったけれど、庄子は章代と出会わなくても、というか強盗や強姦はこれまでに何度も繰り返して来ていた。
荒唐無稽な話を信じてしまったのも、もともと信仰心の厚い母親に厳しく育てられ、神秘的、霊的な事柄に興味を持っていたところへ、庄子の類稀なる詐欺師としての才覚のなせる業に翻弄されたともいおうか、そういった側面があったがために章代は「従属的」とされた。
一審横浜地裁でも、庄子が発案し、章代を巻き込んだものであり、章代に犯行への意思を植え付け、醸成し、決意させたのは庄子であると認定されている。 続きを読む あなたと、地獄の果てまでも~大和市・連続主婦強盗殺害事件⑤~

解体途中で投げ出した女が残した、鍋の中身~交野市・夫バラバラ殺人事件~

平成9年8月12日

大阪府交野市幾野4丁目。そのマンションでは、5月くらいから異臭騒ぎが持ち上がっていた。
生ごみのような、明らかに何かが腐敗しているようなその臭いは、3階の部屋から漂っていた。
この部屋の住人は、たしか夫婦だったはず。しかし、住民らは分譲マンションのその部屋で、夫婦の姿を1年ほど前から見かけなくなっていた。

マンションの自治会では、再三警察に相談するなどしていたが、当初は真剣に向き合ってもらえずにいた。夏になり、異臭は凄まじいことになり、ドアノブから合鍵を作り、それが出来た12日に警察官、自治会長がその部屋に踏み込んだ。

ドアを開けた瞬間、もうこれはただ事ではないとその場にいた全員が悟っていた。
凄まじい腐敗臭、それは浴室からのものだった。
浴室のドアを開けると、そこにはバラバラに解体された性別不明の成人らしき遺体と、のこぎりが放置されていた。 続きを読む 解体途中で投げ出した女が残した、鍋の中身~交野市・夫バラバラ殺人事件~

男がなりたかった「自分」~世田谷・交際女性殺害事件~

平成27年2月14日

バレンタインデーのその日、警視庁北沢署に一人の男が訪ねてきた。
「同居している交際相手が帰宅しない」
当初はよくある類の相談だと思って聞いていた署員は、男のどこか不自然な態度が気にかかった。
その後、署員に伴われて男は世田谷の小田急小田原線経堂駅前の自宅マンションへと戻るが4階にある部屋の中のロフトで女性の遺体が発見された。
遺体の首には絞められたような跡も認められたため、その後警察は同居していたその部屋の住人である先ほどの男を逮捕した。

男は曳地雄太(当時25歳)。事件当時は休職中だった。

借金してでも人に貸す男

裁判は2016年6月20日から始まった。曳地は起訴内容を認めた。
そこでは曳地の生い立ちから大人になってから被害者と交際に至る経緯、そして殺害に至る経緯が明かされたが、殺害に至る動機もさりながら、この曳地雄太という男の歩んできた生き方に誰もが首をかしげた。

曳地は特に経済的に裕福だったわけではなく、むしろ自身の生活もしっかりとなり立っていないような状態だった。
しかし、被害女性との同居生活において、その生活費の負担は曳地が担っていた、というか、最初からそういう約束だった。
それはよくある、惚れた相手のためならと言うようなことではなく、曳地の方から被害女性に対して「援助」を申し出ていたという。
被害者は山口裕美子さん(当時24歳)で、一旦大学を卒業したものの、もう一度別の大学へ入りなおすことを目標に努力していた女性だった。
学費の工面に苦労しており、それを知った曳地が援助を申し出たというのだ。

さらに曳地は、裕美子さんのみならず、友人や会社の同僚、先輩らに対して金を貸していた。その金額は総額100万円近くになった。
驚くべきことに、曳地は自身の貯蓄から貸したのではなく、わざわざ消費者金融で借金をしてまで、すすんで彼らに貸していたのだ。
そのため、自身の生活にも事欠くようになった。それを補てんするためにさらに借金を重ね、事件当時には160万円の借金があった。

曳地はそれを裕美子さんには隠していた。

男のそれまで

曳地は福島県の出身で、ごく普通の家庭に育った。
ただ、曳地には吃音の症状があり、6歳頃から友達とうまくかかわれないなどの弊害があったという。
当然母親が病院にも連れていくも、さほど重症とは言えなかったのか、様子見となってしまう。しかし曳地本人は、その症状を非常に気に病んでいたとみえる。

成長するにつれ、その吃音の症状が障害となっていると感じることが増えた。
人前で何かを発表するときも、吃音が邪魔してうまく話せなかった。中学3年の時には、部活の試合での壮行会でうまく話せず、その経験は「人生で一番の失敗」と本人が思うほどのいわばトラウマになった。

そういったことが積み重なって、曳地はある時から他人より優位に立ちたい、という感情にとらわれていった。
高校時代には明らかな他人との差を感じられ、かつ、努力次第である程度なんとかなるということからか、勉強に集中し始める。
しかしなぜかその時も、東京大学へのこだわりを持ってしまったことで、自らそのハードルを上げまくっていた。
誰であっても狭き門である東大に、ごく普通の学力でしかなかった曳地が合格するほど甘いわけはなく、曳地は東大に不合格となる。詳細がないため不明だが、もしかしたらセンター試験の時点で点数が足りていたのかどうか怪しいところだ。

曳地は浪人し、東京大学に絞らず「大学進学」を目標に努力したとは言うが、結果としてどの大学にも行けなかった。
この裁判を傍聴した朝日新聞社会部・塩入彩氏のルポによれば、「断念」という表現になっているため、受験自体が叶わなかった可能性もある。

ともあれ、曳地は学力でマウントをとることをあきらめ、2014年、上京する。

しかしそこでも曳地の「他人より優位に立ちたい」願望は色濃く躰に染みついていて、曳地は人の悩みを聞くことを生業にしたいと考えるようになった。
契約社員やアルバイトをしながら、曳地は2014年ころ

、探偵事務所のサイトを開設する。
「ミナト探偵事務所」と銘打ったそのサイトは、一見ごく普通の探偵事務所のサイトに見えたが、実は作りかけの状態で、警視庁のその後の調べでも営業していた実態はなかった。

その頃、曳地は大手探偵事務所が運営する養成学校の資料請求を行っていたことから、「探偵業」をやろうとしていたのは間違いなかった。

そして実際に、事件直前の2015年2月3日からは、探偵会社の正社員として採用となり、試用期間中だった。

この時点では少なくとも曳地は自分の目標に少しずつ近づいていたわけで、その10日後になぜ裕美子さんを殺害しなければならなかったのか、裁判長はじめよくわからないといった状態であった。

しかし、この探偵事務所での勤務が、少なからず曳地のその後の行動に関係していたのだ。

失敗続きの「自分」

憧れの探偵事務所に勤務できたことは、曳地にとってもうれしい出来事だった。
しかし、そんな思いは暗転する。
勤務開始からわずか4日、なんと曳地は会社の先輩の車を運転中に追突事故を起こしてしまう。
物損事故であったことや、保険の内容の関係で先輩の車の保険は使えなかったとみえ、運転者である曳地に90万円の損害賠償がのしかかった。
そしてその2日後には、会社を休職している。

曳地はおそらく打ちのめされていた。しかし誰でも失敗はするし、長い人生で考えればその事故も大きな事とは言えない。人に怪我をさせていないのだから良かったと言ってもいいほどだ。
しかし曳地はそう思えなかった。
しっかり謝罪して、給料天引きでもいいからその分仕事を頑張ろう、とはならず、曳地は休職してその場から逃げた。
自分はこんなはずではない、吃音に悩まされ、人の苦しみや痛みもわかっている自分は人の役に立つ人間のはず。
なのに、大学受験も失敗し、人の悩みを解決するという仕事もうまくいかない・・・

いつからか、曳地は現実の自分を受け入れられなくなっていた。

裕美子さんとの関係

そもそも裕美子さんとの出会いはTwitterだった。
その当時社会人として働いていた裕美子さんは、仕事をやめて大学に入りなおしたいという夢を持っていた。
曳地はそんな裕美子さんに、生活費の援助を申し出た。
どのようなやり取りだったかは不明だが、援助の見返りなどを求めた形跡はなく、結果として二人は交際を始めたが、曳地はそれが目的ではなかった。
2014年の暮れから同居を始めたふたりは、当初の約束通り曳地が生活費をすべて負担するという話になっていた。

実際に曳地は昼も夜も働いたという。
しかし同居を始めて間もなく、曳地の借金が裕美子さんの知るところとなった。
生活費を全部負担すると申し出た男が、借金のある男だとわかって裕美子さんは心配したという。
おそらくそれは、少なくとも当初は、心からの心配だったであろう。

「返せるの?」
そう訊ねた裕美子さんに対し、曳地は大丈夫だという返答をした。
曳地もまた、その時点では返せると思っていたという。

しかし裕美子さんもまた、切羽詰まっていた。
大学受験を目前にした2015年初め、学費の工面にめどが立たなかった裕美子さんはその年の受験をあきらめる。
そして、しっかりと学費を貯めることにしたのか、以前の職場に復帰して働き始めた。
一方で曳地は、追突事故の借金までがのしかかり、その返済に窮していた。
曳地は裕美子さんに返済を手伝ってもらえないかと頼んでみたが、裕美子さんからは逆に認識の甘さを追及されてしまった。

どんな大学へ入りたかったのかは定かではないが、たとえば医学部や芸術系の学部でないのならその学費はさほど高くはない。
学費のローンもあるし、それこそ一時的に借金をするという手もある。
しかし裕美子さんは、自分で学費を貯めてから受験するという堅実な道を選んだ。遠回りになっても、返せるあてのない借金をするということは出来ないと考えていたのだろう。
だからこそ、曳地の借金が理解できなかったのだろう。

裕美子さん自身、自分の借金で首が回らない曳地との同居に意味はなく、同居解消してそれぞれが自分のことをしっかりやっていった方がいいのではないかと考えるようになっていた。

バレンタインデーの朝

2月14日、目覚めた二人は朝のけっぱちから金の話をしていた。
曳地の借金と、今後同居していくうえでの生活費の話だった。
「今ある借金をどうやって返していくのか」「この先、安定した収入を得られるか」といったようなことを裕美子さんは曳地に訊ねたという。
せっかく掴んだ探偵への道も潰えようとしている曳地は返答に窮していた。
「見通しが甘いよね」
裕美子さんの何気ない、しかし強烈な一言であった。

早朝だったため、裕美子さんは再び眠りに落ちた。
その傍らで、曳地は自分の人生に思いを巡らせたという。普段ならば前向きな考えも出来たが、その日ばかりはできなかった、裁判で曳地はそう答えた。

曳地は眠っている裕美子さんの首に手をかけ、驚いた裕美子さんがわずかに抵抗したものの、そのまま締め続け、裕美子さんを殺害した。

曳地は自分も、というか一人で死ぬつもりだったという。
しかし結果として、曳地はその後自殺未遂すらせず、裕美子さんにLINEで「ご帰宅は何時ごろです?」などとあたかも裕美子さんと一緒にいなかったかのような偽装工作までしていた。
それらを法廷で質問された際には、「裕美子さんを殺害する直前の数分間に、死にたい気持ちが増大した」「(LINEは)自白できなかった際に、失踪届の参考になると思った」などと話した。

一方で、遺体を部屋にそのまま残した状態で警察に行くなど、隠ぺいとは言えないような行動もあり、曳地の心理状態は腑に落ちないものだった。

裕美子さんは殺害される前日も、いつもと変わらず元気な様子で退社したという。
ただ、曳地との同居解消については同僚らに話していたようで、勤務先の上司らも何となく知っていたようだ。
しかし、深刻な様子はなく、まさかこんな事件に発展するとはだれも想像すらしていなかった。

自己愛性人格性障害

曳地は裕美子さんに対して、実際に同居を始める以前から「対人恐怖症」であると思っていた。
そして、自分とよく似た境遇であるとも感じていたという。
その似ているところとは、「弱者である点」だった。

誤解のないように記しておくが、裕美子さんが対人恐怖症であるとか、弱者であるといったことは全く感じられない。
そもそも会社でも同僚らとのコミュニケーションに問題もなかったし、一度辞めた会社に復職できるほど信頼されていた。
また、対人恐怖症の人間がネットで知り合った異性と同居したり出来るもんなんだろうか。ここら辺は専門外なのでわからないが、少なくとも裕美子さんが対人恐怖症であるという話はない。

曳地はなぜか、裕美子さんを「弱者」にしたがっていた。
それは裕美子さんに限らず、どこか他人を弱者と決めつけ、時には関係を持った人間(友達や同僚など)に過度な好意や親切心を見せることで相手の立場を弱い方へ追いやるという性質を持っていた。
裁判の過程で行われた精神鑑定では、鑑定した医師によって「自己愛性人格障害」と診断された。
一見、自分を犠牲にしてでも他人に尽くしたり助けるという行為は尊い行為だし、医療従事者や法律家、警察官や消防士などの公職に就いている人の多くは、純粋にそう考えている人が多いだろう。
しかし曳地の場合は、そうすることで自己の「人を救済したい」という欲求を満たしていた。
そのために他人を「利用」していたのだ。

多くのまともな人々と曳地の違いは、身の程を知っているかどうかだと言える。
本来、曳地が心から人を救済する仕事をしたいと思っていたなら、大学や専門学校で医療系、心理系、福祉などの勉強をしたうえで実務に就く、資格ももちろん取る努力をしただろう。
しかしそれには長い時間がかかるし、忍耐も必要である。10年経っても半人前だと自身を戒めている人も多い。
曳地はそれをしなかった。それをしない時点で、他人を救済できる人間になどなりようがなかったのだ。
しかし手っ取り早くその立場になるために、他人を弱者と決めつけることにしたのだ。

裕美子さんは生活の援助などしてもらわなくても問題はなかった。事実、生活の援助を申し出たはずの男は自分の生活も成り立っていなかった。
お金を貸してもらったかつての同僚らも弱者などではなかった。激しく自分を見失った曳地だけが、彼らを弱者と決め込んでいた。

裁判で、弁護人から「何が間違っていたか」と問われ、「他人の生活をサポートできる人間でありたいと強く思いすぎた」と曳地は答えた。
そして、「何を受け入れられなかったのか」という問いには、「等身大の自分」と答えた。

曳地はたしかに、裕美子さんの生活を支えようとしていたのだろう。裕美子さんの生活を支えるために自身の生活を削り、そのために借金もした。
その事実を裕美子さんが知ったとき、「私のために借金までしてくれてありがとう」と言われるとでも思ったのだろうか。言うかバカ。

曳地は懲役14年が確定した。

(参考図書:「きょうも傍聴席にいます」朝日新聞社会部 )