ならばどうすればよかったのか~出雲・1歳児殺害事件~

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平成26年9月9日

島根県出雲市。
初秋の日差しが降り注ぐ山間の集落。平田船川に流れ込む小さな川沿いの道路を進むと、田畑の広がる中に小さな神社が点在する非常にのどかな風景が広がっている。
この日、いつものように1歳の孫娘が母屋にやってくるのを待っていた祖父母は、午前8時を過ぎても一向にやってこないことに気が付いた。
祖母が、息子家族が暮らす離れに行こうと表に出ると、そこには嫁が立ち竦んでおり、顔を見ると、泣き腫らしたのか頬を紅潮させていた。
「どうしたの?」
気遣う祖母の横をすり抜けるように祖父が離れへと走る。
離れでは、1歳の孫が意識を失った状態で倒れていた。

二度、首を絞めた母


9日午前8時過ぎ、出雲市多久谷の民家から119番通報が入る。
「子どもが息をしていない、意識もない」
すぐさま消防が駆け付けたが、倒れていた1歳の女の子は心肺停止。そのまま救急搬送された。
警察が家族らに事情を聞いたところ、その場にいた母親の佳世子(当時40歳)が娘の首をACアダプターのコードで絞めて殺害しようとしたことを認めたため、佳世子を殺人未遂の容疑で逮捕した。
病院へ搬送された娘の明穂ちゃん(当時1歳)は、懸命の救命にもかかわらずその日の午後9時ごろ、死亡した。

明穂ちゃんの死因は首を絞められたことによるものだったが、その細い首には、2度絞められた痕があった。
佳世子は警察の調べに対し、「長女がいなくなれば不安や悩みが軽くなる」と考えたと話し、育児を極度に悩んだ末の犯行であるとみられた。

しかし、佳世子が娘の首を絞めるまでには、長くつらい本人の問題があった。

佳世子のそれまで

佳世子は島根県大田市の生まれで、県内の高校を卒業後は大阪の大学へと進学し、平成9年に高校の教師の職に就いた。
一人娘ということもあってか、両親が島根県内での就職を希望したのもその理由の一つという。
そこで出会った同じ教師の男性が後の夫となる。
佳世子は転勤した先の高校での人間関係がうまくいかなくなり、日々悩んでいたという。平成15年には休職するまでに追い込まれ、その際「心身症」との診断を受けた。
当時すでに結婚していた佳世子は、夫の支えのもとで療養したものの、平成19年に退職する道を選んだ。

体調と相談しながらの生活だったが、夫の転勤で移った島根県東部の町での暮らしは、佳世子の心を安定させたという。夫婦は年齢的なことも考えて平成24年ころから不妊治療を開始する。幸いにもすぐに妊娠し、平成25年の夏に明穂ちゃんが生まれた。

佳世子は妊娠を知ったとき、嬉しくて嬉しくて、すぐさま夫に連絡した。夫も喜び、病院へと駆け付けてくれたという。
ガラスのような心にびくつきながらも、妊娠して母になる喜びを、佳世子は噛みしめていた。
そして、「お母さんになるんだから、しっかりしなくちゃ」という、自分自身への励ましや決意のような気持ちも同時に持っていたと思われる。

しかしのちに、その誰もが持つ自分自身への励ましや決意が、佳世子自身を追い込むことになっていく。

ほうれん草の筋とり

佳世子は性格的に几帳面だった。また、手を抜いたり、自分流にアレンジするということが苦手というより、全くできない性格だったようだ。
明穂ちゃんが生まれて1週間後から始まる「育児ダイアリー」は、こと細かく1日の様子が書き込まれていた。
便の回数やミルクの量、さらにはその時間も正確に記入した。
私も息子が生まれてから育児ダイアリーをつけたが、最初こそびっちりと記入しては悦に入っていたものだが、次第に余白も目立つようになったし、育児疲れで書いてる余裕ねーよ!!となることもあり、最後の方はイベントや大きな出来事があったときのみ、記入するという適当なものになっていった。
しかし佳世子は、どんなに疲れていても日々明穂ちゃんの成長の様子や自身が行った世話などをしっかりと書き込み、市などが開催する育児に関する講座なども積極的に参加していた。

お風呂の入れ方から離乳食の作り方など、子育てに関するありとあらゆる「基本」を学んでいたという佳世子だったが、次第にそれは軋み始める。

朝日新聞社会部の傍聴記、「母さんごめん、もう無理だ」に収録されているこの事件の裁判傍聴記によれば、この育児講座や育児雑誌の弊害ともいえる部分が紹介されている。
弁護人による佳世子への質問では、離乳食づくりが特に佳世子を苦しめたことがうかがえる。
佳世子が習った離乳食づくりでは、ほうれん草のペーストづくりが取り上げられた。
おそらく、口当たりを滑らかにするために、赤ちゃんが飲み込みやすいように、葉物野菜などの繊維物はあらかじめ繊維を取り除くのが良いですよ、といった話を忠実にこなそうとしたとみえ、ほうれん草の繊維を取り除く作業に半日を費やしたという。
私からすれば笑ってしまうようなことだが、おそらく佳世子はこの裁判のさなかでも、ほうれん草は繊維を取り除かなければいけないものだと思っているようだった。

ほうれん草の繊維って何?!そんなもん、ハンドミキサーかなんかでガーっと混ぜといたらええんじゃ!と私は思うが、おそらく佳世子にそう教える人はいなかった。さらにいえば、もしも私がそばにいて、「そんなことしてるの?そんなことしなくても大丈夫よ」といったところで佳世子は頑なにほうれん草の筋を取り続けただろうな、とも思う。

離乳食が日に一度の頃はまだよかった。しかし成長とともにそれは2回になり、佳世子はメニューをどう決めればいいのかわからなくなったという。
離乳食なんて、最初は食べたり食べなかったりで、せっかく手作りしてもひっくり返されることも多い。それに、最近のキューピーとかのレトルトや瓶詰の離乳食は超優秀だから、私はドラッグストアでいろんな味を買いだめしては、子供が喜んで食べるものを探すのが楽しかったりもした。楽だったし。
しかし佳世子は、そんなことはもってのほかっだったのではないか。
離乳食は、母親が手をかけ時間をかけ、愛情をこめて手作りするのが当たり前。そう教えられたのかもしれないし、むしろ佳世子自身がそうあるべきと思い込んでいたのではないか。
そしてもっというと、「楽をするなんて許されない」と、佳世子自身が思っていたのではないかと思うのだ。

佳世子は娘を生んで1年も経たぬうちから、離乳食のメニューが決められないと悩み、夜も眠れなくなっていった。

周囲の支え

佳世子は確かに対人関係に悩み、心身症との診断もされていたが、家族はいろいろと佳世子を支えていた。
夫は、休職して以降感情の波が激しい妻に気を使い、それでも何とか理解しようとしていた。
時に些細なことで激高する妻のことを、なんとかわかろうとしていたのは裁判で証言した妻との生活でもうかがえる。

さらに、明穂ちゃん出産後、育児に悩む妻を思って夫の実家である出雲市へと引っ越し、実家の離れで生活を始めた。
この頃の佳世子は、読んでも返事をしない、自身の身だしなみさえまるで興味がないかのようになっており、とても明穂ちゃんの世話などできようはずもなかった。
夫の両親は、佳世子に代わって明穂ちゃんの世話を担い、佳世子はただそれを感情のない顔で眺める日々が続いていたという。

平成26年6月、感情の波が一段と激しくなった佳世子は、「双極性障害」と診断された。
薬も処方されたが、家族はそれをあからさまに佳世子に飲ませることはせず、こっそりと夕食に混ぜるなどして飲ませていた。
功を奏したのか、徐々に佳世子の体調は良くなったように「見えた」という。
明穂ちゃんをかわいがるなど、それまでできなかった世話も出来るようになっていた。そのためなのか、薬は1か月もしないうちにやめている。
人とのかかわりに不安を持っていた佳世子だが、親戚の人にもあいさつするなど、回復の兆しが見えていたと家族は言う。

しかし、佳世子はまったく自身の回復を実感していなかった。

詳しくないため断言はできないが、いわゆる双極性障害というのは「なんでもできそうな気がする」躁状態があるので、その状態が周囲から見ると「回復している」と映るのではなかったか。
私の近しい人の話だが、朝起きて「お、今日は気分がいいぞ、なんでも出来そうだ、よし、じゃあ今日自殺しよう!」という感情にとらわれたという人がいる。
むしろ、抑うつ状態のときは自殺する元気すらないという話だったが、それが本当ならば、むしろ「元気に見える」時こそ、危険な状態と言えるのではないだろうか。

佳世子は明穂ちゃんの世話ができるようになっても、だからといってその状態から脱していたわけではなかった。

そしてそれは、家族の幸せなひと時がもたらした「油断」によって破滅へと転がり落ちる。

「これからが大変だね」

事件前日、明穂ちゃんが初めて自分でスプーンを使ったという。
明穂ちゃんのその愛くるしい姿に、佳世子も夫も両親も、嬉しさでいっぱいだった。子供の成長を間近で見られる喜び、それは何にも代えがたい幸せな時間だったろう。

つい、家族からこんな言葉が出た。

「これからが大変だね」

もちろんこれは、大変だけどそれは成長のあかしだから喜ばしいことだよね、という意味であって、家族とてプレッシャーを与えたりましてや喜びに水を差す意図など微塵もないのだ。どこの誰でも似たようなことは言う。
しかし、ほうれん草の筋を半日かけてとり続けた佳世子には、言葉のもつ意味は「額面通り」にしか伝わらなかった。
「大変なんだ。そうか。じゃあ私が明日から一緒にスプーンの練習をしなくちゃ…」
そして、佳世子はこうも思った、「私が一人でやらないとダメなんだ」と。

佳世子はおそらくその日眠れなかったのではないか。
ほうれん草の筋どころの話ではない、子供が一つ一つ出来ることが増えていくということは、その分、母親である私もやらなければならないことが増えていくということだ、うまく出来なかったらどうしよう、そんな思いが頭を巡ったとしても何らおかしくはない。

翌朝、出勤する夫に佳世子は「辛い」と話したという。
おそらく佳世子の精いっぱいの、SOSだったのだろう。しかし、これでピンとくる人がどれだけいるだろうか。
夫とて、心配はあったろう。しかし、家には両親もいるし、それにまさか、まさか娘を傷つけたりましてや殺したりするなど、想像できるわけもなかった。
それを想像力不足と断ずるのは酷ではないか。

しかし結果は重大すぎるものだった。

どうすればよかったか

佳世子は鑑定留置を経て、裁判に臨んだ。
弁護側、検察側双方が用意した医師による佳世子の診断は正反対のもので、いずれも弁護側、検察側それぞれの意に沿う形のものだった。
結果として、裁判所は犯行時の記憶が鮮明で、完全責任能力ありとして懲役4年の判決を出した。執行猶予はなかった。
逮捕後、夫と離婚し旧姓に戻った佳世子は、明穂ちゃんの首をなぜ2度締めたのかと聞かれ、「一度やめた時、首に痣が見えたから」と答えた。
これをどう読むべきだろうか。取り返しのつかないことをしたからには、やりきるしかないと思ったのだろうか。
もしもそこでやめていたら、明穂ちゃんは死なずに済んでいたかもしれない。
一方で、自分が死にたいという気持ち(希死念慮)が強かったと言いながら、検察側の質問では動機について、明穂ちゃんがいなくなれば楽になると思ったとも話す。

私は常々、なんで自分が生きていけない、ということが子供を殺すことにつながるのかが理解できなかった。
しかし、佳世子はこう話した。
「自分と娘の区別が曖昧になった。自分が死ぬことと娘が死ぬことの境界線が分からなくなった」
なんともゾッとする話、感覚ではあるものの、私は腑に落ちた気がした。

佳世子に限らず、このように母子一体の感覚に陥る人は少なくないだろう。
佳世子の場合は決して孤立もしていなかったし、日々の育児も夫やその両親らの手助けがあった。佳世子自身への理解もなかったわけではなかろう。
にもかかわらず最悪の事態へとつながってしまったのはなぜなのか。誰が悪いのか。
何が一番辛いって、佳世子も含めて誰が悪いわけでもなかった点ではないか。
ということは、どうすればよかったのかがまるで分らないままだ。

一つだけ間違いなく言えるとしたら、母と子を物理的に離すことを考えても良かった、ということではなかったか。
ある意味、母親を佳世子に「強いてしまった」ことが、この結末をもたらした要因の一つではないかとも思う。もちろん、そうしなかった家族らを責める意図ではなく、考えられることの一つという意味である。家族は近すぎて時に冷静でなくなることもあるだろうし、全ては佳世子のことを思えばの行動だったはずだ。
だからこそ、家族以外の周囲の人や専門機関の適切かつ思い切った指導も、これからは必要になるのではないか。

月命日には娘の冥福を祈り続けているという佳世子には、今後は自身の心を回復させるために必ず生きてほしいと願う。
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参考文献 朝日新聞社会部 「母さんごめん、もう無理だ」

「ならばどうすればよかったのか~出雲・1歳児殺害事件~」への2件のフィードバック

  1. 実はうちも、高齢出産で必死に育児をした思い出があります。

    最初の内は、何を分からず右往左往していました。

    正直、仕事仕事と何もしないという手もあったのですが、とにかく出来るだけの手伝いはしました。

    とにかく出来るだけ子供と引っ付いておこうと。父親に慣れてもらおうと心がけました。

    二人とも合理的に考える方だったので、手を抜ける所は抜いていました。

    余談ですが、主婦業とは「家事をこなす」という事と考えています。ある時間と費用を使用して家の用事をこなすのです。

    食事もらえていた作る時間がないなら、レトルトでもいい。ただ良いレトルトを購入するのです。それが正しい主婦業と思います。

    とにかく一緒にいるうちに何とか食事やオムツの交換が出来るようになり、奥さんを遊びに行かせる事ができました。この時、キユーピーの離乳食には助けてもらいました。

    恐らく、佳世子の夫は主婦業について何も考えてなかったのでしょう。子供の世話もそうですが、自分の世話もしてもらっていたのでは?

    あと思ったのが、普通奥さんの実家へ里帰りしません?佳世子が精神的病になっているなら尚更では?と思います。

    何かあったのかといらぬ想像をします。

    この事件、夫に責任ありと。高齢出産ならば、尚更奥さんを気遣うべきだと。夜泣きで寝不足からの更年期障害で、ぼろぼろだったと。夫の役割は金持って帰るだけじゃないぞと。

    ま、お金を持って帰らない事にはしょうがないでしょうが。

    1. ひめじの さま
      主婦の仕事は、同じことをしても人によってそのレベルは大きく違っています。
      わたしも、ひめじのさんと同じ考えで、できる範囲で可能な限りより良くすれば良いと思っています。レトルトやお惣菜でも、できるだけいいものにしよう、でいいと思うんですよね。
      しかし、佳世子は元の性格もあったと思いますが、そういうのは許せなかった。

      あと、夫の実家へというのも確かに解せません。普通は、妻の実家ですよね。
      佳世子は一人娘で、親の言うことを結構ちゃんと聞いて人生設計しているので、もしかしたら親との関係でも私たちにはわからない何かがあったのかもしれません。

      夫が佳世子の最後のSOSを見逃したのは痛恨の極みでしょう。ただ、この家族はかなり佳世子に気を使い、なんとか佳世子の負担を減らそうとしていた節はうかがえます。
      良い義両親だったのかも知れません。だからこそ、義実家へ言ったのかもしれない。

      罪を償って、娘さんの供養をしながら生きていってほしいです。忘れちゃいけません。

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