美女と野獣の成れの果て~館林ストーカー殺人事件~




2014年2月19日。

群馬県館林市小桑原町。
その日は冬空の合間から太陽も見える一日で、新宿二丁目交差点から少し南下したそのディスカウントストアにも買い物客が多く訪れていた。
広い駐車場内の一画に、ポツンと止まる1台の軽乗用車。15時ころ、通りがかった店員が運転席でうなだれている若い女性に気づいた。
寝ているのか?と思ったが、頭と鼻から血を流しているのを発見し、急いで通報したが女性はすでに死亡していた。
女性は、群馬県大泉町寄木戸に住む鈴木千尋さん(26)。3歳の子供の母親であった。





犯人について

鈴木さんを殺害した疑いで、20日、警察は鈴木さんの元交際相手のトラック運転手・永井隆央(39)を指名手配。
永井は2013年11月に鈴木さんに暴行を加え検挙されていたが、その後も執拗に鈴木さんを追い回し、家族らも巻き込んだトラブルを起こし続けていた。
しかし、2月21日、栃木県鹿沼市の粟野水処理センター横の農道に停車していた永井の家族名義の車を発見。車内で死亡していた男が永井本人と確認された。
永井はロックした車内で、鈴木さんを撃った拳銃で自身の腹部を撃ち抜き、果てていた。

それぞれの過去と関係

鈴木さんは栃木県佐野市出身。中学を卒業後、水商売などをしながら生計を立てていたが、22歳のころ結婚、女児に恵まれたが離婚し、シングルマザーとして幼い娘と二人で暮らしていた。
一方、永井も2度の離婚歴があり1度目の妻との間に子どももいたが、鈴木さんと交際を始めたころはお互い過去も清算していたようだった。

鈴木さんとは、群馬県太田市内の鈴木さんの働くキャバクラに客として永井が訪れたことをきっかけに始まった。時期は2013年の7月半ば。
傍目にも美人で若い鈴木さんとの交際は、しがないトラック運転手で年も一回り上の永井にとってみれば、幸せなことであったことは間違いなく、少しでも二人の時間が持てるようにとトラックの運転手と並行して行っていた代行運転の仕事の方に力を入れていた。あちこちと行かなければならないトラックの仕事より、鈴木さんが働く店の界隈で、同じ時間帯に仕事ができる代行運転の方が時間を作れると思ったのだろう。
代行運転会社の社長によれば、永井は「子どものいる女性と交際していて、結婚も考えている」と話していたという。




鈴木さんも、ただの客としてではなく、個人的に永井と交際している認識はあり、知人に「過去の関係(お互いの男女関係)も切って、気が合う」と永井との交際を話してもいる。
しかし、わずか3か月で鈴木さんは永井に別れ話を持ちかけた。その理由は推察でしかないが、束縛するタイプだった永井を扱いきれなくなったのもその要因にあるだろう。
永井にしてみれば、ふたりの時間を少しでも多く持ちたい思いで鈴木さんの近くで出来る代行の仕事を増やしたのだろうが、多分それは「少しでも鈴木さんの動向を把握しておきたい」という感情の方が強かったと思われる。
人気商売のホステスに付きまとうチンピラ崩れの中年男など、害しかないのは火を見るより明らかだ。
鈴木さんの仕事にも支障をきたしていたであろうことは容易に察しが付く。
実際、別れ話を切り出した鈴木さんに対し、永井は激昂し、ありとあらゆる手段で別れ話を取り消させようとしている。
それは脅迫というよりやぶれかぶれで、「交際に費やした金を返せ」「裁判を起こす(何の?)」といったものに終始していたが、結局鈴木さんは店をやめざるを得なくなってしまう。

2013年10月以降、幾度となく別れるための話し合いは持たれたが、11月の初め、栃木県佐野市内のセブンイレブンの駐車場で再度別れ話を切り出した鈴木さんに対し、身をよじって逃れようとする鈴木さんの左手首をつかむなどの暴行を働く。身の危険を感じた鈴木さんは、警察に被害届を出し、暴行容疑で逮捕となった。
20日ほど拘留はされたものの、永井は釈放。その間、栃木県警は鈴木さんの意向でストーカー規制法に基づいた警告を文書で永井に通告している。

鈴木さんの葛藤

永井の釈放と同時に、鈴木さん自身も生まれ育った栃木県佐野市を出て、群馬県大泉町に知人を頼って転居した。その場所は、永井が土地勘のないことで選んだもので、12月5日には町役場に対して住民票の閲覧制限の申請もしていた。
鈴木さん自身、ちゃんと永井と別れようと思っていたのはわかるが、どうもその「決意」が疑わしい部分もあった。
そのひとつに、永井が釈放後も異様な量の電話やメールを鈴木さんに対して発信し続けている点がある。
この時点で、永井は鈴木さんの居場所を知らず、あの手この手で居場所を割り出そうと試みているが、その間二人をつなぐものとすれば携帯電話番号とメールアドレスであった。
いくら仕事で使用するから、面倒だからとはいえ、「本気で」その相手を断ち切るためには電話番号を変える、当面は信頼できる数人のみにしか知らさない、メールもアドレスを変えるなど手段はあった。
しかし、鈴木さんは連絡手段を永井に残していた。そのため、それにすがるしかない永井は日に100通を超えるメールを送ることもあった。それを、読むことをしないまでも永井の名前で埋まったメールボックスに恐怖を感じなかったのか。

おそらく、鈴木さんの中で永井を完全に追い込んでしまうことの方がまずいという判断があったのだと思われる。
一度は心を許し、楽しい時間も過ごした相手だけに、なんとか自分で解決したいという思いが鈴木さんにはあった。
警察からも複数回にわたって「会うな」「連絡を取るな」と忠告されていたそうだが、それでも鈴木さんは交渉のため自分から永井に連絡をすることもあった。
さらに、永井をなだめるためか、交際していた時の費用として200万円を返還したとも知人に話している。

しかし、鈴木さんの葛藤をよそに、永井の狂った愛情はもはや200万円程度で済まされる問題ではないところまで来ていた。

つづく