2010年5月5日。
静岡県御殿場市萩原の住宅街の一角。
住宅ローンが滞り3月に競売にかけられたその家は、不動産業者が落札し清掃業者が残された荷物やゴミの整理のため立ち入っていた。
直前の4月25日まで元の住人が暮らしていたその家は、生活感の抜けきらない何とも言えない雰囲気だったが、競売物件にはよくあることでもあった。
敷地内にある物置を掃除していた業者は、放置された青いビニールシートに目が留まった。粘着テープで不自然に巻かれたそのビニールシートをはぐと、そこに現れたのは女性らしき遺体であった。
仰天した清掃業者の通報で駆け付けた御殿場署員も遺体を確認、その後の調べで遺体は2月ごろから行方が分からなくなっていた久松紘子さん(当時26歳)とわかった。
紘子さんは、遺体発見現場となったこの住宅の元の持ち主である桑田一也(当時44歳)の前妻であった。
桑田は、遺体が発見される直前の4月に、知人女性に振り込め詐欺をはたらいた容疑で逮捕、起訴されていた。
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もう一つの事件
紘子さんの遺体発見後、被疑者として報道された前夫の桑田のニュースを見た女性は、思わず息をのんだ。
「この男、うちの娘とつきあっていたんじゃなかった?!」
その日のうちに警察に駆け込んだのは、2005年に行方不明となったままの日比野かおりさん(当時22歳)の母親だった。
事情を聴いた御殿場署は、まず紘子さんの事件について再逮捕、起訴。すでに起訴されていた詐欺事件の公判中に、知人女性におよそ4000万円もの借金をしていたことを指摘。
その後、8月に入って日比野さんに関する事情聴取を開始し、桑田はすぐに自供。かおりさんを絞殺したのち、遺体はビニールシートにくるみ、ドラム缶に詰めた上空地に放置してあると言った。
驚くべきことに、その放置した場所はかおりさんを殺害した沼津市西椎路のアパートから南に500mしか離れていない、学校や民家の立ち並ぶ一画にある空地であった。
日比野かおりさんの事件
桑田は、2000年頃に御殿場市萩原に自宅を建設した。それが遺体発見現場となった住宅であるが、当時の妻と子供とくらしていた。
しかし、2002年頃に風俗店勤務のかおりさんと店で知り合い、以降かおりさんと沼津市西椎路の2階建てアパートで過ごすようになる。
かおりさんは、桑田に妻子がおり、別に住まいがあることもわかっていたようだ。写真を見る限り強面の桑田だが、かおりさんには惹かれる部分があったのだろう。
かおりさんと交際している時点での桑田の職業は定かではない(逮捕時はリフォーム業)が、その2年前には自宅を新築していることから、ある程度の経済的な余裕はあったと見える。
しかし、かおりさんと交際し始めてから後、桑田はたびたびかおりさんに金の無心をするようになった。22歳とはいえ、風俗店勤務であったかおりさんには、同年代の若い女性では不可能に近い貯蓄があったようだ。
桑田はかおりさんに頼んで金を貸してもらったというより、かおりさんに無断で金を引き出していたこともあり、かおりさんはその金を「借金」と考えていた。
その額面は、2年半で990万円にものぼっていた。
2005年秋。
かおりさんと桑田の関係はこじれていた。かおりさんは、いつまでたっても金を返そうとしない桑田に業を煮やしており、この頃になるときつく返済を求めるようになっていた。
自分の親ほど年の離れた大の大人の男が、女から金をせびって返しもしない。しかもこの男には妻子がいる。かおりさんにしてみれば、自分が体を張って貯めたお金がどこへどう消えているのか、腹立たしい思いが募ったに違いない。
そこでかおりさんは、「返してくれないなら警察へ行く」と言いはじめた。脅しのつもりだったのだろう、桑田の不誠実な態度が少しでも直ればよいという思いで、かおりさんは強く言った。
その頃桑田は、仕事もうまくいかず金に困窮していたとみられる。かおりさんからの返済を迫る言葉に次第にイライラが募るようになったのだろう。
そして、10月の下旬、ひょんなことからかおりさんの貯蓄が2000万円以上あるということを知ってしまう。
そんなに貯蓄があるなら、たかだか900万くらいで目くじら立てるなと、クズ男は考えるだろう。
しかし、最強クズ男桑田はさらに上を行く。
「この女を殺してしまえば、借金はチャラになった上、こいつの貯金も手に入る」と。
桑田の決断からの行動は早かった。かおりさんの貯蓄額を知った翌日、かおりさんを床に押し倒したうえ、首を絞めて殺害した。
その後、かおりさんの遺体をビニールシートにくるみ、ドラム缶に入れた上、近くの空き地(当時は廃材置き場)に放置した。先にも述べたが、この空き地は殺害現場となったかおりさんのアパートから数百メートルしか離れておらず、人の往来もある場所で、管理する人間もいた。
管理者にドラム缶を放置していることを咎められると、「肥料にするための土を入れている。日に当ててはいけないからふたを開けるな」と言っていた。
管理者は訝りながらも桑田に気おされ、その蓋を開けることはなかった。
そして、かおりさんは5年もの間、自宅アパートからすぐのその場所で誰にも見つけられることはなかったのだ。
久松紘子さんの事件
かおりさんを殺害したのち、桑田はかおりさんの母親に娘が生きているかのようにみせかけるため、かおりさんの携帯からメールを送るなどの偽装工作をしていた。
その一方で、かおりさんの預金口座から、直接引き出したり自身の口座へ振り込むなどしておよそ2360万円を盗んでいた。
それらは、自身の生活費や遊興費に加え、本宅で暮らす妻子へも渡っていたとみられる。
2008年12月、桑田はひとりの女性と知り合う。名を、久松紘子さんといい、2人の子どものいる女性だった。
既婚者である桑田は、よほどこの紘子さんに惚れ込んだのだろう、出会った半年後の2009年6月には離婚、10月には紘子さんと入籍、連れ子も養子縁組をして、清水町久米田のアパートで紘子さんの連れ子も含めた新婚生活を始めた。
近隣の人によれば、当初は子供たちを連れ歩き、非常に仲の良い夫婦、家族に見えていたという。桑田自身も、紘子さんの願いであった子どもたちとの養子縁組も受け入れ、実子として育てていた。
しかし、その頃桑田の仕事はうまくいっておらず、金銭的に余裕がまったくない状態が続いていた。すでに前妻と子供たちが暮らす家の住宅ローンは長きにわたり支払われておらず、差し押さえられるのも時間の問題であった。
そして、その経済的な問題は紘子さんとの生活にも影を落とすことになる。
夫婦は生活費をめぐって次第に口論が増えていった。仲が良いと評判の夫婦は、怒鳴りあい、近所の人が何事かと耳をそばだてるほど険悪な状態に陥ってしまった。
夫婦の溝の要因は、経済的なことだけではなかった。
桑田は離婚した前妻と3人の子どもたちが暮らす家に頻繁に出入りしており、そのことを紘子さんは把握していた。
離婚したとはいえ実の子どもたちのこともあり、ある程度は仕方ないと思っていた紘子さんだったが、それにしてもそのためにどうして自分たちの生活が脅かされなければならないのか。紘子さん自身も2人の子を持つ母である。しかも養子縁組までしている以上、その子供たちは桑田の3人の実子と何ら変わりはないはず。
それなのに、桑田は元の家族の元へ足繁く通っている……
紘子さんの心の中に、次第に黒い感情が沸き上がるようになったのも無理はない。
桑田の煮え切らない態度と相変わらず苦しい生活に耐えかね、紘子さんは前妻のもとへ無言電話などをしたことがあるという。また、生活費を家にいれないのなら、前妻に言って前妻に払ってもらうといった主旨の発言もしたという(桑田の主張)。
実は桑田には、前妻に紘子さんが接触することだけは避けたいある「理由」があった。
そのため、次第に前妻に近づこうとする紘子さんを疎ましく思うようになったとみられる。
20010年2月16日、ついに桑田は紘子さんに暴力を振るい、救急車が出動する騒ぎを起こした。しかし、近隣住民によればおおかたのケンカは、まず紘子さんの罵声や桑田をなじるような怒鳴り声から始まり、それが次第に悲鳴に変わるといったケースだったようで、この時も救急車を呼んだのは紘子さんであった。
そして、その一週間後の2月23日。紘子さんは忽然と姿を消すのである。
無能な男がこだわった虚愛
紘子さんの遺体は、冒頭の通り前妻らが暮らす自宅の物置に隠していたが、これは「一時的」な措置であったとみられる。
実はかおりさんについても、殺害してから空地へ遺棄したのは2か月ほど後になってのことで、当初はアパートに放置していたのではないかと推察する。
いずれも、一気にことを片付けず、とりあえずで凌ごうとする桑田の性格が表れているといえよう。
事実、そのその場しのぎの行動は、2010年4月に桑田が別の詐欺容疑で逮捕されたことでバタバタと狂い始める。
紘子さんが失踪した10日後には、紘子さんとの離婚届を提出し、養子縁組も解消したとみられる。その際、紘子さんの母親も同行していたという。
この時点では、母親らもうまく丸め込んでいたのだろう、母親はその後、警察に事件の相談ではなく、娘の捜索願を出している。
4月、桑田は知人の男らと共謀し、60代の知人女性から92万円を騙し取ったとして逮捕される。その直前、件の自宅は競売にかけられることが決定していた。
居座り続けた前妻らも、頼りの桑田が逮捕されたことで家を出る決意をし、4月下旬にはその家を後にした。
そして、5月に清掃業者が入ったことにより、紘子さんの遺体発見となったのである。
桑田は、紘子さんと正式に1度は結婚している。当然、前の妻とは離婚が成立していたわけだが、なんとこの前妻はその事実を全く知らなかった。
桑田は公判でも、紘子さんの殺害理由を「金銭トラブル」などではなく、「紘子さんが元の妻らに危害を加えるのではないかと不安だった」などと、元の家族のためであったとしきりに強調している。
また、かおりさん殺害についても、金銭を奪うためではなく、「(かおりさんを)警察に行かせたくなかった」というのが動機だと述べている。
これも、もしかおりさんが警察に行くことになれば、妻らにも迷惑がかかると考えてのこと、と言いたいのだろうが、責任転嫁も甚だしいと言わざるを得ない。
弁護人までもが、「いずれの殺人も家族を思いやってのこと」と言い放つ始末だった。
この桑田の言い分から何が見えるか。
捜査関係者によれば、とにかく虚勢を張りたい男だったようで、自分を男気のある人物にみせることにこだわったのではないかと言われている。
事実、桑田はかおりさんにも紘子さんにも、当初はひたすら優しく年上の男らしい態度で接していたようだ。
しかし、本当の桑田一也という男は、自分で立ち上げた事業がうまくいかなくてもそれを何とかしようとするわけでもなく、金に困れば女にすがり、女が相手にしない時にはブランド物を勝手に質入れするようなヒモの風上にも置けない男である。
そんな本当の自分を認めたくなかったのではなかったか。
ゆえに、全てはもともとの家族を守るためにしたことなのだと、そう思い込もうとしていたのではないか。自身の私利私欲のためとは、絶対に思われたくなかったのではなかったか。自分は家族を守るためにいわば「戦った」男であると思い込みたかったのだとすれば哀れを通り越して不様である
実際、紘子さんとの生活がありながら、御殿場の自宅へ頻繁に戻っていたのは、元の妻らとの生活を維持したかったのだろうと思われる。
なぜそれほどまでに「愛」にこだわったか。
それは桑田が無能だったからにすぎない。
常に女に助けられて寄りかかって生きてきた桑田は、無能ゆえにその依存する相手が思うようにならなくなった時の対処法を知らなかった。とにかく黙らせるには、殺す以外に考えがなかったわけだ。
さらに、殺した後のことも、はっきり言って考えていなかったのだろう。だからこそ、かおりさんの遺体をしばらく放置し、思い付きでドラム缶に詰め、とりあえず手近な場所に「仮置き」したのだ。そのうち別の場所へ持っていこうとして、「忘れた」のだ。というより、なかったことになっていたという方が正しいかもしれない。
実は似たような話で、稚内で起きた夫殺害事件がある。妻が夫を殺害したのち、自宅の大型冷凍庫にいれたまま、数年後に自分はその冷蔵庫を置いて家を出たのだ。
普通ならばその場を離れるということは、誰かに見つかる可能性が高くなるわけで何とかしようとするはずなのだが、稀に「放置」することを選ぶ人間がいる。
彼らに共通するのは、その場しのぎ、自分で考えることをしない、とりあえずの繰り返し、そして都合の良い解釈が好きということだ。
桑田も稚内の女も、驚くほどその行動が似ている。時間が経つと自分がしたことを都合よく解釈し、桑田はその犯行を「愛のため」と言い切った。やっぱりバカだ。
無能な男は、裁判員裁判でありながら地裁から一貫して死刑判決が下され、現在死刑執行を待つ身となっている。
公判でもさんざん恩を着せられた妻子は、桑田のことをどう思っているのだろうか。
かおりさんと紘子さんが、母親らのもとに帰れたことだけが救いである。
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いただいたお気持ちは資料集めに使わせていただきます。
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