腐る家~泉南市・一家5人餓死事件②~

母の教え

若狭さん兄妹の母親が宗教に熱心だったのは事実で、信者らしき人が家に出入りしていたこともあった。
しかし、当時は良一さんもあつ子さんも、特にのめりこんだり母親と一緒になって信者獲得に奔走するとか、近所の人に入信を勧めるとか、そういったことはなかったという。

それが、母親の死後、突然あつ子さんが「教祖」を名乗った。

良一さんは近所に暮らす兄弟らに一方的に絶縁を突き付け、以降親せきづきあいは途絶えた。
ただ一人、義理の姉だけはその教えに耳を傾けたといい、義姉はお布施もしていたという。
大阪府南部の真言宗系、日蓮宗系の寺院を何度も訪れ、境内の全ての仏像にお供え物を大量にあげ、時には住職らに対し、自宅へ来てほしいなどと話すこともあった。
若狭家からは、真言宗で使用する「妙鉢」という打楽器を打ち鳴らす音も聞こえていた。

良一さんが仕事をやめて以降、一家の収入源は母の残した遺産とお布施のみだったようだ。
1982年にあつ子さんが母親の宗教を引き継いでからの最初の2年は、母親の代からの信者がいて約3,000万円のお布施が集まったという。
バブルという時代背景もあったと思うが、この若狭家の宗教の実態はどのようなものだったのだろうか。
実は、母親の代のそれと、あつ子さんが引き継いで行ったそれとは、だいぶ中身が変わってきていた。

クソ味噌の中の「信念」

母親が行っていたのは、大阪市内の寺院の敷地内での講和活動や、その寺院が属する宗派の教えを説くなどの、いわば普通の活動だったとみられる。
その中で、「先祖を大切にする」「他人の悪口を言わない」「他人に迷惑をかけない」という、ごくごく当たり前のことを大切にしていたという。

これが、あつ子さんが引き継いで以降、様子が変わっていった。

外の世界と接すると、因縁がつくからと子供たちの外出を制限した。小学校こそ通っていたようだが、まだ義務教育であるにもかかわらず、中学はまともに通えなかった。長女すい子さんは、中学を2度、留年しており、ほかの兄弟も卒業式すら出ていない。
「他人に迷惑をかけない」という教えは、いつの日か「他人と接してはいけない、助けを求めてもいけない」に変わっていた。そして、それこそが「信念、教義」として子供たちに刷り込まれていった。

真言宗を信仰していたはずなのに、家の中には十字架やニンニクの飾り、天照大神と書かれた掛け軸や割りばしで作った鳥居など、取り入れる宗教にも一貫性は皆無だった。
そんなあつ子さんのもとから、信者たちは一人、また一人と去っていったという。

残されたあつ子さんと良一さんは、信者を身内から得ようと画策するようになる。
近くに暮らす弟や妹の家族を強引に引き込もうとし、さらには母親の遺産を勝手に散在する、親族にお布施を強要するなどの暴挙に出た。
そんなあつ子さんと良一さんに親せきも愛想をつかし、良一さんらが家族の土地を勝手に売ったことで絶縁状態に陥った。
良一さんが一方的に絶縁したというより、トラブルを起こした挙句のことだったようだ。

信者をなくした若狭家は、なんとか新しい信者を得ようと、ある人物に目をつける。
それが、先述の義姉だった。

義姉の4000万円

若狭さんの家族は複雑だった。
良一さん、あつ子さんの母親は再婚で、若狭家に嫁いだ時には子供がいた。それが、二人にとって異父兄弟となる姉の節子さんだった。
その後、良一さん、あつ子さんらが誕生する。

若狭家nには、節子さん以外に異母兄弟もいた。父親も再婚だったのか、はたまた婚外子がいたのかは定かではないが、その多くが若狭家の近所で暮らしていた。
そして、節子さんは良一さんらとは母親違いの息子Aさんと結婚し、若狭家と近い場所に世帯を構えて生活していたという。

節子さんは弟や妹が困っていることにうすうす気づいていたようだった。
しかし、家庭のお金をおいそれと妹たちにつぎ込むわけにもいかず、悩んでいた。
良一さんとあつ子さんは、
「神さんに捧げるお金がいるんや」「金をもってこんのやったら、祟りがあるぞ!」
などと迫り、節子さんを追い詰めた。
節子さんも、母親の宗教をあつ子さんが引き継いでいることは知っていたし、母親の教えを自分とてそれなりに守ってきていたこともあって、無下にはできなかったとみえる。

最初は少額を取り崩し、夫には内緒で融通した。
しかしそれは回数を重ねるごとに金額が増し、最終的には4000万円があつ子さんらの元に渡った。

当然、節子さんの無断持ち出しが夫の知るところになるのに時間はかからなかった。
激怒する夫の手前、家にいられなくなった節子さんは、あつ子さんらが生活する実家へと戻った。

その後は、節子さんから引っ張ったお布施が、一家の生命線だったとみられた。
しかしその金も事件の2年ほど前には尽きかけていたとみられ、不定期でお布施を納めてくれていた知人がこの年の5月を最後に連絡が取れなくなったことで、完全に収入が断たれたのだった。

不起訴

警察は、激しく衰弱していた良一さんとあつ子さんの回復を待って詳しく事情を聴いた。
子供たちはなぜ、次から次へとバタバタ死んだのか。たしかに、餓死に近い状況ではあったものの、それにしても成人した5人全員が、母親であるあつ子さんの「教義」を信じぬいていたとはどうしても信じがたかった。

子供たちは義務教育も満足に受けていなかったことから、友人はおらず、親せきですら子供たちのことをよく知らなかった。
良一さんとあつ子さんは、もともと恰幅の良いほうだったという。
しかし、長女のすい子さんはじめ、時折庭で洗濯物を干す女性たちは、皆やせ細って疲れた様子だったと話す人もいた。
また、一家の奇異な買い物も目撃されていた。
月に一度、近くの薬局に買い物に来ていたというあつ子さんだったが、買うのは医薬品と大量の「栄養ドリンク」だった。
1度に50本以上購入していたといい、それらが日々の「食事がわり」だったのでは、という見方もあった。

体力のない年寄よりも、若い子供たちが先に死亡したのも不審に思われた。
しかし、代謝の少ない老人よりも、より多くのエネルギーを必要とする若者のほうが先に飢餓状態に陥るのは有り得ることという専門家の指摘もあり、また、良一さんとあつ子さんも見るも無残にやせ衰えていたのは事実であったことから、積極的に子供たちだけに断食などを強いた、とは言えなかった。

この時期、宗教団体による変死が相次いでいた。1月には宮崎市の「加江田塾」で、重病を患っていた当時6歳の男児と、出産時に未熟児だった嬰児が死亡したにも関わらず、届けずに放置したとして塾長と幹部女性が逮捕、前年1999年の11月には、あのライフスペースの事件が起こっていた。
加江田塾では、塾長の男が教祖的な役割を担い、信者らの悩み相談に乗っていたが、基本的に信者らとは疑似家族のような共同生活を送っていたため、この泉南の一家も本当の家族ゆえにさらに強い結びつき、洗脳で成人と言えども子供たちは逆らえなかったとみられた。

その、成人であったが逆らえなかった状態ということと、長女が高熱を出していた(良一さんらの聴取から判明)にもかかわらず、医者に連れて行かなかったことなどから、保護責任を問えると判断。
10月4日、大阪府警泉南署は良一さんとあつ子さんを保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。

高熱を出して最初に倒れた長女・すい子さんを助けなかったのは、「長いこと他人の手を借りない、と教え込んできた手前、医者には診せられなかった」とあつ子さんが自供。
結局、あつ子さんの「意地」が、家族を滅亡へと導いてしまったのだった。

しかし。大阪地検堺支部は、二人に対して簡易鑑定の実施を決めた。そしてその結果、12月5日には二人が当時心神喪失状態にあったとして、不起訴処分を決定したのだ。

確かにあつ子さんのくだらない根拠のない意地や世間体で子供たちは餓死へと追いやられた。
一方で、良一さんもあつ子さんも一か月以上食事をしていないことが分かっており、さらには幻覚症状や妄想にとらわれ、死に行く子供たちを目の前にしても何の対応もしていないこと、「神さんが何とかしてくれる」などと話すなど、ようするに地検はお手上げ状態だった。
当時の竹内支部長検事は「鑑定留置するまでもなく、もう調べることはない」と述べた。

ふたりは必要な治療を受けたのち、入院となった。

一家がすがった「神さん」

あつ子さんの子供は、長女と次女が生まれた後、実に10年の期間をおいて、そのあとの3人が年子で生まれている。
そのうち、4人までは女の子だったが、どうやらあつ子さんは男の子が欲しかったとみられる。
長男・実さんを妊娠しているとき、「この子は絶対に男の子だと、神さんのお告げがあった」と周囲に話していたというのだ。
そしてその通り、待望の男の子を授かった。
しかしあつ子さんはその直後になぜか離婚している。
離婚理由はわからないが、なぜ実さんが生まれた途端、離婚しているのだろうか。しかも、5人も子供がいるのに、全員を引き取っての離婚である。
この時代、なかなか女性が子供全員を引き取るというのは厳しいことだったはずだ。ましてや、唯一の男の子である実さんも、婚家は手放している。ここに、なにかあったような気もするのだ。

同じころに良一さんも離婚。断定はできないが、この良一さんの離婚は、あつ子さんの離婚が少なからず関係しているように思えてならない。
あつ子さんは突然、「神さんが下りてきた」といって教祖宣言をした。周囲の人には、「金はなんぼでも入ってくるんや。神さんが働いたらあかん言うてんねん」と語っていたという。
しかしその信者たちは、あつ子さんがお布施の無心をし過ぎることで離れて行ってしまった。

義姉の節子さんについても、実はうわさがあった。

4000万を良一さんとあつ子さんにお布施したことが発覚し、実家に戻された節子さんは、その直後死亡しているのだ。
風邪をこじらせたとあつ子さんらは話したというが、節子さんの遺体が見るも無残に痩せこけていたことで親戚たちは不信感を抱いたという。近隣でも、自殺、もしくは餓死ではないのかとまことしやかに囁かれた。
それを察してか、あつ子さんらは節子さんの遺体を早々に荼毘に付し、葬式は行わなかった。節子さんの遺骨は行方不明になったままだ。

事件発覚当時は、確かに家の中に1円もなかったという。冷蔵庫もカラで、電気と水道だけがかろうじて供給されていた。
本人らも間違いなく瀕死だった。そのうえで、「神さんが何とかしてくれると思った」ゆえに、責任能力なしとして不起訴になったのだ。
ならばなぜ、節子さんは「神さんが何とかしてくれ」なかったのだろうか。何とかしてくれなかった神さんを、なぜこの一家は信じ続けたのだろうか。
結果不起訴となったことが、神さんのお陰なのだろうか。

その家は今も、腐りかけたその躯体を晒し、その場所に佇み続けている。


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