過剰防衛~ふたつのDV反撃事件~

まえがき

DV、それは夫婦間、恋人間で起こる精神的、肉体的、経済的なあらゆる分野における暴力の全てを指す。
1970年代にアメリカでDVの概念が作られ、その後平成13年にようやく日本でDV防止法が施行されたが、当時その認知件数は配偶者暴力相談支援センターに寄せられたものが約36,000件、警察が把握したものが約14,000件。
それは年々増加の一途をたどり、令和元年には警察への相談件数だけでも11万件を超えた。

これは、単にDVが増えた、ということではなく、DVの概念が広まり、それまではDVだと思われていなかったものがきちんとDVであると言われるようになったこともあるだろう。
たとえば、いまだにDV=暴力、だと思っている人は男女問わずいる。しかし、DVは「外出を制限する」「無計画な買い物をする」「無視する」「他人の前で恥をかかせる」「常識的な性交渉に応じない、または強要する」といったことまで多岐にわたる(分類詳細)。

そのDVから逃れるために、もし、相手を殺してしまったら。命の危険を感じて咄嗟にとった行動で相手が死亡してしまったら。

昭和と平成に起きたふたつの事件と、その結末である。

昭和の事件

昭和53年の京都伏見区。
真夜中の桂川堤防にタクシーが乗り入れてきた。降りてきたのは男と、ホステスらしき女。
男は周囲をはばかることなく大声で女に対し罵声を浴びせかけ、さらに殴る蹴るの暴行を加えていた。
それは20~30分に及び、その間、女の許しを請うような悲痛な声が聞こえていたという。
突然、男が女の首に手をかけ、「死ね!」と叫んでそのまま力いっぱい締め付けてきた。もみ合いになる二人……。

しかし、その場に倒れこんだのは男のほうだった。
馬乗りになった女は、息を整え、手ぬぐいの両端を思いきり引っ張った。

事件概要

昭和53年6月5日午前1時ころ、伏見警察署に一人の女がやってきた。
女の服は乱れ、誰かに殴る蹴るの暴行を加えられたことは明らかであり、その顔面からも血が滲んでいた。
驚いた警察官らが事情を聞くと、なんと女は「人を殺してきた」というではないか。
しかもそれは、夫だという。女の供述から、警察官らが伏見区の羽束師排水機場付近へ向かうと、桂川沿いの堤防に男性が倒れており、すでに死亡していた。
警察は、女が夫を殺害したとして殺人の容疑で逮捕した。

逮捕されたのは、伏見区に在住のホステス、松本美弥子(仮名/当時30歳)。殺害されたのは、夫の勝幸さん(当時33歳)。
美弥子の話によれば、その夜仕事終わりに迎えに来た夫とタクシーの中で口論となり、桂川堤防でタクシーを降りた後殴る蹴るの暴行を加えられ、さらには首を絞められたためにこのままでは殺されると思い、勝幸さんを思いきり突き飛ばすと、よろけた勝幸さんに飛びついて、自身の血を拭うために持っていた濡れ手拭いで勝幸さんの首を絞めて殺害したということだった。

検察は美弥子を殺人で起訴、懲役4年を求刑したが、京都地方裁判所は美弥子の行為は過剰防衛であるとして、その刑を免除する判決を言い渡した。
量刑不当で控訴した検察だったが、大阪高等裁判所も京都地方裁判所の判決を支持、控訴を棄却した。
検察は上告を断念し、美弥子の刑の免除が確定した。

出会い

美弥子は昭和23年、京都に生まれ、地元の中学を卒業したころ、後の夫となる勝幸さんと出会った。
その後昭和42年に名門京都女子高等学校を卒業、京都市内の企業で事務員として働いていた。
勝幸さんとは当初は友人の関係だったが、高校を卒業して以降は本格的な交際へと変わっていたようだった。
しかし勝幸さんはあまり仕事をせず、せっかく取得したタクシー運転手の資格があったにもかかわらず、その社会人としての態度は問題があった。
加えて、勝幸さんは性格的に突然激高したり、暴力的な態度に出ることもあった。美弥子は一度、勝幸さんに殴られたことで左目が網膜剥離を起こしていた。幸い、失明には至らなかったが、このことで美弥子の家族は勝幸さんとの交際に反対、美弥子自身も身の危険を感じて何度も別れを告げていた。

しかしそのたびに勝幸さんは暴れ、美弥子の実家に怒鳴り込んで家族の面前で死のうとするなど、その行動には皆が恐れをなしていた。
さらに、美弥子に対し、勝幸さんは自分の指を切断してそれを送りつけてもいた。
そんな状況下で、美弥子は次第に別れを口にできなくなっていた。

昭和47年、美弥子は妊娠する。実は妊娠は3度目で、それまでの2回は中絶していた。
年齢的なことや、何度も中絶することに抵抗を感じていた美弥子は、結婚を願う勝幸さんがこれを機に立ち直ることを信じ、家族の反対を押し切って入籍した。

しかし美弥子の願いは、結婚早々打ち砕かれてしまう。

狂気の結婚生活

結婚しても勝幸さんの態度は改まるどころか、日常的に美弥子に対して暴力を振るいまくった。
そして、一度は失明を免れた左目を、美弥子は失明してしまう。それほどまでに、激しい暴力が美弥子を襲っていた。

昭和48年に長女が、51年に長男が誕生したが、勝幸さんが仕事をしないばかりか、競馬や飲酒に次々と金を持ち出すため、日々の生活にも事欠くようになってしまう。
美弥子の失業保険でしばらくは乗り切ったものの、それがなくなると勝幸さんは親族らにたかった。
返済のことも考えず、ただ自分のためだけに金を浪費しまくり、そのことで美弥子が何か言おうものなら暴力で返事をした。
生活費に困った美弥子は、「利息の付く金は借りるな」という勝幸さんに隠れて、とうとうサラ金に借金をせざるを得なくなる。
昭和53年にはその額が200万円を超え、美弥子はようやく実家に相談した。
実家は、借金の返済は何とかしてやれても、そもそも勝幸さんの態度が改まらなければ同じことである、という、完璧なまでに真っ当なアドバイスをし、美弥子もその通りだと思った。
しかし、かといって勝幸さんに小言を言えば、暴力で応酬されることはわかり切っており、美弥子は途方に暮れるしかなかった。

事件の一か月前には、勝幸さんの実家で親族も交えて話し合いがもたれた。
その席では、勝幸さんは殊勝な態度でおり、勝幸さんの義父が90万円を肩代わりし、残りは夫婦で返済していく、ということで話はまとまった。

美弥子は幼い子供らを勝幸さんの実母に預け、キャバレーでホステスとして働き始めたが、勝幸さんは働くどころか、体調不良を理由に入院してしまった。

事件の夜

昭和53年6月4日、深夜仕事が終わった美弥子は、預けていた子供たちを引き取るために勝幸さんの実母方へ立ち寄った。
すると、入院していたはずの勝幸さんが現れ、意味の分からないことを喚きながら美弥子に襲い掛かった。
「ホステスみたいなことしやがって!」「お前今晩家に帰れると思てるんか!」
勝幸さんはタクシーを止め、美弥子を押し込むとそのまま運転手に指示して、桂川堤防へ乗り入れさせた。
そして、暴行を加えたのだ。

美弥子はタクシーの中にいるときから、「ごめんね、もう帰ろう」「堪忍して」と勝幸さんの気持ちを静めようとしていたが、勝幸さんの興奮は収まることはなかった。

30分くらい経った頃、勝幸さんが美弥子の首を絞めてきた。死ね、と言いながら力をこめる勝幸さんにこれまでにない恐怖を感じた美弥子は、このままでは殺されると強く感じた。そして、自分が死んだら子供たちは、借金はどうなるのか。責任感も強かった美弥子は、絶対に「今は死ねない」と思い、さらには、「中途半端にはしておけない」と思った。

そして美弥子が下した決断は、「殺してやる」だった。

狂気のごと

確かに、美弥子がした行為は正当防衛の範疇は逸脱している。突き飛ばした勝幸さんの首を絞め、しばらくして手を離したところ、やはり女の力では殺しきることは出来ていなかった。
うめき声をあげた勝幸さんを、もう一度、確固たる殺意を持って締め上げたのだ。一度目の首を絞めたことは正当防衛でも、二度目は違う。検察は殺人罪で起訴していた。

しかしながら美弥子が事件当時暴力を受けていたことは警察官らも把握していたし、勝幸さんの生活態度や美弥子への暴力は多くの人から証言が得られた。

左目を暴力によって失明させられ、それでも幼子を抱え、必死で働いていた美弥子には、多くの同情が寄せられ、裁判所もその美弥子が経験した凄まじいそれまでに心を寄せた。

裁判所は、過剰防衛も逸脱しているという検察官の指摘は一理あるとしながらも、美弥子が受けた暴行について「狂気のごと」と表現した。
そして、その時の心情として、咄嗟に反応して首を絞めた「以外」の感情、すなわち、自己の生命の防衛意識のみならず、これまで受けてきた耐えがたき暴力の数々、憎悪の感情があったとしても、そしてそれが防衛の範囲を超えていたとしても、美弥子を強く批難することは出来ない、とした。

大阪高裁もその判断を支持、美弥子は刑を免除となった。

平成の事件

「心臓は骨があるで。ここを狙え」

部屋に寝っ転がった男は、そういうと自分の首筋をとんとんと指で叩いた。
体中が砕けるような痛みが断続して襲っていた。今日だけでも何度、殴られ、蹴られただろうか。もう涙も枯れ果てていた。

何度も手にしては放り投げた果物ナイフが、ぎらりと光る。
女は今度こそ決心した。

「あんたが、悪いんだからね。」

事件概要

平成7年1月31日、名古屋市中川区の豊成団地から、女性の声で「同棲中の男を刺した」と110番通報があった。
中川署員が臨場したところ、同棲相手で無職・塚本利英さん(当時40歳)が、布団の上で首から血を流しているのが発見された。塚本さんはすでに死亡していた。

その場にいて、通報者でもある女を、殺人の容疑で緊急逮捕したが、警察官らはその女の様子に息をのんだ。
女の顔は原形をとどめぬほど腫れあがり、頭からも血を流していたのだ。

女はパート従業員の森田ひろみ(仮名/当時45歳)。
ひろみは長年にわたってこの塚本さんから激しい暴力を受けていた。

殺人で逮捕、起訴されたひろみだったが、報道も当初から塚本さんの暴力については報じていた。
ひろみは逮捕後に入院、診察の結果、事件当日に塚本さんから受けた暴力によって、頭蓋骨線状骨折、左第一二肋骨骨折、全身打撲により加療安静一か月の重傷を負っていたことが分かった。

平成7年7月11日、名古屋地裁はひろみに対し、過剰防衛と認定、その上で刑を免除した。

出会い

ひろみは2度の離婚歴がある。最初の結婚で生まれた長男と、名古屋市内の団地で生活していた。
母子家庭の暮らしは楽ではなく、昼はギフトショップでパートをし、昭和62年ころからは加えて中川区内の居酒屋でもアルバイトをしていた。
塚本さんと知り合ったのは、その居酒屋だった。

常連客だった塚本さんはひろみより若く、話も面白くて二人はすぐに親しくなった。
一緒に野球を見に行ったりする中で、その年の秋にはひろみの団地で長男とともに塚本さんと同居生活を始めた。

平成元年、長男が別居したころから、塚本さんは酒が入るとひろみに暴言を吐いたり、暴力を振るうことが増えていく。
嫉妬心がやたらと強かったという塚本さんは、ひろみの交友関係ににも口を出し、さらにはひろみが実家に行くだけでも詮索するようになったという。
平成2年、ひろみは別れたいと塚本さんに告げるが、塚本さんは意に介さずそのまま団地に居座り続けた。

平成3年、ひろみは妊娠するが、塚本さんとは別れたいと思っていたことから即座に中絶した。

首筋に刃物

平成4年なって、塚本さんの暴力はエスカレートしていた。
殴る蹴るでは飽き足らず、ひろみに刃物をむけたり、ひろみを羽交い絞めにしてその首筋に刃物をあてがうなどの悪質な暴行を働くようになっていた。

ひろみの部屋は団地の6階に位置していたが、ある時塚本さんからベランダに追いやられたひろみは、そのまま上半身を抱えられベランダから落とされそうにもなった。
ひろみとて、怯え泣き暮らしていたわけではない。何度も念書を書かせ、暴力を振るうなら出ていくという約束をしてはいたが、そんなものは守られるはずもなかった。

ひろみは「手切れ金を準備するから別れてくれ」とまで言ったが、100万円の手切れ金を用意したところ、塚本さんから500万用意しろと言われてしまう。

実家の家族を巻き込むことだけはしたくなかったひろみは、塚本さんの兄に相談したこともあった。しかし、兄からは色よい返事はもらえなかった。

平成6年、塚本さんは暴力に加え、被害妄想が始まり、やがてそれは病的なものとなっていった。

婦人相談所

塚本さんは夏ころから、「誰かが自分を陥れようとしている、嫌がらせをしている」と思い込むようになり、その首謀者をひろみだと決めつけた。
10月、ひろみを愛知県豊田市内の山の中へ連れていくと、その場でゴルフクラブでひろみの全身を殴打した。
この時、ひろみは右背部挫傷、右肋骨骨折の重傷を負わされ、通院が必要となった。
さらに、塚本さんは自分が使用する車の購入代金をひろみに用立てるよう命じ、ひろみの実家からひっぱってこいと命令した。
当然拒否したひろみに対し、顔面殴打の暴行を加える。
ひろみはこの時、警察に逃げ込んだ。警察では事情を重く見て、ひろみを婦人相談所に連れていき身を隠させた。
警察沙汰になったことから、塚本さんは自身の兄を交えて相談し、兄も同席の上で
「断酒、暴力を振るわない」
という念書を書かせ、その上で二ヶ月程度猶予を与えるとし、ひろみは自宅へと戻った。

しかしこれは世界中の誰もが思うだろう、大きな間違いだった。

「お前の命も、今日限り」

当初はおとなしく、約束通り酒も飲まなかった塚本さんだったが、一か月が限界だった。
被害妄想もとどまることを知らず、ひろみが警察の紹介で身を寄せていた婦人相談所も、その住所を明らかにしてもらえなかったことから邪推、ひろみは男にかくまってもらっていたのではないかと執拗に問い詰め、あげく暴力も再開した。

建設関係の仕事もやめ、失業手当で自堕落な生活を送るようになった塚本さんは、酒を飲んではひろみに当たり散らすようになっていた。

「お前は二重人格だ、裏切られた俺の気持ちも考えろ!」
そういう塚本さんに、ひろみはたまらずに言い返した。
「やってもないことを疑われるのはもっと辛い!」

しかしそのたびに、塚本さんから殴る蹴るの暴行を加えられ、次第にひろみは逃げることも抵抗することもできなくなっていた。

そして、平成7年の大みそか。昼間から酒を煽る塚本さんからねちねちと暴言を吐かれ、暴力も振るわれていたひろみは、塚本さんに果物ナイフを突きつけられた。
以前にもこういうことはあった。しかしこの時、ひろみは言い知れぬ恐怖を感じ、いつもと違う、そう思っていた。

咄嗟に玄関へ走ったが、襟首をつかまれそのまま引き倒され、四畳半の間へ引きずって行かれてしまった。
そしてひろみは、こんな宣告をされたのだ。

「お前の命も、今日限り」

言うや否や、塚本さんはひろみにさらに激しい暴力を振るった。手拳や足蹴りは当たり前、この日はゴルフクラブも持ち出してきた。
ひろみはとっさに、先ほど塚本さんが突き付けてきた果物ナイフをとり、塚本さんに向けた。
すると塚本さんは、嘲笑うかのように、「刺すんなら刺せ」と言うと、そのまま仰向けに寝転がった。
ひろみが躊躇していると、塚本さんはひろみの首を傍にあった長そでシャツで絞めてきた。この時ひろみは失神し、失禁までしていた。

しばらくして気が付いたひろみは、失禁していたことで着替えをし、痛む体をかばうようにしていると、塚本さんはまた暴力を振るい始めた。もう、終わることなど永遠にないかと思われるような、そんな状況の中でひろみはひたすら殴られ続けた。その間、再び果物ナイフを手にしてはみたが、刺すことは到底できずさらに殴られてしまった。

暴行が始まって、すでに3時間が経過しようとしていた。

ゴルフクラブでひろみを殴りつけた後、塚本さんは疲れたのか仰向けになって目を瞑っている。
ぼんやりと眺めていたひろみは、ふと、自分の首筋になにか違和感を覚えそっと触ってみた。
手には、血がついていた。首筋に押し当てられた果物ナイフが、ひろみの首を深くはないが切っていた。

殺らなければ、殺られる。

ひろみは仰向けで目を瞑っている塚本さんの首に、果物ナイフを突き立てた。
狙いは頸動脈、失敗は許されなかった。

塚本さんは、即死した。

過剰防衛

この事件はいずれも、弁護側は正当防衛を主張、検察は殺人での起訴だった。
そして、どちらの事件も、裁判所は正当防衛を退けている。

たとえば美弥子の場合、突き飛ばした際に倒れた勝幸さんが、土手の石に頭をぶつけて死亡した、とか、ひろみの場合でももみ合っているうちに自分を守るつもりで振り回したナイフが塚本さんの首にあたった、とかならば正当防衛も成り立っていたのかもしれない。
藤田まことでおなじみの、はぐれ刑事純情派ではそういう事件が山のように出てくる。

しかし今回、いずれも殺意も認定され、違法性は認定されている。裁判の結果でいえば「有罪」である。

その上で、裁判所はそれまでの、事件が起こるに至った経緯に相当な重きを置いた。
美弥子に関してはすでに述べたが、ひろみに対してもその凄惨な日常について、深い同情を示している。
そして、美弥子同様、違法性は免れないし、昼間であったのだから玄関を出て大声で助けを求めるなども考えられたし、ナイフで刺すということも、あえて頸動脈一太刀で即死させているのはいくらなんでも、という言及はあったものの、ゴルフクラブでぶん殴られるなどそれこそ命の危険を感じる行為を受け、警察にも相談し婦人相談所にかくまってもらうなどの公的な助けも求めている以上、検察が主張する「安易な行動」とはとても言えない、としている。

また、被害者側の親族らも、ひろみに対し宥恕の情を示しており、寛大な処分をとの言葉があった。
それらを踏まえ、また、控訴したとしても猶予刑以上を望めないとし、検察は「控訴理由が見当たらない」としてそのままひろみの刑の免除が確定した。

実際の運用について

ここでふと思うのが、あの町田DV殺人である。常軌を逸した妻の暴力、周囲に危害が及ぶ可能性から夫が妻を殺害したというアレだが、あちらは懲役10年であり、殆どその情状は酌量されていないといっていい。

どっちがどう、という話ではなく、正当防衛、過剰防衛認定は相当なハードルがあるということだ。

美弥子もひろみも、暴力の面でいうと骨折以上のケガを負わされ、しかもそれは頭部や肋骨など複数回に及ぶ。ひろみに至っては骨折の回数はなんと8回を数える。
両名とも、それ以外にも首を絞められる、ゴルフクラブで殴打されるなど、一歩間違えれば死亡していてもおかしくない暴行を加えられている。
以前、弁護士さんと話した時、「裁判で勝てるのは手足指以外の骨を折ってから」と冗談めかして言われたことがあるが、腕や足くらいではあまり意味がない的なことはあるのかもしれない。
違う言い方をすれば、そこまでのケガを負わされて初めて、同情されるということだ。

また、ふたりとも周囲に対してその実情を話し、ひろみは警察にも相談し、保護までされていた。町田DVや問題のある子どもを抱えた親による殺人でも言われたことだが、「ほかにもすべき手段が残されていたかどうか」は、重要な点だ。
警察のみならず、病院や役所などの公的機関に相談していたかどうかは、大きなポイントである。

そして言うまでもなく、即自首。時間をおかないほうが、自分が受けた傷も見てもらえるのだから、本懐を遂げたあとは速やかに自首すべきである。そしてそれは、自分に有利なことにもなる。

ここまでして、されて、それでも違法性はぬぐえず、先にも述べたが裁判の結果でいえば無罪ではなく、有罪。その上での刑の免除である。

命の危険を感じても、むやみやたらに相手をやっつけてはいけないということには変わりはない。
逃げればいいじゃないか、そういう人もいるだろう、しかし家族や借金など、それ以外の問題が絡み合っているとなかなかそう簡単にも行かないのではないか。

殺意を持って人の命を奪ったことは罪だろう。しかしその上で、救われた人がいたのもまた、間違いない。
殺るか、殺られるかは、なにもヤクザの世界の話だけではない。
個人的には、ふたりに「おつかれさま」と言いたいし、しくじらなかったことは天晴と言いたい。

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参考文献
読売新聞社 平成7年1月1日 中部朝刊
中日新聞社 平成7年7月11日 夕刊、7月26日 朝刊
朝日新聞社 平成7年7月11日 東京夕刊

昭和53年(わ)884号 京都地方裁判所 第1刑事部
判例タイムズ402頁153頁
昭和54年(う)121号 大阪高等裁判所 第5刑事部
判例時報 953号136頁 判例タイムズ402号155頁

平成7年(わ)39号 名古屋地方裁判所 第3刑事部
判例時報 1539号143頁

D1-Law.com 第一法規法情報総合データベース

「過剰防衛~ふたつのDV反撃事件~」への4件のフィードバック

  1. 勉強になりました。

    変な意見ですみません。ただ正当防衛とはどう言うものなのか、良く分かりました。

    我慢の限界というか、やられる一歩手前、揉み合った末とかになるんだなあと。

    でも、我慢しすぎれば殺されてしまう。難しいです。

    正当防衛については、常に考えていたのでとても参考になりました。通り魔を返り討ちにしたときに、正当防衛になりにくいのも理解できました。

    あと、うちの夫婦は体格差がありすぎるのと、私が頑丈なので、正当防衛になるには相当我慢しないといけないのだなと。今は仲良しですよ笑

    今回の作品も良かったです。なんか「タイムスクープハンター」を見ているようでした。

    1. ひめじのさま

      いつもありがとうございます。
      私も正当防衛、過剰防衛、そして刑の免除というものについてはよく分かってなかった部分が多かったです。
      この事件、特に昭和の事件の方は時代的にも男尊女卑的なものがあったでしょうし、にも関わらず最大限に妻のそれまでを考慮した判決だったなぁと思いました。

      今の時代、刑の免除ってなかなか聞きませんしね。

      体格差、これは相当大きな点だと思いますのでお気をつけくださいね(笑)

  2. いつも素晴らしい記事ありがとうございます。

    事件概要の以下の一文、過剰防衛ではなくて正当防衛でしょうか?

    >京都地方裁判所は美弥子の行為は過剰防衛であるとして、その刑を免除する判決を言い渡した。

    1. まゆげ さま

      いつもコメントありがとうございます!
      この部分はこれで間違いありません、正当防衛の域は逸脱していて、違法性もありますが、検察が主張する「殺人」ではなく、「過剰防衛」である、との認定です。

      わかりにくくて申し訳ありません💦

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